昨日(2019年10月22日)は夕刊が来ない。何故かと聞いたら、なんと祝日であるからだそうだ。
え、10月の体育の日は過ぎたし、文化の日は11月だよなあ、ヘンだな、オレもようやく年齢にふさわしく、ついにボケることができたかと思った。
聞けば、日本王権が代替わりになる継承儀式するので、特別に祝日にしたのだそうだ。ボケたのはオレじゃなくて、世間のほうであったかと、ガッカリ。テレビ見ないから世間の一大事を知らない。
今朝の朝日新聞は1、2、3、13、23面とデカデカとその儀式記事で、ラグビーで日本組が勝った記事なみである。わたしとしてはどちらも紙屑をたくさん配達されて、新聞代返せと嘆くばかり。
テレビを全く見ないし、王にもその一族にもまったく興味ないし、王制不要(むしろ有害)と思っているから、儀式の様子を知らなかったが、今朝の新聞で見た儀式場面の写真に驚いた。
これって、どこかの小学校の体育館で、雛祭りか神社祭礼の神輿イベントを、秋の学芸会(文化祭)やっているのだろうか。とても王権儀式の空間に見えない。
へえ~、わざわざ日本全部を休みにしてやったイベントは、このようにチープな空間で行ったのかあ、空間構成がいかにも幼稚というか、ヘンだよなあ、いや、儀式内容を知らないけど、この写真を見ての空間構成デザインを言っているのだ。
体育館に据える安物神輿、いや、御殿広間に据える古代(近世か)模倣の王権の座は、それだけ独立して見ればいかにも伝統的な代物だろうが、この空間に据えると雛祭りの安物段飾りそのものである。
誤解されないように書いておくが、わたしはこの体育館、じゃない、松の間を日光東照宮のように、あるいはベルサイユ宮殿のように、飾り立てろと言っているのではないよ、空間の大きさというか、しつらえのプロポーションというか、新旧の取り合いというか、そのあたりがなんともオカシイと言っているのだ。
驚いたねえ、だって「象徴」としてのその権威づけ儀式の大仰なる動機と、このプアなしつらえのギャップの大きさが、なんともいえない空疎感に満ちているんだもの。
そしてなんだかホッとしたなあ、権威の継承がこんな空間で行われるというチープさが、実は権威を失っている象徴かもしれないと、権威嫌いのわたしは思うのである。
王権継承のもっとも核心となる伝統的な大嘗祭は、その秘儀を行うために大嘗宮を古代(中世か)からの伝統にのっとって新築しているようだ。
王個人にとっては、こちらの秘儀こそが本番であろうが、その空間構成も秘密なので見ることができないのが残念である。
わたしは現代の王には興味ないが、その制度の歴史には大いに興味があるのだ。
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