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2015/11/04

1143【神宮外苑あたり徘徊②】今日は祭神の誕生日の明治節、神社境内の外苑は祭礼の見世物小屋群で賑わっている

●自然を無理に仕立てる銀杏並木

 神宮外苑を訪れたのは、一昨年の秋に来て以来だ。また同じことを書きそうだが、あの時と違うのは、国立競技場が消えたことである。
 正面ゲートの青山通りから銀杏並木を入っていく。東京は暖かいから、未だ並木の銀杏は黄葉を迎えていない。
 葉張りが隙間があり過ぎるし、樹幹の先端あたりが妙に細く細く立ち上がっているのは、最近になって剪定をしたのだろう。


 銀杏の木の自然の姿は、絶対にこのようにはならない。ばらけて四方に広がるのが自然なのに、ここではわざわざ剪定して不自然な円錘形の銀杏並木をつくるのである。
 それは絵画館(小林正紹デザイン)という明治日本帝国の記念碑に、一点透視で視線を集める仕掛けのひとつとして重要な造園景観なのだ。ヨーロッパに学んだ造園家・折下吉延のデザインである。

 ここではいわば絵画館が神殿であり、参道が銀杏並木である。
 明治天皇の後に立った大正天皇では、カリスマ性の形成がおぼつかないために、明治政府が一生懸命に作り上げた明治帝国という仕掛けが崩れかねない。そこで明治天皇を神に仕立てて明治神宮を作り、その境内地の外苑がここである。
 外苑の土地はほとんどが官有地だったが、土木、建築、造園等の整備の費用は、全国から寄付と人力奉仕を集めた。その方法は官僚機構を使って地方各地に割り当てが及ぶことで、明治国家の末端への浸透を意図する国家事業であり、明治神宮は国営施設であった。
 また、青年団活動を起して勤労奉仕も求めることで、その団体活動は強兵づくりの基礎となった。
 相撲場や競技場を作ったのも、青年たちが兵士として壮健な肉体を養う場としてであり、それはここの前身である青山練兵場の歴史を受け継ぐものである。

●祭神誕生日の祭礼で見世物小屋が立ち並ぶ境内

 さて、今日は、まさにその明治天皇が生れた「明治節」の11月3日、お祭りの日であろう。神社で祭りならば、境内に屋台や見世物が出てきて賑やかなはずである。
 おお、そのとおり、絵画館前広場にはたくさんのテント小屋が立ち並び、なにやら芸事の披露大会をやっているようだ。この賑わいこそが神社境内らしさなのだ。妙に気取った銀杏並木と絵画館のパースペクティブ景観なんて、お呼びでないのである。
 見れば絵画館の右後ろに、なんだか背が高い(名ばかり)マンションのようなビルが建っている。一点透視の焦点が乱れた。東京都都市景観計画の規制は、役に立たなかったのか。
 

 今日は仮設の小屋がたくさん出ているが、ここには常設の見世物小屋もたくさんある。絵画館、神宮球場、第2球場、そして国立競技場(いまは外苑施設ではないが、かつてはそうだった)、ラグビー場が5大見世物小屋である。
 それらはいずれも巨大すぎて、じつは都市計画の風致地区の高さ制限に違反しているのだが、いずれも風致地区指定(1970年)以前に建ったから、既得権がある。
 そのほかにも観客参加兼用見世物小屋として、水泳場、ゴルフ練習場、テニスコート、草野球場、バッティングセンタなどなど、神社境内らしく雑多に立ち並ぶ。

 肝心の絵画館も、その威容を見せるための周囲に階段や噴水や植え込みでデザインしたオープンスペースは、平らなところはどこもかしこも駐車スペースになっており、威容をいや増しに見せるどころか、これも雑多な神社境内風景らしくなった。
 
 この前来た時は、絵画館にむかって左に眼を転じたら、森の上に何やら鉄骨造りの無粋な代物がいくつも立っていて、それはこの境内で最大の見世物小屋だった国立競技場の夜間照明等であった。
 そして今日はそれが消えている。5年後にはまた立っているのだろうか。
2013年には向うに国立競技場の照明塔が見えていた

●外苑の聖なるモニュメントは駐車場扱い

 あまり知られていないようだが、絵画館の真後ろには、聖なるモニュメントがある。ここが神宮外苑となる前の青山練兵場で明治天皇の葬式を行った時に、その棺を安置した葬場殿跡を記念している場所である。
 そのモニュメントは、丸い石組の草の生えた基壇の上に、大きくその葉を茂らせている楠が一本立っているだけである。絵画館の裏庭の、しかも駐車場の中にあって、その雑多なる風景には聖なるモニュメントの風情はない。
 だが実は、外苑の銀杏並木から絵画館への真直ぐなる軸線上の頂点に位置するこここそが、明治神宮の祭神である明治天皇へのフォーカスポイントなのである。



 そこに神殿を設けずに常緑の大樹としたのは、いかにも日本的信仰の形らしい。これは外苑のプランナーであった建築家・佐野利器の考案であったという。
 そのモニュメント大樹のまん前にひろがる絵画館は、いわば絵馬を飾った拝殿みたいなものである。この拝殿は、いかにも西欧王権的な大仰さである。

●2020年再登場する外苑最大の見世物小屋は

 聖なるものは森の中に隠れて奥に居ますべきとする日本的信仰の姿(神宮内苑)と、西欧近代に追いつき追い越せの明治帝国を露骨にプレゼンテイションする姿との間のギャップが、秋の日の外苑の見世物小屋群の喧騒なる風景に見事に現れていて、妙に面白かった。

 さて、2010年に再び姿を現すはずの巨大見世物小屋は、どんな形を見せるのだろうか。ザハ・ハディド案の未来宇宙船が没になったからには、日本の神社境内にふさわしいとして、檜皮ぶき屋根が乗っていて玉垣に囲われて登場するのだろうか、まさか。 
これはわたしの戯作
 しかし、見世物小屋はしょせん見世物小屋、伝統的なテントやヨシズ張りの小屋掛けがいちばん似合う。そんな軽~いデザインを伊東豊雄か隈研吾(どちらもただ今ゼネコンとグルになって準備中)が見せてくれるだろう。
 あ、そうだ思い出した、1964年オリンピックに、神宮内苑の脇に建った代々木の国立体育館(丹下健三デザイン)は、まさにサーカステント見世物小屋そのものであった。
代々木国立体育館

キグレサーカス

(つづく)
参照
◆【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発瓢論集


2015/11/03

1142【神宮外苑あたり徘徊①】消えている今だからこそ見える束の間の風景を探しに消えた国立競技場を観に行く

●東京体育館と絵画館が呼応する期間限定風景

 秋晴れの日、東京ひとり徘徊は、神宮外苑あたりへ、消えた国立競技場を観に行った。
 消えたものは見えないが、消えたからこそ観える風景、5年先には変ってしまうから今でなければ観ることができない束の間の風景を探しに行ってきた。

 まずはこの風景はいかがですか。向うに見える坊主頭は、言わずと知れた神宮絵画館、手前左に大きくかぶさる丸がいくつも重なる建築は、これまた言わずと知れた東京体育館である。傾いている四角な箱は、ゲージツらしい。

 もう少し引いてみるとこうなる。

  東京体育館と神宮外苑絵画館の位置関係はこうである。

●渋谷川の明治公園が消えた

  東京体育館を背にして、消えた国立競技場を観るとこうなる。絵画館の坊主頭から神宮球場まで見える。この風景は、今でなければ見ることはできない。
 つい半年ほど前までは、この向うに国立競技場が立っていて、この風景ではなかったはずである。残念ながらそのころの写真を撮っていない。
 体育館との間には渋谷川が流れている谷間に、明治公園四季の庭があるはずだが、いまや白い板囲いの中の工事現場になっていて樹木を撤去しつつあるようだ。川はどうなるのだろうか。

 この写真に見える黒い庇や階段は、もちろん体育館である。向うの坊主頭の手前の大きな空き地が、消えた国立競技場である。2020年には、ここに新国立競技場が建っていることであろう。

 上の写真を撮っている位置は、下の写真(google street)の外苑西通り左のコンクリート壁上にある東京体育館の裏出入口から右を見おろしている。
 こうやってみると渋谷川の谷間に擁壁を立てたという地形的なせいもあって、体育館も実際にはかなり高い建物になっている。


●現れた懐かしい未来都市のような期間限定風景

 では逆に、坊主頭絵画館の側から東京体育館を見るとどう見えるか。
 絵画館を背にして、競技場撤去工事の板囲いにある透明プラスチック板を通して覗き込んだ。
 おお、消えた国立競技場の跡地の向うに、今だからこそ観えるのは、ロケットと宇宙船そして高層ビルが林立する未来都市だよ~、、、これって、わたしが少年時代の雑誌で観たデジャビュ感のある風景だなあ。
 今や幻となった新国立競技場ザハ・ハディド案も未来型宇宙船であったが、東京体育館は既に地球に降り立った前世期型宇宙船というところか。
 
