【東京駅周辺徘徊その2】からの続き
八五郎:ご隠居、明けましておめでとうございます。
ご隠居:おや、八ツアン、いらっしゃい。はい、おめでとうさん、今年もよろしくお願いしますよ。
八:正月早々から、ネット遊びですかい。日本橋の景観戯造なんて、、。
隠:はは、ヒマだからね、正月は、いやまあ、1年中ヒマだけどね。
八:で、つぎはどんな戯造です?
隠:いや、偽造の前に去年やった東京駅の話の続きをしようかね。こんどは丸の内の駅前道路、通称・行幸道路の景観ね、これが今の姿だよ。
丸の内行幸道路の東京駅方向を見る風景 2016年12月 |
八:ああ、東京駅と皇居前広場を結ぶ広い道路ですね。何で行幸道路なんだろ、天皇だけが通る道ってこともないだろうに。
隠:うん、もしかしたら自動車に乗って真ん中を通ることができるのは、天皇だけかもしれないね。とすればこれは、やんごとなきお方が眺める風景だ。
八:こんなに左右の高いところから見下ろされると、やんごとなきお方だって鬱陶しいかもなあ。
八:昔の風景はどうだったんでしょうねえ。
隠:はいよ、これが1928年の写真だよ。関東大震災の5年後だけど、ここはあまり被害はなかったね。東京駅は1914年にできている。右の手前のは1918年にできた日本郵船ビル、そのむこうに少し見えるのは1923年にできた丸ビル、左に見えるのは1918年の東京海上ビルだよ。
八:ほう、スッキリですねえ、えらく空が広いや。まんなかの東京駅は今と変わらないけど、左右のビルはずいぶん違いますねえ。総じてバランスがいいなあ。今の風景はビルがこけてくるような、。あ、そうだ、右が丸ビルなら左には新丸ビルがあるんでしょ。
隠:いや、海上ビルの向こうの新丸ビルは、このときはまだできていないから空き地だよ。
八:このあとの大変化が、1945年の大空襲ですね。
隠:そうだね、東京駅は焼けて屋根が無くなったけど、丸ビルなどのコンクリビルは大丈夫だったんだね。戦後の変化は、1952年に新丸ビルができたのが第1号だな。
八:新丸ビルは丸ビルと同じ高さでしたね。
隠:そう、1963年までは法律で高さ100尺つまり31mまでしか建てられなかったんだな。そのあとがずいぶん変わってきた。これが1987年にわたしが撮った写真だよ。
八:どこもかしこも変わっちまって、変わらないところを探すほうが早いや。まず真正面の東京駅は変りませんね。
隠:いや、中央部分は変わらないけど、その左右の高さが3階建てが2階建てになっているよ。
八:あ、そうだ戦後に戦災の傷跡を修復をしたのでしたね。それと東京駅の後に高いビルがありますよ。
隠:それは八重洲口の大丸百貨店だよ、1968年に12階建てにしたので、丸の内側からそれが見えるようになったんだな。
八:右向うの丸ビルも替わりませんね。並木に隠れて見えないけど、左向うには新丸ビルがあるはずでね。
隠:そうだね、丸ビルと新丸ビルはまだ変わらない。ここでの大変化は、左の東京海上ビルが1974年に25階建てに、右の郵船ビルが1978年に15階建てに、どちらも建て替わったことだな。
八:ほう、左右アンバランスですねえ、こういう時にどうせ建替えるなら、右と左をそろえた高さにすれば、門のようになって格好良かったのにねえ。
隠:そうだね、まあ揃えればいいというもんでもないけど、都市の景観デザインを考えて建て替えたのかという問題提起だね。
八:そう、その問題提起ってヤツですよ、エヘン。
隠:この東京海上ビルを建てる前に、その景観について世の中に論争が起きたんだよ。あんまり髙すぎる、いや、現代都市は超高層ビルであるべきだとかって、1966年から10年くらい続いたな。
八:丸の内景観論争って、有名人とか不動産屋とか建築家とか政治家とか登場したんでしょ。
