2015/01/19

1049琉球の古典芸能の組踊をみて現代の沖縄問題をつい考えてしまった

 琉球王朝の式楽(儀式用の芸能)である組踊(くみおどり、クミゥドゥイ)を観た。
 まだ耳の中に、あの琉球王朝の音楽が、ゆる~く流れており、あでやかな舞台衣装、優雅な動きが眼に残る。

 組踊の創始者の玉城朝薫作の「女物狂」の公演が、横浜能楽堂であった。300年前に創始した朝薫は、日本の江戸幕府の式楽であった能の影響も受けているとされている。
 だが、海を通じての交流拠点の海洋王国の琉球のことだから、大陸やそのほかの民俗芸能の影響も受けていることだろう。

 この公演は、テーマが似ている組踊りと能の組み合わせという企画であった。組踊「女物狂」に対するは、能「桜川」であった。どちらも 思わぬことで子に別れて狂気となって探しにさまよった末に、偶然に出会ってハッピーエンドの物語である。
 もちろん能の桜川の方が先にあったので、女物狂がその影響を受けたのであろうが、似たような話は能にも「隅田川」「三井寺」などがあるし、世界どの地域の民話にもありそうな話である。

 「女物狂」のあらすじは、首里や那覇の町には、子どもを誘拐して山原(やんばる)や国頭(くにがみ)、中頭(なかがみ)の地域に売る人盗人がいた。舞台にはまずその人盗人が登場する。
 そこへ「亀松」が、風車で遊びながら登場、人盗人は人形を見せ歌って気をひきつつ、鎌でおどしてさらっていく。
 途中、共に寺に泊めてもらうが、人盗人が寝入ったすきにに、亀松は住職に助けを求める。住職と小僧たちは工夫して人盗人を追い払って、亀松を救う。
 一方、亀松の母は狂気となって子を探す旅に出る。狂気の母に僧たちが出合い、事情を聴いて亀松の母と分り、引き合わせて親子は感激の対面をして二人で戻っていく。

 それだけのことなのだが、芸能としての見せどころ聴きどころはそれなりにある。
 組踊りと能の比較は面白いが、それは好事家や専門家に任せることにして、この「女物狂」を観て、わたしが妙に気を回したのは、琉球、つまり今の沖縄だが、この「女物狂」を米軍基地問題になぞらえてしまったことだ。

 人さらいにさらわれた亀松こそ、沖縄のアメリカ軍基地である。
 まずは人盗人はU.S.A.だったが、次の寺の僧侶がJAPANに対応するのだろう。亀松基地は僧侶の元にあって、いまだに母の元には戻そうとしていない。
 沖縄は狂気の母となって、先だっての知事選挙でも衆議院選挙でも、亀松を求める心一筋の放浪芸を、見事に演じたのであった。
 だが、現代の母と亀松を隔てるJAPANは、なかなかに手ごわいらしい。組踊の母と子のようなハッピーエンドがあるのだろうか。

 舞台に戻るが、ちょっと困ったのは、琉球語がさっぱりわからないことだ。「女物狂」のストーリーは簡単なものだから、言葉はわからなくても劇の展開は分かるのだが、つい、分らないことにいらいらする心が邪魔であった。
 琉球語もそうだが、能狂言の言葉も、今ではよく分らない。国立能楽堂は、各席にモニター画面があって現代語訳が出てくるし、以前に国立劇場で「執心鐘入」を観たときは、舞台左右に電光掲示板の文字が出ていた。横浜能楽堂も今にそのようなものがつくときがくるだろう。
 沖縄でも、多分、もうこれが分る人はほとんどいないだろう。この次からは、配布資料に配役や解説とともに、現代日本語訳の台本を付けてほしい。

 能「桜川」をはじめて観た。母の苦境を救うために、自ら身を売った子を探し求めて狂いさまよう母親と、その子の偶然の出会いというハッピーエンドの物語は、女物狂いと大差はない。
 見せどころ聴きどころは、桜川のほとりの満開の桜のもとでの、美しい詞章の謡と優雅な舞である。
 「桜川」のシテ大槻文蔵、地謡の梅若玄祥の組み合わせといい、「女物狂」の宮城能鳳と歌三線の西江喜春の組み合わせといい、まことに心豊かな午後であった。

