2019/07/28

1412【能楽の眼で歌舞伎見物】歌舞伎の棒しばりを観てその元となった能楽の棒縛・融・松風・汐汲みを想う

 
うちの近くの劇場でやるので、歌舞伎「車引き」と「棒しばり」を観に行った。歌舞伎には詳しくないが、「棒しばり」は松羽目物なので、能狂言と狂言舞踊はどう違うかなあと、ちょっとは勉強心もあるヒマツブシであった。
 そういえば、この前に新橋演舞場で観た歌舞伎舞踊「紅葉狩り」も、松羽目物だった。能との違いを面白がりながら観たものだった。
紅葉ヶ丘ホール
●能楽の狂言「棒縛り」と歌舞伎舞踊「棒しばり」

 「車引き」は能楽に関係ないし、特に面白くもなかったので、ここでは能狂言「棒縛」をアレンジした歌舞伎「棒しばり」について感想などを書いておく。
 歌舞伎の「棒しばり」は長唄による舞踊劇だが、ストーリーはほぼ能楽狂言そのままである。違いは、歌舞伎では踊りや囃子や唄に主眼を置いているのに対して、能狂言の方も小舞はあるもの演劇に主眼を置くことだろう。勝負どころが異なる。
 演出上では舞台装置は似ているが、歌舞伎では舞台上に総勢20人以上の歌、囃子方の楽団が登場して賑やかに唄い演奏するのが大いに異なる。
 
 わたしの耳には、聞きなれている能狂言役者のセリフのメリハリと間の具合が、歌舞伎役者のそれはまるで素人芝居のように聞こえた。
 能楽を真似たと初めから広言している松羽目物だから、もう少しは狂言師を真似た方がよさそうに思った。それともこの役者が下手なのか、歌舞伎舞踊ではセリフよりも踊りが主だから、これで良いのだろうか。

 さて、舞台では酒に酔った太郎冠者と次郎冠者が気持ちよく踊るのだが、そのなかの次郎冠者の長唄に、聞いたことのある文句が出てきた。
 「あずまからげのしおごろも、、、、しおぐもりにかきまぎれて あともみえずなりにけり
 え~っと、エート、なんだっけ、あ、そうだ、これは能「融」(とおる)の一節だぞ、でも、どうしてそれがここに出てくるのだろうか、あ、そうか、次郎冠者の格好が「融」の汐汲み老人そっくりだから、何の関係もないけど、ちょっとしゃれてパロディにしたのか、なるほど、なるほど。
左は公演パンフから採った「棒しばり」の汐汲み姿の次郎冠者(松緑)
右は観世能謡本から採った「融」の前シテ(汐汲み姿の融の大臣の幽霊)
この件については家に戻ってから、ネットで長唄「棒しばり」の文句を調べたら、能「融」前場のキリを唄っていると分かった。
持つや田子の浦 東からげの汐衣 汲めば月をも袖に望汐の 汀に帰る波の夜の 老人(長唄では「翁」)と見えつるが 汐曇りにかき紛れて 跡も見えずなりにけり 跡も見えずなりにけり

 この汐汲み踊りが歌舞伎での「棒しばり」の一番の見せどころらしい。しかし、そのもとになったという能狂言での「棒縛」にも狂言小舞はあるが、能「融」パロディは無いのである。
 まあ、違いがないと歌舞伎にした意味がないだろうが、両者の見せ所の違いが面白い。
 なお、狂言「棒縛」には、能「松風」のもじりパロディ場面もあるのだが、長唄舞踊「棒しばり」ではそれがないのも、面白い。
 
●能楽と歌舞伎の「汐汲み」について

 ネットでいろいろ見ていたら、この「融」のパロディを「松風」のパロディと書いている歌舞伎解説がある(参照「歌舞伎見物のお供」)。そうか、汐汲みを扱う能は融のほかに「松風」があったな。
 もしかして日本舞踊の流派によっては「松風」パロ版もあるのだろうか。でも、それではちょっとおかしいと思うのは、松風の汐汲み道具は天秤棒に桶ではなくて、桶に車が付いた(大八車に桶を載せているのかもしれないが)汐汲み車を、紐で引いて出てくるのである。「棒しばり」の格好をしていないのである。
左は舞踊汐汲みの人形 右は能「松風」の汐汲み車(観世流謡本より)
だから松風のパロディとするのは間違いであろうと思った。ところが日本舞踊に長唄「汐汲み」があり、これは明確に松風をもとにしているそうである。ネットで何でもわかるなあ、、。
 そしてこれに登場する汐汲み女は、能「松風」の汐汲み車ではなくて、能「融」の天秤棒タイプの汐汲み道具を担いでいる。

