2008/08/20

031【文化。歴史】オリンピック作戦Operation Olympicなるものがあったが戦争の作戦だった

 オリンピック作戦と聞いて想像するのは、メダルを取るためのどこかの国の選手養成作戦かと思うが、1945年に実在したそれはそんな平和なものではない。
 連合軍の日本本土上陸作戦の暗号名である。
 わたしは一般に戦記には興味がないのだが、たまたま戦争終結と横浜の当時のことが書いてある『横浜市史Ⅱ第2巻(下)』を読んでいて出てきたので、ここに紹介する。

 1945年2月までに連合軍は太平洋域で勝利を収めると、アメリカ軍統合参謀本部は3月末に暗号名「ダウンフォール作戦」(滅亡作戦か)と名づけた日本本土への侵攻作戦を立てた。
 そのなかに本州上陸の「コロネット作戦」と九州上陸の「オリンピック作戦」とがあった。

 5月25日に決まった「オリンピック作戦」は、南九州に1945年11月1日上陸と確定していた。
 沖縄の次は九州が戦場となる予定であったが、7月16日に原爆実験が成功したことにより、この作戦は転換されたのであった。
 つまり、原爆で日本は11月以前に降伏するであろうとなったのである。そして事実そうなった。

 なんとまあ血なまぐさいオリンピックだ。
 その5年前の1940年には東京オリンピックを開くはずだったのを、日中戦争悪化で返上し、その次の年末には太平洋戦争を開始した。
 1930年の日中戦争開始から15年戦争となったのを終結させるのに、オリンピックが平和の祭典ならぬ戦争の作戦として登場したのは皮肉であった。

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