懐かしや、小泉内閣の時にそのブレーンだった伊藤滋さんが音頭を取って、構想を練っていたのを思い出す。
ソウルのチョンゲチョンに先を越されて、悔しかったらしい。なんか、妙なテーマパークになったような構想図が出てきたことを思いだす。
でも、あの時は、地下案移設ではなくて、まわりのビルを再開発してそこを貫く空中移設案だったような。
日本橋の首都高撤去については、いろいろ言いたいことがある。
ひとつは首都高を地下に潜らせることで撤去を可能にするというのだが、そんな大金をかけて地下道路をつくるなんて、いまさら必要なんだろうか。
もう、都心部の高架高速道路橋そのものが要らない時代に来ているような気がするが、これは交通専門家たちに任せることにする。でも、交通屋さんたちは首都高不要とは絶対に言わないだろうなあ。
わたしが気になるのは、2重橋を下の段の橋だけにしても、もう、昔の景観には決して戻らないことである。景観とは人々の記憶の積層である。
首都高ができる直前の1950年代の景観に戻したいなら、高層ビルの撤去もしなけりゃなるまいが、まさか、そこまで考えてはいないだろう。
映画「三丁目の夕日」に出てくるCGによる1950年代日本橋風景 |
同上 |
戯造日本橋風景 DATEY |
この2重橋の上の段を建設する頃、わたしはたまたま日本橋を通りかかって、川の中で水中に高架橋の柱の下の基礎を支えるコンクリート杭を打ち込んでいる風景に出くわした記憶がある。
真っ黒なヘドロの中に太いコンクリートの丸柱のような杭が、ズブズブズブと挿しこまれていって、その頭を大きな茶筒形の鉄の錘が上下して打ち込んでいく。始めはズブズブ、やがてドカドカ、そしてカーンカーンと、打ち込み音が変っていった。
あれから60年以上、いまやこの2重橋は東京のひとつの風景になってしまった。日本橋とは大きな銘盤がかかる首都高高架橋だと思っている人が多いような気がする。
大きく日本橋と書いてある首都高の高架橋はニセモノ日本橋だよ 実はその下に本物の日本橋があるんだよねえ でも、今や首都高の方が本物日本橋って思われてるかもなあ |
あの景観は、高度成長期出発の頃の負の遺産の様に言われているが、本当にそうだろうか。
わたしはむしろ、高度成長期出発日本の記念碑としての2重橋・日本橋になったように思うのである。かつての風景を知る人よりも、今の風景を記憶の風景とする人の方が多いだろう。それを簡単に撤去してよいものだろうか。撤去論者たちは負の遺産か正の遺産か、考えたことがあるのだろうか。
もちろん、わたしは下の日本橋を渡る時、上の日本橋から降ってくる騒音と排気ガスが無くなることを歓迎し、その点での撤去には大いに賛成である。だが景観としては撤去すればよいものかと、考えこまざるを得ない。
首都高高架橋を撤去しても、この日本橋の2重橋だけは、記念的文化景観として保存してもらいたい。
そして、下の橋に対抗するというか調和させようとの誤解デザインだろうが、妙に着飾った今の高架橋ではなく、できた当初のような素朴な飾り気のないダイナミックなデザインの高架橋に戻してほしいものである。
ヘンに着飾る前の日本橋上空の首都高高架橋 1987年3月4日撮影DATEY |
東京駅が復原の美名のもとに、戦争と復興の記念碑の姿を消滅させた愚を繰り返さないでほしいものだ。
なお、チョンゲチョンも高架橋の柱だけを3本、そのままに川の中に保存している。
ソウルのチョンゲチョン上空の高架橋を撤去した跡に残した3本の橋脚 |
木橋の日本橋 |
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