NTTのタワーとの取り合いが絶妙で、ヘンに懐かしいような。

では、ちょっと悪戯して


●没になったザハ・ハディド案は東京体育館に良く似合う

次は、東京体育館の正面にまわって、千駄ヶ谷駅前の側から眺めると、ふむふむ、こちらから見るともうちょっと近代的宇宙船かもしれない。
 宇宙船つの体育館を大いに意識して、一義的にはこちらとの調和を求めたのであったらしい。
 一方、クラシックな絵画館との関係は、むしろ極端に対比することで記念性をさらに高揚させようと考えたのであろうと、いまさらながら確認したのである。
 実はこのことは、神宮外苑地区地区計画の企画評価書に、それらしいことを記してある。その評価書は、都市計画家の関口太一が書いたのであろう。

これが幻のザハ・ハディド案と東京体育館の並ぶ模型写真
よく似た仲良し母娘みたい

 つぎは、絵画館の方にもいってみよう。(つづく)

参照
◆【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発瓢論集

2015/09/29

1129【新国立競技場騒動】神宮外苑地区に十数年も前から関わり国際コンペの企画や技術支援やら都市計画の変更など本質的なことを担当してきた都市計画家の重い存在

●新国立競技場の建築家たち
 新国立競技場騒動は、佳境に入って来たようだ。この次の騒ぎは、今の公開プロポーザル提出の締め切り後、応募ゼネコン2組の内のどちらが当選するかって時だろう。どちらのゼネコン組にも、有名プロフェッサーアーキテクトが名を連ねている。
 この新国立競技場騒ぎの功績のひとつは、建築家という職業があることが世間に知れ渡ったということだろう。建築士や設計士とどう違うのかしら。

 日本では建築家というものがいるらしいくらいは世間で知っているだろうが、ゼネコンの下請けで仕事してるんだろう、とか、TVのビフォアフタ住宅修理番組に出てくるような大工仕事やってる人なんだろうか、とか、せいぜいそれくらいだろう。
 それが安藤忠雄とか、イギリスのザハ・ハディドとか、槙文彦とその仲間たちとか、けっこう有名建築家たちの名がマスメディアにも、ネットスズメたちの書き込みにも登場した。

 もっとも、スズメやメディアの勘違いも含めて、あんな奇妙な形を選んでとか、あんなデカ過ぎ建物とか、あんな高額な工事費とか、隣まではみ出ているとか、あれこれとボロクソに言われて、気の毒でもあった。
 ここで勘違いとか、気の毒とか言ったのは、デカすぎとか髙すぎとかは、もともとのコンペの条件がそう要求していたから、そうなっているのであって、実のところは応募建築家のせいではないからだ。
 まあ、奇妙な形というか、“生ガキみたいな”のは、コンペの条件ではないが、。

●実は問題の元は都市計画家に
 では、そのデカい高いコンペ条件をつくったのは誰か。もちろんコンペ主催者のJSCだが、JSCには専門家はいないらしく、外部の専門家に委託して作っている。
 その専門家は、建築家ではなくて「都市計画家」である。この件の委託を受けたのは、都市計画設計研究所(以下「都市研」という)、その社長は関口太一である。
 だから、新国立競技場の建築家はザハ・ハディドがなり損ねたが、その都市計画家は既に関口太一が担当している。

 この騒動で建築家はたびたび名が出てきたが、その建築家がああだこうだと計画設計した元を糺せば、実は都市計画家のやった仕事の上に立っていたのだ。
 先般、白紙撤回事件後にできた第三者検証委員会の(カネメだけ)検証レポートが出たが、そこに都市研の役割が書いてある。新国立競技場をどのように作るかについては、この都市研がその機能や規模、配置などについて企画立案し、それをもとに国際コンペ応募要項をつくったのだ。
 だから当初カネメの1300億円は、関口太一による試算であった。

 JSCのウェブサイトに、新国立競技場にかんするいろいろな発注一覧表があり、そこに都市研の名もあるから、ここがあの外苑地区計画をやったのだとは思っていたが、都市計画ばかりかコンペの原案までもやっていたことが分かった。そう、都市計画家は、建築企画もやるのだ。
 その企画した新国立競技場の建築がデカすぎて、旧国立競技場の敷地にハマりきらない、では隣の明治公園と日本青年館を取りこんで敷地を拡大しよう、更に髙さも法的制限をオーバーする、公園が減少してしまう、さてどうしようか、となったのだろう。
 これを解決するには建築設計だけでは処理できないから、都市計画によるしかない。その手法を熟知した都市計画家の出番になったのだろう。

●国際コンペの準備も都市計画家の仕事
 建築家は今度のコンペになってから登場してきたが、都市計画家はそのずっと前から登場していたのであった。だが、世間には見えないままだった。
 すでに2003年には(財)日本地域開発センターにおいて、都市計画学者の伊藤滋を座長とする「明治神宮外苑再整備構想調査委員会」が報告書をまとめているから、このときに都市研が実務作業をしたのであろう。
 この計画策定の費用を負担したスポンサーは、あの辺りの地主たち(JSC,東京都、明治神宮、伊藤忠など)だったのだろうか。
 (後日訂正付記:地域開発センターのWEBサイトによると、「明治神宮外苑再整備構想調査」の実務作業は、都市設計研究所の今井孝之であり、発注者は明治神宮とある。ここにお詫びして訂正する。2015/11/20)
 
 だから国際コンペの10年以上も前から、都市計画家はこれに関わっていたのであった。しかも神宮外苑構想の一部として、新国立競技場を検討していたのだから、風呂敷は大きい。
 それが「神宮外苑地区地区計画」となって実現し、そのうちの新国立競技場関係の部分が、さらに詳細な「再開発等促進区地区整備計画」として、高さや大きさの緩和をもたらしているのだ。
 それ(地区計画は当時は素案だったろうが)にしたがって、コンペ応募の建築家たちはあの多様な案を出してきたのだから、デカくて高くなっているのは当たり前である。
 デカくて高くした元凶(?)の専門家は、建築家ではなくて都市計画家の関口太一なのだ。
 
 わざわざ都市計画という藪をつついて都市計画家という蛇を呼び出すこともないのだが(いや、実はわざと突っついているのだが)、第三者検証委員会報告に都市研の名が出てくるし、国際コンペ審査のための技術調査メンバーには都市研関口太一とも書いてある。
 このへんで都市計画家を縁の下の力持ちから抜け出させて、表舞台に登場する名優へと転換させてもよいだろう。
 考えようによっては、いや考えなくても、実はかなり重要なことを都市計画家はやっているのだから、世の中にきちんと知られ、好評も悪評も含めてきちんと評価されるべき職能であるはずだ。

●都市研・都市計画家の凄腕に吃驚  
都市計画before
 都市研のサイトを見ていたら、ここは新国立モノの御用達都市計画家の感があることに気が付いた。この新国立競技場だけではなく、新国立劇場、国立新美術館、九州国立博物館等の計画に携わっている。新国立劇場は、都市研創立の都市計画・大村虔一(故人)が担当だったことを思い出した。

 東京駅赤レンガ駅舎に関しても、あの低層建築での復元ができたキモとなった新設の特例容積率地区制度に関して、都市研が携わっているのであった。あの保存を決めたのが1988年だったが、それに関してわたしが1985年から5年間ほど携わったことを思い出した。

 さて、この新国立競技場率と神宮外苑の都市計画については、都市計画家・関口太一の凄腕にわたしは吃驚したのである。
 地区計画をもってくるのはこういう時の常套手段だろうが、再開発等促進区型の地区計画を持ち込むととは、思いもよらなかった。それは、再開発等促進区は元は再開発地区計画であり、わたしの理解ではその地区の土地利用を転換し、規模を高度利用のへと大きく変転すべき地区に使うものとばかり思い込んでいたからだ。

 ところが、新国立競技場関連地区の再開発等促進区の地区整備計画では、競技場があったところに競技場が建つのであり、基本的には現在の土地利用の変化はないのである。ただデカくなるので、建築の高さと容積率と街区編成が変る。
 その街区再編成のために、都営住宅と日本青年館を都市公園(新・霞丘広場)に転換するという、いわば逆再開発促進とでもいう再開発に使っているのである。再開発等促進区の「等」にはそれもあるのであったか?
都市計画after

 日本青年館は地区計画内の代替地に移すからまだしも、都営住宅は消滅するのだからまさに住宅を再開発して都市公園にするのである。そういう手もあるのか?
 もちろん、都営住宅を公園用地とするのは余りにも荒業に過ぎて、さすがにこれは都市計画家が発案したのではなくて東京都だろうが、これも都市計画の中に納めたのであった。

 更に大荒業は、都市公園への殴り込みである。
 「明治公園・四季の庭」を敷地の取り込むにあたって立体公園制度を適用して、建物の2階や道路の上空に移してしまうのである。
 四季の庭は、渋谷川の源流部の地中の湧水からの流れがその立地の基本にあるのだが、それが空中に移ったらどうするのだろうか。

