2009/09/14

179【世相戯評】敬老から軽老へ

 19日から5連休であるとか。
 え、どうして?、9月23日は秋分の日だから休日だと知っているが、21,22、がどうして休日なのか?
 そういえば、9月15日が敬老の日だったはずが、今年はなくなっている。21日あたりに飛んだらしいが、まあ、どうでもよろしい。そのあたりは混むだろうから、出かけないようにする。
 横浜市から「敬老パス」なる、市営地下鉄、市内バス路線乗り放題の乗車証を受け取ることができるお知らせが来た。70歳以上がその資格がある。
 乗り放題と言っても、無料ではなく1年間6500円、去年が8000円だったから、今年は値下げになった、のではなくて、所得額つまり課税額によって負担額が異なる制度(5段階)なので、こちらの所得が下がったということである。
 地下鉄は200円、バスは210円が最低料金だから、往復16回ほどで投資採算がなりたつ。なんにしてもこれは買ったほうが得である。
   ◆◆
 解説パンフレットが同封してあり、「70歳以上の市民の社会参加に役立てていただける」ことが目的であるが、2009年度は利用者自己負担額が15億円に対して、市費負担額が85.6億円、そして「運営が困難な状況となっています」とある。老人が毎年増える一方だから支出は多くなるばかりだから、制度維持が今後は危ないのだろう。
 よく分からないのは、では、この老人パスは老人の社会参加に役立っていて、それは金額に換算すると、どの程度社会に還元されているのだろうかってことである。
 そもそも敬老パスは、どうして出てきたものだったのだろうか。
 70歳を越えると暇になるから、その人たちを社会活動に参加させて有用に活用したいってことなのか。それならば有料パス保持者に、なんらかの社会活動義務を負わせてはどうか。
 あるいは、病気がちの老人を病院に通いやすくするためか。
 それとも、健康な老人がゲートボールに行きやすくして、保健費用支出を減少させるためか。
 所得額によって負担額が違うということは、基本は福祉政策のようである。社会活動参加促進政策ではなさそうだ。
 よその都市の同様の老人優遇例として、東京都では20510円(課税者)、川崎市では課税額によらず毎回100円か年12000円かの選択だそうである。
   ◆◆
 負担額といえば、健康保険による医療負担額について奇妙なことがあった。
 わたしの保健医療費は1割負担であったが、一昨年の年度の途中で政府管掌保険から国保に切り替えたら、アラ不思議、1割から3割負担になったのだ。
 年度途中だから、その保険料の算定根拠となる所得額は同じなのに、なぜ負担額が変わるのか?? もちろん、わたしは市の窓口の人に噛み付いたのであった。
 彼は社会保険事務所の担当者と電話で話していたが、それでわかったことは、政府管掌健康保険料の所得根拠は「給与」だけであるのに対して、国保のそれは報酬とか原稿料とか印税など他の収入も含むのだそうである。
 それで国保に切り替えたとたんに保健料の算定根拠の所得額が上がり、わたしの医療負担額は一挙に3倍になったのだ。
 え、法律は同じじゃないの?、変だと思いませんか?、と食い下がったが決まりは決まりだと退けられた。
 そこで今年の所得税の確定申告は「慎重に計算」して、1割に戻ったのであった。 これは敬老パス負担減額にも及んだ。
 しかし、国と地方自治体で保健医療負担額算定根拠が違うってのが、いまだに腑に落ちない。地方分権だからってことではあるまい。ただし、理論的には自治体のそれが正当なように思う。
    ◆◆
 そもそも敬老って、その意味はどこから出てきたのだろうか。
 多分、老人が今ほど有り余っていなくて、彼等が希少価値の時代の思想というか、世の思惑だったのであろう。
 年金制度がなくて、年寄りは誰かに頼らなければならない時代の処世の言い訳であったか、。
 それがこれほど老人が多くなり、しかも金持ち不良老人も多くなると、敬老などと言って大事にする必要はないぞ、なんてことかもしれない。
 それでも、敬老パスとかシニア料金とか、惰性で続いているとしたら、行政の財政が逼迫してくると、なんで特別扱いをする必要があるのかという市長や議員が出てくるだろう。
 普通は特別扱いってのはマイノリティのためだから、マジョリティのための特別扱いは、理屈から言えばヘンではある。
 先日、横浜市長選挙があって、民主党が支援して当選した女性市長となった。敬老パスがどうなるのだろうかと思うが、なにしろ企業経営者が出自だからなあ、、。
 あ、今に、軽老の日、軽老パス、軽老料金になって、むしろ高値設定とか、、困る。

