母校の大学に花見に行った。本館前庭にたくさんの大木にはながさきみだれている。
思えば1957年に入学したときはほんの3mにも届かない若木の林であった。
その林の中を行き交い、毎水曜土曜の山岳部トレーニングの二子玉川マラソンはここから出発して、ここに帰りつき、体操をし、スロープでうさぎ跳び、石垣で岩登り練習であった。
その若木はいまや老木となって、花は美しいが幹は真っ黒で瘤だらけ、つまり、これはわが姿であるのだと感慨を催すのであった。
久しぶりに五反田に行く。
89年から2000年までここにオフィスを構えていた。
90年にその前の道の歩道に桜の若木が植えられた。2年ほどで桜は咲き、2階のオフィスのわたしの席のまん前が花のカーテンとなった。
この桜も道路の上空をトンネル上に覆って、花のカーテンは4,5階あたりになっている。この若木は育ったが、こちとらは年取った。
横浜のわたしの近所では、大岡川の両岸が美しい。屋台がたくさん出ていて、懐かしい花見が風景が広がる。
また、半世紀ほども前までは遊郭だった真金町には、誘客がそぞろ歩きした広い道があり、その中央に桜が植わっている。その昔なら紅灯に映えていたのだろう。
山梨県の塩山市で、昔々数年にわたって仕事をしたことがある。
あそこは今頃は桃源郷にふさわしい景色だ。風景が一面に桃色に霞んでいる。
そこの慈雲寺に巨大な枝垂桜がある。
あれはもう30年も前のこと、その花の下で美しい女性たちがお茶会をしているところに出くわした。上に桜花の瀧、下に緋毛氈の波、そこに和服の女性たち、これはこの世のものとも思えなかった。
能「紅葉狩」は秋の妖怪変化の出来事だが、これは春のそれかと思うばかりであった。
そこを再び訪ねたいと思うばかりで年月がすぎていく、ああ、行きたや、行きたしと思うとすぐに実行しないと、来年があるかどうか分からない年頃になった。本当にそんな悲しいことが、もうあれは10年も前だったか、病を得た飲み友達に起きたことを思い出す。
今日は松田町に花見に行く予定だったが、雨で延期である。
花見にも行くのだが、本来の目的は父が十五年戦争参加の最後の任地、つまり敗戦を迎えたところが松田だったので、父が眺めた風景を見に行こうと思ったのだ。
もしかしたら、父が掘った塹壕の跡があるかもしれない。戦争遺跡を訪ねるのである。
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