2016/11/04

1230【豊洲新市場騒ぎ】盛土の有無騒ぎを眺めていて大規模公共事業の構想計画段階と設計建設段階との間の不連続と総合マネージメント欠落の経験を思い出した

 東京の豊洲新市場騒ぎを岡目八目で見ていると、このような公共事業の大規模建築プロジェクトにおける基本的な問題が、わたしの経験からよく分る。
 要するに全体を調整して始まりから終りまでを一貫するマネージメントがないのである。計画は計画、設計は設計とはそれぞれが別のものととらえて進めるのが常なのだ。最後には設計という工学技術と、経営というお金がものをいうのである。
 だから大局的に計画段階前に定めた基本的な理念を、設計段階では忘れさってしまうか、あるいは知っていても顧慮もしないことなるのだ。

 このような大きな事業は、大きく分けて最初の発案から計画づくりまでの段階と、その後に来る設計段階から工事の段階、そして運営段階へと進んでいく。
 この間での連続的なマネージメントがないままに、各段階で完結させようとする力が働いで、事業の齟齬が起きる。
 この問題は、わたしがプランナーとして仕事をしてきて、いつも悩まされたことである。主にわたしが担当してきた計画段階までに決めたことが、あとから来る設計段階でいつのまにか勝手に変更されて、実施に至ることが多いことである。
 この間をつないて総合的に調整をするマネージメントの役割をする人材が不在で、先に決めたことを後から変更する場合にフィードバックがあることは稀である。

 公共事業では、計画段階までは専門家たちによる委員会制によって進めることが多い。そこに専門分野のコンサルタントが加わって、委員会の承認を取りつつ実務作業をおこなって進める。わたしは時には委員になり、場合によりコンサルタントになったりして、基本構想や基本計画の仕事をしてきた経験がある。
 そうして、基本構想書とか基本計画書とかの名称の報告書ができあがって、発注者の公共団体が受け取って、これを所定の手続きで公的計画に定める。そして次に設計段階へと歩を進める。

 ここで問題になるのは、計画段階までは大局的見地から、その事業に意義や思想、そして具体的に何をつくるのか検討するので、ルーチン化した技術ではなくソフトウェアの性格が強いから、その専門家の選定はかなり難しく、委員会等の識者が定めることがほとんどである。
 その計画の後に設計段階となる。時にはプランナーのわたしも、設計段階までかかわることもあったが、ほとんどの場合は、設計段階から別の専門家が登場する。
 それは、設計段階となるとかなりの範囲をルーチン化した技術が主になるので、そのコンサルタント選定は入札方式となるのが通例である。つまり、金額で勝負して決まるからである。
 この間で役所側の担当者や担当部局が変ることが多い上に、実務仕事をする専門家も替わるのだから、計画と設計は一貫しないものとなるおそれが十分にあるのだ。

 そして設計担当者は、ときには計画とは異なる方針を立てて設計をするが、それが計画段階にフィードバックされることはきわめてまれである。多くの場合は、計画は「報告書」として倉庫に入ったまま忘れ去られる。
 その計画段階とは異なるものとなる理由は、計画段階から状況が変化したので、設計段階でそれに対応するために計画を変更することもある。あるいはまた、設計段階の担当者たち独自の判断で計画よりもこの方がよいとして設計に至ることも多い。
 そしてその新たな更新や設計が、計画段階とは異なるものとなっても、計画にさかのぼって検証されることは、わたしのプランナーとしての多くの仕事経験で、そのようなことは一度だけだった。
 それは、わたし自身が企画構想計画から設計工事まで一貫してプロジェクトマネージャーとして関わったという、稀な経験の場合のみである。
 
 さて、これを豊洲新市場騒ぎにあてはめると、まさにピッタリである。計画段階で決めた全敷地盛土は、設計段階で地下空間部には盛土不要と変更となった。
 そしてその変更が、計画段階にフィードバックされることなく、全敷地盛土方針は忘れ去られたのだった。たぶん、ここに悪意は無く、この設計のほうが計画よりもよいと信じた人々によって、その変更方針が支えられたのであろう。
 いや、変更したとさえ気が付かなかったのが真相だろう。つまり計画なんてものは忘れ去られるのが運命なのである。忘れないとしても、計画は計画であり、設計は設計であると、それぞれ別のものとさえ思っているかもしれない。
  
 もしも計画段階に携わった専門家や行政担当者が、設計段階にもかかわっていたら、計画の変更の持つ重大さに気が付いていたただろう。
 だが、豊洲の場合、東京都の担当者たちも定期異動で変わっていただろうし、計画段階の専門家と設計段階のそれとは、異なるコンサルタントに発注されている。
 そして盛土という行為の必要性は、法的に定めたものではないのだから、変更手続きに法的な制約があったのでもない。仕事をしている現場の判断でよいのだ。
 だから、計画段階の盛土方針が、設計段階において軽々に変更されてしまった。そこには盛土よりの地下空間の方が良いのだという、技術的な優位性のみが前提となり、公共事業が持つ社会的な説明責任を忘れたのである。

 では、なぜそれが今になって問題になっているのか。そこに悪意が働いてだれかの利益誘導になっているとか、法的違反行為であるとかならば、問題になると分るのだが、そうではないらしい。
 どうも都の組織の内部的な手続きの遺漏らしい。たとえば議会答弁と実情が食い違っていたとかである。

 技術的には、敷地の盛土しても建築の地下部分は盛土が物理的に盛土が無くなるのが当然であり、そこに「地下空間」が盛土の代わりにできあがるのである。現場の技術者たちがこれを手続き違反ととられて処罰対処になるとは、とうてい考えもしないことだろう。今でもそう思って、なぜ処罰対象になるか不思議だろう。
 
 つまり、偉い人たちに一部で盛土が無くなりますと言わないでいたのがケシカランということらしい。現場を見れば誰でもわかるのに、偉い人たちは気が付かなかったというドジな話を、こんなにジャーナリズムに上げ足とられて、担当者たちは、特に技術者たちは一体何のことやらと仰天しているだろう。
 大山鳴動させたのは、新知事であり、尻馬に乗ったマスコミである。これは大山鳴動鼠一匹となるのだろうか。
 どうも今回の件は、はんにんさがしをしなけりゃならない空気になったものだから、後付けの手続き違反指摘の感が強い。わたしにはそうとししか思えない。 

 ヒマな年寄りに、こうやってダラダラと駄文を書いてヒマツブシする種をつくってくださった、新知事とマスコミに感謝いたします。

関連参照1129【東京豊洲新市場騒ぎ】ムリヤリ犯人つくって新知事オテガラ幕引きにして次はオリピック騒ぎか
 

 

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