隠:そうだったね、そのころ日本でも超高層ビルを建てられるように法律が変り、技術も進歩したんだね。建築家も建設業界も、超高層ビルを建てたくてしょうがないんだな。
八:そこで丸の内で超高層ビルを建てるって計画が出てきて、世間がビックリしたんですね。
隠:それまではビルと言えば高さが31m、例外的に45mまで建って、丸の内では街並みの高さがそろっていたんだな。それがこれを機会に崩れて凸凹の風景になるのはケシカランてね。
八:それだけじゃないでしょ、皇居を見下ろすのが不敬にあたるって、そんな意識も根強かったとかでしょ。
隠:もしかしたら反対論の根にはそれが深かったのかもしれないねえ。まあ、なんにしても海上ビルが超高層で建ってしまったら、あとは一瀉千里、今のように超高層だらけになったな。
八:じゃあ、あの景観論争って、いったいなんだったんですかねえ。
隠:そうだねえ、なんだったんだろうねえ。その後に景観が法律に登場するまでには四半世紀以上もかかってるんだもんなあ。
八:ずいぶん長くかかってますねえ、丸の内景観論争は狭い範囲の騒ぎだったんですね。
隠:さて次の写真は、その景観法ができた2004年に撮ったよ。
八:あっ、右の丸ビルが超高層ビルに建て替わりましたね。
隠:そうだよ、2002年に37階、179mに建て替えたな。景観論争であれこれあって、100mで手をうった筈なのにねえ。
隠:次は2007年の写真だよ。さて、どこが変ったかな。
八:ほほう、左の新丸ビルが超高層に建て替わり、東京駅左上にも超高層建築が建ちましたね。
隠:新丸ビルが建て替わったのは2007年、高さ176m、38階だよ。左向うは八重洲側に建つグラントウキョウノースタワーってんだな、ここに大丸デパートが引っ越した。
八:あそうだ、新丸ビルとグランノースは、東京駅上空の空気を買ってノッポになったのでしたね。
隠:そう、容積率移転と言ってね。その東京駅は、この年からしばらく増築とお化粧工事の板塀に囲われて姿を消すんだよ。
隠:さてその次は去年2016年の12月だよ。さあ、どこが変ったか分るかな。
八:うーむ、そのグランナントカってってやつの下の方が、右に伸びてきてるなあ、ほかはあるかなあ。
隠:あるんだよ、東京駅だよ。
八:東京駅の後ろの大丸がなくなった。あっそうだ、2007年から東京駅の増築とお化粧工事で、2011年に戦前の姿が現れたんだ、でも、これみてもあまり変わらないような。
隠:そうだね、中央のドームは変わらないけど、よく見ると尖塔がついてるし、3階ができてるよ。
八:ここまできましたけど、まだまだ変わるんでしょ、八重洲側で大きな開発計画があるとか。
隠:そうだね、その開発事業者が発表してる絵をもとにして、2023年の風景はこうなるらしいと戯造してみたよ。東京駅の上も賑やかだねえ。
八:でもねえ、ご隠居、その先があるでしょ、なんだか止めどもなく開発するようですよ、だからあっしがこんなの未来戯造しましたよ。
隠:おうおう、八重洲が超賑やかなばかりか、丸の内の東京海上ビルも日本郵船ビルも建替えて丸ビル並にノッポにするかい、スゴイすごい。
八:隣が超髙くなったんだから、こちらが25階とか15階じゃあ損だ、建て替えようってどっちも思うでしょ。
隠:よし、それならわたしも、例の丹下案をはめ込んで未来偽造だ、どうだい。どこが変ったかわかるかい。
八:うわっ、八重洲側目隠しビルですねえ、え、郵船ビルもレンガ色ですかあ、うーむ。
隠:これを上と比べると、なんだか妙に整いすぎて見える、ちょっとつまんない感じもあるよね。
八:そうですね、模型を見てるようで、左右がそろえばいいってもんでもないか、アレッ、東京駅ビルの中間に穴を開けて風が抜けるようになってますね、ワハハ。(続く)
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