新国立競技場計画について、喧しい。
そのなかで、あの建築計画が先にあって、その後からそれに合わせて都市計画(地区計画)を決めたのは実にケシカラン、という意見がまかり通っているようだ。
順序が違うだろ、先に都市計画があって、あとから建築計画はそれに適合するように作るもんだろ、あべこべだよ、ケシカラン、と考える人がいるらしい。
つまり違反建築の設計を、あとから法が追いかけて違反でないように法改訂した、というのである。
この論は、俗受けして分りやすいが、実はおおきく勘違いしている。地区計画を決める場合は、この順序ケシカラン論は間違いなのである。
なんだか、お上が決めた法律に従えって、そういう論調をわたしは嫌いである。法律だっておかしい時は変えろっていうべきなのだ。
地区計画をつくっていた昔プランナーとして、この順序論について、ひとこと説教しておきたい。年寄りだから話がくどくなるだろうが、我慢してもらいたい。
新国立競技場について世に問題としているのは、地区計画の再開発等促進区における緩和規定である。特に高さが問題となっている。
緩和規定の他に、「ヘンなデザインをするな」との規定も書いてくれていたら、あの競輪ヘルメットデザインも法的に問題にできたかもしれない。そういうことを書くこともできるのだが、それはなかったのが、反対論にはさぞ残念なことであろう。
わたしはヘルメットデザインを好きとか嫌いとか言わないが(金食い虫には反対だが)、外苑の天皇賛美の風景ぶち壊しに役立つだろうなあ、とは思うのである。
地区計画の地区整備計画、その中でも特にこの新国立競技場のような緩和型の再開発等促進区を決める場合には、都市計画に先立って建築計画をつくるのが、当然のことなのである。
当然どころか、そうするべきなのである。順序が違うどころか、それが正しいのである。
既成市街地のある地区で地区計画を決めるのは、それまでそこに決めていた都市計画(用途、容積、高さなど)のままでは、その地区の良い環境を保ったり、新たな環境を創造するには不都合がある場合に、その地区だけに適する例外措置を決めるということである。
例外措置だから、どのような例外措置(規制、緩和、付加など)であるか、あらかじめ詳しくその計画をつくらなければならない。
そのためには建築や道路公園など、例外措置のための建築や道路や公園などの図面や模型等をつくり、風、日照、景観など影響予測調査もして評価し、これならこの地区の適する例外措置であると、事前にしっかりと検証しなければならない。
その検証結果で、不都合はない、むしろ地区のとってはよい環境となる、となれば、現在の都市計画の例外措置を認める都市計画手続きをする。これが地区計画である。
だから、その事前建築計画の通りに実行しなければならないように決めるのが地区計画である。極端に言えば、ほかの建築はやってはならないのである。
事前に建築や道路などの計画がないと、良い環境になるかどうかわからない。だから都市計画に先立って、例外措置の建築等の計画をつくるのは当然なのである。
これがないままに、内容を厳しく審査しないで漫然と高さや容積率や用途を緩和をする例外措置を認めることは、厳に慎しまなければならないし、してはいけないことなのである。
漠然を排して、厳密に事前に検討した建築等の計画の通りに導くのである。
その例外措置の適用をしたい地区の人々は、自らその建築等の計画をつくって検証し、その内容を都市計画提案書として、都市計画の行政庁に提出することができるのである。今回の新国立競技場はそうしているのだ。
では新国立競技場では、何が問題なのだ。そう、順序ではないのだ。その建築計画や地区計画の内容が、適正であったかどうかということなのである。
そして、果たして十分な事前検証が行われたか、それがきちんと公開されたか、そして行政手続きは十分に行われたかということが、問題なのである。少なくとも順序は適正であった。
法的な手続きだけからいえば、遺漏は全くない。東京都の都市計画官僚がそんなドジをするはずがない。役人を擁護する気はないけどね。
だから、順序に係る手続き遺漏ではなくて、手続きにおける内容の検討が適正になされたか、という点に問題があるのだ。
ちょっと、くどくなってきたな、もうちょっとだから我慢してね。
行政内部での内容の検討は、都市計画官僚が自ら定めた再開発等促進区の地区計画運用基準に適合しさえすれば、機械的にOKとなる仕組みである。
その基準がおかしかろうが、結果がどうなろうが、都市計画官僚はそこまで見ようとしない。
その段階までは一般市民は全くわからない。
表に出る都市計画の法的手続きは、計画素案説明会、素案縦覧、意見書提出、公聴会、条例縦覧、法定縦覧、意見書提出、都市計画審議会となる。これらは、それなりにきちんと公開されている。
だが、一般には都市計画には関心が非常に薄いから、槙文彦さんが言い出すまで、建築家たちの誰もが知らなかったらしい。その槙さんも都市計画手続きは存じではないかもしれない。
だから、資格がある東京都民の建築家のどなたも縦覧を見ていないし、意見書も出さないし、公聴会で述べることもなさっていないらしい。
法手続きでは、後だしジャンケンで官僚に勝つことは、死刑囚の再審無罪判決くらいに難しいだろう。
外苑地区地区計画の議題のある都市計画審議会の議事録が公表されているが(なぜか渋谷区は非公開)、あまりにもずさんな審議の仕方である。まったく審議をしていない。
これに関連して我田引水をする。わたしは横浜市の都市計画審議会の市民公募委員を2年間つとめたことがあるのだが、一生懸命にやればやるほど、ドン・キホーテか車寅次郎かって有様になるのであった。あまりにその形骸化にガックリとしてしまった。(参照:横浜都計審委員独り相撲物語) 東京都や渋谷区、新宿区の都市計画も同じらしい。
もう、新国立競技場に関しては、都市計画審議会はご用済みで、出番はない(都市計画変更でもあれば別だが)。
この後の風致地区の高さ制限を越える緩和については、JSCは国の機関だから渋谷新宿両区の区長(実際は都市計画担当者)と協議(許可はいらない)すればよいのだ。
まあ、国と区では勝負は決まってるでしょ。それにねえ、、協議とは、協議をすればよいのであって、協議で議が整う必要はないのである。「協議しました」って実績さえあればよいものらしい。
でもねえ、それどころか、いつのまにやら、国立競技場地区は実態的には風致地区除外のような風致地区運用基準ができているから、国と都が揉めることはあるはずもあるまい。
とにかく都市計画については、敵は用意周到着々であるぞよ!皆の衆!
わたしはよく知らないのだが、この後に、景観委員会とか開発審査会とか建築審査会にかかるのかもしれない。そこに都民か区民かが、法による物申す機会がありそうだ。
参照◆新国立競技場と神宮外苑そして2020五輪運動会についての瓢論・弧乱夢
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html
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