2009/09/11

178【怪しいハイテク】どなたが読んでいるかしら

 この「伊達な世界」ブログなるものを書き始めてから1年4ヶ月、もうひとつの「まちもり通信」サイトを始めてから9年9ヶ月である。
 読んでるよといってくれる近しい友人はいるが、そのほかどなたが読んでいいただいているのか気になるのが、それはわからない。
 せめて人数でも知りたいと、「まちもり通信」に8年4ヶ月前につけたカウンターが、今、93636となっている。もちろん正確な数ではないが、これだと1日に30人程度のお方が見て下さっているらしい。ありがとうございます。

 ところで、「伊達な世界」と「まちもり通信」とで、ヒットする回数がずいぶん違うことに最近気がついた。ちょうど1ヶ月前にそれぞれにカウンターをつけてみたら、「伊達な世界」は1266ヒット(42/日)、「まちもり通信」は644ヒット(21/日)と、倍の差があるのだ。
 どちらのサイトからも互いにリンクするようにしているのだから、普通に考えると同じになりそうなものだが、これはどういう違いなのか。多分、10~30日間隔記入の「まちもり通信」と、2~3日間隔の「伊達な世界」との差が出るのだろう。

    ◆

 どちらのサイトからも読者のご意見などを、メールでいただくことができるようにしているのだが、これからの反応はあまり無い。1ヶ月にひとつあるかないか程度である。
 ご意見などをいただくと、必ず返事をすることにしているのだが、たまに匿名で変なことを書いてくる人がいる。あるいはまじめな質問をするのに、匿名で書いてくる人もいる。こちらが本名を出してるのだから、失礼なものである。
 そこで匿名の人には返事をしないと記している。

 まじめな質問をいただくことがいくつかあるのだが、そのなかで真剣なのは難病の「大腿骨頭壊死症、同萎縮症」に関するわが体験記を読んだ、同病患者からのものである。
 こちらは医者ではないから、まちもり通信に書いている以上には答えることはできないのだが、なんらかのご返事をさし上げることで、ちょっとはお役に立つかもしれないとは思っている。

 それにしても、かつては「家庭の医学」なんてのを読んで一人で悩んでいたのを、いまどきはインターネットで同病相哀れむのだから、すごいもんである。
 余計な知識で悩みは増えるのか、それとも減るのか?
 最近来た質問で、匿名の意味がわかっていないらしく、「サンマ(もちろんHN)」と名前を書いて、若い人の拙い文ながらもまじめなメールがあり、困った。

2009/09/10

177【老いゆく自分】理工学部卒引退後の趣味

 理工学部を出たものが現役を引退すると、どんなことを趣味にして生きていくのかと、自分のことはさておいて、同期あたりに興味を持っている。
 趣味も理工系かとおもうと、趣味とはそういうものではないらしいく、絵画、登山、旅行が普通だが、なかに日本舞踊のひともいる。

 昨日、横浜都心の大岡川沿いの画廊で、化学を出た同期生たちの展覧会とて、観にいった。
 洋画、日本画、写真、陶磁器と、これはまさに世の趣味一般である。なかに焼き物の金継ぎ(日本古来の修理方法)を趣味にしている人もいたのが、ちょっと理工系っぽいような、、。

 これを観に来たわたしの仲間6人の趣味がウォーキングで、これまた理工系と関係ない。
 数年前から誘い合って、春秋に5日間100キロを歩く旅をしている。なかには1日に50キロ以上も歩けるマニアもいる。

 この歳になると、建築、寮、山岳部など、年に数回あれこれと大学同期のあつまりがある。
 高校の同期会もあった。暇になって酒を飲む言い訳けをみつけることと、頭が未だナントカしている今のうちに昔の仲間の顔を見ておこうということか。

 先日は建築学課程(わたしの頃は学科制はなかった)のあつまりで、エンジンつき模型ヘリコプターを飛ばすのが趣味という、理工系のようだが、とても建築出とは思えない者もいる。孫は大喜びらしいが、。
 ではわたしの趣味はといえば、近所の裏町やら、地方都市の商店街やら、棚田の農村やら、それも名所でもなんでもないところを彷徨することが、かなりのウェイトを占めている。

 そしてそれをこうして駄文に綴ることが趣味であるが、これは明らかに建築から都市計画へと仕事をやってきた延長上にあるのだ。
 建築でも都市計画でも、街の構造を現場で調べて、それがどのような背景でできてきたのか、それはどんな方向に動こうとしているのか、今後どうあるべきかを考察する。
 そしてそれを文や図や写真で記述し、その町に暮らす人々にわかりやすく伝えること、これが建築や都市計画の仕事であるのだから、今もその延長を走っていることになる。

 違うのは、現役時代はそれによって報酬を得ていたが、いまは無料であることだ。この駄文が、時には社会の役に立つかもしれないと思いつつ、、。
 あ、そうか、もしかたら、わたしは趣味を仕事にしていたのかも、、、どうりで儲からなかった。

2009/09/02

176【老い行く自分】本に埋もれて逝く至福

 8月11日だったかに静岡でちょっとした地震があり、死者が出た。その人はなんと本にうずもれて胸部圧迫窒息死だったそうだ。
 これは他人ごとではない。そう思ってネット検索したら、やはり同じようなことを思った人たちがいる。
 わが狭小なる書斎兼PC部屋兼寝室兼物置兼工作室兼・・・の四周の壁全部が(つまり窓と扉部分を除いて)、床から天井間際まで本棚であり、本がぎっしり詰まっている。
 もちろん本棚そのものは、紐や針金で壁にひっくくったり、棒で押し付けたりして、どうやらこうやら倒れないように工夫はしているが、本そのものはとめようがないので、落ちてくるだろう、コブくらいつくるかもなあ、とは思っていた。
 でも、窒息死なんてことがほんとにあるんだ、、、、まあ、本にうずもれて逝くなら、それはなんとなく至福の感がないでもないが、、、。 

2009/08/31

175【世相戯評】選挙TV報道

 久しぶりに長時間TV放送を見た。選挙速報番組である。
 これで麻生さんと鳩山さんの動画を始めてみたのである。ふ~ん、こんなしゃべり方をするのかあ、。
 麻生さんは口をへの字に曲げて、それも中央からじゃなくて、文字通り「へ」の字に右寄りが曲るのだなあ、それで損をしている。どこかひねたような口調があるのも損をしている。
 政治家は人相と口調だなあとつくづく思う。
 鳩山さんは良くも悪くも先生口調で特徴はないが、麻生さんと比較されると得をしている。先生口調だと思ったら、政治家になる前は大学の助教授だっとか、そうかやっぱり。

 それにして開票速報報道は変なものである。
 アナウンサーが、「しだいに追い上げております」なんていうのだが、もう投票はとっくに終わってるんだよ、単に票を開けているだけで、この速報を見ながら投票してるんじゃないんだよ、。

 でもそれを聞いて思ったのだけど、例えば、年齢の奇数の人は今日、明日は偶数の人って、2日にわたって投票するのはどうか。。
 開票は初めの日の投票後にも行なって、得票を発表するのだ。そうしたら次に日はそれを参考に投票するであろう。
 どうですか、こうすれば前回や今回みたいな翼賛選挙じゃなくて、2日目にある種のバランス感覚が働くような気がする。

 横浜市長選の結果を見てから寝ようとして、ついに午前2時半までTVを見てしまった。なんでも開票ミスでトラブルがあったらしい。
 これまで官僚→政治家(社会党)→官僚→官僚→政治家とやってきた歴代横浜市長とは違って、女性・企業家市長となれば、なにかCHANGEが始まるだろうか。

2009/08/30

174【世相戯評】選挙あれこれ 

 昨日は土曜日、銀座通りは歩行者専用道路となっている。新橋から歩き出したが、行く手のほうから景気の良いクラシック音楽が聞こえる。
 これはタンホイザーかな、だんだんと大音響になってくる、右翼街宣車もちかごろはしゃれた音楽なんだ、でも、もう5分以上経つけど一向にいつものガラガラ声の演説が始まらない、そのうちに、ポップスになった。

 あれ、銀座通りに下町商店街並みにBGMかしら、ようやく4丁目交差点にきた。
 なんと交差点の真ん中に白い乗用車を止めて、ルーフのハッチを開けて立ち上がっている男がいる。楽団の指揮でもとるかっこうで両腕を頭の上でふらふら振っている。
 なになに、マック赤坂って書いてるけど、どこの右翼サンなの?、よく警察が許すもんだなあ、と近づけば、おお、選挙街頭演説の幟がたっている。え、スマイル党って?、ああ、例の新聞が書く諸派、世の言う泡沫候補なんだ、、。

 これはなんと総選挙候補者の街頭演説会であるらしい。これじゃ警察も手が出ない。
 ただ、一向に演説をする気配はなく、軽快なポップスが大音響で延々と銀座の街に響いている。男は屋根から上半身出してマラカスを両手に振って踊っている。
 ふ~ん、まあ、こういう選挙演説もあるんだなあ、さすが東京は人材?が豊富?なんだなあ、と、踝をかえした。

 今朝の新聞に立候補者一覧表があって、その諸派は343人とあるのだが、注意書きがついていて、「諸派には幸福実現党337名を含みます」とある。
 え、ほかの諸派はどうしたの、書かないの?、マックさんのスマイル党は書かない?、それって幸福党の肩を持つ偏向報道じゃないかしら、などと、昨日チラと見かけただけのお方に、どうでもいい同情をしてしまった。

 ほかにどんな面白い諸派がいるのだろうか。

<後日追記090831>選挙が終わった。マックさんは東京1区、987票を獲得、1位と14万票余の差をつけて9人中の堂々ビリから3番目であった。

   ◆◆
 新聞一面を使った選挙広報というか広告というのか、政党や候補者の広告がこのところ何ページも占めている。 裁判官裁長官の国民審査投票への意見広告である。何回だされてだろうか、全国紙数社の全国版にだしたら数億円の広告費だろう。名を連ねている人は20名くらい、わたしが名前だけを知っている有名人も幾人か名を連ねているが、この人たちがだしたのだろうか。
 結構なことだが、ちょっとその金持ちぶりに、鼻白む思いもある。

 で、そこに書いてあるのを読むと、高知県の選挙区の3区と比べると、東京3区はその0.5倍しかないのだそうだ。
 つまり、高知では50人で1人を国会に送り込めるのに、東京では100人でひとりしか送り込めないってことだろう。
 さて、高知3区の選挙権者はどれくらいの投票率なんだろうか。

 算数のことはよく分からないが、もし投票に高知3区では投票率が50パーセント、東京3区で100パーセントだったら、1票の重さはどう計算するのかしら。
 なんにしても高知3区のお方の責任は重いようですよ、どうします?

<後日付記090831>
 選挙が終わった。最高裁判官審査の結果はこのアピールが少しは効いたらしく、1票の不平等を容認判決をした二人の裁判官への×印が、他のそれ比べて2~3割も多かった。
 高知3区では74489票で当選、東京3区では121699票で落選、これはものすごい格差であるよなあ、、。ついでに最低得票当選者を探したら、高知1区の44085票であった。

 今回の選挙では0票でも当選が出たらしい。
 仕組みが不可解だが、なんでも民主党が票を取りすぎて比例区の候補者が足りなくなって、残余の票が自民党にまわってタナボタ当選者を出したそうだ。
 おお、補給作戦がいい加減で前線では敵の武器や住民の食糧をかっぱらって戦った日本軍の伝統が生きている、、な~んて、、。

2009/08/29

173【横浜都計審】市民委員は審議会でまたもや独り相撲であった

 公募に応募して昨年11月から委員となった横浜都市計画審議会に、昨日はわが4回目の出席であった。
 議題は3つあったが、図らずも、またもや、わたし一人がしゃべったのだ。委員のみなさまどなたも、ご意見を出されなかったのであった。
 いつも寡黙なるわたしが、なぜに都市計画審議会では饒舌になってしまうのか、われながら不思議である。もちろん饒舌であるか否かは、他の委員との比較にすぎないのだが、。

 前回と同様に今回も廃棄物処理場の新設許可議案があった。前回はわたしは現地を見てきて、その周辺を住宅立地規制をする附帯決議を提案したのだが通らなかった。
 今回も現地を見てきて、前回のような混在可能な立地ではなかったし、環境アセスメントで審査会が専門的な注文をつけているので、内容的には特に異議はない。
 ただし、手続きおいて法的な疑問があったので、その指摘をしたのだ。これが今回の審議会の唯一といってよい審議であった。

 しかし、である。その法的解釈が実はわからなかったのであった。
 え、こんなこと、法に基づいて執行する行政庁が知らなかったのか。
 法学部教授の学識委員が解釈を披瀝されたが、それが定説というものでもないらしい。
 ふ~ん、そうなのか、法律を読めば誰もが疑問に思うはずと、そう思ったわたしは、どうも変な人らしい。 

参照→ ●横浜市都市計画審議会報告

2009/08/27

172【世相戯評】またもや翼賛選挙

 8月30日が衆議院選挙投票日とて、大勢の立候補者名の一覧が新聞に載っている。
 さて、年寄りがどの程度いるものかと、70歳以上を数えていったら、いるわいるわ、20名を越えたところであほらしくなってやめた。
 では80歳以上だ、いるのかしら、いた、81歳!、名前を見れば、おお、ドクトルナカマツだよ、あの、発明と選挙でいつも出てくる、あのお方である。そうかあ、さすがに80歳を越えたのか、なになに、あれ、幸福党なの?ふ~ん、まあ、お元気でね。
 もう少し見ていったら、いた、今度は85歳!!、全くもって後期高齢爺バンザイである。よくやるものだ。以上二人であった。

 まてよ、65歳から74歳までが前期高齢者とすれば、そこから先の10年の75歳から84歳までが後期高齢者かしら、ならば85歳からはなんというのか、末期高齢者か、その先は晩期とか、ああ、なんだか終期が見えてくるなあ、、。
<後日追記090831>選挙が終わった。ドクトル中松は落選、というよりも幸福党が泡沫党というか、全国で惨敗であった。   

 ◆◆

 今朝の朝日新聞には「民主320議席獲得も」なんて、予想記事が出ている。これがあたるかどうかは別にしても、なんだか民主党翼賛選挙ムードであるのが、いやな感じである。民主党がいやとかいいとかじゃなくて、翼賛選挙がいやなのだ。
 2005年の郵政解散(そういえば、今回の解散はなんというのかしら)のときに、こんなことを「まちもり通信」コラムに書いた。

 ===まちもりコラム2005・10月号===
●翼賛選挙でだいじょうぶかしら
 私が生まれて3年目の1940年、大政翼賛会なる組織ができて、政党はみな解散してこれに加わり、東亜新秩序建設に邁進、つまり戦争体制が整い、次の41年に戦火が始まった。
 2005年9月11日、戦後55年体制の総決算がされたようだ。自民公明民主大政翼賛政治が始まった。まさか戦争じゃないだろうが、何か不安でしょうがない。
 カウンター勢力かとおもっていた民主党の若旦那党首の言うことが、自公と大差ないように聞こえてきて、つまり翼賛選挙だったとわかった。
 最近はこういう状況を招いたことをポピュリズムというそうだが、昔は衆愚といった。 5年前の9月11日のニューヨークでの事件でも、衆愚が原因にも結果にも悲惨を招いている感がある。(051002)
  ============

 さて2009年8月である。あのときの衆愚の結果が自民党にお任せ政治をさせてしまい、今の世相に至り、今度は民主党にお任せ衆愚になるんじゃあるまいか。
 あの時に自民党お任せ政治にさせてさすがにこれはいけないなと、衆愚も若干は「衆賢」を取り戻したのが、参議院選挙の結果で、いわゆネジレ国会で自民党チェック体制を作り出したのであった。
 さて、こんどは衆議院でも民主党にボロ勝ちさせたら、もう本当に翼賛選挙になっちまうぞ。高速道路タダなんてアホな政策が通って、地方都市は疲弊するぞ、。
 適当に勝たせた方がいいですよ、。
<後日追記090831>選挙が終わった。まったくもって、この前も今回も翼賛選挙そのもの、ちょうど自民と民社を裏返しにしただけである。これからの政治も、これまでと同じになるのだろうか。新人と女性の頑張りが通じるか、、。

2009/08/25

171【世相戯評】日の丸・軍旗・御真影

 なんでも民主党のどこかの会で、あの赤だるまみたいな党マークをつくるのに、日の丸の旗布二枚を切り張りして使った。
 そうしたらTVの党首討論会で、自民党の麻生さんが「国旗を切り刻むとは何事か」って噛み付いて、民主党の鳩山さんが謝ったのだそうだ。

 これで連想するのは、戦時中の御真影(天皇の写真)と軍旗である。
 政府が各学校に配布して拝ませた御真影を、火事から助けだそうとして校長が焼死したのが美談であったし、軍旗はそれこそ戦場だから命と引き換えた兵士が無数にいた。 どちらも天皇の分身として、文字通りに死んでも守らなければならなかった。
 抽象的シンボルが具象的物件に偶像化して取り替わり、人の命までも奪った時代が、私がこの世にいるときにさえあったのだ。
 星条旗模様グッズが下着まである垂れ流し的偶像文化のあちらと、党首討論の政治争いの種にまでなる不可侵偶像文化のこちらと、その文化の違いが興味深い。

 御真影で思い出したが、小学校(国民学校といった)にそれを格納する奉安殿なるものがつくってあり、朝礼では「奉安殿に敬礼!」と号令がかかった。ワルガキどもは「オオアンゴウにケツレイ」と言って無邪気に遊んだ(アンゴウとは阿呆の方言)。
 この記憶によれば「御真影に敬礼」ではないから、偶像化は写真から容れ物に移っていたことになる。そう、偶像は目に見えてこそ偶像なのである。

 わたしはこの日の丸合成事件で、おお、民主党赤だるまマークは実は日の丸のアレンジだったのか、ふ~ん、そうだったのか、と、麻生さんとはまるで正反対のことに気がついたのであった。
 偶像崇拝化が進み、民主党マークもダイエーのそれも偶像損壊と目の仇にされる時代が来るかもしれない、赤い水玉模様も、、、あ、日の丸弁当もか、いやこれは戦時中は推奨されたなあ、?、、。

2009/08/24

170【各地の風景】はるかなるベルリン

 偶然にTV放送の女性マラソン中継放送に行き当たり、ベルリンを走るらしいので見た。もちろん目的はマラソンじゃなくて、ベルリンの街並みを見たかったのだから、音を消している。

 なるほどベルリンの街はこうだったかなあ、と思いつつ見ても、何しろ行ったのは1973年だから、おおいに風景は変っているし、それよりも全く覚えていないのである。
 それとわかった建物は国会議事堂だけだった。例のドームをくっつけたヤツである。

 もちろんそのときには見ていないが廃墟だったはずだ。そのリニューアルの姿を雑誌で見て、これはすごいと思った。
 なにしろ国会をガラスの上から、一般の見物客がのぞくのだそうである。
 ついでに思い出したが、ブラジリアに行ったときも、あの国会議事堂の丸い屋根まですたすたと屋上を行けるのだから驚いた。日本だったらたちまちに逮捕である。話が逸れた。

 さてマラソン放送のマラソンのバックの風景を見ていたら、同じ風景が何度も出てくるのである。どうも同じところを何回もぐるぐる周るコースらしい。
 考えてみればそのほうがコース設定も進行運営も楽になるはずだ。ドイツ的合理主義か。もっとも、一周遅れなんてのが出てきたらこんがらかるだろうが、。

 だから終わりのほうは風景見物に飽きて、マラソンを見たら、なんと日本・中国・エチオピアの3女性がデッドヒートで、結局は一位は中国の女性であった。その名は白雪、おお、白雪姫がマラソンする時代になったのだ。
 この人が勝つだろうと思っていた最も体格もスタイルも良いエチオピア女性は3位だった。 日本女性が10歩のところを5歩で走る長い脚である。
    ◆◆
 今から36年前のベルリンは、まだ冷戦まっただなかの時代で、東西に分かれていて、その間を壁が厳しく隔てていた。
 壁の西側に接して見物のタワーが建っていて、そこから東を覗き込むと、壁の向うにもうひとつ壁があり、壁と壁の間に2重にバリケードがあり、その向うに鉄砲を構えた警備兵がいる。
 東西境界の川に沿う金網に花輪が掛けてあって、ガイドの説明でそれは最近に東から西に脱出しようとして、東の警備兵に討たれて死んだ人のためだという。
 西から東に観光バスで見物に行ったが、検問所の厳しさに驚いた。写真を撮ると討たれるとガイドに脅されるし、兵隊はバスの下の車の間に鏡を入れてそこに越境者が隠れていないか調べているし、そこらにいる兵隊はみんな銃を構えているし、国境とはこういうのなのかと信じられない思いだった。
 その検問所「チェックポイントチャーリー」(東側では「フリードリヒ通り検問所」と言ったそうだ)は、ル・カレのエスピオナージュ小説にも出てくるところである。
 東ベルリンでは、ソ連がナチスドイツに勝った記念施設ばかり見せられてうんざりした。
 とにもかくにも、マラソンなんて平和なことが、ブランデンブルグ門をゴールにして行なわれる時代になってよかった。
 参照→032オリンピックマラソンの風景