2010/03/15

250【ふるさと高梁】大銀杏が死んだ日

 鎌倉の鶴岡八幡宮のシンボル的な大樹の大銀杏が倒れた。樹齢は800~1000年だそうだ。いくうもの気根が垂れ下がっていて、いかにも老木の感じであった。
 1219年に源実朝を暗殺した公暁は、このイチョウに身を隠していて躍り出て刺したという言い伝えがある。樹齢800年ならまだ幼木だから身を隠しようもないが、1000年なら可能だったろう。
 生き物だからいずれは死ぬ運命にある。いつ倒れてもおかしくない樹齢である。
 今の鶴岡八幡宮は大きな樹林に覆われていて、大昔からこのような姿だったと思いがちだが、実はそうではない。明治時代の写真を見ると、大銀杏はあるが裏山は貧相な松の疎林である。江戸時代もそうだったろうが、どこでも山は薪炭林として定期的に切りたおしたから、貧養立地で松林が多かった。
 生態景観は替わっていくものである。ただ、大銀杏のように特別に伝説もある樹木は、生態に文化が付与されるから無理矢理に生かされるのもやむをえないだろう。
 もっとも、銀杏は原始的な種だから移植はやりやすいし、 けっこうしぶとく生き残るものだ。この銀杏も根とヒコバエがすぐに生えて来るだろう。
   ◆◆
 大銀杏といえば、わたしの生家の神社境内の広場の端にも、大人3抱えほどもある大銀杏があった。気根はなかったから樹齢は八幡宮のそれほどではなかっただろう。
 毎年秋になるとたくさんの実を落とす。それを拾い集めて、臭い皮を落とし、種を干す。保存食みたいなものだった。戦争直後の食い物のない時代は、街の人たちも拾い来た。
 その大銀杏を、1950年ごろと思うが、どういうわけがあったのか知らないが切り倒した。多分、神社修復費用調達のために売ったのだろう。
 長方形の広場の角にある大木で、広場方向のほかは崖地だから、切り倒す方向は広場の対角線上の位置のみである。さすがにプロの技だったらしく、みごとにその方向に倒れた。地響きがした。
 誤算は、広場に埋設してあった湧水の排水管が破損したことであった。
 切り株からひこばえが何本も出ては消えていたが、結局は再生しなかった。

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