 もっとすごいのは、風致地区による建築の高さ制限の突破である。もともと旧国立競技場は高度地区と風致地区指定(1975年)以前に建っていたから、高さ制限を逃れていたのだが、建てなおすとなると高さ制限がかかる。旧競技場よりも低くなるようでは、8万人収容オリンピックススタジアムは納まらない。
 そこでなんと風致地区内建築物の例外的な許可基準を、この地区のために新しく作ったのであった。これは東京都の都市計画技術官僚の仕業かもしれないが、関口が原案を提案したのだろう。なかなかの凄腕である。高度地区制限は地区整備計画で突破した。

 これで、競技場に引き続いて建て替えるらしい神宮球場や第2球場や秩父宮ラグビー場等も、同じように救われるのである。まあ、既存不適格建築であるけれども、あの高さで長年にわたって建っていたから、既得権を法的に追認したってことだろうか。
 
●これからの凄腕は明治神宮外苑公園の開園
 地区計画区域の取り方が、どこかゲリマンダー的なのが気になる。
 どうみても都市計画としては再整備が必要な外苑前駅あたりの中小ビルが建て混む三角地区を地区計画からきれいに外しながら、一方で青山通り沿道部の実体的には整備されている大企業用地を取り込むとか、都営住宅裏の盲腸か出べそのような外苑ハウスの取り込みとか、区域設定がかなり奇妙である。
 地元地主提案型の都市計画であるだけに、なんとなくキナ臭い。

 さて、外苑地区地区計画のなかの次に指定する地区整備計画(神宮外苑全部と秩父宮ラグビー場及び青山通り沿道部等のエリア)が、これからどんな意表を突く内容で出てくるか、関口太一の腕前が楽しみである。(追記を参照)
 ここでの最大の腕の見せ所は、東京都心部でこれだけ広大な未開園の都市公園指定地区を、どうやって全面的に開園に持ち込むかである。これができたら実に凄腕だと思う。例えば特許公園だろうか。

 実情としては、地区計画区域に青山通り沿いの大企業用地を取りこんでいるから、神宮外苑用地が都市公園指定のために使いきれない容積率を、そちらに移転する再開発を企画中に違いない。浜離宮庭園のように、超高層建築群に眺め下ろされる公園になるのだろうか。
 でもそれは余りに常套手段だから、都市公園指定の全部または一部を解除してしまうという、大荒業に行くのだろうか。それはあんまりだよなあ、いや、ありうるかもなあ、例のあの制度をつかえば、、、なんて、妄想を楽しませてくれるのである。

●都市計画家に都市計画批評を
 東京都心部ではいろいろな大規模都市再開発が動きつつあるが、それらが建築家の手によって形を見せる前には、都市計画家の手によってその企画と手法が整えられているってことを、もっと世に知らしめるべきである。
 建築家と共に都市計画家が都市の姿をつくりだしていることに責任を果たすには、社会にその職能を積極的に発信するべきである。
 巨大都市開発への社会的批判が多く聞かれる時代に、建築には建築批評があるごとくに、都市計画にも批評が必要であろう。都市計画ジャーナリズムよ出でよ、である。

 行政や開発事業者の側の都市計画家としてばかりではなく、市民の側の都市計画家のありかたをどう展開するべきか。
 じつはこの新国立競技場騒動は、それを考えるよい機会だから、論争に建築家だけではなくて関係した都市計画家が参戦するのかと思っていたが、そうはならなかった。
 国際コンペの審査員には、都市計画家の岸井隆幸もいたし、その技術調査委員には関口太一もいたのだが、この間の都市計画批判に対して、なんの発言も聞かない。

 最後に卑俗なカネメの話になるが、第三者検証委員会報告によれば、JSCがこれまで発注した金額は、建築家(ザハ・ハディド、日建、梓、日本、アラップ)に対して合わせて45億5千4百万円、都市計画家(都市研)に対しては7千3百万円だそうだ。う~む、2桁も違うなあ。
 とりあえずの2千億円規模の開発でソフトウェア仕事に出された金はこうだから、このあとはどうなるのだろうか。

 (付記) 
・念の為に書いておくが、この記事は目新しい内々情報は何もなくて、すべてネット検索すればわかる公開情報だけをもとにして書いたものである。
・ここでは新国立競技場をテーマにしたので、都市計画家の関口太一をとりあげた書いたが、日本の都市計画家を調べるなら、都市計画コンサルタント協会あるいは日本都市計画家協会に問合せされたい。
・競技場と神宮外苑に関しての当ブログ記事は、立体公園は868、区域どりは869再開発等促進区は870都営住宅消滅は871、特許公園は873、風致地区は877971、容積移転は881、景観は884などを、それぞれ参照されたい。

(追記2015/11/21)
 新国立競技場関連の都市計画家は関口太一であるが、神宮外苑関連の都市計画家は、今井孝之(都市設計研究所)であるらしい。というのは、2003年に都市計画学者の伊藤滋を長とする委員会が明治神宮の依頼で(財)地域開発センターにおいて、「明治神宮外苑再整備構想調査」報告書をまとめており、その委員に今井がいるからである(参照:地域開発センター2003年度事業報告)。現在も今井が継続しているかどうか、わたしは知らない。
 
参照
◆【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発瓢論集

2015/07/25

1112【新国競騒ぎ】第三者検証委員会は建築だけでなく外苑地区の都市計画にさかのぼって検証せよ

●第三者検証委員会は何をどこまでどう検証するのか
 
 新国立競技場の計画が、総理大臣のちゃぶ台返しで、白紙に戻った。
 白紙に戻ったと言っても、もう建てるのをヤ~メタとか、建てるにしてもどこか他のところにするとか、そういうことではないらしい。あくまであそこに建てるのだ。

 いまのところ決まっていることは、こんなものらしい。
①外苑のあの場所を変えない(なんであそこに固執するのかなあ)、
②外観を変える(あの「生ガキ・UFO・ヘルメット」をお嫌いなんだな)、
③工事費を2500億円以下にする(当初約束1300億円には絶対にならないだろうな)、
④2020年東京オリンピックに間に合わせる(ラグビー運動会はあきらめたらしい)、

 さて、このドタバタ喜劇が起きた原因は、なんといっても民主党政権下で起きたあのコンペに原因がある、だから第三者委員会をつくって検証する、ということらしい。
 なんでまた、あんな変な形を選んだのか、あの形がそもそも工事費高騰の原因でしょ、しかも民主党政権下でって言いたい気分が、文科大臣(文句大臣か)にありありと見えるのが、可笑しい。

 実体としては、アベ政権下において、計画から実施へのマネージメントに大きなドジがあったに違いない。
 最後はコストでどんでん返しになったが、コスト計画は最初から最後まで建設事業の基本のことである。どうして予定の1300億の倍以上になっても、中途半端な規模見直しだけで、徹底的な見直しをしなかったのか。
 JSCと契約して担当している設計事務所コンソーシアムのメンバーは、どれも一流どころばかりである、ヘンだ。予算はいくらでも出るからとの方針変更の指示が、どこかであったのか。

 こうなったのは、建築家のザハ・ハディドと日本側の設計事務所コンソーシアムに技術的瑕疵があるのか、それとも発注者JSC側のマネージメントに瑕疵があったのか。
 もしも建築家や設計事務所に瑕疵がないとしたら、なぜ一方的に契約破棄をされなければならないのか。契約破棄に伴う損害賠償を、更に税金を使って支払うことになるとしたら、その責任はアベ政権が負うのか。
 建築家、設計事務所側としては、損害賠償を受領すれば済むのか、契約もしているのに、この仕打ちは名誉棄損になるのか、ならないのか。
 こういう検証もするのだろうか。

●ぜひとも都市計画の検証をせよ

 どうも、工事費が高くなったのでやり直しって、建築のことばかりを白紙見直しの対象にしている様子だが、この巨大建築を許す規制緩和をした都市計画については、白紙見直しには入っているのだろうか。入っているのかもしれないが、いっこうにメディアには出てこないこないのは、どういうわけか。
 あんな巨大なものをあんな狭いところで、しかも都市公園、風致地区という都市計画による土地利用規制の厳しい指定地に建てようとするから、無理が出てこうなったのだ。

 あのコンペに出てきたどの案も、その時点では都市計画規制に違反している案であった。もちろん一等のザハ・ハディド案もそうである。
 だが、オリンピックという錦の御旗のもとに、なにがなんでもあれを建てるんだからとて、都市計画をそれに合わせるように規制緩和をしたのである。
 特に外苑地区の風致地区指定は、都庁の机で許可基準の書類を書き換えるだけで、実体的には除外されたも同然になったのが、すごいことだ。http://datey.blogspot.jp/2014/07/971.html


 もちろんこれらは手続き的には適法であるが、実体的には異例な緩和である。そのあたりも果たして適切なことであったか、たとえ違法性はないしても、当事者たちはどのような認識であったのか、ぜひとも検証してもほしい。

 それには、あのような緩和策を前提としたコンペプログラムの作成段階までさかのぼって、JSCあるいは文科省は、都市計画行政当局とどのような事前摺り合せを行ったか、そこを検証するべきである。
 もし摺り合せができないままにコンペを行って選定したなら、大問題になったはずだ。

 そしてまた、都市計画手続きに於いて、都市計画審議会はどうしたか、都市計画案の縦覧に於いて都民はどのように意見表明したか、その後の市民運動はどう動いたかなどについても、検証してほしい。

