2015/09/29

1129【新国立競技場騒動】神宮外苑地区に十数年も前から関わり国際コンペの企画や技術支援やら都市計画の変更など本質的なことを担当してきた都市計画家の重い存在

●新国立競技場の建築家たち
 新国立競技場騒動は、佳境に入って来たようだ。この次の騒ぎは、今の公開プロポーザル提出の締め切り後、応募ゼネコン2組の内のどちらが当選するかって時だろう。どちらのゼネコン組にも、有名プロフェッサーアーキテクトが名を連ねている。
 この新国立競技場騒ぎの功績のひとつは、建築家という職業があることが世間に知れ渡ったということだろう。建築士や設計士とどう違うのかしら。

 日本では建築家というものがいるらしいくらいは世間で知っているだろうが、ゼネコンの下請けで仕事してるんだろう、とか、TVのビフォアフタ住宅修理番組に出てくるような大工仕事やってる人なんだろうか、とか、せいぜいそれくらいだろう。
 それが安藤忠雄とか、イギリスのザハ・ハディドとか、槙文彦とその仲間たちとか、けっこう有名建築家たちの名がマスメディアにも、ネットスズメたちの書き込みにも登場した。

 もっとも、スズメやメディアの勘違いも含めて、あんな奇妙な形を選んでとか、あんなデカ過ぎ建物とか、あんな高額な工事費とか、隣まではみ出ているとか、あれこれとボロクソに言われて、気の毒でもあった。
 ここで勘違いとか、気の毒とか言ったのは、デカすぎとか髙すぎとかは、もともとのコンペの条件がそう要求していたから、そうなっているのであって、実のところは応募建築家のせいではないからだ。
 まあ、奇妙な形というか、“生ガキみたいな”のは、コンペの条件ではないが、。

●実は問題の元は都市計画家に
 では、そのデカい高いコンペ条件をつくったのは誰か。もちろんコンペ主催者のJSCだが、JSCには専門家はいないらしく、外部の専門家に委託して作っている。
 その専門家は、建築家ではなくて「都市計画家」である。この件の委託を受けたのは、都市計画設計研究所(以下「都市研」という)、その社長は関口太一である。
 だから、新国立競技場の建築家はザハ・ハディドがなり損ねたが、その都市計画家は既に関口太一が担当している。

 この騒動で建築家はたびたび名が出てきたが、その建築家がああだこうだと計画設計した元を糺せば、実は都市計画家のやった仕事の上に立っていたのだ。
 先般、白紙撤回事件後にできた第三者検証委員会の(カネメだけ)検証レポートが出たが、そこに都市研の役割が書いてある。新国立競技場をどのように作るかについては、この都市研がその機能や規模、配置などについて企画立案し、それをもとに国際コンペ応募要項をつくったのだ。
 だから当初カネメの1300億円は、関口太一による試算であった。

 JSCのウェブサイトに、新国立競技場にかんするいろいろな発注一覧表があり、そこに都市研の名もあるから、ここがあの外苑地区計画をやったのだとは思っていたが、都市計画ばかりかコンペの原案までもやっていたことが分かった。そう、都市計画家は、建築企画もやるのだ。
 その企画した新国立競技場の建築がデカすぎて、旧国立競技場の敷地にハマりきらない、では隣の明治公園と日本青年館を取りこんで敷地を拡大しよう、更に髙さも法的制限をオーバーする、公園が減少してしまう、さてどうしようか、となったのだろう。
 これを解決するには建築設計だけでは処理できないから、都市計画によるしかない。その手法を熟知した都市計画家の出番になったのだろう。

●国際コンペの準備も都市計画家の仕事
 建築家は今度のコンペになってから登場してきたが、都市計画家はそのずっと前から登場していたのであった。だが、世間には見えないままだった。
 すでに2003年には(財)日本地域開発センターにおいて、都市計画学者の伊藤滋を座長とする「明治神宮外苑再整備構想調査委員会」が報告書をまとめているから、このときに都市研が実務作業をしたのであろう。
 この計画策定の費用を負担したスポンサーは、あの辺りの地主たち(JSC,東京都、明治神宮、伊藤忠など)だったのだろうか。
 (後日訂正付記:地域開発センターのWEBサイトによると、「明治神宮外苑再整備構想調査」の実務作業は、都市設計研究所の今井孝之であり、発注者は明治神宮とある。ここにお詫びして訂正する。2015/11/20)
 
 だから国際コンペの10年以上も前から、都市計画家はこれに関わっていたのであった。しかも神宮外苑構想の一部として、新国立競技場を検討していたのだから、風呂敷は大きい。
 それが「神宮外苑地区地区計画」となって実現し、そのうちの新国立競技場関係の部分が、さらに詳細な「再開発等促進区地区整備計画」として、高さや大きさの緩和をもたらしているのだ。
 それ(地区計画は当時は素案だったろうが)にしたがって、コンペ応募の建築家たちはあの多様な案を出してきたのだから、デカくて高くなっているのは当たり前である。
 デカくて高くした元凶(?)の専門家は、建築家ではなくて都市計画家の関口太一なのだ。
 
 わざわざ都市計画という藪をつついて都市計画家という蛇を呼び出すこともないのだが(いや、実はわざと突っついているのだが)、第三者検証委員会報告に都市研の名が出てくるし、国際コンペ審査のための技術調査メンバーには都市研関口太一とも書いてある。
 このへんで都市計画家を縁の下の力持ちから抜け出させて、表舞台に登場する名優へと転換させてもよいだろう。
 考えようによっては、いや考えなくても、実はかなり重要なことを都市計画家はやっているのだから、世の中にきちんと知られ、好評も悪評も含めてきちんと評価されるべき職能であるはずだ。

●都市研・都市計画家の凄腕に吃驚  
都市計画before
 都市研のサイトを見ていたら、ここは新国立モノの御用達都市計画家の感があることに気が付いた。この新国立競技場だけではなく、新国立劇場、国立新美術館、九州国立博物館等の計画に携わっている。新国立劇場は、都市研創立の都市計画・大村虔一(故人)が担当だったことを思い出した。

 東京駅赤レンガ駅舎に関しても、あの低層建築での復元ができたキモとなった新設の特例容積率地区制度に関して、都市研が携わっているのであった。あの保存を決めたのが1988年だったが、それに関してわたしが1985年から5年間ほど携わったことを思い出した。

 さて、この新国立競技場率と神宮外苑の都市計画については、都市計画家・関口太一の凄腕にわたしは吃驚したのである。
 地区計画をもってくるのはこういう時の常套手段だろうが、再開発等促進区型の地区計画を持ち込むととは、思いもよらなかった。それは、再開発等促進区は元は再開発地区計画であり、わたしの理解ではその地区の土地利用を転換し、規模を高度利用のへと大きく変転すべき地区に使うものとばかり思い込んでいたからだ。

 ところが、新国立競技場関連地区の再開発等促進区の地区整備計画では、競技場があったところに競技場が建つのであり、基本的には現在の土地利用の変化はないのである。ただデカくなるので、建築の高さと容積率と街区編成が変る。
 その街区再編成のために、都営住宅と日本青年館を都市公園(新・霞丘広場)に転換するという、いわば逆再開発促進とでもいう再開発に使っているのである。再開発等促進区の「等」にはそれもあるのであったか?
都市計画after

 日本青年館は地区計画内の代替地に移すからまだしも、都営住宅は消滅するのだからまさに住宅を再開発して都市公園にするのである。そういう手もあるのか?
 もちろん、都営住宅を公園用地とするのは余りにも荒業に過ぎて、さすがにこれは都市計画家が発案したのではなくて東京都だろうが、これも都市計画の中に納めたのであった。

 更に大荒業は、都市公園への殴り込みである。
 「明治公園・四季の庭」を敷地の取り込むにあたって立体公園制度を適用して、建物の2階や道路の上空に移してしまうのである。
 四季の庭は、渋谷川の源流部の地中の湧水からの流れがその立地の基本にあるのだが、それが空中に移ったらどうするのだろうか。

 もっとすごいのは、風致地区による建築の高さ制限の突破である。もともと旧国立競技場は高度地区と風致地区指定(1975年)以前に建っていたから、高さ制限を逃れていたのだが、建てなおすとなると高さ制限がかかる。旧競技場よりも低くなるようでは、8万人収容オリンピックススタジアムは納まらない。
 そこでなんと風致地区内建築物の例外的な許可基準を、この地区のために新しく作ったのであった。これは東京都の都市計画技術官僚の仕業かもしれないが、関口が原案を提案したのだろう。なかなかの凄腕である。高度地区制限は地区整備計画で突破した。

 これで、競技場に引き続いて建て替えるらしい神宮球場や第2球場や秩父宮ラグビー場等も、同じように救われるのである。まあ、既存不適格建築であるけれども、あの高さで長年にわたって建っていたから、既得権を法的に追認したってことだろうか。
 
●これからの凄腕は明治神宮外苑公園の開園
 地区計画区域の取り方が、どこかゲリマンダー的なのが気になる。
 どうみても都市計画としては再整備が必要な外苑前駅あたりの中小ビルが建て混む三角地区を地区計画からきれいに外しながら、一方で青山通り沿道部の実体的には整備されている大企業用地を取り込むとか、都営住宅裏の盲腸か出べそのような外苑ハウスの取り込みとか、区域設定がかなり奇妙である。
 地元地主提案型の都市計画であるだけに、なんとなくキナ臭い。

 さて、外苑地区地区計画のなかの次に指定する地区整備計画(神宮外苑全部と秩父宮ラグビー場及び青山通り沿道部等のエリア)が、これからどんな意表を突く内容で出てくるか、関口太一の腕前が楽しみである。(追記を参照)
 ここでの最大の腕の見せ所は、東京都心部でこれだけ広大な未開園の都市公園指定地区を、どうやって全面的に開園に持ち込むかである。これができたら実に凄腕だと思う。例えば特許公園だろうか。

 実情としては、地区計画区域に青山通り沿いの大企業用地を取りこんでいるから、神宮外苑用地が都市公園指定のために使いきれない容積率を、そちらに移転する再開発を企画中に違いない。浜離宮庭園のように、超高層建築群に眺め下ろされる公園になるのだろうか。
 でもそれは余りに常套手段だから、都市公園指定の全部または一部を解除してしまうという、大荒業に行くのだろうか。それはあんまりだよなあ、いや、ありうるかもなあ、例のあの制度をつかえば、、、なんて、妄想を楽しませてくれるのである。

●都市計画家に都市計画批評を
 東京都心部ではいろいろな大規模都市再開発が動きつつあるが、それらが建築家の手によって形を見せる前には、都市計画家の手によってその企画と手法が整えられているってことを、もっと世に知らしめるべきである。
 建築家と共に都市計画家が都市の姿をつくりだしていることに責任を果たすには、社会にその職能を積極的に発信するべきである。
 巨大都市開発への社会的批判が多く聞かれる時代に、建築には建築批評があるごとくに、都市計画にも批評が必要であろう。都市計画ジャーナリズムよ出でよ、である。

 行政や開発事業者の側の都市計画家としてばかりではなく、市民の側の都市計画家のありかたをどう展開するべきか。
 じつはこの新国立競技場騒動は、それを考えるよい機会だから、論争に建築家だけではなくて関係した都市計画家が参戦するのかと思っていたが、そうはならなかった。
 国際コンペの審査員には、都市計画家の岸井隆幸もいたし、その技術調査委員には関口太一もいたのだが、この間の都市計画批判に対して、なんの発言も聞かない。

 最後に卑俗なカネメの話になるが、第三者検証委員会報告によれば、JSCがこれまで発注した金額は、建築家(ザハ・ハディド、日建、梓、日本、アラップ)に対して合わせて45億5千4百万円、都市計画家(都市研)に対しては7千3百万円だそうだ。う~む、2桁も違うなあ。
 とりあえずの2千億円規模の開発でソフトウェア仕事に出された金はこうだから、このあとはどうなるのだろうか。

 (付記) 
・念の為に書いておくが、この記事は目新しい内々情報は何もなくて、すべてネット検索すればわかる公開情報だけをもとにして書いたものである。
・ここでは新国立競技場をテーマにしたので、都市計画家の関口太一をとりあげた書いたが、日本の都市計画家を調べるなら、都市計画コンサルタント協会あるいは日本都市計画家協会に問合せされたい。
・競技場と神宮外苑に関しての当ブログ記事は、立体公園は868、区域どりは869再開発等促進区は870都営住宅消滅は871、特許公園は873、風致地区は877971、容積移転は881、景観は884などを、それぞれ参照されたい。

(追記2015/11/21)
 新国立競技場関連の都市計画家は関口太一であるが、神宮外苑関連の都市計画家は、今井孝之(都市設計研究所)であるらしい。というのは、2003年に都市計画学者の伊藤滋を長とする委員会が明治神宮の依頼で(財)地域開発センターにおいて、「明治神宮外苑再整備構想調査」報告書をまとめており、その委員に今井がいるからである(参照:地域開発センター2003年度事業報告)。現在も今井が継続しているかどうか、わたしは知らない。
 
参照
◆【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発瓢論集

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