2015年1月17日 横浜能楽堂・伝統組踊保存会提携公演
能の五番 朝薫の五番 第1回「桜川」と「女物狂」

能「桜川」(観世流)
シテ(桜子の母):大槻 文藏
子方(桜子):松山 絢美
ワキ(磯部寺住僧):福王 茂十郎
ワキツレ(茶屋):福王 知登
ワキツレ(人商人):中村 宜成
ワキツレ(従僧):村瀨 慧
ワキツレ(従僧):矢野 昌平
笛:一噌 仙幸
小鼓:曽和 正博
大鼓:柿原 崇志
後見:赤松 禎友  武富 康之
地謡:梅若 玄祥  梅若 紀彰  山崎 正道  小田切 康陽  
    角当 直隆  松山 隆之  川口 晃平    土田 英貴


組踊「女物狂」
人盗人:嘉手苅 林一
亀松:古堅 聖尚
母:宮城 能鳳
座主:眞境名 正憲
小僧1:石川 直也
小僧2:新垣 悟
童子1:古堅 聖也
童子2:宮城 隆海
童子3:大城 千那
歌三線:西江 喜春  照喜名 進  仲嶺 伸吾
箏:宮城 秀子
笛:大湾 清之
胡弓:銘苅 春政
太鼓:宇座 嘉憲

●関連ページ
434横浜で琉球のゆったりとした時間
http://datey.blogspot.jp/2011/06/434.html

860国立能楽堂で能「盛久」(シテ野村四郎)の英語字幕を見てお経の意味がわかった
http://datey.blogspot.jp/2013/11/860.html

2015/01/16

1048出でよ!メガソーラー景観デザイナー

 メガソーラーなるものが流行とか、その森林を切り開いて無数の真っ黒な板が山肌を覆い尽くす風景は、どうみても異様である。
 でも、それが今流行の太陽光発電ならば、エコロジーの盟主様のなさること故、許されることなのだろう。
 
 以前から気になっているのだが、各地でかなり進んでいるらしいので、いくつかの気になる風景をネットから拾った。(著作権が気になるので出典のURLを記しておいた)


工場団地の中とか、埋め立て地とかならまだしも、
わざわざ森林を切り開いて大規模ソーラー発電所開発をすると、
これはかつての水力発電所が自然破壊をしたことと同じような

 耕作放棄された棚田に真っ黒な板が並ぶ風景は、
もしかしたら新たな農村風景を生み出すかもしれない
 

里山は真っ黒なツギハギ衣をかぶる裸斜面になったか

なるほど、現代の「ため池」か 

 もともと畑地である場所か、あるいは森林を切り開くのか

もしかしたらもとはブドウ畑だったのか、
そのランダムな黒板の配置が奇妙な風景をつくりだしている。

 大規模真っ黒パネルを見ていて気になることいくつか。
・あちこちの農地や山林、里山だったところの樹林が伐採されて真っ黒パネルで覆われると、どんな風景になるのだろうか。景観デザインが必要だろう。
・地表を真っ黒パネルで覆って、それまでその土地に吸収されていた太陽エネルギーがなくなると、その土地に悪影響は出ないのだろうか。環境アセスメントが必要だろう。
・豪雨が降ってもその雨水は真っ黒パネルの隙間から地上に落ちて吸収されるのだろうか。鉄砲水が起きないのだろうか。これも環境アセスメントが必要だろう。
・電力という根本的なエネルギー政策に係る土地利用が、計画的でなくて出たとこ勝負のアトランダムな開発に任せてよいのだろうか。土地利用計画にエネルギー計画が必要な時代になったのだろう。

参照:777津波被災地再生にも流行らしい太陽光発電メガソーラーは本当によいものか
http://datey.blogspot.jp/2013/05/777.html

2015/01/10

1047便器になるカップ麺とか洗浄力がどうでもよい洗剤とか商業広告は反語的表現が流行か


【妙なカップ麺広告写真】
今朝の新聞に載っている。そりゃまあ、カップを非常時には便器にだって使えるだろうけどね。
カップから立ち上がる湯気と黄金のかがやき!

【妙な洗剤宣伝文句】
「こだわりの洗浄力」だから、つまりこの洗剤は洗浄力なんか、気にしなくてもよいような些細なことなんだな、洗剤がそれでよいものだろうか、それとも意識した反語であろうか、それとも言葉を知らないだけか、それとも言葉の意味が現代は変わったのか。
念の為に引用しておくが、広辞苑にはこう書いてある。
「こだわる:さわる。さしさわる。さまたげとなる。気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。故障を言い立てる。なんくせをつける」

2015/01/05

1046横浜寿町ドヤ街は新築高層ドヤ建築が林立して周辺へも拡大中にて貧困ビジネス繁盛

お正月だから初徘徊である。初詣に倣うなら地名だけでもお目出度いところが良かろうと、横浜市中区にある寿に行ってきた。
 寿町とは、東京・山谷、大阪・釜ヶ崎に次ぐ、日本でも有名なドヤ街である。居住条件は超悪いが、名前はお目出度いのだ。
 ドヤ街とは、旅館じゃなくてホテルじゃなくて、簡易宿泊所という低級安宿ばかりが集まっている街である。
横浜市中区にある寿町ドヤ街のメインストリート 両側は全て簡易宿泊所ドヤビル

◆1000人/ヘクタールの超過密居住地区

 寿町地区ドヤ街は、約6ヘクタールのエリアに、簡易宿泊所数約100棟、約8000室、1室は標準は3畳間、一泊1200円~2500円で営業しており、定常的に宿泊者約6000人が泊り続けている。
 人口密度が1ヘクタールあたり1000人とは、驚くべき超過密地区である。都市の中高層市街地では400人、戸建て低層住宅地では100人くらいだから、いかにすごいかわかる。

 この街が、これほども収容力がある理由は、ほとんどが1室5㎡程度の超狭いシングルルームが、5階から10階建てくらいのビルに詰め込まれ、しかもビルとビルがびっしりと隙間なく建っているからだ。その超過密と超狭隘部屋群は、いわば立体スラムである。
 もちろん、そのような宿泊需要があるから、ここにビルが立ち並ぶのだろう。

 わたしは実は、そのドヤの部屋に泊まったことがある。3畳間にTVとエアコンつき、共同便所、共同コインシャワーで、3000円であった。体験的に一度だけだがやってみたのだ。
(参照:横浜寿町ドヤ街宿泊体験記) 
2007年8月25日、わたしが泊まった寿町ドヤの部屋
宿泊所とはいえ、ほとんどの人たちは実際は棲みついているのだから、賃貸住宅である。家賃が安いかと言えば、実は部屋の広さや設備から言えば、かなり高い。
 簡易宿泊所は、一般にネット約5㎡(3畳)で、一泊宿賃2200円/日である。実質的には住んでいるのだから月66000円、つまり13000円/㎡・月の家賃である。このあたりのワンルームマンションの家賃相場3~4000円/㎡・月と比べると、これは超高額家賃である。
 一泊1200円という安いドヤもあるが、それでも月家賃にすると高額である。

 そして、宿泊者のほとんどは単身の高齢者男性たちで、そのうちの8割は生活保護費の支給を受けているそうだ。
 そのような人たちが、なぜ高い家賃の宿泊所に棲みつくのか、その理由はいろいろあるようだ。
 その日暮らしだからとにかくその日の宿賃が安いとか、賃借住宅と違って保障金や礼金が要らないとか、生活保護費をもらうために必要な住民登録が宿泊所なのに可能とか、生活保護費受給と連動していることもある。
 福祉制度は複雑なのでよくわからなが、要するに、本来は社会政策であるべき居住政策を、日本では経済政策にしてきたことに大きな原因がありそうだ。

 ドヤビルは法律上は住宅ではない。それを買ったり借りたりして住む人が居るという前提で建っているのではない。建前としては、とりあえず仮の宿泊の場であるから、日照や通風は悪くても良い。
 だから隣同士にぎりぎりに立ち並ぶ。窓を開けても、目の前がいきなり隣のビルの壁とか窓であることは珍しくないので、昼間も真っ暗部屋がたくさんありそうだ。
 そんなところでも事実上は住宅にして暮らさねばならない人たちがいる。そしてそれは、どうも増加しているらしく、新築ドヤも多く見られる。

横浜寿町ドヤ街エリア全景

 狭くて暗くて通風の悪い部屋には長く居られれないから、今は寒いから道路にあまり人はいないが、気候が良いと道路が昼の生活空間となる。金のない人は、夜も外で暮らす。
 安飲み屋、違法賭博屋(ノミ屋)、場外舟券売り場、パチンコ屋が、街の娯楽施設である。

見たところ立派でも、日照、通風プライバシー無視でも合法の簡易宿泊所建築


◆繁盛しているドヤ街という貧困ビジネス

久しぶりに寿町ドヤ街を歩いてみると、もともと4~6階程度のビルが多いのだが、次第に建て替えが進んでいるようで、10階以上の大きな新しいドヤビルが、あちこちに建っている。
 建て替えは、老朽化と共に、お客のほとんどが高齢者になって、エレベーターがないと困るようになったこともあるらしい。
 それよりもなによりも、上に見たように高価格の部屋だから、投資としては有利なビジネスであるからだろう。一種の貧困ビジネスだが、ここは伝統的にそのビジネス地域である。
6階建てエレベーターなしが普通だったが(左)、
高齢者が多くなり、10階以上エレベータ付きに建て替え(右)
建て替わった建物は、そのどれもがドヤのイメージではない立派な外観なので、これは共同住宅(いわゆるマンション)なのかと思ってよく眺めると、ひとつひとつの部屋が小さいから、いわゆるワンルームマンションに建て替わったのかと思って、玄関を見るとそこには「簡易宿泊所○○荘」と看板があるのだ。やはり簡易宿泊所のドヤである。
ワンルームマンションではなくて新築簡易宿泊所ドヤビル
上のビルの入り口には簡易宿泊と書いてある
  ということは、この簡易宿泊所のドヤなる営業形態、いわば戦後の伝統ある貧困ビジネスは、今やけっこう繁盛して増殖しているということらしい。
アベノミクスは、ドヤに泊まらなければならない困窮者が、どんどん増える仕掛けになっているらしい。その一方では、ドヤの経営者や建設業者は、アベノミクスの良い影響下にあるのだろう。
 この2つを合わせると、トリクルアップというのかしら。

 寿町エリアにはびっしりと中高層ドヤ建築が建ち並んでいるが、その中のひとつの街区だけが、見るからに老朽化した木造家屋で占められている。飲み屋とノミ屋が肩を並べて建ち並んでいる。
 街区の中間に飲み屋とノミ屋の並ぶ狭い路地が貫通している。一度だけ、地元に詳しい人に案内してもらって通ったことがあるが、かなり怪しい雰囲気で、その後ひとりで通ったことがない。
 ここだけが木造低層街区であるのは、なにかそれなりに深いわけがありそうだが、そのうちにこの街区に超高層ドヤでもできるのだろうか。スゴイことになるね。
寿町地区でこの街区だけが木造ばかりが建ち並ぶ飲み屋とノミ屋街

◆周辺地区へ拡大する寿町ドヤ街

 伝統的には寿町ドヤ街地区は、南を中村川、3方を幹線道路に囲まれたエリアである。ある種の暗黙のゲットーの感があり、通り抜けるのがためらわれる雰囲気がある。
 ところが近ごろは、ドヤ建築が寿町の中での建て替えばかりか、暗黙の境界を越えて外のフリンジエリアへ、特に西の長者町通りを越えた方面へと、ドヤ街が広がる傾向が見られる。
 ドヤ街ビジネスの繁盛ぶりが目に見えるし、それは格差社会進行の景観でもある。

 寿町のあたりとその周辺地域は、横浜都心の便利なところだから、共同住宅(いわゆるマンション)が、ドンドン建ってきている。
 したがって、寿町のフリンジエリアでは、ドヤ(簡易宿泊所)とマンション(共同住宅)が近接、隣接して建ちつつある。せめぎ合っているように見える。

 さて、どちらが優勢になるのだろうか。昔から悪貨は良貨を駆逐するというから、フリンジ混合エリアは、次第にドヤ街化するような気がする。もっとも、「名ばかりマンション」が良貨とは言えないのだが、ここでは比較すれば良貨なのである。
 共同住宅ビルは、それを選ぶ居住者は立地イメージを重要視するから、ドヤと隣り合わせとなるとマーケティングは難しいことになるだろう。
幹線道路を超えてフリンジに進出したドヤ、手前の空き地もそのうちに、、
高層共同住宅街の中に進出してきた簡易宿泊所「末広荘」
手前は共同住宅ビル、その向う隣からは簡易宿泊所群の街並み
フリンジエリアに最近できたある共同住宅ビルを見ると、ワンルームタイプの小さい部屋ばかりらしいので、これなら悪貨に駆逐されても、悪貨のほうの簡易宿泊所に容易に転換できそうである。ディベロパーも工夫しているのだろう。
 なんにしても、横浜都心の貧困ビジネスエリアは、徐々にその勢力圏を拡大しつつあるのは、今後の横浜都心形成にどういう影響を持ってくるのか、気になるところである。

 寿町の眼に見える街の景観は、知らない人がちょっと見には高層共同住宅街とあまり違わないのだが、よく見るとその過密なる空間に貧困者がぎゅうぎゅうに詰まって、ぼろがあちこちにはみ出している状況は、かなり不気味な都市社会の進行である。 
 そして今もこのように、景気のよい槌音が響く工事中のドヤ建築が建ちつつある。

 というわけで、お正月のお目出度い「寿初詣で」の報告でした。

(追記20150107)
 今日のNHKWEBNEWSに、下記のように載っている。

「厚生労働省によりますと、去年10月に生活保護を受けた世帯は、前の月より3287世帯増えて161万5240世帯でした。受給世帯の増加は6か月連続で、昭和26年に統計を取り始めてから最も多くなっています
 最も多いのは65歳以上の「高齢者世帯」で、前の月より2000世帯余り増えて、76万1000世帯余りとなり、全体の47%を占めました。
 次いで、働くことができる世代を含む「その他の世帯」が18%、けがや病気などで働けない「傷病者世帯」が17%、「障害者世帯」が12%などとなっています。」

 なるほど、これじゃあ寿町ドヤ街が繁盛するわけだ。アベノミクスが言うところの株持ちと大企業に儲けさせてそこからトリクルダウンどころか、生活保護者から吸い上げるドヤ賃でドヤ事業者が儲かる「トリクルアップ」だよなあ。


参照
「横浜寿町体験レポート」(伊達美徳)
https://sites.google.com/site/matimorig2x/kotobukitaiken
095貧困な住宅政策(まちもり散人)
http://datey.blogspot.jp/2009/02/blog-post_13.html
横浜B級観光ガイドブック(まちもり散人)




2015/01/04

1045近ごろ世の中は信心深くなったらしくてだれもかれも初詣にいくのはなぜだろう

 まえまえから不思議に思っているのだが、日本人は一般に宗教には関心が低くて、神仏に祈ることはあまりしない筈なのに、どうして正月の初詣に、あんなにもわんさと行くのだろうか。
 フェイスブックにも、とても宗教など信じそうにない知り合いたちが、神社や寺院への初詣の風景写真を、次から次へと掲載なさって来る。しかも、初詣のはしごまでなさるのである。
 おお、このお方は、そんなにも信仰心の厚いお方であるのか、と、畏敬の念をもって見直すのである。

 初詣だけじゃなくて、去年も年8月15日に野次馬で靖国神社に行って見たら、きちんと参拝する行列のまあ長いこと長いこと、しかもけっこう若い人たちが多いのであった。
 初詣の参拝行列には、どこか無邪気さがあるが、靖国神社参拝には、ある種の不気味さを伴うものである。
行ったことのない初詣の写真はないので、 2014年8月15日の靖国神社参拝者の列
それにしても、なぜ神社や寺院にこうも連なって、人々は参拝に行くのだろうか、不思議である。
 昔と違って、休日に遊びに行くところはほかに腐るほどあるのに、わざわざ年寄りじみたお宮参りやお寺参りなんてしなくて良ささそうなものだと思う。

 では、そういうおまえはどうなんだ、と、聞かれたら、堂々と言うのだが、生まれてから一度も初詣をしたことはない
 そりゃ近くに神社がなかったからだろうと言われると、また堂々と答える、わたしの生家は神社であったのだ、と。
 つまり、生まれたときから初詣には行くのではなくて、余所の人が来るところであったのだ。
 だから、一家そろって初詣に行くどころか、父母は超忙しいお正月で、こどもにかまってなんかいられないので、わたしは初詣なんてしたことがない。 
 
 生家が神社なら、信心深いだろうと問われたら、堂々と、その逆だ、と答える。
 そのわけはいろいろあるが、簡単に言えば、日常的にいつもそばにある神様なんて、ありがたくもなんともないものだ。
 少年時にときどき、神殿の掃除で父を手伝ったことがあるが、すると、御神体なんてものにもお目にかかり触るのだが、あ、これがみんなが拝んでいる神様本体なの、な~んだ、てなもんである。

 大人ならば、なにがしかの形而上的な意味をご神体に持たせてみることもできるが、少年の眼には単なる汚い金属の円い板である。
 少年であればこそ、冷徹な意識が働き、そのほかのいろいろな儀式の無意味さも含めて、神社は無神論への培養器であった。
 これでは信心もなにも起きないのが当たり前。

 ということで、一切の神仏に祈ることはない人間に育った。当然、父の後を継ぐこともなかった。
 今、気が付いたが、わたしの二人の息子の宮参りとか七五三とか、一切考えたこともなかったなあ。
 ただし、お祭りは大好きである。ご馳走を食べられて、神楽があり、ぼんぼりが立ち並び、にぎやかだったなあ。

 大人になってから、義理で参列する冠婚葬祭に、日本や西洋の神や仏の儀式が登場するのに困惑したが、そこは付き合いとして割り切って、周りに失礼ないように形だけは整えている。

 わたしは神社や寺院を訪ねることは、嫌いではない、いや、むしろ好きかもしれない。お祭りはもちろん好きだ。
 それはその風景や環境あるいは建造物を愛でに行くのであり、そこでも参拝することは、一切ない。

 だから、正月の神社寺院やら敗戦記念日の靖国神社などで、人々は長い列をつくっても神妙に礼拝する様を、この歳になってもさっぱり理解できないでいる。
 反対するとか不快であるとか思うのではないが、とにかく不思議である。

2015/01/01

1044本づくり趣味が嵩じてきて自分の本ばかりか他人の本まで作った

 わたしの「本づくり趣味」が、だんだんと嵩じてきた感がある。このデジタル時代に、わざわざ紙の本をつくるのは、それなりに面白い。ブックデザインの面白さに、はまっている。
 原稿は、この「伊達の眼鏡」ブログや「まちもり通信」サイトに載せてきた、わたしのゴタク類である。それをテーマ別に編集して、本にする。ただ今、それが21巻になった。
 
 原稿・編集・装幀・印刷・製本そして配布まで、本づくりの一連の作業を、自分一人でやるのだ。
 道具は、PC,プリンター、カッター、ステップラー針、千枚通し、紙ばさみなどである。
 材料は、A4版裏表印刷用紙、A4版見返し用色紙、B4版表紙用紙、プリンターインクである。
 特別なものはなにもない。そのへんの文房具店や百円均一店で調達できるものばかり。
 製作のノウハウもない。PCでMSワードを使って原稿をつくり、プリンターで冊子印刷、まんなか2か所を綴じて、二つに折る。だれにでもできる手作業である。
 
 自著の本は「まちもり叢書」シリーズとして、これまで21巻を製作してきたが、昨年は「地震津波核毒日録2014 核毒の荒野へ」の1巻をつくったのみだった。
 ところが、その本づくり趣味が高じて、自分の著述だけではなくて、他人様の原稿にまで手を出して、本にするようになってきた。

 昨年は、急逝した知人都市計画家のブログ記事をまとめた追悼集「神戸見・聞・考」(20冊)」、幼馴染2人による短歌と写真を編集した歌集「ぽかりぽかり」(100冊)、大学同窓生の趣味記録「風三郎 日舞を習う」(110冊)、鎌倉の仲間によるまちづくり論考集「鎌倉の新しいグランドデザインを描く」(上巻と下巻各7冊)の、4種の本をつくった。
 いずれも半分押し付け、半分自主製作である。なかには喜ばれたものもあるようなので、嬉しい。

 本は商業出版でもなかなか売れない時代なのに、最近は、自分史などを自費出版するのが、流行らしい。どうせ売れない自分史など、自費出版で100部も作って、知り合いに配れば、それで目的は達するというものだろう。
 出版社を使って自費出版すると、100万円を超える結構な費用を要求される。それでも、世の中に年寄りが増えてきたから、売れもしない自分史を出したい人が増えて、自費出版となる傾向が進むのだろう。格安自費出版屋もあるようだ。
 
 まあ、出版社から出すと、いろいろと経費が掛かるのは分かるが、それにしても高いものである。
 でも、わたしの様に自家製自費出版(出版と言ってよいのかしら)をやってみると分るが、その費用は、出版社による自費出版と比べると、極端に安くできあがるものである。
 印刷部数は1冊からでもできるし、増刷も同じく1冊でもできる。出版社に頼むとそうはいかない。
 
 本の体裁が、雑誌のようなソフトカバーの二つ折り製本で、A5版に限るのが、ちょっと安っぽくて難点だが、ハンディだから寝ころんで読むとか、持ち歩きもできるのが利点である。
 実は、ハードカバーの本づくりも、わたしはできるのだ。作ってみると、自分ながらなかなかに立派な本をつくったなと思うものができる。
 しかし、糸カガリして固い表紙を付ける作業が面倒なので、保存しておきたいもの1冊だけしか作る気にならない。
 
 ということで、絵をかくとか、歌を歌うとか、ゴルフをやるとかの趣味の代わりに、本づくりという趣味をやっているのである。作った本を売ろうという気はさらさらない。他人に押し付けるばかりだ。もっとも買おうという奇特な人が居るわけもない。
 もともと本好きであるが、本を買うのをやめて、本をつくる方に替わったということである。

 本を買うのをやめたのは、2年ほど前のこと、もうこれ以上買っても、積ン読本が増えるばかりと気が付いて、それからは所蔵する積ン読本を片端から読んでは捨てていって、読破したら生涯を終えることに決めたからだ。だが、生涯を終える方が、読破よりも先になりそうだ。
 どうしても読みたい新刊本や所蔵していない本は、図書館に行けばよいのである。実際、県立も市立も中央図書館が歩いていくところにあるから、不自由はしない。

 さて、今年は、もう友人の病体験記の本づくりが始まっている。

参照「まちもり叢書 自家製ブックレットシリーズ
http://datey.blogspot.jp/p/dateyggmail.html

2014/12/29

1043美しい夕焼け冨士には鉄塔と電線がよく似合う??

 知人のC野さんが、夕焼け冨士を撮ったと、FACEBAKAに掲載をされた。
 おお、これは素晴らしい、ふむ、ふむ、ちょっと戯造したくなった。
 このどちらがオリジナルか、お分かりですよね。
 でも、どちらがお好きか、人さまざまかもしれない。
 勝手に戯造加工して、勝手にここに引用して、C野さん、ごめんなさい。

 ついでにこちらもごらんください。一番最後に田楽富士も登場します。



2014/12/28

1042こんな本がベストセラーとはわたしは世の中からすっかり外れた

 本棚が積ン読本ばかりになったので、本を買わないことにして、もう2年経つ。だから、世の中の人々が、どんな本を買っているかもわからない。
 ところが、こんなリストを載せた新聞記事がある(2014年12月28日、朝日新聞東京版)。2013年12月から今年の11月までに売れた本のベスト20ランキングである。
これを見て驚いたのは、どれひとつ読んでいないどころか、聞いたこともない本ばかり。聞いたことのある著者名もいくつかあるが、その人たちの著作を読んだこともまったくない。
 それらの内容を題名と著者だけから推察すると、フィクションは池井戸と村上の2件だけ、大衆小説も売れないらしい。
 最近、本屋で平積みが目立つ右より本も1件、末尾に位置を占めている。

 売れてるのは、心や身体の健康とか自己啓発とか人生論とか、要するに実用書であるらしい。
 へえ~、そういうもんなのかあ、でも、昔からこういう傾向だったんだろうか?
 
 なんにしても、わたしは世の中の流れから、すっかり外れてきたことは確かである。
 世の中から外れたといえば、先般の今年の流行語を知らないかったこともあるし、NHK紅白歌合戦への出演歌手たちのほとんどを知らないってことも、もう驚くことではなくなった。

2014/12/23

1041朝日新聞は謝罪するしないはどうでもよいことだったらしい

 今朝の朝日新聞には、例の戦争慰安婦報道間違いなんじゃらかんじゃらドサクサ事件について、何ページも何ページも使って、謝っている。
 まあ、朝日新聞社にとっては大事件だったのだろうが、あんたのところの内部問題について謝るのに、わたしがなんで金を払って読まされるのか、そこんところがなんとも釈然としない。
 謝るのに金を払わせるって、どういう心臓の持ち主なのか、どういう魂胆か。
 なんにしても、少なくとも今日の新聞は、タダにしろ。以前の間違い報道の日の新聞もタダにしてほしいけど、まあ、そこまでは言わないからね。

 さて、今朝の朝日新聞記事の一部をここに載せる。
 「池上氏のコラム『新聞ななめ読み』の掲載見送りも、『謝罪しない』という方針にこだわった当時の経営トップの判断の誤りでした」

 あのなあ、これじゃあ「謝罪しない」って方針は、どうでもよいことだったんだね。へえ、そうなのかい。
 だって、「こだわる」って日本語は、、「どうでもよいことにとらわれる」って意味なんだよ。辞書引いてごらん。

 まあ、近ごろ世の中は、「こだわる」の使い方を、「何でもかんでも固執すること」って意味に使うようになってしまって、言葉の意味が変質しているようだから、しょうがないか。
 でもねえ、言葉でもって飯を食う朝日新聞が、言葉で敗北した記事だからと言って、こんな重要なところで間違い日本語をおつかいになるのは、いかがなものでしょうかねえ。

 てな具合で、ことの本質の方には立ち入らない、斜に構えた朝日新聞批判でした。
 なお、第三者委員会報告の中で、たった一人だけの女性委員のご意見が、最もわたしの心に響きました。

◆参照「菅さんには諫早も沖縄も些細なことか
http://datey.blogspot.jp/2010/12/360.html
 

2014/12/21

1040東京駅開業百年赤レンガ駅舎復元に浮かれて戦災遺構消滅問題をだれも問わない

 今日の新聞(2014年12月21日朝日新聞東京版)のふたつ並ぶ記事に注目する。
 記事のひとつは、「赤い駅舎守った愛」なんておセンチな見出しで、赤レンガの東京駅が開業から100年目を迎えたこと、その建物が戦災で当初とは変わっていた姿を昔に復元したことである。復元を賛美している調子である。