 第三者委員会のメンバーがどのような専門家たちになるのだろうか。
 また、例の解散させられたらしい「有識者会議」(無識者か)みたいに、業界団体代表の集まりになるのかもなあ。
 とにかく、お役所追随の都市計画学者ではなくて、ぜひとも建築基準法とか都市計画法とか都市法を分る弁護士を入れてほしいものである。
 外苑地区の都市計画は、今後も変更緩和が行われる予定である。そのためにも、ここでしっかり検証して、大規模開発の都市計画制度の実態を、良くも悪くも知らせてほしい。


参照
◆【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発瓢論集
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html


2014/07/16

971【五輪騒動】新国立競技場計画用地は既に解釈改憲で風致地区除外同然になっているなあ

 2020年世界運動会のメイン会場に予定されている国立競技場の建て替えについて、今度は別の団体がシンポを開いて、批判をしている。
 環境アセスメントの権威者の原科幸彦さんたちである。
http://www.youtube.com/watch?v=vKtdrLUQKRE

 建築家たちの議論が、コンペ基準や審査や都市計画への手続き不信という、どこか後追いの内向き方向なのが、わたしは気になっていたが、どうやら神宮外苑を中心とする環境という外向きの議論に広がってきたのが喜ばしい。
 コンペ手続きのこと、デザインのこと、景観のこと、事業費と税負担のこと等を総合して、オリンピック競技大会がもたらす自然的社会的環境影響評価へと、広い視野を持つ批評へと展開しはじめている。

 だが、この大規模建築事業阻止への戦略・戦術が、まだ見えない。
 手遅れ感も見えるなかで、政界経済界庶民歓迎オリンピック雰囲気のなかで、なにがこれからできるのだろうか。
 シンポの最後にパネラーから、「オリンピックを来なくするのだけはやめて下さいッ!」と発言があったので、わたしのような世界運動会観戦スポーツアホバカ論者には、なんとも居心地が悪い。 

 ところで、先日のシンポジウムの映像を観ていて、気になったことがある。
 新国立競技場の計画地区は、都市計画の風致地区に指定されている。都条例で建築物と敷地についていろいろ制限があるが、分りやすいのは高さを15m以下にせよということである。
 現段階の新国立競技場の高さは65mであるらしい。だから、特別扱いをしなければ建てることができない。
http://www.city.shinjuku.lg.jp/seikatsu/kenchikusc01_000555.html

 シンポ会場から、JIAのメンバーと名乗っている人から発言があった。JIAだけではなんだかわからないが、多分、日本建築家協会の略称だから、この人は建築家なのだろう。だから建築にかかる制度についてはプロのはずだ。

 発言の要旨は、「新国立競技場の建築を、計画通知の手続きで通すには、風致地区を外す都市計画手続きが必要なので、渋谷区や新宿区の区長や区都市計画審議会に、そうしないように働きかける」とのことである。

 だが、どうも、渋谷も新宿も、それはやらないでもOKってことにしてあるらしいのである。
 東京都風致地区条例とその許可基準を読むと、テキはぬかりなく既に2013年から2014年にかけて改定してあって、そのあたりはすらすらとクリアーできるようにしてあるんですなあ、残念ながら、、、。
 それはなんとまあ、神宮外苑の新国立競技場区域に限る「S甲地域」という、特例許可基準を新設してるんですよねえ。SはspecialのSなんでしょうねえ。

 このS甲地域許可基準を読むと、これはもう風致地区の趣旨をを放棄したも同然、つまり解釈改憲じゃなくて解釈改法になっている。
 これなら憲法改訂じゃなかった、風致地区を除外する都市計画変更をするべきだろうが、憲法改訂と同じで、そりゃもう揉めてしまうだろうから、こうやって行政の中でできる許可基準を変えたのだろうなあ。

 JSCは(実務は日建設計+日本設計+梓設計+アラップジャパン)、この許可基準に従って新国立競技場を設計しているに決まっている。
 いや、まてよ、設計に合わせるように許可基準の方を変更した、とするのが正しいかもなあ。

 その中身を簡単に言えば、地区計画で高さが緩和されることになっていれば、風致地区規制もそれに従うってこと。だから、建築都市計画行政としては、75mまで建てることができるように、既になっているのである。だから、建築都市計画行政手続きとしては、都市計画審議会を開いて決定する必要は、既にないのである。

 この風致地区での特別扱いの手続きは、JSCが新国立競技場の計画通知(民間の確認申請に相当する)を通すためには、新宿渋谷両区の区長と協議をすることになっている。
 民間の事業者なら区長の許可だが、国の機関だから協議である。官尊民卑か。法的には、協議しさえすれば、協議が整わなくて物別れになっても、協議した事実があればよいのだろう。まあ、いまどきそうもいくまいから、許可基準を読むと、協議もこれに準じると書いてある。

 で、準じたらどうなるかと言えば、上に書いたように、高さ75mまでOKなのである。
 渋谷区や新宿区の担当役人たちは、だって、こう書いてあるんだもん、いまさらゴチャゴチャいわれも困るんだよなあ、って思っているだろう、、たぶん。
 今になって何かやるとしたら、計画通知が出る前に、許可基準をまた変更させるってことかなあ、それには政治的な働きかけしかなさそうだなあ、、、、。

 このシンポで森まゆみさんが、「東京都の都市計画審議会には、建築の専門家も都市計画の専門家もいないのが、非常におかしい、専門家を入れるべきだ」と言っておられる。
 たぶん、委員の中には、「わたしは専門家だよ」って、いう人ももいそうだが、まあ、なんにも発言せず、審議していないことも事実である。
 まあ、こうやって、都市計画審議会への一般からの関心が高まってくれると、この騒ぎも意義あることだなあと、思わないないでもない。横浜都計審で嫌になってしまった経験者としてはね、、。

 実はこの映像を観たのは、あの名前だけは知っている浜野安宏さんが、どう発言されるんだろうか、ってのが、わたしの興味だったのだが、、え、こんなお方だったのかあ、う~む、、、、、。

 ということで、建築家はその専門領域である都市計画を勉強してほしいなあっていいたい、自ら行動を起そうとしない徘徊老人の小言でした。

参照
【五輪騒動】新国立競技場・神宮外苑・2020五輪運動会騒動瓢論
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html
あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている2013:横浜都計審の実態(要約版)
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning

2014/06/17

937【五輪騒動】新国立競技場の建築計画が先で都市計画が後決めは正しい順序だ

 新国立競技場計画について、喧しい。
 そのなかで、あの建築計画が先にあって、その後からそれに合わせて都市計画(地区計画)を決めたのは実にケシカラン、という意見がまかり通っているようだ。
 順序が違うだろ、先に都市計画があって、あとから建築計画はそれに適合するように作るもんだろ、あべこべだよ、ケシカラン、と考える人がいるらしい。
 つまり違反建築の設計を、あとから法が追いかけて違反でないように法改訂した、というのである。

 この論は、俗受けして分りやすいが、実はおおきく勘違いしている。地区計画を決める場合は、この順序ケシカラン論は間違いなのである。
 なんだか、お上が決めた法律に従えって、そういう論調をわたしは嫌いである。法律だっておかしい時は変えろっていうべきなのだ。
 地区計画をつくっていた昔プランナーとして、この順序論について、ひとこと説教しておきたい。年寄りだから話がくどくなるだろうが、我慢してもらいたい。

 新国立競技場について世に問題としているのは、地区計画の再開発等促進区における緩和規定である。特に高さが問題となっている。
 緩和規定の他に、「ヘンなデザインをするな」との規定も書いてくれていたら、あの競輪ヘルメットデザインも法的に問題にできたかもしれない。そういうことを書くこともできるのだが、それはなかったのが、反対論にはさぞ残念なことであろう。
 わたしはヘルメットデザインを好きとか嫌いとか言わないが(金食い虫には反対だが)、外苑の天皇賛美の風景ぶち壊しに役立つだろうなあ、とは思うのである。

 地区計画の地区整備計画、その中でも特にこの新国立競技場のような緩和型の再開発等促進区を決める場合には、都市計画に先立って建築計画をつくるのが、当然のことなのである。
 当然どころか、そうするべきなのである。順序が違うどころか、それが正しいのである。

 既成市街地のある地区で地区計画を決めるのは、それまでそこに決めていた都市計画(用途、容積、高さなど)のままでは、その地区の良い環境を保ったり、新たな環境を創造するには不都合がある場合に、その地区だけに適する例外措置を決めるということである。

 例外措置だから、どのような例外措置(規制、緩和、付加など)であるか、あらかじめ詳しくその計画をつくらなければならない。
 そのためには建築や道路公園など、例外措置のための建築や道路や公園などの図面や模型等をつくり、風、日照、景観など影響予測調査もして評価し、これならこの地区の適する例外措置であると、事前にしっかりと検証しなければならない。

 その検証結果で、不都合はない、むしろ地区のとってはよい環境となる、となれば、現在の都市計画の例外措置を認める都市計画手続きをする。これが地区計画である。
 だから、その事前建築計画の通りに実行しなければならないように決めるのが地区計画である。極端に言えば、ほかの建築はやってはならないのである。

