六十五年前の宿題提出(『鳩舎第三号2018卒寿傘寿記念号』まえがき)

注:2018年12月8日に、高梁中学校1953年卒業同期生たちによる文集『鳩舎第三号2018傘寿卒寿記念号』を発行した。下記はその文集の序文であり、この文集の由縁と意義をわたしが書いた。
わたしが手づくりで発行した
『鳩舎第三号2018卒寿傘寿記念号』
(2018年12月8日初刷29刷発行)

はじめに 六十五年前の宿題提出

 岡山県中西部の吉備高原の南、小さな城下町の高梁盆地、その中央部に高梁中学校がありました。この文集を発行したのは、そこを1953年3月に卒業した同期生たちで、各50人余の5学級がありました。
 その生徒たちが在校中に薫陶を受けた数学教師の望月八重子先生(そのころは小野姓)が今や卒寿、そして今も慕う同期生たちは傘寿となり、思えばはるかな日々が過ぎ去り、超高齢社会に生きています。
 
 そこで卒寿と傘寿の記念として、同期生たちが互いに連絡のつく者たちに呼びかけあって原稿を集め、この『鳩舎第三号2018』を発行したのです。
 今回を第三号というのは、八重子先生が担任だった3年5組で、第一号(1952年12月)と第二号(53年4月卒業記念文集)を既に発行したからです。卒業後のいつの日か第三号を発刊すると言っていて、その宿題をようやく提出することになりました。
 「鳩舎」のタイトルは八重子先生の命名であり、その文集の意義を、第一号掲載の先生筆の巻頭言に述べておられます(103ページに再掲)。

 わたしたちが生れた1937~8年は日本の十五年戦争時代のさなかでした。そして国民学校2年生で敗戦の結末、連合軍占領下の戦後小学校の民主主義教育は、墨塗り教科書から始まります。戦中そのままの教員たちは価値転換に戸惑いつつ授業をしていました。
 戦争が終って5年目の1950年、わたしたちは高梁町・川上村学校組合立高梁中学校に入学しました。その3年前に誕生したばかりの新制中学校は、教員も校舎も設備も実に不十分なものでした。

 しかしその頃から、戦後高等教育を受けた教員が登場してきて、生徒たちは戦中旧制度下の教員たちとの違いを敏感に嗅ぎ分けていました。鳩舎第一号発刊の前年には、東北山村の中学校の学級文集をまとめた『やまびこ学校』が出版されて、民主主義教育実践が評判になりました。
 日本は朝鮮戦争の特需景気で戦後復興へ向かい、対日講和条約締結でようやく占領から脱して、わたしたちはそのような時代の中学生でした。

 教育環境は不全でも、小野先生や望月先生のような新時代へと燃える新たな教師たちに出会って幸運でした。巣立った鳩舎は卒業13年後に消えたので、今や私たちの心が帰巣する先は八重子先生のもとです。
 このたびの第三号は学級誌の枠から発展して、同期生みんなの参加による学年誌として65年を経て発行、先生も教え子も共に深い感慨をもつことでしょう。 
 2018年12月                       (D)

関連ページ 
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