 はて、オカシイな、松風に天秤棒バージョンがあるとは聞いたことがない。でも、この長唄と舞踊「汐汲み」を創作(1811年初演)した人たちは、汐汲みの格好は「融」から、ストーリーは「松風」から採ってきたのであろう。
 それは汐汲み車を曳くよりも、天秤棒で桶をかつぐ格好の方が、動的な絵になるからだろう。融の汐汲み演技と松風のそれを比較すれば納得できよう。

 長唄「棒しばり」は1916年初演だそうだから、「汐汲み」より100年ほどの後だが、このときなぜ「汐汲み」ではなくて「融」のパロディにしたのだろうか。
 狂言「棒縛」には最後のあたりに「松風」のパロディが登場する。これは汐汲みの格好とは関係がないのだが、長唄ではこの松風を削除している。どうせならこれも生かして、その前の踊りも舞踊「汐汲み」パロディにすれば、松風パロディが続いて面白かっただろうに、とも思うのである。

 20世紀初めの創作の長唄「棒しばり」の話から始めたら、15世紀前半に作られた狂言「棒縛」、能「松風」そして「融」へとさかのぼり、更に19世紀初めの長唄「汐汲み」に飛び火した。
 ところが観世流能謡本の解説によれば、能「松風」は15世紀前半に世阿弥による作とされるが、これは実は14世紀後半の亀阿弥作「汐汲み」の改作であり、その改作には世阿弥の父の観阿弥の手が入っているとある。

●600年もさかのぼる伝統芸であったか

 ここまで登場した芸能演目を成立順に時間を遡って書くと、歌舞伎「棒しばり」→長唄「汐汲み」狂言「棒縛」能「融」→能「松風」能「汐汲み」の順になるらしい
 21世紀の「棒しばり」の話が、14世紀まで6百年もさかのぼってしまった。
 歌舞伎の松羽目物は、どれでもこうなるのだろうか。研究者ならさらに追っかけるのだろうが、ヒマツブシ趣味としてはこれで十分である。

 う~む、なんだかすごい様な、どうでもよい様な、、、いや、まあ、全くどうでもよいことを書いているのだ。
 要するに歌舞伎の楽しみ方のひとつに、そのパロディの元を思い出させて、ちょっと老人的教養人的趣味人的境地にに浸ってみて、それをひけらかす場にブログを使ったのが今風である。
 パロディを面白がるには、そのもとを知っている必要がある。どうも歌舞伎はパロディだらけらしいのだが、観てもさっぱり分からないから面白くない。今回一つだけようやく分かって面白がったのであった。

 能については長らくたくさん見てきたから(→趣味の能楽鑑賞)、半分くらいは何とか分るのだが、歌舞伎もそうなるには20年かかるだろうから、いまや無理と言うもの。
 今回の公演には、本番開演前に解説番組はあっても、こんな話は無かったのだが、マニアックすぎるのだろうか。

●歌舞伎に普及について

 まあ、どうでも良いことを言っているのだが、研究者でもないわたしとしては、そうやって歌舞伎を楽しんでいるのである。
 ところで今の観客のどれほどが、松羽目物の元になった能や狂言を観ているのだろうか。それを観ていて覚えていればこそパロディであると分って、楽しみがぐんと増えるのだが、既に能狂言の棒縛り見ていたわたしでも、ようやくそれと分っただけだった。

