2015/11/04

1143【神宮外苑あたり徘徊②】今日は祭神の誕生日の明治節、神社境内の外苑は祭礼の見世物小屋群で賑わっている

●自然を無理に仕立てる銀杏並木

 神宮外苑を訪れたのは、一昨年の秋に来て以来だ。また同じことを書きそうだが、あの時と違うのは、国立競技場が消えたことである。
 正面ゲートの青山通りから銀杏並木を入っていく。東京は暖かいから、未だ並木の銀杏は黄葉を迎えていない。
 葉張りが隙間があり過ぎるし、樹幹の先端あたりが妙に細く細く立ち上がっているのは、最近になって剪定をしたのだろう。


 銀杏の木の自然の姿は、絶対にこのようにはならない。ばらけて四方に広がるのが自然なのに、ここではわざわざ剪定して不自然な円錘形の銀杏並木をつくるのである。
 それは絵画館(小林正紹デザイン)という明治日本帝国の記念碑に、一点透視で視線を集める仕掛けのひとつとして重要な造園景観なのだ。ヨーロッパに学んだ造園家・折下吉延のデザインである。

 ここではいわば絵画館が神殿であり、参道が銀杏並木である。
 明治天皇の後に立った大正天皇では、カリスマ性の形成がおぼつかないために、明治政府が一生懸命に作り上げた明治帝国という仕掛けが崩れかねない。そこで明治天皇を神に仕立てて明治神宮を作り、その境内地の外苑がここである。
 外苑の土地はほとんどが官有地だったが、土木、建築、造園等の整備の費用は、全国から寄付と人力奉仕を集めた。その方法は官僚機構を使って地方各地に割り当てが及ぶことで、明治国家の末端への浸透を意図する国家事業であり、明治神宮は国営施設であった。
 また、青年団活動を起して勤労奉仕も求めることで、その団体活動は強兵づくりの基礎となった。
 相撲場や競技場を作ったのも、青年たちが兵士として壮健な肉体を養う場としてであり、それはここの前身である青山練兵場の歴史を受け継ぐものである。

●祭神誕生日の祭礼で見世物小屋が立ち並ぶ境内

 さて、今日は、まさにその明治天皇が生れた「明治節」の11月3日、お祭りの日であろう。神社で祭りならば、境内に屋台や見世物が出てきて賑やかなはずである。
 おお、そのとおり、絵画館前広場にはたくさんのテント小屋が立ち並び、なにやら芸事の披露大会をやっているようだ。この賑わいこそが神社境内らしさなのだ。妙に気取った銀杏並木と絵画館のパースペクティブ景観なんて、お呼びでないのである。
 見れば絵画館の右後ろに、なんだか背が高い(名ばかり)マンションのようなビルが建っている。一点透視の焦点が乱れた。東京都都市景観計画の規制は、役に立たなかったのか。
 

 今日は仮設の小屋がたくさん出ているが、ここには常設の見世物小屋もたくさんある。絵画館、神宮球場、第2球場、そして国立競技場(いまは外苑施設ではないが、かつてはそうだった)、ラグビー場が5大見世物小屋である。
 それらはいずれも巨大すぎて、じつは都市計画の風致地区の高さ制限に違反しているのだが、いずれも風致地区指定(1970年)以前に建ったから、既得権がある。
 そのほかにも観客参加兼用見世物小屋として、水泳場、ゴルフ練習場、テニスコート、草野球場、バッティングセンタなどなど、神社境内らしく雑多に立ち並ぶ。

 肝心の絵画館も、その威容を見せるための周囲に階段や噴水や植え込みでデザインしたオープンスペースは、平らなところはどこもかしこも駐車スペースになっており、威容をいや増しに見せるどころか、これも雑多な神社境内風景らしくなった。
 
 この前来た時は、絵画館にむかって左に眼を転じたら、森の上に何やら鉄骨造りの無粋な代物がいくつも立っていて、それはこの境内で最大の見世物小屋だった国立競技場の夜間照明等であった。
 そして今日はそれが消えている。5年後にはまた立っているのだろうか。
2013年には向うに国立競技場の照明塔が見えていた

●外苑の聖なるモニュメントは駐車場扱い

 あまり知られていないようだが、絵画館の真後ろには、聖なるモニュメントがある。ここが神宮外苑となる前の青山練兵場で明治天皇の葬式を行った時に、その棺を安置した葬場殿跡を記念している場所である。
 そのモニュメントは、丸い石組の草の生えた基壇の上に、大きくその葉を茂らせている楠が一本立っているだけである。絵画館の裏庭の、しかも駐車場の中にあって、その雑多なる風景には聖なるモニュメントの風情はない。
 だが実は、外苑の銀杏並木から絵画館への真直ぐなる軸線上の頂点に位置するこここそが、明治神宮の祭神である明治天皇へのフォーカスポイントなのである。



 そこに神殿を設けずに常緑の大樹としたのは、いかにも日本的信仰の形らしい。これは外苑のプランナーであった建築家・佐野利器の考案であったという。
 そのモニュメント大樹のまん前にひろがる絵画館は、いわば絵馬を飾った拝殿みたいなものである。この拝殿は、いかにも西欧王権的な大仰さである。

●2020年再登場する外苑最大の見世物小屋は

 聖なるものは森の中に隠れて奥に居ますべきとする日本的信仰の姿(神宮内苑)と、西欧近代に追いつき追い越せの明治帝国を露骨にプレゼンテイションする姿との間のギャップが、秋の日の外苑の見世物小屋群の喧騒なる風景に見事に現れていて、妙に面白かった。

 さて、2010年に再び姿を現すはずの巨大見世物小屋は、どんな形を見せるのだろうか。ザハ・ハディド案の未来宇宙船が没になったからには、日本の神社境内にふさわしいとして、檜皮ぶき屋根が乗っていて玉垣に囲われて登場するのだろうか、まさか。 
これはわたしの戯作
 しかし、見世物小屋はしょせん見世物小屋、伝統的なテントやヨシズ張りの小屋掛けがいちばん似合う。そんな軽~いデザインを伊東豊雄か隈研吾(どちらもただ今ゼネコンとグルになって準備中)が見せてくれるだろう。
 あ、そうだ思い出した、1964年オリンピックに、神宮内苑の脇に建った代々木の国立体育館(丹下健三デザイン)は、まさにサーカステント見世物小屋そのものであった。
代々木国立体育館

キグレサーカス

(つづく)
参照
◆【五輪騒動】新国立競技場建設と神宮外苑再開発瓢論集


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