 事前に建築や道路などの計画がないと、良い環境になるかどうかわからない。だから都市計画に先立って、例外措置の建築等の計画をつくるのは当然なのである。
 これがないままに、内容を厳しく審査しないで漫然と高さや容積率や用途を緩和をする例外措置を認めることは、厳に慎しまなければならないし、してはいけないことなのである。
 漠然を排して、厳密に事前に検討した建築等の計画の通りに導くのである。

 その例外措置の適用をしたい地区の人々は、自らその建築等の計画をつくって検証し、その内容を都市計画提案書として、都市計画の行政庁に提出することができるのである。今回の新国立競技場はそうしているのだ。
 では新国立競技場では、何が問題なのだ。そう、順序ではないのだ。その建築計画や地区計画の内容が、適正であったかどうかということなのである。
 そして、果たして十分な事前検証が行われたか、それがきちんと公開されたか、そして行政手続きは十分に行われたかということが、問題なのである。少なくとも順序は適正であった。

 法的な手続きだけからいえば、遺漏は全くない。東京都の都市計画官僚がそんなドジをするはずがない。役人を擁護する気はないけどね。
 だから、順序に係る手続き遺漏ではなくて、手続きにおける内容の検討が適正になされたか、という点に問題があるのだ。
 ちょっと、くどくなってきたな、もうちょっとだから我慢してね。

 行政内部での内容の検討は、都市計画官僚が自ら定めた再開発等促進区の地区計画運用基準に適合しさえすれば、機械的にOKとなる仕組みである。
 その基準がおかしかろうが、結果がどうなろうが、都市計画官僚はそこまで見ようとしない。
 その段階までは一般市民は全くわからない。

 表に出る都市計画の法的手続きは、計画素案説明会、素案縦覧、意見書提出、公聴会、条例縦覧、法定縦覧、意見書提出、都市計画審議会となる。これらは、それなりにきちんと公開されている。
 だが、一般には都市計画には関心が非常に薄いから、槙文彦さんが言い出すまで、建築家たちの誰もが知らなかったらしい。その槙さんも都市計画手続きは存じではないかもしれない。
 だから、資格がある東京都民の建築家のどなたも縦覧を見ていないし、意見書も出さないし、公聴会で述べることもなさっていないらしい。
 法手続きでは、後だしジャンケンで官僚に勝つことは、死刑囚の再審無罪判決くらいに難しいだろう。

 外苑地区地区計画の議題のある都市計画審議会の議事録が公表されているが(なぜか渋谷区は非公開)、あまりにもずさんな審議の仕方である。まったく審議をしていない。
 これに関連して我田引水をする。わたしは横浜市の都市計画審議会の市民公募委員を2年間つとめたことがあるのだが、一生懸命にやればやるほど、ドン・キホーテか車寅次郎かって有様になるのであった。あまりにその形骸化にガックリとしてしまった。(参照:横浜都計審委員独り相撲物語) 東京都や渋谷区、新宿区の都市計画も同じらしい。
 もう、新国立競技場に関しては、都市計画審議会はご用済みで、出番はない(都市計画変更でもあれば別だが)。

 この後の風致地区の高さ制限を越える緩和については、JSCは国の機関だから渋谷新宿両区の区長(実際は都市計画担当者)と協議(許可はいらない)すればよいのだ。
 まあ、国と区では勝負は決まってるでしょ。それにねえ、、協議とは、協議をすればよいのであって、協議で議が整う必要はないのである。「協議しました」って実績さえあればよいものらしい。
 でもねえ、それどころか、いつのまにやら、国立競技場地区は実態的には風致地区除外のような風致地区運用基準ができているから、国と都が揉めることはあるはずもあるまい。
 とにかく都市計画については、敵は用意周到着々であるぞよ!皆の衆!

 わたしはよく知らないのだが、この後に、景観委員会とか開発審査会とか建築審査会にかかるのかもしれない。そこに都民か区民かが、法による物申す機会がありそうだ。


参照◆新国立競技場と神宮外苑そして2020五輪運動会についての瓢論・弧乱夢
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

 

2014/01/05

884【五輪騒動】都市計画談議(その10)東京って権威的景観がご自慢なのね

その9からの続き)

 「東京都都市景観計画」(2011)なる行政計画があり、そのなかに「首都東京の象徴性を意図して造られた建築物の眺望の保全に関する景観誘導」という項がある。
 その眺望保全には、4つの場所の建物がとりあげられている。国会議事堂、迎賓館(赤坂離宮)、明治神宮聖徳絵画館、東京駅丸の内駅舎である。
 それらを真正面から眺めるにあたって、その後ろあたりに見える高い建物をつくると邪魔だから建てるな、と規制をしている。

 おいおい、どいつもこいつも権力の権化の建物だぞ、近代日本を築く途中に必要だった権力の象徴としての建築である。だから保全するのも権力の景観ってことかよ、よくまあ、こういうものだけを選ぶもんだよなあ。
 もっと庶民の象徴、そうだなあ、例えば東京タワー、あ、そうか、今はスカイツリーか、あるいは浅草観音とか、そういうのじゃ「首都東京の象徴性」にはならないのか、そうかもねえ。

 国会議事堂は、計画開始は明治政府の時までさかのぼって古いが、できたのは1936年である。
言わずもがなの権力の館であり、その姿のまあ権威主義的なことよ。国民の代表が会議をするのに、いまどきこんな姿でいいのかよ。
 その景観を保全しようってのも、なんともはや。こういうのは、本当は街の中にあるべきだろうと思う。あ、デモ隊がやってくるから、街なかじゃあまずいのか、。

 迎賓館は、元赤坂離宮だからまさに王権の館、1909年の竣工で、背伸びする日本の精一杯のコピー建築である。
 でもねえ、正門から眺めると、既に後ろに超高層建築がいくつも建ってますよ。そうか、だからこれからは建てさせないぞってことなのか。
権威景観保全の意味もあるだろうが、迎賓館の要人をビルから狙撃されないようにする対策かもなあ。

 さて、今話題の新国立競技場がらみの明治神宮聖徳記念絵画館は、1926年の竣工であるが、これもまさに王権の象徴である。

 1911年の明治天皇の死によって、明治新政府があわてて発明した明治神宮という王権装置のひとつである。
 江戸時代までは一般民衆はほとんど知らない「雲上人」だった天皇を、明治政府が京都から拉致してきて雲の上からおろして、多くの仕掛けでカリスマ性を付与し、世に見える天皇として新政府の権力集中の核にしたてあげた。
 ところが59歳で急死、その後継の大正天皇は病弱でとてもカリスマ性には欠ける。

 民権運動が盛んになる中、王権利用の統治政策が揺らぎそうだと心配した明治政府が考え出したのが、明治天皇を神様にして祀って、王権のカリスマ性の継続を図った装置が明治神宮である。
 内苑が森の中に隠れて見えない天皇の装置だとすれば、外苑はオープンな西洋式庭園のなかで民衆に見せる天皇としての装置である。

 新国立競技場計画について、明治神宮外苑の歴史的文脈をもって景観問題をとりあげる建築家が多いようだが、まあ、あのような一点透視図画法の模範のような銀杏並木から絵画館を望む景観は、建築家が透視図を習うお手本みたいで、お好きであろう。
 もちろん、その一点透視の視線の集まる先には、権力装置の求心力としての王権の象徴たる絵画館が、待ち受けている。

 あれこそ明治大帝のカリスマを継続する装置としてつくりあげた景観である。
 似たような景観づくりですぐに連想するのは、建築家になれなかったヒトラーがお抱え建築家シュペーアにやらせようとしたベルリン改造計画である。こちらの方が外苑、絵画館よりも後だが。
 大きさはかなり違うが、視線の先の絵画館のあの坊主頭は、ベルリンでヒトラーが大ホールのドームとして議事堂を真似したのかもしれない、と、冗談にしても面白い。

 それにしても絵画館の建築の造型の無骨さは、もう下手としか言いようがないのだけど、たぶん佐野利器のせいだろうなあ。明治の終末を告げる施設としての記念的意義はあるだろうが、造型的には二流である。
 あまつさえ、その建物周りは全部が駐車場になって、聖なる場所としてしつらえられた葬場殿址の楠のまわりも、かつては玉砂利の広場だったのが、今では無粋なアスファルト舗装に白線が引いてある駐車場である。

 芝生と花園であるべき前庭は草野球場となっているし、隣には神宮球場や第2球場そして国立競技場の建物が森の上に頭を出し、無粋な照明塔や金網が高くそびえる。
 管理者の明治神宮は、かつての造られた当時の景観を、それほど大切に保全する気はないらしい。これだけ広大な土地建物の維持費を稼ぐためには、あれこれスポーツ商売に手を出さないわけにはいかないだろう。

