2008/05/08

005【怪しいハイテク】ブログを始めたけれども、イチャモンだらけ(その4)

・密林探検のブログシステム内部
 さて(その4)の書き込みである。ご覧になればわかるように、各文末の「コメント」の表示がなくなっている。昨日、いじっていたらコメントを管理するページに出くわしたので、表示しないように設定しなおしたのだ。
 そこまではともかくとしても、今日、そのコメント表示をしないように設定したページを出そうと、あちこち見たが、どこにあるか分からないのである。元に戻せないのである。 これは実はほかにもいっぱいそういうことがおきているのだが、要するに、そこにたどり着くのに論理的に表示をたどったのではなく、たまたま鼠を押したらでてきたからである。

 つまり、用語から内容を判断して押しても、まったく違うものが出てくるのであるそれでも出てくると、おお、ついでにこれをちょっといじくってやろう、となるからである。だからもう一度そこに行こうとしても、そのページとは偶然の出会いだから、再会が無理なのである。これはもう密林探検だよな。

 このブログにかぎらず同じようなことは、コンピューターのソフトウェアには実に多い。
 そんなわけで、なにか意見とか質問とかある方は、WEBSITE版<まちもり通信>の「MAIL」からどうぞ。

・わたしのキーボード歴
 最初のキーボードは、70年代の、あれはなんといったっけか、電電公社のホストコンピューターに接続して計算をするまさに電子計算機だったが、これはわたしの手におえなかった。
 所属オフィスでは構造計算と経理に使っていた。 都市計画の統計処理なんかはIBMの計算センターを使っていた。

 その次が日本で最初の東芝製WP専用機JW10であったが、これもわたしは手におえなかった。大きな事務机にはめ込みセットされていて、タイプライターと同じ機能しかなかったが、使用説明書(マニュアル)が超難しかった。まったく何のことが理解不能だった。
 どういう魂胆でこのような文章を書くのか、そのときからコンピューター屋への不信が始まったといってよい あれと比べるとこのブログのほうが、まだ格段に容易に理解できる。もっとも、比べるようなものではないが、、。

 ついでに思い出したが、70年代の初めに四則算のできる(というよりも四則算しかできない)計算機ができて、それは60センチ角くらいの大きさで、4本の車つきの足がついていた。ネオン管のような数字表示だった。それで手回しのタイガー計算機から開放された。
 わたしがキーボードに本格的に触れだしたのは、80年代になってからであるが、まずはワードプロセサー(WP)専用機であった。

 83,4年頃だろうか、ようやく今のコンピューターに似た形のWP専用機が事務機として登場し普及して、わたしもタイプライター熱をそちらに向けて愛用者となった。
 「ワープロ通信」なんてのが始まって、ニフティサーブに入会したのはその頃だったか、それが「パソコン通信」となり、「インターネット」となったのである。

 WP専用機は家電メーカーが発明したこともあって、個人用の普及をしだすと、その使い勝手や使用解説書は、今のコンピューター屋とは違って、さすが分かりやすかった。
 この頃、今の電子辞書くらいの大きさの「ポケコン」がでてきて、一時持ち歩いていた。四則算よりは複雑なルートとか偏差値とかの計算ができたからである。BASICで書いていたような気がするが、もちろん遊びを出ない。

・作る側と使う側のギャップ わたしは90年代半ばからコンピューターに乗り換えた。最初はマッキントッシュだったが、そのうちにウィンドウズ95がでてそちらに乗り換えた。このときからコンピューター屋の日本語知らずに、ず~っと悩まされ続けている

 だから結構うらみつらみの期間は長く、アホ馬鹿コンピューター屋と罵倒歴も長いのである。要するに使う側の立場ではなくて、作る側でしか物事を考えないらしいのである 早い話が「ワードプロセサー」ってのも、制作者は日本語をいかに処理して機械に載せるか苦心惨憺したので「処理機」としたらしいが、そんなことは使う側は知ったことではなく、きれいな文字と文章が出てくればよいのだから「清書機」のほうが分かりやすいのだ。「ワープロ」なんてわけの分からん言葉が登場したのも不思議であった。

 このあたりの基本的なことがコンピューター屋は分かっていないらしいから、どんなに変な言葉でも、使う側が作る側についてこいっ、てなもんで、パソコン教室を流行らせて2重に儲けようという魂胆なのだろう。昨日まで書いてきたことも、みなそうである。

 日本語を良く知っているものほど、コンピューターは難しいもの、というよりも、バカ日本語が分からんからであるのだ。
 つまり高齢者ほどそうなるのは、老人が物分りが悪いからではなく、バカ日本語にとりつくには、老人の日本語知識がバリアーとなっているのだ。  

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