 能狂言から歌舞伎に移植されて、歌舞音曲主体になって面白くアレンジされても、今やもう元の面白さは忘れられただろう。古典芸能がそのまま生きるのは難しそうだ。
 今回観たのは、国立劇場の地方公演の歌舞伎鑑賞教室であり、本番の前にしっかりと解説番組もあって、若い世代向けの伝統芸能普及公演であるらしい。
開演前の解説番組 中村玉太郎 ここだけ舞台撮影OK
だからわたしのような年寄りが見ては申しわけない。でも、貧乏な年寄りには、銀座の歌舞伎座は高価だし、三宅坂の国立劇場は遠く不便だし、どちらも敷居が高いから、近くて安いこれはなかなかよろしい。
 観客は年寄りも多かったけど、若い人たちも多かった。地下に階段で降りる便所って、年寄りにはつらいな。

 まあ、歌舞伎の観巧者や評判大物役者びいきには物足りないだろうが、こういう公演は東京の外の観客に、そして出演する若い役者たちはよいことと思う。
 それにしても歌舞伎とはストーリーの前後をカットして一部だけ見せるのだから、しょっちゅう見るとか特別事前勉強しないと、なんとも不可解で次も見ようと思わない。
 ストーリーが不可解でも、評判役者が出てきて、華やかな舞台を眼で楽けめば良いのだろうが、それで長続きするだろうか。

 その心配があるから、こうやって地方まわりの鑑賞教室だろうが、でもなあ、これをみて歌舞伎好きになるもんだろうか。歌舞伎ってのはその荒唐無稽さを楽しむのだろうが、これではそれが足りないような、もっと無茶な場面を見せてくれといいのになあ、お得意の血みどろ殺人の場とかケレンとか、、ね、。

国立劇場の次の26日が紅葉坂ホールだった
第96回 歌舞伎鑑賞教室 
2019年7月26日1430~1650 紅葉ヶ丘ホール

解説 歌舞伎のみかた 坂 東 新 悟

菅原伝授手習鑑ー車引ー 
舎人松王丸 尾上 松緑
舎人梅王丸 坂東 亀蔵
舎人桜丸  坂東 新悟
舎人杉王丸 中村 玉太郎
藤原時平  中村 松江

棒しばり
次郎冠者 尾上 松緑
太郎冠者 坂東 亀蔵
曽根松兵衛 中村 松江

 なお、劇評家の渡辺保が、このシリーズの浅草公演について、松緑の棒しばりを褒めている。
・渡辺保の歌舞伎劇評 2019年7月国立劇場 松緑の「棒しばり」
http://watanabetamotu.la.coocan.jp/REVIEW/BACK%20NO/2019.7-1.htm

2019/07/21

1411【デジャビュ】また出会った60年代と90年代の人物と事件、日本列島は右へ右へと昔に戻る方向に回転中か

●デジャビュその1:また似た様な結果なんだな

 参議院議員選挙の結果が出た。よくわからないが、いつもと変わらぬ感が強いなあ、だから毎度毎度変ることを待つ身には、またかよってデジャビュだよなあ。
 全体として積極改憲派勢力を議席数3分の2に届かせなかったことが、大数の法則を維持してるのか。
 沖縄の抵抗の相変わらぬ一方で、あの核毒被災地の福島では相変わらぬ自民当選、この対比的なデジャビュ感はなんなんだろうか、地続きと島国の違いか、貧しい中にも矜持か。
 そしてまた、秋田・岩手・山形・新潟の野党候補者当選という、東北地方の大きい変化の中でも、福島の相変わらぬ自民支持のデジャビュ、この対比はなんなんだろうか。
 意外にも愛媛県で自民落選、あ、そうか、今治の加計学園大学問題の影響か、もう忘れそうになっていたがデジャビュ、地元じゃうんざりをなんとかしたかったか。
 れいわ新選組なるアナクロネーミング党は2人当選とて、ここだけはデジャビュ感一切無し、考えようによっては究極の良い意味でのポピュリズム政党かもなあ。

●デジャビュその2:野末陳平が生きていた
 
 参議院議員選挙、東京選挙区の開票結果に、「無所属 野末 陳平 元 87歳 当選:4回 元参議院大蔵委員長元放送作家 91,194票(1.6%)」、おお、なんだか懐かしいぞ、見たことあるぞ、デジャビュだぞ、
デジャビュ陳平さん 懐かしや、生きてますか
そう、あの陳平さんだよ~、1960年代のこと、野坂昭如と組んで黒メガネの不良振り知識人オッサン。
 そうか、87歳かよ、今や泡沫になりつつも、まだ生きてるのね、お互い高齢社会に生きてると、デジャビュが多くなるな。