 考えてみれば、王権の時代はとっくに終わって、ここを明治天皇の故地と知らない民衆たちが、草野球やテニスやゴルフ打ちはなしに興じる風景は、まさに民主主義の世の中である風景になって、これはまことに好ましいことなのである。
 面白いのは、それらの大衆スポーツの場としての普及に大きな貢献をしたのが、ここを太平洋戦争終結直後に接収したアメリカ軍であったことだ。かれらがつくって、接収解除後も取り壊さずに使ったものが、軟式野球場とテニスコートである。絵画館前の芝生広場は変身して、戦後の大衆スポーツ普及に大いに役立った。
 ときにはデモ行進の拠点にもなって、王権発揚の場は民主主義発揚の場となった。アメリカさんは大衆スポーツと民主主義的風景(権威主義的景観の破壊)を外苑占領の置き土産にし、明治神宮はそれをそのまま戦後の外苑に継承したのであった。

 いまとなっては、絵画館のまわりになにがそびえようが、もうよいではないか。昔の王権的、権威主義的な象徴空間が良かったなんて、アナクロニズムはよしましょうよ。
 そもそも、ここは神社の境内である。境内には昔から露店が立ち並び、サーカス小屋やお化け屋敷があり、門前街には猥雑な土産物屋や旅館街があるのが、日本の伝統風景である。そう、これこそが「神宮外苑の歴史的文脈」の延長線上にあるものだ。
 
 まあ、日本近代における王権空間形成史の記念として、建築あるいは造園史のメルクマールの保全をするならば、あの小判型の道路の内側を徹底的に復元することだろう。
 そのほかは現代の都市公園として。国立競技場も含めて総合的な計画のもとに再開発すればよろしい。同じ都市公園である後楽園遊園地を、よい意味でも悪い意味でもお手本にしてはいかがかな。

 まあ、これはわたしの与太話のように聞こえるだろうが、実は外苑では昔こういうこともあった。
 アジア・太平洋戦争が終わり大きく体制が変り、国営神社だった神宮は宗教法人となり、外苑の土地の帰属が問題となった。国は外苑は宗教に関係ないから国に帰属すると主張した。
 これに対して神宮側は、いやこちらだと争い、民俗学者の折口信夫に理論武装を頼んだ。折口が主張したのは、日本の神社境内は昔から力比べ、弓術、相撲、流鏑馬、競馬、競艇などの遊びをして奉納する場であったから、運動施設のある外苑は宗教の場だ、というものであった。
 そして外苑の土地は神宮の所属になった(時価の半額で売買)。境内地とはそういうものである。もっとも、今では運動施設の経営は宗教活動とはみなされず、課税対象だそうだ。

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追記20151105 ところが今や絵画館の後ろには、なにやら高いビルが建ってしまっているのは、どうしたわけだろうか。やはり明治帝国の権威は、現代商業主義社会には及ばないらしい。
2015年11月3日撮影
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 おっと、忘れそうになったが、東京駅丸の内駅舎は、1914年の竣工である。

 明治政府が全国統治の道具とした鉄道網の「上り」の終点であり、「下り」の出発点である。王権専用の駅舎として、当時の繁華街の京橋に背を向けて建てたのだった。
 この景観計画で保全する眺望の視線の持ち主は、皇居を出てくる天皇であることにご注目を。

 東京駅の後ろに建てるなって言ったって、京橋のほうが東京駅ができるよりずっと前から江戸の中心街として繁栄していたんだぞ。京都からやってきて、江戸城にいつの間にか居ついてしまったお方から、あれこれ言われて一等地にビルを建てさせないって、そんなことはこちとらには通じませんぜ、なんて江戸っ子は言わないのかしら。 
 ついでにこちらもお読みくださいな。 ◆東京駅復原反対論から考える風景の記憶論考

(都市計画ではまだいろいろあるけど、10回も書くとさすがに飽きた、やっぱり景観論のほうがだんぜんおもしろい)

これまでのあれこれ書いてきた一覧はこちらを参照
【五輪外苑騒動】国立競技場改築騒動と神宮外苑再開発騒動瓢論集

2013/12/26

881【五輪騒動】都市計画談議(その9)神宮外苑の公園指定地から隣接の青山通り沿い大企業民有地に容積移転再開発の企みか

その8から続く)

 新国立競技場計画がらみで決めた「神宮外苑地区地区計画」の区域に、国有地でもなく都有地でもなく明治神宮用地でもない、一般の民有地が含まれいることが、わたしの興味をひき、妄想をたくましくさせてくれる。
 スタジアム通り沿いにあるJSCビルになる用地(現・国立競技場西テニス場)の西奥にある「外苑ハウス」のことはすでに書いたが、妄想的推測では建てなおす時に容積率アップを狙っているのだろう。それにしても、ちょっと見には外苑ハウスはいかにもゲリマンダー的である。

 秩父宮ラグビー場の南隣、青山通り沿いのいくつかのビルが建っている土地が、地区計画区域に入っているのが気になる。
 どうせなら、スタジアム通りと青山通りの外苑前交差点まで入れればよさそうなものを、そのあたりの中小ビル群の土地はゲリマンダー的に避けて、大きなビルが建つあたりだけが地区計画の区域に入っている。
 そこには伊藤忠商事本社ビル(22階建て、1980年)と三井不動産が開発した青山OMスクエアー(24階建て、2008年)がある。

 はて、こんな大きな新しいビルが建っているのに、再開発等促進区の地区計画をかけるとは、これらはもう建て直しを計画しているのだろうか。2008年に建ったビルをもう壊すとは、不動産投資が見合うのか。
 再開発事業を行うとすれば、こんなところではなくて外苑前交差点北東のあたりの中低層ビル群の土地ならば、はるかに投資効果がありそうなものを、なぜそこでないのだろうか。まあ、権利者が多くて話ができなかったのであろう(と、思う)。

 妄想を働かせると、伊藤忠商事と三井不動産は、外苑地区の再開発に投資する目的で、この地区計画に参加したのかもしれない。つまりビルの場所に意味があるのではなく、その企業があることに意味があるのかもしれない(と思うのだ)。
 あるいは、伊藤忠本社ビルは30年以上経ったからとての建て替えを目論見ているかもしれない。6年やそこらの青山OMスクエアも壊すのかもしれない。
 でも、そんな大きなビルを壊して建てなおすのに、地区計画が何の役に立つかって思うだろうけど、これが役に立つのですな。

 建て替えるとしたら、いまのビルよりも床面積をかなり大きくしないと、不動産投資としては意味がない。プロの商社や不動産屋が、単なる建て替えをすることはあるまい。
 では建て替えたら、より大きくなる方法は何か。
 考えられるのは、北に隣接する秩父宮ラグビー場と神宮外苑諸施設の土地と合わせた地区整備計画をつくって、容積率移転による容積率の増加である(ような気がする)。


 ラグビー場用地も外苑の土地も容積率は200%だが、風致地区かつ都市公園区域内だから、高さが15mで3階建てまでだし、建蔽率は2パーセント(特別でも10%)まで。
 用途規制も厳しくて、住宅、事務所、商業施設などは不可で、運動施設(野球場や競技場など)、教養施設(植物園、図書館など)、便益施設(売店、レストラン、ホテルなど)などに制限されるから、容積率200%をとても使きれない(ような気がする)。
 いっぽう、青山通り沿いの土地は商業地域、容積率600~700%で、高さ用途ともにほぼ制限なしである。

 そこで、地区整備計画でもって、ラグビー場用地や外苑諸施設だけでは使い切れない容積を、こちらに移転をするのである。東京駅、愛宕山、日枝山王神社などでやったのと同じである(らしい)。ラグビー場用地も外苑用地も広いから、かなりの床面積が移転できるだろう。
 こうすれば青山通り沿いに900か1000%かそれ以上の、丸の内並みの大きな容積率で建てることができて不動産投資効果は上がるし、ラグビー場等も容積を売ったことによる対価を、自分の施設の建設費等に充てることができる(ような気がする)。

 ただし、ラグビー場用地は国有地だから、国有財産を民間開発との関係でいじるとなると、国有財産法の規制や政治的介入やらで、いろいろ面倒なことがありそうだ。
 ところがこんなニュースを見つけた。
スポニチニュースに、「東京五輪後神宮再開発プラン!神宮球場と秩父宮の場所入れ替えへ」とて、野球場とラグビー場を建て替えるにあたって入れ替えをしようという話があると書いてある。

 なるほど、神宮球場の明治神宮所有地と、ラグビー場の国有地を交換するのか。
 こうすれば隣も民有地となって、明治神宮という宗教法人も含めての民民の間での関係となるから、相手が国有地ほど難しくなない(だろう)。
 そうか、今の場所で建て替えたってよさそうなものを、そうやってわざわざ動かすことで開発のやりやすさを考えついたのか、知恵者がいるんだな(と、妄想したのである)。

 ラグビー場は国施設だから税金で建てるだろうが、神宮球場は私営であるから民間資金調達が必要だ。そこで、そうやって神宮球場の建設費を、容積売買で調達しようと算段しているらしい(ような気がする)。
 でも、今の神宮球場もラグビー場も風致地区指定がなかった時に建ったから、あんなに背が高いけど、今は風致地区の制限がある。
 国施設のラグビー場は国立競技場なみに、都との協議で風致地区規制を事実上は不適用にさせて高く建てるかもしれないが、民営の神宮球場は都の許可だから、簡単にそうはいかないだろう。
 まあ、新国立競技場なみに、政治的な働きかけで、いろいろ例外的な適用するのだろう。

