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2024/09/07

1835【浦島太郎気分】品川駅東の港南地区から南の天王洲アイルあたり四半世紀の変貌を見る

●品川駅東にこの35年の変貌を見に

  ようやく秋の気配が来て、毎日、涼しい時を狙って外歩きに出ている。この5年ほどのコロナ禍回避と家人介護作業のために、ほとんどできなかった長時間外出と歩行運動を、再開し始めた。まるで社会復帰と身体能力復活ためのリハビリ運動である。徐々に活動範囲を広げて遠出していくようにしたい。

 その第1歩とでもいうか、9月4日に品川駅の東の港南地区へ遠出して、初秋の午後をうろうろしてきた。ここは1985年から89年までわたしの仕事の本拠地があった。久しぶりに品川駅東口に降りて、その変貌ぶりにまさしく浦島太郎現象になったのだた。それは戸惑うのではなく、むしろ楽しいものであった。

 大きく変わった景観の主役はもちろん高層ビル群の林立である。もともとは倉庫や工場地帯だったのが、日本のバブル時代にがらりと土地利用転換が起きた。低層の倉庫や工場群は中高層のオフィスビルへと建て替わった。


 特に大きな変化は、品川駅天王洲である。この両地区は離れているのだが、この再開発が二つ目玉の起爆剤となり、いまの品川駅東地区つまり港南地区全体への再開発となった。JR品川駅はその名称と異なって実は港区内であり、その東地区も港区港南という地名である。地名で港区と品川区はかなりイメージが違うらしく、幾分かは地名が再開発を促進しているかもしれない。

 さらに東海道新幹線駅が開設されたことで東京での拠点的な立地の地位も得て、さらに今後は中央新幹線の拠点駅となることで、未来の東京の拠点としての地位も確保した。したがって、そこのはある種の未来都市的な感覚に包まれている。東京湾の水辺をすぐそばに控えていて、似たようなところといえば横浜の「みなとみらい地区」であろうか。

 1990年と2024年とを空中写真で比べてみよう。


 この四半世紀を隔てる空中写真をGIFで重ねてみると、あれこれと面白い。港南地区には、駅前にちまちました商店街もあるが、概してまとまった広い敷地をもつ施設が多い。例えば、品川駅関連用地、東京都下水処理場、都営住宅団地、都営食肉市場、国立東京海洋大学などである。それらがどのように再開発されたのか、されないのか、どうなっていくのかを見るのは面白い。

●JR品川駅の大変貌

 まずは品川駅であるが、ここの土地利用は鉄道機能だが、右下のあたりが大きく商業業務機能に変貌しているのが分かる。国鉄民営化で民間に処分し、再開発された土地である。広大な鉄道操車場を民間に売却して、「品川インターシティ」と称する超高層ビルが立ち並ぶオフィス街が1998年に登場し、品川駅東のイメージを一気に変えた。

 もっとも、品川駅そのものの機能は鉄道のままでで変わらぬとしても、大きく改造されているいる。それは駅東の港南地区の変貌への対応でもあるのが分かる。かつての品川駅は、西に顔を向けていて、東口(港南口)地区に出るには細く暗く長い地下道を延々と歩いたものだった。

 それが今は、あの地下道は線路上空にかかる明るく広いコンコースに代わり、今や東口には超高層駅ビルさえも建っているし、広い駅前広場もあるのだ。何しろ今は東海道新幹線の駅なんだから、当たり前か。あの木造駅舎を懐かしい。浦島太郎気分を楽しむ。


品川駅港南口の駅ビル 2024年9月撮影

1990年ころまでは地下道から出てくるとこんな姿だった品川駅港南口

●下水処理場の蓋の上に超高層ビル

 北の方から見ていこう。広大な「芝浦水再生センター」という東京都の汚水処理場がある。都市に欠かせない機能であり、他に移しようもないが、なんとその一角に巨大な超高層ビルが建っている。東京都下水道局は立体都市計画制度を使って、汚水槽の上に蓋をしてその上に超高層オフィスビルを建ててしまったのである。都市化圧力は下水道の汚水もものともしない。

 実は、わたしの今回の港南訪問の目的は、このビル内のホールで開催した昔の仕事仲間との同窓会に出席のためだった。久しぶりに会った人たちとの立食パーを楽しんだその会場は、実は都民のウンコ壺の蓋の上であったのだ。もちろん見た目には何もそんなことはわからない。目くらましの植栽でまるで公園のようだった。

 下水処理場はまだまだ広いからどんどんこれをやるつもりだろうか。汚水処理という都市には必要な機能だが、汚染とか臭気とかの問題があるので迷惑施設とされて、居住やビジネスの場からの隔離を要求されて、都市計画において土地利用分離を厳しくしてきた。それが今や共存併存しているのは、技術的な解決が可能になっただけではなくて、経済的な要求によるものだろう。まだまだ水面は広いからこれからもどんどん都市機能のビルが、ウンコの上に建つであろう。

●今も食肉市場にカラスが舞う

 港南地区での最も特色ある土地利用は、なんといっても東京都営の食肉市場である。駅を出るとすぐ近くに南へ広がる広大な施設である。ここは東京都唯一の食肉市場(屠殺場)であり、特別な産業土地利用は今や周りとは隔絶しているようだ。

 その周辺がビジネス街に変貌するのを尻目に、その機能は厳然として動かず、むしろ建物の整備がさらに進んでおり、機能寿充実のように見える。バブル期に移転の話もあったと仄聞したが、その機能の特殊性から諸般の事情で他に移せないものらしい。

 先日も前を通ったが35年前と同様に健在である。カラスの群れも健在で、上空を飛びかい場内に舞い降り、屠殺場から生肉をかすめ取ろうと狙っているのを見た。昔、路上にカラスがついばんだ肉片が落ちていることもよくあった。時には屠殺される牛の鳴き声も聞こえたものだし、屠殺直前の牛が外の道路に逃げ出す事件も時にあった。裏門が開いていると、大きな牛肉の塊がいくつもぶら下がっているのが見えていたこともある。

 ここも下水処理場と同じく東京都のものである。もしかして下水処理場のように、上空活用を考えているのだろうか。ここも動物の生ものを扱うので臭気がかなり発生するし、生産工場であり食品流通拠点だから騒音もかなり発生する。工学技術的には下水道施設のように上下に機能分離して立体的利用により、業務商業機能導入も可能だろうか。

 汚水だけが出入りの下水道と比べると、動物や人間やトラック等の出入りが激しい食肉市場との共存は、かなり難しそうである。もちろん私には実のところはよくわからないが、今後ともこの機能はここに存在するのであろうと思うのだ。ひょいと思いついたが、もしかしたら、下水処理場と食肉市場は共存するかもしれない、う~む、冗談が過ぎるか。

●駅前商店街飲み屋街は今

 品川駅前には、かつては飲み屋や商店など雑居ビルが立ち並び、その中を路地が抜ける怪しげな雰囲気の飲み屋街がある。それは昔も今もあるのだ。その昭和の景観は、他の広大な敷地に高層ビルが建ちならぶバブル景観ではない。

 35年前と今との空中写真を見よう。土地は細分化されて、小規模な雑居ビルが立ち並んでいる。それらは小規模なりに建て替わって来ているようだ。そしてここには、超高層ビルの足元の澄ました姿ではない、昔からの街の賑わいが表出している。

2023年の品川駅港南口の商店街


1990年の品川駅港南口の商店街
 二つを比べてわかるのは、まず駅前広場がJRの用地の側に大きく整備されたことである。そして駅ビルが建ち、品川インターシティができても、駅前商店街は相変わらぬことである。他の大規模な再開発高層ビルが林立する中にあって、なかなかにしぶとく細切れ土地の活用をそれなりに模索しているようだ。そのうちに市街地再開発事業が起きるだろうか?とにかく駅前は他とは異なる東京カオスの街である。

品川駅港南口駅ビルから見る駅前風景(ネットで拾った画像)

 駅前広場からその商店街を見れば、その入り口の両側に新築ビルの工事中であった(下の写真)。工事案内をよめば、そのビルのどちらも建築面積が120㎡にも満たないが、10階ての雑居ペンシルビルらしい。こうやって昭和の駅前商店街は、新開発超高層ビル街とは異なるミニ再開発で永続するらしい。

駅前広場を背にして駅前商店街入り口を見る、左右にペンシルビル工事中

品川駅港南口商店街の裏路地風景(ネットから拾った)

●天王洲アイルの不思議