●デジャビュその3:半世紀前極右の赤尾敏の再来か
参議院議員選挙、おお、飽きもせずに憲法改正を辻演説する自由民主党総裁の安倍晋三………え~と、なんだかデジャビュだなあ、。
 あ、そうだ、大日本愛国党総裁の赤尾敏を思い出した。
 1960年代からだったか、憲法改正して再軍備せよと辻説法を続けた人である。数寄屋橋公園でよく見かけたが、あのころは極右政党の親分の言うこととて、まともに相手にする人はいなかった。

 この懐かしの赤尾敏総裁の選挙ポスターを読めば、「紀元節復活」と「日米安保条約強化」は完全実現しており、「社会党打倒」と「憲法改正」そして「再軍備促進」はほぼ実現の方向にあり、おお、すごいなあ赤尾敏、時代の先駆け、早すぎた右翼かなあ。
 でも、共産党非合法化と創価学会撲滅はまだまだのようだな。

 あれから日本は右へ右へと回転して、う~む、あの極右ゲリラの赤尾敏総裁がの言説を、今やゲリラならぬ政権を握る安倍晋三総裁が、選挙演説で堂々と唱えている。
 う~む、すごいなあ、今や世は極右時代になったんだなあ、長生きすると面白いことに出くわすもんだ、こちとらはもうすぐ死ぬから、あとは適当にやってくれえ。

 実は3年前の参議院選挙でも、伊達眼鏡ブログに書いていた。
https://datey.blogspot.com/2016/07/1202.html
 

●デジャビュその4:四半世紀前湾岸戦争参戦の再来か

 おお、またアメリカから戦争協力要請かよ~………、え~と、なんだかデジャビュだなあ、そうだ、湾岸戦争だったな、あれは。
 1991年にアメリカのブッシュ大統領から湾岸戦争協力を求められて、当時の自由民主党政権の海部俊樹内閣は、なんと90億ドル、つまり当時のレートで1兆2千億円もの大金を出した。

 憲法上の制約があるからとて、そのカネで自衛隊派遣を勘弁してもらったんだけど、事実上の参戦だったなあ。
 今度もまたアメリカのトランプ大統領からの要請、さて、また何兆円かのカネ出して参戦するのかしら、それとも今や憲法解釈変更で自衛隊堂々派遣かもなあ。
 どっちにしても、カネあるの??、いや、つきあう義理があるの??

2019/07/17

1410【映画「主戦場」を観た】日韓の情報量の非対称が今の両国問題の傷を深くしているようだ

 近ごろは映画と言えば、うちで寝転んでタブレット画面で観るばかりだが、今日は久しぶりに映画館まで出かけて行って、大画面の映画を観た。
 ちょっと評判の様な映画「主戦場」で、2時間も椅子に縛り付けられて肩が凝った。

 タイトルの『主戦場』とは、日本兵への性的慰安婦の戦場と言う意味らしい。かつての実際の慰安施設のあった戦場と、現在の日韓慰安婦問題で争いの戦場である。
 戦争は今も続いていて、軍隊による強制連行・強制性交の有無について、当事者活動家学者右翼左翼政治家入り乱れて、乱戦乱交の中である。

 その乱戦乱交連中に映画監督が個人的にインタビューして、インタビュイーの語る映像と既存資料映像を、どちらもコマギレに組合せつつ、なにが真実であるかを探る映画である。
 と書くとドキュメンタリー映画かと言うと、そうではなくて、むしろノンフィクション・エンターテインメント映画と言うほうがよいような気がする。
 一種の謎説きの面白さを見せるからである。そして謎が解けて真実はこうだと結論するのだが、それが本当かとも思わせる節もかなりあって、その虚実の面白さもあるエンタテインメント映画である。

 インタビュイーたちの氏名一覧(全部ではない)。 
 トニー・マラーノ、藤木俊一、山本優美子、杉田水脈、藤岡信勝、ケント・ギルバート、櫻井よしこ、吉見義明、戸塚悦朗、ユン・ミヒャン、イン・ミョンオク、パク・ユハ、フランク・クィンテロ、林博史、渡辺美奈、エリック・マー、中野晃一、イ・ナヨン、フィリス・キム、キム・チャンロク、阿部浩己、俵義文、植村隆、中原道子、小林節、松本栄好、加瀬英明、、。

 わたしでも名前くらい聞いた有名人もいるが、へえ、あの妙な発言する人は、こんな顔でこんな話し振りかと、面白かった。
 例えば杉田水脈、藤岡信勝、櫻井よしこ、加瀬英明たち、他人の話を聞かない本を読まない自信に溢れた傍若無人発言ぶりに、ちょっと笑えた。
 櫻井よしこって人は、昔々わたしもTVを見ていた頃は、夕方のニュース読みネーチャンだったのが、今や右派論客オバサンなんだなあ、こんな顔してこう話すのかあ。

 日本軍による強制連行奴隷慰安婦は事実としてあったとする「事実派」と、民間業者がやった売春宿であって軍による強制はウソだとする「虚偽派」の言い分を並べる。
 映画としてのその結果は、監督の意図する「事実派」の優位方向に編集されているのだが、観ていて別の監督なら同じ材料をつかって、虚偽派の方向へ編集もできるかもなあ、なんて思った。

 「虚偽派」の大きな論拠は、政府がこれに関する文書資料を探したが、見つからないので証拠がないから、事実ではないとする。
 「事実派」の最大の論拠は、現にその現場で被害に遭った女性たち何人もの証人の証言があるから、虚偽ではないとする。
 南京大虐殺事件の事実虚偽論も同じようなものだろう。

 このギャップを埋めるのは、いったいなにだろうか。
 明確に事実なのは、軍隊には兵隊の行く先々に慰安婦のいる施設を設けたことである。わたしはこの施設とその利用について、戦争体験者である父からと、インパール作戦生き残りの人からも、直接に聞いたことがある。それらの体験記を書くために調べる途中でいろいろの資料にも性的慰安所は出てくる。

 それが軍の施設であろうと民間の施設であろうと、そこで性を売る女たちが居て、そこで男の兵たちは女から性を買ったことは事実である。
 それは戦争が女たちをして、性を売るべき境遇に貶めた事実があったということである。人間抑圧の事実を見つめる必要がある。
 人間の歴史の真実とは何だろうか、という永遠の大命題を考えさせるのが、この映画監督の意図だろうか。

 ところで、日本の若者たちは慰安婦問題をほとんど知らないことが、映画の中で強調されていたのが気になった。
 1993年宮沢内閣の時に、従軍慰安婦問題について河野内閣官房長官談話が出されてから、学校教育のために教科書にも慰安婦問題が載るようになっていた。
 ところがこれに対する右派からの反撃が強烈に起こり、1997年設立の日本会議などの右派活動団体の政治的圧力で、2000年代のはじめに教科書から姿を消した。
 この映画のインタビュイーたちにも日本会議の重鎮が登場する。今の日本の総理大臣と財務大臣が、なんとまあ、この会議の最高顧問であるらしい。

 その教育不在の結果としていまでは、日本の若者はアジア太平洋戦争に起因する慰安婦問題を知らない。その一方で、韓国の若者は大きな問題としていて、例えば慰安婦像建立運動にかかわる。
 この日韓教育における情報の量と質の大きな非対称が、現今の慰安婦から徴用工へと問題をひろげ、更に経済へと日韓対立に傷を深くしているのだろう。

 ところが、この映画のインタビュイーたちから、上映中止の訴訟がなされたとかなされようとしているとかである。
 インタビュイーとしてはコマギレに切りとられて、前後の別の映像資料から比較されて、結果としてバカにされた形に編集されると、怒るのも無理は無いとも思う。
 もっとも、その騒ぎは映画宣伝になるのだから、監督にはありがたいことだろうし、織り込み済みだろう。