 念のために言っておくが、ここに書いたことはすべて私個人の妄想である。本当にこんなことを関係者が考えているかどうか、まったく知らない。
 わたしの趣味としての勝手な都市計画推理遊びである。

つづく 9回も書いてそろそろ飽きたなあ、つづきは都市計画じゃないことを書こうかなあ)

追記2013/12/29
 ここまでに書こうか書くまいかと逡巡していたことがあるが、やっぱり書いておくことにした。
 それはラグビー場(跡地)が、その隣接する複数の民有地と共同して、ある一定の条件下で再開発をするなら、風致地区規制も都市公園制度も外して、ほぼ、どんなものでも建てることができる、完全に合法的な例外的方法があるということだ。
 だが、合法的とはいっても、都市公園指定されている外苑からいえば合理的とは言えない超妄想なので詳しいことは書かない。都市計画プロは知っているだろうから、お前は知らなかっただろうと言われても癪なので、これだけを書いておいた。
 都市計画審議会は、そういう再開発の都市計画が出たら、法の基本に立ち返って真剣に審議してもらいたいと思う。

これまでの論考は「◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2013/12/20

877【五輪騒動】都市計画談議(その8)外苑はほんとうに日本の風致地区指定第1号だったか

その7からの続き)

まず、間違わないように書いておくが、現在の国立競技場用地も戦前戦中は明治神宮外苑の一部であり、かつ明治神宮は国営神社だったから、外苑も国有地であった
戦争が終わり、1947年から全国の神社は宗教法人として国の庇護から外され、国有地であった寺社用地は条件によって、国に返還するか、神社に無償譲与あるいは半額売却かの処分をすることになった。
明治神宮の内苑は無償譲与となったが、外苑については宗教活動施設ではないとして、国は返還を、明治神宮は譲渡をそれぞれ主張してながらく揉めた末に、1956年にようやく半額譲渡、10年賦と決着した。
このとき、競技場用地は国有となり、国立競技場として1964年の東京オリンピック大会のメイン会場となった。

さて、この国立競技場の建て替えによって、明治神宮外苑の景観が変化することについて問題があると、建築家や市民がアピールしている。
そのなかに、都市計画法の風致地区を日本で最初に定めた地区として、実に由緒ある場所であることが引き合いに出され、だから新国立競技場の巨大さが問題という論がある。
風致地区とは、1919年に公布した都市計画法に基づく制度であり、都市地域における自然的環境保全を目的としている。

たしかに、1926年9月14日に明治神宮の内苑外苑に関わる地区に、内務省が日本で最初の風致地区指定をしたのだった。
ただし、指定をした地区の範囲は、内苑でも外苑でもなくて、その外の市街地である。
日本最初の風致地区は、表参道、内外苑連絡道路、代々幡明治神宮線の各道路の沿道部幅18mの民有地と、青山通りの銀杏並木入口部の民有地であった。

要するに、内苑とか外苑とかの明治神宮の土地(いずれも国有地)に風致地区を指定したのではなくて、まわりの民間の土地に変なものを建てさせないように規制をしたのであった。
いわば、官のやることには間違いないが、民は何をやるかわからなくて危ないから規制するってことである。官の無謬性といわれる行為である。
だから、外苑は風致地区第1号だったというのは、正しくないのである。まあ、神宮がらみだから当たらずといえども遠からずの位置ではある。
だが、わたしは、こういう明治神宮の権威を風致に引っ掛けて持ち出すような言い方は、好きになれない。

内苑と外苑の土地に風致地区がかかったのは、1970年のことであり、新都市計画法に基づく指定である。同時に、上に述べた第1号指定の民有地から風致地区が外れた。
現在建っている巨大な建物群、つまり絵画館、国立競技場、神宮球場、第2球場、プールなどは、いずれも風致地区指定以前に建ったものである。
だから今の法制度から言うと違反建築、正しくは既存不適格建築物という。これら全部が不適格なのだから適格に直せと、だれも言わないのが不思議である。

絵画館はこの地の元祖みたいなものだから別としても、そのほかの競技場の建物は、風致地区を都市の緑の空間の保全のための制度だとすると、あきらかに大幅に緑を壊しているし、緑の樹冠の上に頭をつき出して建っている。
だが、いずれも風致地区指定以前だから、風致地区好きなお方でも、これにはまったくしょうがない奴らだ、と言うしかない。

戦前に明治神宮内外苑に風致地区指定をしなかったという官の無謬性の行為は、実は、戦後の新都市計画法による風致地区にも受け継がれたのである。
風致地区内で建築行為は、知事や市町の許可を得なければならない。そして、どのように許可をするかについて、都市計画法の政令で風致地区内の建築の規制条例の基準で定めている。
ところが、そこには国や自治体が行なう行為については許可を要しないと、規定される。つまり国や都の建物は、風致地区の許可基準の外にあるのだ。

だから野放図に建てることができるのではなく、許可のかわりに当局間で協議をすることになっている。もっとも、協議となれば力関係で決まることになるだろう。
国の施設である新国立競技場は、法的には、2種風致地区の高さ15m制限はかからず、2種高度地区の20m制限がかかるのだが、それも地区計画で75m制限に緩和された、という筋書きである。

もちろんこれは法制度上の筋書きであって、風致地区も都市計画だし、地区計画も都市計画、おなじ都市計画法の中で決めるのだから、適切な風致が保たれる計画である、とは必ずしも言えないのはもちろんである。
だから、都市計画審議会や景観審議会などで、専門家が審議したうえで決めるという仕組みがある。
そうやって審議したから、これで風致が保たれることになったとは、必ずしも言えないことももちろんである。そう、第201回東京都都市計画審議会の議事録を読むと、その粗雑さはなかなかなものである。

都市計画が景観形成にどう寄与するのか、しないのか、あるいは邪魔なのか、もうちょっと考えてみたい。(つづく

◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.com/p/866-httpdatey.html

2013/12/10

873【五輪騒動】都市計画談議(その7)外苑は特許公園で再開発するのだろうか

これまで「神宮外苑地区地区計画」の話とは言いながら、実は外苑区域の外の国立競技場がらみの話ばかりしてきた。ここら辺で外苑の中の話にしたい。
それにしてもこの地区計画は、国立競技場の建て直しのために造った感じが濃厚だから、名称からして本当は「国立競技場等地区地区計画」とすべきであったとおもう。
それにもかかわらず、国立競技場の建て直しには直接には関係のない外苑をも地区計画の範囲にして、神宮外苑とわざわざ名付けたのは、なにか魂胆あるに違いない、と、わたしだけではなく誰もが思うはずだ。え、思わない?、わたしだけかなあ、まあ、いいや。

というのは、再開発等促進区の地区計画は、その区域の環境を守るためではなくて、土地利用を大きく変化させることを目的にして定めるものである。とすれば、「計画」なのだからどちらに向かうのか計ることができないようなことを決めることはできない。
そこには将来構想を言葉と範囲だけではなくて、ある程度は具体的な絵もなければ、都市計画を決めることはできないはずである。

ところが、少なくともウェブサイトから見つかる絵は、この1枚だけである。再開発促進区の地区整備計画のある範囲だけで、JSCの地元説明会用資料の一部らしい。ここはこの地区計画の震源地の新国立競技場計画という、極めて具体的な事件が進行中だからあって当たり前である。もっと詳しい図があるはずだが、見つからない。

●地区整備計画区域の構想図

地区整備計画の区域でさえものこの程度だから、他の区域についてはさっぱりわからない。どうにでも解釈できる方針の言葉と、区域を示す図しか見当たらない。都庁の資料室にはおいてあるかもしれないから、いつか行ってみよう。
地区計画図を睨む。団扇というかラケット形のところ(B地区)だけ除いて、ほか全部が再開発促進区である。つまり、ラケットの中は現在の条件を保全するところ、その外の全部のエリアは再開発を促進するところである。

 ●地区計画区域の空中写真

ラケットといっても、グリップ部は道路だから、実態はラケットのフェイス部分の絵画館と軟式野球場についての地区計画である。
絵画館とその周りは外苑発祥の根源的な場所だから、いわゆる歴史的な文脈を受けての保全については、もう誰もが納得せざるを得ない。
では、絵画館前庭の軟式野球場となっているあたりはどうするのか。ごたごた建っている建物を含めて、軟式野球場として保全を続けるのか、それとも当初の設計の形に復元するのか、今後に出てくる地区整備計画と詳細計画図が楽しみである、としか言いようがない。

再開発等促進区の地区整備計画外のエリア(A地区)について、各論的基本方針にはこう書いてある。
「既存スポーツ施設及び関連施設等の更新・再編により、あらたな時代のスポーツに対応した施設の整備を図るとともに、神宮外苑の緑豊かな風格ある都市景観と調和しながら、地区に魅力的なにぎわいを与える商業、文化、交流、業務等機能の集積を図る」
 これって、要するに「何でもあり」ということである。青山通り沿いの民有地もあれば、外苑の宗教法人所有地やTEPIA財団用地もあるから、広く目くばりせざるを得ない。
青山通り沿いあたり民有地はそれでよしとして、問題は外苑地区(B地区以外)で文字通りに再開発等をどのようにするつもりなのだろうか。

