「終活談義」なるお題を、「現代まちづくり塾」の塾報編集委員からいただいたので、わたしだって終活年齢だが、それを書くにはまだ早い!?、ここではある有名なお方の「終活問題」を書こう。
そのお方とは、あきひとさん(この人には姓が無いのでこう呼ぶしかない)である。なんでも、歳とって疲れたのでもう辞めるって、つまり終活に入るとTVで宣言したとのこと。
どうぞどうぞ、ご勝手に終活をおやんなさいよと、庶民のわたしは思うのだが、どうも、その終活のトバッチリが庶民にも及ぶらしいのだ。ほんとに困るのである。
それは改元とて新「元号」の登場である。まったくもって元号は高齢社会の邪魔ものである。だって、ほら、元号と西暦と換算するでしょ、明治には1867、大正には1911、昭和には1925、平成には1988を、それぞれ加えると西暦になるんだけど、歳とるとその暗算が無理なんだよなあ。それらにまたひとつ計算が加わるともうどうしていいもんか。いちいち計算機を叩くってのもなあ。
あ、これってもしかして、おカミの国民ボケ防止対策かもしれないなあ、う~む。
あのね、国とか自治体とかその関連機関が元号を執拗に使うって、どうしてなのかしら、ほんとに困る。この国際化時代にそんなことやってていいのかい、もうこの際、西暦一本やりにしてほしい。
だいたいオカシイでしょ、江戸時代から前になると西暦でショ、外国の事件は西暦で言うでしょ、オカシイよ、使うんなら世界史も元号にしろ、エジプトだってギリシャの歴史だって元号で言えよ。
そうだ、太陽暦だって、太陰暦に戻せよ。
元号を使いたいなら、あきひとさんちと親戚だけにしてくださいよ。まあ、庶民も使いたきゃ勝手に使えばいいけど、それよりも個人個人で独自の元号を使うってのはどうです?。
で、次の元号はなんていうのか知ってますか。大阪あたりの噂では「平成(へぇせぇ)」の次は「運成(ウンせぇ)」なんてね、モチロン冗談。
外国にだって固有の暦年あるのに、なんで反対なんだって人もいるでしょうね。わたしが出会ったのはネパールのビクラム暦です。西暦に換算するには57年を引く。つまり今年はネパールでは2074年ですね。
ネパールで買ってきた英語版のルンビニの歴史本を読んでいて、なんだか暦年が微妙におかしいなあと気がついて、調べて知りました。
日本の元号による暦年も、外国人には困りものにちがいないって実感しましたね。そうだ、神武歴を使うと今年は2677年だな。
あそうそう、終活の話ですね、つまり少子高齢日本の話ですが、あきひとさんちでも家族が減る、親戚が減るとのこと、そして減っては困るとかなんやかやと、あきひとさんちじゃない人たちが喧しいそうです。
でもねえ、しょうがないでしょ、日本列島全部が少子高齢社会なんですから、そこんところは庶民だって高貴だって、どこのファミリーだって減るのが当たり前です。
男だって超高齢になれば生殖能力も肉体も消えるし、女だって合計特殊出生率が下がるのが現実でしょ。
で、減って行って無くなっちゃって、なにか困ることってあるのかしら、こまりませんよね。もういいでしょ、王制をいただかなくても、と、庶民は思うのです。
憲法に書いてあるったって、あの時は戦後混乱収拾期に「国体」大好き日本人統治のために、とりあえずでも必要だったでしょうけど、ここまで来たからには、もういいでしょ。時代に合わせるもんですよ。ネパールだってつい最近ですよ、王制をやめたのは。
そのため憲法第1章削除改定する必要もないでしょ、王制設置義務条項は無いからね。
え、いけませんか、う~む、こまったね、しょうがないから、じゃあね、少子高齢化に逆らうにはどうするか、秘策を教えましょう。
あきひとさんちだからできる方法が、ひとつだけあります。それは側室制度の復活です。ご存じのとおり、あきひとさんは側室の子の孫だからね、家系からするとそう昔のことじゃないでしょ。
どうも基本的人権もろくにないらしい王族の方々には、民法732条不適用の様な気もしますが、どうかしら。これ、真面目な話です。
それにしても、庶民には極めて個人的な現象である老いに伴う終活について、あきひとさんの場合は、あちらこちらからああだこうだと指図されて、それに従わざるを得ないなんて、庶民から見るとほんとに気の毒なお方と思うばかりです。(2017/12/10)
*(「現代まちづくり塾」塾報2017/12/16発行に掲載した)
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