2008/08/16

030【世相戯評、文化・歴史】映画「YASUKUNI」を観たがその評価は見る人の立ち位置によってどうにでもなる

 国会議員がはからずも宣伝して?評判になった映画「YASUKUNI」を、近所の映画館でやっているとて観にいってきた。
 さて、 これをどう評価するか。

 よく言われるように、右寄り国会議員がどうして問題にしたのか、それほどのもんじゃないよって、言い方もできるが、これでは映画を観る眼がないといってよいだろう。
 これはそのつもりで観れば、靖国の英霊を慰霊するよくできた映画であると、観ることもできる。
 一方、これは左翼の陰謀映画で靖国を侮辱していると、そのつもりで観ればそう観ることができる。
 また一方、これは靖国の今日的問題を正面からとりあげてえぐりだしたとも、観ることができる。
 まさに観る人の心と時代の空気が、これに評価軸を与える。 ぼんやり見れば、ただの珍しい映像の羅列である。

 たとえばラストの夜の航空撮影で、暗い森の中にほのかに光る靖国神社の灯火を見せ、しだいにカメラが西に向けて行くと、灯火まばゆい東京のビル群が広がる。
 これをこの森に祀る英霊の犠牲のおかげで今日の繁栄があるとみるか、靖国の森の闇が象徴する暗かった時代を乗り越えたらこそ実現した今の繁栄だとみるか、それは観る人によるだろう。

 あるはまた、中国での百人斬り競争の新聞記事や写真のような映像を、残虐と見るのは今の時代の空気による見方であり、反対に英霊を賛美する立場からは勇ましくも戦う兵士の活躍をたたえるものと観ることができる。
 天皇が参拝する映像も、参拝を求める立場からはあんなにもかつては参拝を繰り返していたのだったとありがたく思うだろうし、逆の立場からはA級戦犯合祀以来は参拝しない天皇の立場に思いをいたすだろう。

 このように、右にも左にも、ある種の扇動を与えるかもしれない映画である。その意味ではかなり危険な映画ともいえるのである。かの国会議員たちはそれを感じ取ったとすれば、あたっている。
 しかし、どうも国会議員たちが問題にしたのは、この映画の監督が中国人であるというだけで、ヤスクニ反対映画と先入観の決め付けだったように思われるが、どうだったか。
 まさに時代の空気である。だが結局それは、わたしさえも観にいったごとく、格好の宣伝となったのである。

 もしかしたら映画監督の一枚上手の老獪さに、引っ掛けられたのか。
 作者の意図は一体どこにあるのだろうか。
 いみじくもわたしが野次馬で行ってみた2005年8月15日の靖国神社が、この映画の主な撮影日であった。わたしは長居しないで帰ったのだが、実はこんなにもいろいろなことがあったのだった。どこまでも執拗に追いかけるカメラの野次馬精神には恐れ入った。

 わたしが映像を観て感じたことは、靖国神社の前で英霊をたたえる人たちの、良くも悪くもあまりにもひたむき過ぎていて、どこかアナクロニズム演技に見え、どうしてもカリカチュアライズされやすい姿かたちであった。
 これは映画のなかだけでなく、その日現場にいたわたしが眼で見た風景でもある。あの人たちはそれが戦術なのだろうか。
 現場を追いつめるとともに、資料映像を豊富に並べて、観るものにいやおう無しに考えさせる優秀なドキュメンタリー映画であった。わたしは映画は作れないが、文章でこんなことをやってみたい。

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