 映画不振と聞いているが、100人ほど入る映画館に9割ほどの客席が埋まっていた。まあ、わたしがわざわざ見に行ったくらいだからなあ、次は「新聞記者」をみようかな。

2019/07/11

1409【誤報と偏見】ハンセン病誤報の新聞トップ3記事から偏見の歴史をちょっと考える

 2019年7月10日に政府側敗訴のハンセン病家族補償裁判について、政府は控訴しないことにしたのだが、その10日の朝日新聞朝刊は、政府は控訴する方針と「大誤報」した。
 朝日は慌てて、その日の夕刊に政府控訴断念の記事と誤報お詫び記事を載せた。新聞屋としては恥ずかしいことだろう。
 わたしは、誤報しても新聞代を返してくれないのが、おおいに不満であるが、そのかわりにヒマツブシに面白がってやるのだ。

 朝日新聞は慰安婦問題とか原発報道とかで、世間とくにネトウヨ筋が誤報新聞と叩いてきているから、今回もいい餌食にされるだろう。
 ネットスズメには、なにかと政府と対立する朝日新聞に対して、政府筋から誤報誘導情報を流して陥れる作戦に、朝日がうまくはまり込んだ、などという面白い話もある。
 なんだか政治小説のようだが、ちょうど映画「新聞記者」が上映中で、そこに似た様な事件が描かれているとも言うので、その映画を観に久しぶりに映画館に行きたくなった。
 
 7月11日の朝日新聞は、トップの政府控訴断念記事にお詫び記事ものせ、2面には誤報に至った経緯を載せている。
 実はそれを読んでも、誰になにを聴いたからこの記事になったと正確に書かないから、いや守秘義務とかで書けないのだろうが、どうして誤報になったかさっぱりわからない。
 
 朝日新聞はしばらく世間からバカにされるだろうけど、まあ、洋の東西とも中世以来の「癩」の長い長い偏見の歴史から見ると、ようやくここに至った一瞬の間の誤報である。
 だからこそバカと言うか、だからまあいいじゃないか、と言うか、誤報記事の背後には偏見の歴史がもたらした重さがあるかもしれない。

 「」を「ハンセン」と言い換えは、それも偏見の歴史なのだろうか、言い換えると偏見がなくなるものでもあるまいし、あ、そうだ、痴呆症を認知症と言い換えたら痴呆じゃなくなるわけじゃなし、ツンボ、メクラ、オシ、ビッコ、イザリなど(こうやって並べて気がついたが、いずれも超高齢者に充てはまるのだなあ、わたしのことか)の偏見言葉の言い換え歴史をちょっと考えていたら、同じ朝日新聞一面に登場している別の2つのニュースにも気がついた。

 誤報日の10日の朝日新聞一面には、10歳の女児がプロ将棋打ちになって1勝という記事が、誤報の下にある。
 こんなどうでもいいことが新聞一面に出るほどの記事かよ、と思ったけど、なるほどなあ、オンナコドモが勝負師の世界に生きることを社会が褒めるなんて、かつては考えられなかったもんなあ、これも偏見克服の歴史のひとコマだから、ハンセン訴訟勝訴に並ぶトップ報道なのだろうなあ~、いや、トップ記事ってこと自体が偏見かもよ。

 また11日には、誤報謝罪記事の隣に興行師が死亡したとの記事、え、TVをぜんぜん見ないから知らないけど、この人もオンナコドモ勝負師なみに、1面に載るほどの人なのかと、ちょっと調べてみた。
 ほお、なるほど、なるほど、21世紀初めの日本歌謡界を駆け抜けた天才興行師らしいな~、そうか、大勢の美貌男子タレントばかりを抱えて、男色好みとしても有名なのか、ふ~ん、面白いなあ、現代河原乞食の偏見克服記事だろうか、うむ、わたしがこう書くこと自体が偏見だろうかなあ~。

 天才興行師と言えば、今、たまたま「シカネーダー」(原研二、平凡社ライブラリー)を読んでいるのだ。
 18世紀末ウィーン劇壇を駆け抜けた天才興行師エマヌエル・シカネーダー、天才モーツアルト「魔笛」を世に出した人だが、その劇団は彼の女色の場でもあったらしい。

 男色女色の違いはあれど、洋の東西問わず天才は色好みなんだなあ、そして英雄も、、、面白い、偏見バイアスが新文化を生み出し、新展開させるのかもなあ、、。

2019/07/05

1408【参院選挙騒ぎ】なんだか面白い名前の泡沫政党がたくさん生まれているなあ

 産院じゃなくて山陰じゃなくて参院選挙だそうである。ながらく投票拒否をやっていたが、この数年はヒマツブシの種がなくなったので、投票に行くことにしている。
 だからと言って、ネットや新聞のツマラナイ選挙関連記事を読むことはめったにないが、新聞代がもったないから読もうとしたら、そのツマラナサを再確認してしまった。

 なんだか沢山のきいたことない政党があるもんだなあ。このブログ記事を検索して、これまでの選挙での政党名を挙げる。
 2010年の参院選挙の時は、「あきつ新党、改革党、共産党、公明党、幸福党、国民新党、自民党、社民党、女性党、スマイル党、世界経済共同体党、大地党、たちあがれ日本党、日本創新党、新党フリーウェイクラブ、新党本質、民主党、みんなの党」 

 2012年衆院選挙には、「日本民主、自民、公明、国民、生活、維新、共産、社民、大地、改革、社大、減税、反TPP、脱原発、消費増税凍結、太陽、未来、みんな、みどり、たちあがれ、きづな、さきがけ、緑風、農民、新自由、愛国労働、雑民、スマイル、幸福

 2017年衆院選挙では「自民、公明、維新、こころ、自由、共産、社民、幸福、希望、立民」であった。

 そして2019年今回の参議院選挙の政党名は、「自民、公明、立憲、国民、共産、維新、社民、れいわ、安楽死、N国、オリーブ、幸福、労働者」であるらしい。
 地方選挙区にはほかの政党名もあるかもしれない。

 そこで名前だけは面白い「泡沫政党」についてだけ、新聞記事を読むことにした。 今朝の朝日新聞に各候補者に聞いた考え方を、政党別にまとめた記事がある。

 聞いたことがあるのは「幸福党」だけだが、よくまあ長く泡沫を続けるものだ、泡沫王者だと感心する。
 その幸福党って意外にも、改憲、原発、女性天皇、夫婦別姓選択など、実はウルトラ保守党であると知った、へえ~、そうなんだ、ちゃんと立ち位置があるんだあ、立派立派、、、まあ、どうでもいいけどね。

 もうひとつ意外なのが、「れいわ新撰組」じゃなくて新鮮じゃなくて神仙じゃなくて新選組とかって、なんとも時代がかった名だから、さぞかしウヨクだろうと思ったら、なんとまあ、どの政策にも共産党とほぼ同じ立ち位置にいて、それなら共産党に入れば良さそうなものを、、、まあ、どうでもいいけど、。

 反対にまったく思想がないのが、「NHKなんタラカンタラ党」で、どの政策にも中立しかない、まあ、どうでもいいけどね。
 
 ちょっと気になる泡沫党名は「安楽死党」であるが、老人がこれほど多くなるとこういう党も伸びてくるのだろうか、そう言えば昔に「年金党」ってのがあったが、どうしたのだろうか。

 老人と言えば、東京地方区に無所属で「野末陳平」の名があり、あれまあ懐かしや、生きてましたか、おお87歳かよ~、泡沫候補と言っては失礼かもしれないなあ、お元気でね。

2019/07/01

1407【フェイスバカ狐乱夢6月まとめ】ポリ袋有料、横浜3塔パノラマ、50年代モダニズム建築保全、携帯電話就活、

6月3日【ポリ袋有料化】
近所の食料品量販店では、近ごろポリ袋を有料にした。会計おばさんに「袋お持ちですか」と聞かれると、持っていなくても「はい、持っています」と、たった小2円、大4円であるのに、貧乏人根性がドッと湧き出てくるが、これは環境保全のためだ、と心で自己弁護して、われながらオカシイ。

6月9日【ビルは緑の衣装、鉄の装束】


6月9日【横浜港パノラマ、横浜3塔パノラマ】


6月10日【1950年代モダニズム建築の運命】
鎌倉の鶴岡八幡宮境内にある「神奈川県立近代美術館」と、横浜中区の紅葉が丘にある「神奈川県立音楽堂」が、リニューアルオープンした。実はどちらの施設もわたしの住み家近くにあって親しんできた施設なので、その建築、環境、景観そしてそれが生れた頃の社会的背景について、甘口辛口の思い入れ感想を書いておくことにした。
 鎌倉の美術館は、宗教活動のできない異物だった公立施設を神社境内から排除して、ハード面もソフト面も原点復元と言うべきか、なかなかに興味深い事例である。

6月11日 
【横浜都心建築防火帯の建替えは有料老人ホーム】
横浜都心の関外にある1958年建設「長者町8丁目共同ビル」、8地主共同の典型的な下駄ばき住宅型の防火建築帯、できた時はかなり格好良かったと思われる4階建てビル(たしか創和設計だったような)。
 10年ほど前から空き室空き店だらけで、汚れた姿で立ち腐れするのかと気になっていたら、去年とうとう取り壊し、しばらく青空駐車場になっていたが、最近工事用囲いができて重機も入って工事が始まった。
 このビルについては2013年にこんなことを書いていた。


 どうせ店舗の上に高層住宅だろうと工事看板を見たら、店舗付き住宅ビルには違いないが、「有料老人ホーム」63室とある。う~む、これまで防火建築帯の建て替えのほとんどは高層共同住宅ビルになるのだったが、横浜都心も高齢福祉施設へと転じて来たか。
 そう言えば3年前にやはり同じ長者町通りの3丁目角では、下はクリニック3軒と薬屋、上は介護老人ホームの高層ビルになったから、都心部にも超高齢社会の津波だなあ。

6月15日【携帯電話も終活だあ】
ガラパゴス諸島型の携帯電話機の電池が弱ったらしく直ぐ空になる。ドコモねえさんに相談したら、「もはや生産していないから電池を替えようもない、諦めて『素魔法』を使うべし」と、ご宣告いただいたのは数か月前のこと。
こちとら、ガラパンで十分なのになあ。
 ところがさて先日、ドコモから葉書が来て、この6月末で今の980円/月の契約が切れるとのこと。コノヤロもういいや、この際『素魔法』なんてのに退化もシャクだから、ガラパゴス諸島から通信不能の無人島に移って、新たな終活進化するかなあ。
 でも、迷う、なんか安い柄箱携電ってあるかしら?

6月19日
【建築保全と都市景観の変化を考えさせる県立音楽堂】
紅葉ヶ丘の景観の主役であった県立音楽堂・図書館そして青少年センターは、その座をひきずりおろされてしまった。かつて東に大きく開かれて広場は、妙にデコボコスカイラインと色とりどり建築ファサードで塞がれた。たぶん今後も増加して変化していくだろう。
 それはひとりの建築家がつくりあげた紅葉ヶ丘の建築群のまとまりある景観に対峙して、何ともまとまらない景観を投げかける。この景観の大変化の中で、建築保全とはいったい何だろうかと、鎌倉の旧美術館の建築と都市景観の保全と比較すると、両者のあまりの違いに愕然として、保全の先の新たな景観形成について大いに考えさせられる。


6月21日【紅葉ヶ丘復元工事??】
横浜市中区にある県立図書館に行こうと、紅葉坂を登って行くと、おや、車の進入路の手前でその下をくぐって立体交差で入る歩行者路が、埋め立てられつつある。
 ふ~ん、歩車平面交差になるのか、で、上に回ってみると、階段の金属パイプ手すりなどもそのままに埋め立てられつつある。そうか、前川國男設計の歩車分離デザインを、将来は発掘されても分るようにしてるんだな。
 なんか、最近工事をしてると思ったら、前川国男の最初のデザインを復元するのだと、案内の紙がぶら下がっているが、これはその逆みたいだなあ。



6月28日ブログ新記事
【1950年代モダニズム建築の再生:3】
横浜紅葉丘の神奈川県立図書館・音楽堂は、本当に保存に値する名建築だろうか?
 音楽堂は保全しても、図書館の機能は近くの市立中央図書館(こちらの方が内容も建物も立派)にまかせて、現図書館は別の文化活動機能に移行してはどうか。
 今、紅葉ヶ丘ではの外構の広場や植栽の復元工事をしているが、1950年代の広場や緑のデザインは、環境の思想や景観の現状が当時とは大きく変った現代では、明らかに時代遅れになっているから、かつての緑の丘陵だった景観復元を目指すべきだろう。
 と、ご隠居と熊さんとの言いたい放題の長屋談議です。