2018/12/08

1372【鳩舎第三号2018】八重子先生!65年前の宿題を提出します

熊五郎:こんちわ、ご隠居、おや、ご機嫌良さそうですね。
ご隠居:うん、さっきね、中学校時代の先生から電話あったんだよ。
:ってことは、もう相当にいい歳のお方でショ。
:うん、90歳を12月8日に迎えるって女性だよ。はやく言えば卒寿のおばあさんだね、でも、声が若かったなあ、話してうるちに昔の中学校の先生に、また叱られてるみたいになって、いやもう懐かしい懐かしい。

:ほう、それでご機嫌なんですか。ご隠居の中学校って言えば、いつのことです?
:アジア太平洋戦争が終わって占領軍の下、1947年から戦後新教育制度が始ったね。その時に生まれたばかりの新制中学校だったね。
:おや、一応は戦前じゃないのか、で、いつです。
:入学は1950年だったね、狭い敷地に急造の木造ペラペラ校舎で体育館も講堂もない、運動場は三角で狭い、隣の鉄道線路の騒音で授業中断、なにしろ教室が間に合わなくて、1年生のときは小学校に間借りしていたよ。

:それじゃあ卒業した気にならないでしょ。まだ戦後のドサクサ時代ですね。
:校舎ばかりか教師もひどかったね、リタイアやら戦地復員の元教師やらの戦前教育の古手ばかり集めるんだが、それでも足りないと仮の教員免許を出すんだよ。
:おやおや、かき集めたり、速成の先生ですか。
:戦中は英語はなかったから教師もいなかった。だから大学に入る前の浪人の若者が仮免許で英語教師だったな。古手英語教師もF発音がヘンなので、「ヘフ」ってあだ名がついたな。

:おやおや。中学生でも教師をちゃんと見てますからね。そんな先生ばかりじゃも困るでしょ。
:2年生になって校舎もできて、戦後高等教育をうけたやる気のある若い教師たちが入ってきたな。そこにはいい先生がいたんだ。電話で話したのはそのひとりだよ。その先生をみんなが慕ったし、卒業後も慕っていまでも一緒に旅行したり、押し掛けたりする教え子グループがあるよ。わたしは卒業後に1度会っただけだけど、手紙のやり取りは年に1回くらいはやってるね。
:へ~、卒寿先生に傘寿生徒かあ、すごいジジババだなあ。

:電話を貰ったのはね、わたしたち同期の教え子たちで、中学時代の宿題を先生に提出したからなんだよ。どうだ、65年ぶりの宿題提出だよ!、すごいだろ。
:うわ、卒業して65年ですか、そりゃなんです? 
:今年は、その八重子先生が卒寿、わたしたち教え子は傘寿となり、両方の長生き記念になにか書いて文集を出そうとなり、『鳩舎・第三号2018卒寿傘寿記念号』のタイトルの記念誌をつくったんだよ。まあ、誌上同期会だね。

:ハハン、例のご隠居の本づくり趣味が役に立ちましたね、というか、本づくり趣味をやりたくて記念誌を作る企画を立てたんでしょ。
:おや、見破られたか。でもまあ趣味が役に立ったよ。第三号というのは、在校中に同名の文集を二号まで発行していたからなんだよ。第三号を卒業後に発行すると言っていたんだね、だから卒業65年後の宿題提出となったんだよ。

:おお、いい話ですねえ、先生の卒寿を祝って、みんな張り切ってお祝いを書きましたか?
:書いたねえ、同期生は1クラス50人余で5クラスあったから、全部で250人余いたらしいね。原稿書くのは10人もいればいいだろうと思っていたら24人も書いて、文集は112ページの厚さになったよ。ほらこれだよ。
:おお、けっこう立派な本ですねえ、本物みたいに見える。ご隠居の手づくりには見えないね。
:おや、褒めてるのかい、ありがとう。
:ぱらぱらとめくると、ほほう、中身は多種多様ですね。先生のへのお祝いとお礼、中学時代の思い出、卒業後の人生軌跡、趣味の芸事披露などなど、おや、尺八
の師匠かしら演奏会のDVDもついてますね。

:わたしの趣味の芸事は、この文集の「本づくり」だよ、原稿集めは同期仲間にやって貰ったが、その編集、装幀、印刷、製本を担当、書斎の机上でPC、プリンタ、紙、カッター、糊、テープなどを駆使しての紙工作をやったね。
:この数日、表に出てこないと思ってたら、これを作ってたんですね。疲れたでしょうね。
:いや、趣味をやってるんだから疲れないよ。

:こんなにちゃんとできて満足でしょ。
:うん、先生からの電話は、これを送ったお礼だったんだよ。文集を先生とこの企画参加の24人に発送したのは、先生が90歳を迎える12月8日に滑り込みで間に合う日だったな。
:この誌上同期会って、集まるにはどうにも歳をとり過ぎたけど、口だけは達者って年寄り向きの企画かもなあ。若けりゃSNSってこともあるけど、傘寿じゃ無理ですね。
:そうだね、Eメール連絡できるのが13人、SNSが通じるのは2人だけだね。

:高齢者のネット参加率は低いですねえ。この本が着いて先生も仲間も喜んだでしょ。
先生からさっそく電話で喜びの言葉を下さった。なんと、あのころの教室での並んでいる生徒一人一人の位置と顔と名前を覚えておられるとのことだったよ。
:もしかしてよっぽどの悪ガキクラスだったとか。
:ははは、悪ガキだった記憶はないけど、こちらは気がつかなかったが、よほど強烈な印象の学級だったらしいなあ。その声を聴いていて、ほとんど忘れていた中学校時代を思い出したよ。

:良い思い出も悪い思い出もあるでしょ。
:わたしは仲間と遊んだ記憶はあるのに、自分でも不思議なほどに学校生活の記憶がないんだよ。そして文集の編集をしながら仲間の原稿を読んでいていろいろ思い出したねえ。いやなこともね。
:ほほう、どんなことです、まさかイジメとか?
:うん、ある古手英語教師からしょっちゅう理不尽に叱られて、こっちは反発して憂鬱な日々だったんだな、早く卒業してあの教師に会いたくない、もうこの中学校を忘れてしまいたいと思っていた中学生だった、ってことを思い出したんだなあ。
:パワハラですね。忘れたいと思っていたから、本当に忘れたってことですかね。
:そうなんだろうなあ、思い出さなきゃよかったよ。まあ、今回の文集の主役の八重子先生が素晴らしい先生だった良い思い出があるから、それと相殺するかなあ。

:ところでこの文集は誰に配るんですか。
:もちろんこの文集企画に参加した人、つまり記事を書いた人で先生も入れて25人だけだよ。公開するって条件で書いてないからね。
:でも、ご隠居の記事だけでも公開してはいかがですか。
:そう、わたしが書いた記事のみを「まちもり通信」に載せておいたよ。「ふるさと懐旧とその後の報告」と題して恩師への人生報告の小さな自伝を書いたよ。

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2015/02/04中学生の時に作ったクラス文集が出てきて読んで不思議な気分


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