 もうひとつは、{宮城・岩手 大型遺構は取り壊しも」とのみだしで、東北の街に散在する東日本大震災の大きな災厄を記念する遺構や遺物を、どのようにして保存をどうするか現地ではいろいろと動きがあるが、大型の建物の類はほとんど壊されつつあるというのである。

 この二つの記事は別ページながら隣り合わせに載っていて、新聞屋は意図としなかったかもしれないが、読みようによっては重要な関係がある。
 一方は戦前の有名建築を市民たちが努力して保存復元に持ち込んだとするものだが、もう一方の方は、あれから3年余でもうその災害遺構を壊しているとして、対照的な態度であることの記事である。
 
 だが、わたしが読めば、どちらの記事も災害遺構の扱いについて、どうも冷淡で災害を忘れたがる日本人たちについての記事である。
 というと、たいていの人は、東日本大震災の遺構については災害のことだけど、赤レンガの東京駅がどうして災害遺構に冷淡な日本人の話なんだよ、と思うだろう。
 実は、復元前の赤レンガ東京駅舎は、日本に2つしかない第2次世界大戦の壮大なる災害遺構建築だったのである。それを復元によって事実上の取り壊してしまった。

 二つしかないと書いたが、そのもうひとつは広島の原爆ドームである。あちらは幸いにして復元されないで、原爆の悲惨さをそのままに今も建っている。
 東京駅は1945年5月にアメリカ軍の空爆によって炎上し、レンガとコンクリートの骨だけになったものを、あの物資のない時代に2年がかりで修復した、あの不幸な時代の記念的建築であった。
 日本の戦争の悲劇ばかりか、そこからの復興への歩み出しを体現する、実に貴重な建築だったのだ。日本人のほとんどが一度くらいはここを利用したことがある有名建築だった。

 いまからちょうど百年前の1914年開業から、1945年空爆炎上までの存続期間は31年だった。そして修復開業した戦後の姿が出現した1947年から、復元工事で消え去る2007年までの期間は60年間だった。戦前の姿よりも戦後の方が、2倍も存続していたのだ。
 わたしたちが知っている戦後復興の東京駅は、復元という美名に聞こえる義挙(偽挙)で、戦争という大災害遺構を消滅させてしまった。

 ここに至る間に、原爆ドームの様に戦争の悲劇の記念碑としての保存価値を論じた気配はない。
 1947年よりも1914年の方が昔だから、なんでもかんでも昔の方が良いという今の世の昔帰りの風潮は政治のトップに典型的だが、庶民も今回の衆議院翼賛選挙で見る様にそうらしいばかりか、建築史学者も建築家たちもそうらしい。
 戦争で被災した建築なんか見たくもない、でも新建築の建て替えるのも時代の風潮からダメらしいから、この際ちょうどよいから容積率を売った金で、昔の姿に建て直そうってことにしたのかもしれない。

 そうやって出現した金ピカ東京駅は、ディズニーランドさながらのミーハー的姿で、まさにミーハーにもてはやされている。
 今日のニュースによれば、記念の特別デザイン乗車カードを買う人たちが何千人も集まってきて混乱大騒ぎになったとか、まさにミーハーテーマパーク化は成功した証拠である。
 それにしても、なんで大勢の大人たちがこんな子供じみた騒ぎを起こすのか、私には世の中を理解不能になってしまった。

 建築を文化として保存することに意味を忘れてしまったらしい。単に懐古趣味の成金の産物に成り果てたようだ。
 文化人類学で文化とは、人間の行為の総体をいうから、戦争という人間の最悪の行為も文化である。福島の核毒事故(原発事故のこと)も文化である。そしていずれも忘れないように記念遺跡を後世に伝えることも文化の行為である。
 したがって、金ぴか復元建築も新たな歴史文化に踏みだしたことになるのだ。また30年後に起きる戦争で焼けることになり、それを修復復興してから60年目にまた昔の昔の姿に復元する、なんてことを繰り返すのであろう。それもまた人間の文化であり、歴史である。

 さて、東北の被災地に横たわる被災建築遺構は、どのような思想をもって後世に伝えることができるのか、あるいはできないのか、なかなか興味深いことである。
 なかでも人災として戦争にもひとしい大災厄の原発事故による核毒被災遺構をどう扱うか、これには最も注目していきたい。
 わたしは福島原発を世界文化遺産と世界記録遺産に登録するように唱えているんだが、だれも注目してくれない。

再び唱える「福島原発を世界遺産に」
http://datey.blogspot.jp/p/2011321-httpdatey.html
 

◆「東京駅復元反対論」(まちもり散人サイト)については下記を参照
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokyoeki