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2025/02/15

1868【確定申告】春先に年に一回の数字いじり仕事させるのは政府の高齢者ボケ遅延政策か

  毎年の今頃になると、世の中は所得税の確定申告の季節である。わたしもヒマツブシがお金になるからやっている。

品川駅東西通路にて

 お金になるとは、納め過ぎた源泉徴収税を返してもらって、その還付金を春先のお小遣いの楽しみにしているのだ。もっとも、もともと自分の金だけどね。

 源泉徴収とは、考えてみると奇妙な言葉だ、源泉つまり湧き出す源になっている泉のことだ。ということは、国家にとっては国民は、国民の所得というおカネを湧出する源なのである。温かい水が湧き出せば温泉だし、おカネが湧き出せば所得税源泉というらしい。温泉が無限に出ることが無いように、税の源泉の国民の所得だだって無限湧出ではあるまい。

 その湧き出す所得を本来は汲んで戻るべき国民がやってくる前に、国家がいち早くやってきてその一部をかすめ取る仕組み、これを源泉徴収といい、そのカネを源泉徴収税と言うらしい。
 ところが、国家が掠め取る金額が法律で決まっているのに、その額よりも多く汲み過ぎていく。そこで国民一人一人が、毎年このあたりになると取り過ぎたお金を返してくれと、国家に申請するのが、この確定申告であるらしい、と、わたしは理解している。
 とる国家も返せという国民も、この時期はご苦労なことである。わたしはボケ進行遅延策として有効に活用している。しかし、申請しないと戻ってこないのがけしからん。

 これまで毎年毎年これをやっているのは、国家が毎年毎年決まっている額よりも多く汲んで持って行ってしまうからだ。これまで少なく汲んでいったことが一度もない。
 いや、一度だけ汲み損ねていったことはあったが、それは所有不動産を売却した2015年であった。もっとも、この売却を国家が気がつかなかったから、こちらから国家に親切にも教えてあげたのだった。さすがに還付はなくて追加納付した。参照「父の家を売る

 さて、ことしのわたしの確定申告には、今まで一度もやったことがない「医療費控除」の申告がある。昨年は居宅介護していた病妻が亡妻になる一大変事のため、医療費と介護費が控除対象になるほどに多額になった。これまでは一度も申告可能額ではない健康家族だったのに、、。

 上に述べた不動産売却時もあれこれと申告書作りが面倒だったが、この医療費控除申告もそれに負けず劣らず面倒極まると知った。それがどれほどわが一人暮らし財政に寄与したのか実はよく分らないのだが、とにかく源泉徴収税を全額還付してくれるそうだ。無税の民に落ちぶれたのである。

 いまはなんでもネット時代であり、ご親切にもYouTubeに医療費控除のやり方指南動画がたくさん登場している。税務署サービスの動画かと思ったら、どうも確定申告書の作成依頼を受けて稼ごうとする税理士たちらしい。その数があまりにも多くて目移りがする。
 ついでに他の面倒なこと、今年だけらしいが「特別減税」なるものがあり、これが税額算定をややこしくしているらしいことも知った。知ったからとてなにも分からぬが。

 さて、その申告書類づくりをヒマツブシにやるのだが、いまどきは国税庁提供「確定申告書作成コーナー」なるサイトを利用すれば、ややこしい計算は自動計算して申告書を作ってくれる楽なものだ。
 ただし、これで作るとどうしてそうなるのか、国家が徴税してくる仕組みが全く分からないままであるのが、なんとも癪である。昔は手計算で手書き込みしたから、何となく理解させられたものだ。

 そこで思い出したので、本棚の片隅から昔の確定申告書の控えの束を取り出してみた。ほお、1998年分からあるのかあ、納税についてはこんなにも忠実にやってきたかと、われながら国家への忠誠に感心した。それ以前はやっていないということは、必要でなかったのだろうなあ。フリーランスになって9年目からとは、必要になることがあったのかしら。

 控えを見れば、2004年分までは数字が手書きである。ということは手計算だったのだろう。2005年分からは印刷だから、この時から国税庁の作成サイトが始まったのだろうか。

1998年分からの所得税確定申告書控え

 あらためて控えをみれば、2000年前後頃は還付金が50万円強もあったのに、いまや1万円にも満たない貧乏老人になっている。納税額が少なければ、還付金も少ないのは道理であると分かっている。

 ところで、納めた額以上に戻っては来ないのは常識としてよく分るのだが、今年はそれがあるらしい。それが一人当たり一律に3万円の特別減税である。これもYouTubeでよく分った(ような気がする)のだが、現金でくれれば簡単なのに、税金額を負けてくれるそうだ。

 複雑にして面倒なことをやるもんだ。税額そのものをオマケしてくれるのだが、わたしのようなオマケするほどの税額がない者には、減税の恩恵を公平に行き渡らせるために現金をくれるのだそうだ。岸田さんの置き土産とてオアリガタイことである。カネが入るとなると一生懸命に申告書づくりするものだ。
(2025/02/15記)
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伊達美徳=まちもり散人
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2025/01/29

1865【ある死亡記事】ふむふむ87歳でも老衰死する資格があるのだと知ったのだが・・・

 今朝(2025/01/29)の新聞の死亡記事を何気なく読んでいて、目がひっかかった。そのお方をわたしは全く知らないが、その死因と享年にオヤと思った。

 老衰で87歳とある。ということはわたしと同年である。え、わたしも老衰で死ぬ資格があるんだと気が付いたのだ。
 ほお、同年の方の老衰死とは意外感があったのだ。老いて衰えるという語句の語感は100歳前後のことかと思いこんでいたらしい。

 そうか、わたしも老衰死する、そう、格好良く言えば大往生するかもしれない歳なのだ。
 なんだか安心、いや、なんというか、死と二人三脚やっているような、静かな隣人として死がいる、そんな気分になってきた。ふむふむ、そうなんだな、なんて考えなくても実は当たり前のことなんだな。

 しかしそれにしては、昨年夏に家人が死に遭遇したのを思い出すと、けっこうドラスティックなもののはずだが、わたしの日常は普通に起きて食って出して寝て、読んで書いて歩いているけど、これでいいのかしら。頭にある老衰と日常とのギャップが気になる。
 
 これから死ぬためにはそれなりの準備がいるのだろうが、何にもしていないけど、老衰死はどうやってやってくるのかしら。やはりいま流行りというか当たり前のことというか、介護という段階があるのだろうなあ。家人がそうだったように。

 と思いつつ同じ新聞記事を見るとこんなことが載っている。おやおや、死ぬための準備を手伝ってもらうというか支援してもらうべき介護事業者が、次々と廃業しているそうだ。う~む。

 そうか、わかったぞ、こうなれば自力で老衰死するしかないのだな。そうかあ、よしよし、え~と、どうやるのだろうか、どうしようかな、、。

 しかしまあ、今年中は畏友の歌集上梓プロジェクトが動いているから、来年になってから考えることにしよう。87歳でもできる老衰には、もうちょっと待ってもらうしかない。

(2025/01/29記)

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伊達美徳=まちもり散人
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