数百年を越えて聳え立つていたから、永遠に立つものと誰もが思っていたから、そのあっけなさに驚いたものだ。
あれは生き物であったのだ。遠くから見れば狂気の逆髪のごとく枝葉を天に乱し広げていたし、近くに寄れば巨大な胴周りに気根が牢爺人の瘤か老婆の垂れ乳のごとくにぶら下がり、そろそろ妖怪変化銀杏になる生き物の雰囲気を宿していたものだ。
大銀杏があった頃の景観 |
大銀杏がなくなった今の景観 |
わたしは八幡宮の正面からの写真を、四季に応じてけっこうたくさん撮ってきている。大銀杏が目当てではなくて、社叢森の生態的変化をとらえたいのだ。
大銀杏が消えた八幡宮の正面の風景は、大銀杏が左半分隠していた随身門が、今は全部見えるようになった。さてこれをどう評価するか。
この大石段上の随身門は、若宮大路の南方の遠くからも望むことができる。銀杏がある頃よりもよく見えるようになってランドマークの性格が強くなった。
西欧的な意味ではこれのほうが良いのだろう。
しかし日本のランドマーク性は、むしろ奥深くに見えないところに隠すことによって深まるのだ。伊勢神宮内宮にしても天皇の居所にしてもそうなのである。
その点では銀杏によって見え隠れする八幡宮のほうが日本的な象徴性を持っているのである。
もっとも、それは日本の古代的な思潮であり、仏教が輸入されてからは大伽藍を造って顕示型になったとすれば、八幡宮もながらく八幡宮寺であったのだから、現在のような視覚に仰々しいほうが正しいのだろう。
倒れた大銀杏の根からひこばえが育つのを待つ |
●参照→大銀杏の死
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