地区計画を制定するときは、一般的にはある程度の将来構想をもって内容を定める必要がある。保全型地区計画は分かりやすい将来構想が書きやすいのだが、再開発促進区は簡単ではない。再開発であるから、その将来像は今よりもかなり変化することになる。
その変化することを容認する都市計画だから、少なくともどの方向に変化するかくらいは分かっていないと、都市計画にはならない。

外苑の中は都市計画公園指定区域だから、用途や建蔽率が厳しく制限される。再開発なんてできるものだろうか。それができるのである。
実は東京には、都市計画公園指定区域内の有名な開発事例がある。特許事業として整備した後楽園と芝公園である。
後楽園は、昔からの庭園の小石川後楽園と、東京ドームや遊園地やホテルのある後楽園も、両方とも併せて都市公園であり、小石川後楽園の他が民間による特許事業である。
芝公園も東京タワーなどがある公園だが、超高層建築のプリンスパークタワーのあるあたりは民間特許事業によって開園している。
もしかしてこの特許事業方式で外苑再開発事業をしようともくろんでいるのなら、先例に見るように、神宮球場に屋根をかけた外苑ドームや、外苑遊園地、超高層外苑ホテルができるかもしれない。

●特許公園の後楽園の開発状況(東京ドームもホテルも都市公園) 
ついでにこちらも参照されたしhttps://sites.google.com/site/machimorig0/keikangizo#koraku

●特許公園の芝公園の開発状況(ホテルも東京タワーも増上寺も都市公園)
 
●今後どのように再開発されるのか、明治ドームができるのか、
タワーホテルができるのか、楽しみで気になる明治公園

国立競技場が新国立競技場に替わり、テニス場が巨大JSCビルに変るのは、かなりその方向が詳しくわかっているから、地区整備計画を定めることができた。
そのほかのエリアはまだ詳しいことがわからないから、再開発促進区ではあるが、地区整備計画は定めないということは、分る。
それにしても、外苑地区は特許事業で整備を進めるとしても、どのような将来構想をもっているのか気になるのだが、その構想はどこにあるのだろうか、ないのだろうか。

とにかく、再開発等促進区の地区計画にしては、いくら地区整備計画がないといっても、ある程度の将来構想図くらいはないと、都市環境の将来を決める都市計画として、ほとんど判定できないだろうに、これはいったいどうしたことなのだろうか。
地元の新宿区の都市計画審議会にさえも出していないらしいから、都の審議会にも出していないのだろう。将来構想が分らないままに都市計画決定したとすれば、やっぱり都市計画審議会は、いいかげんなものである(わたしが横浜市都市計画審議会で経験したように)。
今後に出てくる地区整備計画と詳細計画図が楽しみである、としか言いようがない。(つづく
参照◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言い
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

2013/10/11

842【五輪騒動】なぜ今頃になって建築家は新国立競技場の計画案に異議申し立てなのか

 オリンピックの前哨となるそよ風が、建築設計業界に吹きはじめたたらしい。
 国立競技場の建て替え計画で、コンペで一等になったザハ・ハディドの案その絵はこちらに対して、建築家の槇文彦さんが異議申し立てをJIAの会報(2013年8月号)に書いて、動きが出ているようだ。
 本日、それについてのシンポジウムをやるそうである。

 さて、建築(家への悪口)を趣味としているわたしとしては、面白いことになったと模様眺めを楽しむことにするのだが、ちょっと気になることがある。
 このコンペ当選案は、安藤忠雄さんを審査委員長として、鈴木博之、内藤廣、ロジャース、フォスターなどの、れっきとした方々が審査員として選んだ結果である。これが発表されたのは、2012年の11月のことである。問題の根本にあるコンペプログラムはさらに前に公表されている。

 なぜ今ごろになって槙さんは異議を唱えるのだろうか。わたしは異議を唱えるのがいけないと言ってるのではなくて、ずいぶん遅いよなあ、と思うのである。
 さらにまた、槇文彦と言えば今や老大家である。生きのよい若手建築家はどう思っているのだろうか。門下生たちはどうしているのか。実はあの案に賛成なのか。俺ならもっとうまくやるのになあと、思っているのだろうか。

 反対としても、なぜ今まで黙っているのか。国家的行事の施設だから、老大家でなければ異議を唱えにくい今の世の中なのか。実は老大家は、若手から異議申し立てが出るのを待っていたのだが、だれも言わないので腰を上げたのかもしれない。
 なにしろオリピックに異議を唱えるのは、いまや国賊並みだからなあ、アマちゃんを見ないのは非国民だしなあ、、若手がビビるのはわからないでもないような、、。

 本日のシンポジウムは、槙さんを囲んで行われるようだから、どうやら異議申し立ての場であるらしい。出演者など見ると、どうも槇さんの論に対して異を唱える会ではなさそうだ。
 その場には、コンペの審査委員長あるいは審査員のかたがたを招いているのだろうか。あるいはコンペ参加した落選者たちも参加されるのだろうか。そのような方々と一緒にシンポジウムをしてこそ、新たな展開があるだろうとおもうのだが、どうなんだろうか。
 コンペに参加もできずにいて、悔しがっている建築家たちだけで、異議を唱えても迫力がないぞよ、、頑張りたまえ、若手建築家たちよ。

 槙さんの異議申し立てのJIAマガジンを読んだが、ご自分が設計した東京都体育館との対比で論じられると、若干鼻白む感がある。
 また、絵画館との対比についても、わたしはあの王権賛美の出自、威圧的なデザイン(坊主頭を何とかせい)、偏頗な展示内容を大嫌いだから、つい槇論をあまり肯定したくなくなる。
 へそ曲がりのわたしとしては、いっそのことザハ・ハディドの異教徒的空間(わたしには自転車乗りのヘルメットにしか見えないのだが)の出現で、明治神宮内外苑が抱えている20世紀前半の亡霊を追い払ってほしいとさえ思う。


(追記 2013.10.11 2030 face baka書き込み)
 ネット中継でシンポジウムを、たった今見終わった。面白くなかった。
 危惧していた通りに、コンペ審査員も応募者もいない。コンペから外された建築家ばかりが、あれは困るみたいな話ばかりだし、学者は常識的なことしか言わない。
 こうなると、言い出しっぺである槙さんは、それだけでえらいなあ、と、思うばかりであった。
 都市計画に対する異議申し立て発言が多かったが、公園緑地系の専門家をなぜよばなかったのか。
 もしも一等当選者が、建築家協会会員であっても、あるいは日本人であっても、こういっただろうか。一等当選案に負けない巨大建築で応募した建築家に、JIA会員はいないのだろうか。
 どうでもいいけど、壇上の5人全部が東京大学閥でいらっしゃいました。

(追記2013・10・12 face baka書き込み)
 昨日のシンポジウムでも問題なっていた新競技場の高さは、コンペ当選の建築の後追いで、今年6月にそれまでの制限高さ20が75mに緩和される地区計画を都市計画決定しています。
 新国立競技場一等当選案に反対の建築家たちは、もちろん、この縦覧時に反対の意見書をお出しになったのでしょうね。また公聴会で反対意見をお述べになったのでしょうね。
http://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/keikan01_001070.html

 今回の件は、建築計画案がコンペによって先につくられ、後から都市計画(地区計画の再開発促進区)が追いかけていますね。わたしはこの地区計画を6月に見たとき、なんだか順序がヘンだなあと思いました。
  この地区計画決定について、東京都と新宿区の都市計画審議会の議事録を読んだのですが、東京都のほうはいい加減な審議で可決しています。
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/keikaku/shingikai/pdf/giji201.pdf
 新宿区は決定権はなくて意見具申するのですが、こちらはそれなりに問題をとらえて審議をしているようです。でも追及が全然足りませんね。どんな意見具申(まるきり無視されたらしいが)したのでしょうか。
 以前に東京中央郵便局を超高層化して建て替えることについて、やはり建築家たちが反対の集会を建築学会ホールで持ったことがありますが、すでにその超高層計画の都市計画決定がなされた後のことでした。
 わたしはその会場で、いま、反対派の建築家はその都市計画案縦覧時に反対意見書を出したかと聞きましたが、どなたも回答なさいませんでした。
 市民もそうだけど、専門家である建築家が、公開されている都市計画手続きに、日頃から関心を持つ必要があると思います。

参照:現代のプレゼン技術のすごいことよ!
http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/NNSJ/ceremony.html


(追記 2013/10/17)
後だしジャンケン提案。そのうちに解説をここのブログに書きます。(なお、これはパロディですからね、世の中には、時にくそまじめな人がいて、質問されて困るときがあるものですから、念のため)。

   

 参照
建築家たちの新国立競技場デカ過ぎ論には肝心の都市計画問題が抜けている
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnatinalstadium2
◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言いhttp://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

【長屋談議】2020年東京オリンピック新国立競技場はモノスゴイもんだ
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnationalstadium