2008/11/14

063【世相戯評】地球が人間の繁殖で溢れる 

 国連の世界人口白書の2008年版を、ちらちらと眺めている。世界人口はいまや67億人だそうだ。
 19世紀初めは10億人、それから100年で2倍の20億人、それから100年の20世紀末に3倍の60億人、そして2050年予測は5割増の92億人である。
  成長曲線というのがあるが、初めは緩やか、ある程度で一気に上昇に向かい、あるところまで行くとなだらかになって、次に下り坂になる。世界人類はまだ一気に上昇に向かっているらしい。
 もちろん国によって差があり、日本、韓国、イタリアなどは、なだらかになって、減り始めてきた。日本は今は1.3億人、2050年には1億人にまで減る。

 中国は今は13.3億人、2050年には14億人に増加する。ただし中国は一人っ子政策によって、高齢化が急進展するから、その後は増加しないだろう。
 アジアではなんと言ってもインドである。今は11.8億人、2050年には16.6億人までも増えるのだからものすごい。世界一の人口を擁する国となる。
 インドは不思議である。東や東南アジアでは、安価な人件費をもとに安い製品を作って売ることから初め、技術輸入によって次第に高付加価値の技術立国へと進んできた。日本がその典型である。

 ところが、インドは高度情報技術者という安価ながら高い能力の人材から始まってきており、その人的能力が高い付加価値として世界に進出している。安価なものづくりを経ないのである。メイドインインドなんてものに、お目にかからない。これからどのような産業立国の展開をするのだろうか興味がある。

 国連の人口白書に、一人当たりのエネルギー消費量を国ごとに出しているのだが、トップ2には産油国のUAE,クェートが占めるのはさすがである。そのつぎがどういうわけかトリニダードトバゴである。
 第4位がカナダ、第5位がUSA、以下、シンガポール、ノルウェー、フィンランドとつづく。

 日本は何位になるか勘定していないが、ロシアや韓国よりも少ないが、中国の3倍は使っている。
 インドや中国が、人口が増えた上に日本なみの消費となると、世界のエネルギーと食糧事情は大変なことになりそうだ。
 かつて日本が南方の石油を求めて第2次世界戦争に突入したように、第3次世界大戦が起きるのだろうか。

 2008年の都市人口の割合は、50%とある。世界の人口の半分は、都市に住んでいるのである。そして都市人口は増加する一方である。都市問題はまだまだ世界の課題である。

2008/11/10

062【法末の四季】秋深い法末で紅葉をめでつつ蕎麦の脱穀をした

 中越の山村法末は、今、紅葉が盛りである。山林には、黄色はブナ、ミズナラ、イチョウ、赤色はヤマモミジ、ナナカマド、ヤマウルシ、ヤマザクラなど、緑濃い針葉樹林と混交しながら競い合っている。


 集落の中は、家の周りは用材と防風のために針葉樹林が取り巻き、そのところどころにイチョウやブナあるいはモミジが色を添えている。
 稲を刈り取られて来春を待つ棚田は、法面の枯れ草と田んぼの土の色が交互に重なっている。

 先月末に刈り取って、茎がついたままに軒下につるして乾燥させていた蕎麦の実を脱穀した。
 脱穀機は、戦前の製品らしい「組合号」と名前がついている足踏み式である。簡単な器具だから、長持ちするのだろう。

 それで脱穀しても、葉っぱなどが混じっているから、篩でより分ける。しかし、乾燥が足りなくて、実だけの分離がしづらい。もう一度乾燥させてから篩にかけることにした。まだ蕎麦を食うには半月は先となる。
 蕎麦は、畑での栽培は簡単だが、刈り取りから後が手間がかかるものである。

 刈り取りを泥がつかないように注意ながら慎重にやり、乾燥、脱穀、葉や茎などのゴミを取り除いてようやく実だけにして、石臼で挽いて粉にし、打って、切って、茹でてようやく食べることができる。
 わたしは育ちがうどん文化圏だったから、よほどうまい蕎麦でないと食う気にならない。初めて蕎麦を食ったのは19歳で関東に移った時である。こんなまずいものをよく食うもんだと思った。有名な信州に行けばうまいかと思ったが、もっと不味かった。

 ついでに言うが、うどんについても関東の流儀では、どうしてこんなにも不味い食い方なのかと、今も不思議である。
 蕎麦なんて土地の痩せたところでないと育たないから、不味くても仕方なく食うもんだろうとバカにして、今もめったに食わない。そばがきの方を好む。
 あるとき、蕎麦うち趣味の友人が、新取り入れの蕎麦の引き立ての新粉で、打ちたて、茹でたてで食わせてくれて、初めて蕎麦の味が分かった。もう60歳を越えていた。大人でないと分からない味である。
 その友人の打つ蕎麦だけがうまい蕎麦で、店などで食う蕎麦を美味しいと思ったことは一度もない。
 そのうえ、気取った蕎麦屋で出してくる、はげ頭の櫛毛のようなざる蕎麦の値段のバカ高いことは、いったいどういうことなのか、たかが蕎麦で、、。 

2008/11/07

061【世相戯評】不良老人がはびこる

 
 7日発表された「犯罪白書2008年版」には、2007年の65歳以上の刑法犯は48,405人で、刑法犯全体に占める割合は13.3%、去年は2.5%だったから大躍進?である。 受刑者に占める割合は6.2%だそうだ。
 日本の高齢化率は22%だから、これは少ないというべきか、。世の中に高齢者が増えてきているのだから、犯罪者も増えていくのは当然だ。
 その高齢者の犯罪では、万引きなどの窃盗犯が65%と一番多いのだそうだ、
 なんとまあ、情けない、せっかく長生きして知恵を蓄えて高齢者になったのに、それを生かした知能犯じゃなくて、そんなみみっちいことしかできないのかよ~、って高齢者の一人として思うのだ。
 要するに貧乏は高齢者にまで行きわたったのか、おお、サムイ。

2008/11/05

060(横浜ご近所探検】真金町の大鷲神社の酉の市が大賑わい

 今日は今年の一の酉の日で、横浜真金町の大鷲(おおとり)神社の一帯は歩行者専用道となり、屋台がぎっしりと並んで裸電球や提灯があかあかと光っていて、大勢の人たちが通る。
 縁起物の熊手を担いで帰る人はあまり見かけないが、屋台をひやかす子ども連れや若者が多い。
 いつの時代も祭りは楽しいものであるが、こんなにたくさんの屋台を見るのも、毎年のこの時期だけである。

 昔は真金町一体は遊郭街で、大鷲神社のにぎわいもそれとかかわりが深かったのであろう。
 裏通りなのに中央分離帯に柳や桜が植わって奇妙に広い通りはかつて遊郭が立ち並んでいたが、今は中高層共同住宅街となって、屋台が立ち並んでいる。

 その共同住宅のネーミングに、いずれも町名の真金町をつけているものは皆無で、かなり離れた関内とか大通り公園の地名をつけているものが多いのが、どこかおかしい。

 遊郭だった名残を見つけるのは難しいが、ある唐破風の門構えが立派な堂々たる瓦葺の家が1軒だけあるのがそうかもしれないし、風呂屋2軒があるのもそうかもしれないし、産婦人科が数軒あるのも名残かもしれない。

 大鷲神社の玉垣には、この地の遊郭経営者の子として生まれ育った噺家の桂歌丸の名が刻まれている。
 それにしても夜店屋台デザインのなんともキッチュなことよ。このバラエティに富みながらも、ある種のデザインコードがあるのは、屋台専門の制作者が居るのだろうか。 

2008/11/04

059【くたばれマンション】怖い超高層・大規模名ばかりマンション

 それみたことか、オレが言ってるとおりじゃん、って言いたい。
 今日の朝日新聞の生活面に「将来の展望不良?超高層」とて、超高層建築の分譲共同住宅について、その規模と形態からして膨大にかかる修繕費と、数百世帯の合意の難しさ等の諸問題を載せている。
 結論として、「超高層の未来を語ること、それは業界のタブーでもあるんです」と、業界人に言わせている。おい、大丈夫か?

 2007年末までに完成した分譲の超高層共同住宅は、403棟だそうである(不動産経済研究所調べ)。そこに何戸の住宅が入っているか書いていないが、これを少ないというか多いというか難しい。
 超高層住宅は、まだ建設からそれほど年数はたってはいないが、古いものでは15年経ち、修繕に3億円もかかったこと、そして当然にもめたことが記事にある。

 超高層に限らず、近年は100戸を越すような大規模で権利者の多い分譲型共同住宅(私に言わせると名ばかりマンションーmancionとは庭のある豪邸のこと)が売りに出されている。
 そこでは超高層と同じような問題がわかっていながら、誰もタブーにして問題を先送りしているが、いつの日か突然に全国的に大問題になるに違いない。

 特に近いうちに確実に起こるとされる東海や関東の大震災が、先送りを許さなくするだろう。そのときなってあわてても知らない~っと、。
 未来じゃなくて、阪神淡路震災でも、姉歯震災でも起きたし、今も問題があちこちが起きているのに、普通の人たちは買ってみて初めて分かるのである。

 でも、そのときはもう遅い、家を買うような巨額の投資をやり直すことのできる人は、世にほとんど居ないからである。
 分譲名ばかりマンションは、日本の潜在的不良資産の巨大な巣窟なのである。今のうちに規制か禁止するしか、世を救う方法はないのだ。日本の戦後住宅政策の貧困による破綻は、もうそこまで来ている。
分譲マンションの未来を語ること、それは政治のタブーでもあるんです」って、誰か思ってるのか、。
参照→◆名ばかりマンション
  ◆姉歯大震災の喚起するもの(2005~2007)
  ◆賃貸借都市の時代へー体験的住宅論(2000~2008)

2008/10/31

058【世相戯評】調剤薬局では人前で平気でわたしの病名を大声で言うがプライバシーなしかよ

 調剤薬局に薬を買いに行くと、他人の病気が分かってしまう。
 薬剤師が客に病状を聞き、薬の説明をするのに、待合室に他に客がいても店先で平気に大きな声でやるからである。
 もちろん、私の病気も他人に知られてしまう。

 病気とは、究極のプライバシーに属することなのに、それで良いのだろうか。
 奇妙な病気に対する偏見だってあるし、他に感染する病気持ちに近づきたくないし、政治家は選挙で落選する可能性もある。
 医院では待合室とは別の診察室で医者と話すからプライバシーは保たれるのに、調剤薬局ではそうなっていないのが不思議である。

 昨日は、いつもの調剤薬局の薬剤師に、他人がいるところでそんなプラバシーに関わることを大きな声で言うな、他の人の病気も聞きたくない、と、叱りつけた。
 これが2回目である。分かっていないやつである。

 医薬分業になって、患者の側は面倒になってしまった。昔のように医者が薬をくれると便利だし、なによりも処方箋代とか薬屋の管理費とかそんなものはいらなかった。
 どうして患者の負担を多くするようになったのだろうか。
 命を担保にとられているから、医者には文句を言いにくい。

2008/10/28

057【世相戯評】毒を食う日々

 このところ毒入り食品がしょっちゅう話題になる。あれは内部告発者がマスメディ屋(新聞屋というより格好いいかも)などに漏らして、企業がやむなく公表ってことなんだろうか。

 毎日の新聞の社会面に、食品に限らず欠陥商品類のお詫びの広告が出る。
 それらの文面はどれも一定の暗黙ルールに沿っており、独自の書き方での心からお詫びと読めるものに出会った覚えがひとつもない。

 あるとき、これは独特だなあ、責任者の写真まで載っているし、と読んでいたら、なんとまあ、お詫びを装った映画広告であった。うまくはめられた。

 毒入り食品広告で気になっているのは、これを普通に食っていても毒は微少なので健康被害はないから安心せよ、そんな旨が書いてあることだ。
 毒入り食品がこれだけ多くなると、そのひとつの食品は微少だろうが、いろいろな種類の毒入り食品を3度3度の飯で毎日食っているから、それらを合わせるとかなりの量の毒を摂っていると思うのだ。問題ないのかしら。

 いろいろな毒が体内で複合して、新たな毒になっているかもしれない。あ、いや、毒をもって毒を制しているのか、それならアンシンだなあ、??

2008/10/27

056【各地の風景】信州・松代で江戸時代の街並みと昭和戦中の大本営跡をみてきたが、、、

 10月25,26日に、「全国路地サミット」なる会議が長野市であり、善光寺門前町と松代の街を訪れてきた。
 松代は私は初めての訪問であった。わたしがある街を初めて訪問する時は、事前に調べることをしない主義である。ぶっつけで行って見て、その街がどれだけ私を街の入り口から歓迎してくれるか、そして街のなかをいかに上手に見せてくれる仕掛けになっているか、それを試すのである。

 結論から言うと、この松代は落第生であった。
 もっとも、これまで及第した街はないから、仕方が無いとも言える。
 いずれ私の「まちもり通信」にも松代のことを書くが、ここにはとりあえず落第の理由をレポートしておく。
 長野駅前からシャトルバス「エコール・ド・松代」号に乗る。日曜日というのにガラガラである。
 この日はたまたま私たちサミット参加仲間が乗っているからにぎやかだが、いつもは乗客がいるのかしら。ハイデッキの観光バスタイプの乗り合いバスなので、もったいない。
 そもそも、これに乗るのに、駅前で乗り場案内からして、どこにあるのか探すのにうろうろしてしまい、交番でも分からず、どうも不親切であった。

 私は観光的に用意されている名所旧跡には、あまり興味がないへそ曲がりなので、普通の街並みを主に見て歩いた。
 松代の街は、観光への取り組みをそれなりに街づくりとしてやっているようで、歴史的な武家町も商人町も、そして木町通りの新しい街並み作りへの努力も、なかなかよかった。
 一応は観光スポットとして、池田満寿夫美術館、佐久間象山記念館、大本営地下壕の3箇所でけは見学した。これらも満足だった。 


 
 大不満であったことが二つある。
 第1は、観光案内地図が全くもってなっていないことである
 歩くには、その距離が分からないのが一番困るのであるが、それが松代のどの地図を見ても分からない。かろうじて、街角に立つ案内看板が、縮尺が合っているのみである。
 一生懸命作ったらしい「信州城下町松代まるごとミュージアムかわら版絵地図」なる観光地図も、買い物ついでにくれる地図も、地図の基本である距離と南北が分からないのである。縮尺が合っていないお絵かきでは、これを持って歩くのが不便で仕方がない。

 それらの観光地図には、観光スポットしか書いていないから、そこが街の中なのか、田んぼの中なのか、山の中か分からないし、私の興味のある街並みはどこにあるのか分からない。路地も書いていない。
 これは松代に限らず、長野の善光寺門前町の観光地図も同じだったし、私の知る限り、日本全国の街で同じである。困ったものである。

 もっとも、私くらいの街歩き達人となると、わが眼と鼻だけでも、街並みのよさそうなところ(特にB級街並み)を探し出すことができるのであるが、。
 地図を作るには、どこの市町村にも、縮尺1/2500の地形図(国土基本図)がある。まずこれを下地に薄く印刷し、その上にお好きな案内地図を描いてはどうか、そこから先はデザイナーの腕次第である。
 そして重要なことは、地元の人が作ってはいけないのだ。知りすぎていることを記入しないからである。地図はよそ者のためのものなのだ。
 と、いつもどこの街でも観光関係の方にこう言っているが、やってもらえない。唯一、私が指導?した鯖江市の地図のみが、私の眼に適うものだ。

 大不満の第2は、街の中はそれなりに景観を保つ努力をされていて、ちょっと気持ちがよいのだが、街の出入り口周りになると、とたんに広告だらけのハデ派手な醜い風景に出くわしたことだ。
 頭かくして尻かくさずというか、玄関はゴミだらけでも居間がきれいならよいのか

 街を訪れる客が、最初に出くわす松代の風景が、こんなに汚れていても松代の人たちは平気なのだろうか、不思議である。わがコレクション「日本全国醜い風景アルバム」ここもクリックをどうぞ)に風景がひとつ増えた。

2008/10/24

055【各地の風景】大阪の駅前から御堂筋そして心斎橋筋へと繁華街を久しぶりに歩いてきた

 2年ぶりくらいに大阪駅に降りた。ついでに御堂筋、道頓堀、ナンバ辺りをちょっとだけ見てきた。
 近頃は建築のスピードが速いから、2年位のでもずいぶん変わる。大阪駅前では、かの伝統ある阪急デパートの建物を建て替えの真っ最中である。低層部に既存のデザインイメージを継承し、上に超高層が載るというお決まりパターンである。

 阪急から駅ビルの大丸をはさんで西には、未だ取り壊しは始まっていなかったが、吉田鉄郎の大阪中央郵便局が黒く見えている。近いうちにこれも下半身は今の形をイメージ継承、上半身に超高層建築が建つだろう。
 これをペアのような郵政建築の東京中央郵便局の建て替えは、もう施工会社まで決まったと報道だから、近いうちに工事だろう。

 御堂筋を行くと、31mのスカイラインがそろう銀杏並木は、落ち着いた風格をもつ景観だが、次第に超高層がスカイラインを乱して来ている。
 そごう本店と大丸本店は並んでいて対照的である。そごう本店は、かの村野藤吾の名作の面影もなく、軽薄なる超高層建築に建て替えた。
 これに対して隣の大丸はヴォーリスの名作を今も大事に使っている。建物の風格に格段の差がある。
 横浜の松坂屋も閉店で、この風格あるデザインがどうなるか気になっているときに、大阪の大丸本店は実に堂々たるものである。

 心斎橋筋に入り、道頓堀橋まで来ると、橋の袂にあった高松伸怪作のキリンシティがただいま取り壊し真っ最中である。
 あれができたのはいつだったか、奇天烈な広告建築で、道頓堀筋への猥雑さを象徴していたものだ。

 ちょっと横に入り、法善寺横丁に行く。火災で丸焼けになったあとに工夫を重ねて、元のような狭い路地の飲み屋街を再現したのだが、新しいような古いような、そして猥雑にして親密なる空間が生きている。

 それにしても心斎橋筋もナショナルチェーン店が多くなっているようで、仕方ないのかもしれないが、東京の渋谷と変わらない。人出はさすが大阪の目抜き通りで、平日の昼間なのにずいぶんとにぎわっている。 

2008/10/22

054【横浜ご近所探検】象の鼻とトロッコ線路

 横浜港が幕末に開港した当時(1859年)のもっとも古い近代港の位置は、黒船でやってきたぺリーの上陸地点である。近代港湾として徐々に整備をして行くが、明治初期に作った防波堤は、その形から象の鼻とよばれる。

 
 今の横浜港は現代的なコンテナ埠頭が他に作られていて、象の鼻の中は小船のたまりになっているが、この周辺を整備して歴史的港湾の公園とする整備工事が、横浜市によって行われている。

 日本大通から直接には入れるように元税関の倉庫群を取り除いて、公園整備のための掘削を始めたら、線路が出てきた。
 調べてみたら、20世紀初頭頃の荷役用の人力トロッコの線路であることがわかったというのである。左側見学に行った。 
 丸い転車台、つまりトロッコの向きを変えるための1台分のターンテーブルがあちこちにある。

 この線路の方式は、人力で押す労力を最小にするために原則として線路はまっすぐに敷いて、方向を変えるときは、この転車台で必要な角度に方向を変えて、その方向の線路にまた載せて進める仕掛けである。

 線路はたくさんの倉庫や桟橋を結ぶ多方向にあるので、そのたくさんの結節点ごとに転車台を設けていいる。煩瑣なようだが、その時代の技術をなるほどと思わせる。
 まだ完成していないが、この公園から見る港の風景はいかにも港らしい。

 横浜ご近所探検隊が行く<「伊達の眼鏡」ブログ連載中>