金沢と富山では、昔に来てみた街と今の街の変りようを観るという、半分はセンチメンタルジャーニーである。もう旅に出ると言うと、いつも感傷旅行になる。これが人生最後から2番目の長旅かもしれない。
今月7日からカニ漁解禁、さっそく蟹食い旅行でもあった。蟹を買うならなんといっても、金沢の近江町市場である。
この市場は、先年に再開発事業で建て直しされたと聞いたので、あの市場の雑踏・雑多・猥雑・多様さが消えたのだろうかか、そばに建つ村野藤吾設計(1932年)の北國銀行は道路拡幅で壊されたか、金沢の街にまたひとつ超高層ビルが建ったか、などと気になっていた。
2003年2月撮影の北國銀行 村野藤吾設計 1932年 |
再開発となると決まって建つ高層ビルはなくて、地味な形と色の4~5階程度の建築だし、北國銀行はそっくりそのまま曳家して営業しているし、市場の中はあい変わらぬ賑わいと猥雑さで、市場を歩いていてどこを再開発したのか、どこはまだ再開発していなのか、その区別が全く分らない有様である。
おお、この再開発はスゴイ、再開発事業やったのに、まるでやってないかのごとき変わらなさである。低層低容積の建築だし、記念的建築保全もやってるし、市場の猥雑さの再現までもやってる。
こんな再開発事業もやれるんだ、そのような時代が来たか、あるいは再開発手法がここまで成熟したのか。
北國銀行は道路拡幅分を曳家移築して保全 |
近江町市場 左は再開発ビルの市場、右は既存の市場 |
再開発ビルの中の近江町市場 |
1998年、再開発前の近江町市場 |
近江町市場では、あの市場を元の市場のままとするべく再開発したらしいが、それを見事に事業採算にのせたとは、大いに興味がわいた。
制度的には、都市再開発法に基づく第1種市街地再開発事業(都市局採択組合施行)であって特別なことはないのだが、権利者全員が参加し、各種の公的助成制度をとりいれ、事業運営組織を確立して、このような再開発らしくない形にできたらしい。
詳しくはRIAの「武蔵ヶ辻第四地区第一種市街地再開発事業」ページ参照。http://www.ria.co.jp/town-planning-story/kanazawa/
金沢市武蔵が辻地区 2015年 金沢駅からのメインストリートの正面に村野建築がアイストップ |
もちろん忘れずに蟹も食った。再開発でできた市場の2階の海鮮料理屋で、解禁とれたて香箱蟹を賞味した。美味かったので次の朝には市場で蟹を買い込んだが、結局は金沢名所にはどこも行かなかった。
次は、富山の街見物へ、総曲輪あたりの都心部の変化を見たのだが、金沢のような成熟した街づくりの面白さが富山には無いのだった。はっきり言ってつまらなかった。
そして次は上市町へ、そこには昔の山岳部仲間が住んでおり、東京方面から同じ山仲間2人もやってきた。もう山に登れない4人で、能登の地物香箱蟹と菜園の野菜とワインで、夜更けるまでしゃべり続ける宴会であった。
剣岳の麓の町にやってきたからには、センチメンタルジャーニーの仕上げとして、せめて剣岳の姿を麓からでも拝んでから帰りたかったが、あいにくの雨ふりで全く見えなかった、残念。
昨年春の第4腰椎圧迫骨折事故後に初の遠距離旅だったが、その後遺症はカニで治っただろうか。こうして人生最後から2番目の旅を終えた。
次は、富山の街見物へ、総曲輪あたりの都心部の変化を見たのだが、金沢のような成熟した街づくりの面白さが富山には無いのだった。はっきり言ってつまらなかった。
そして次は上市町へ、そこには昔の山岳部仲間が住んでおり、東京方面から同じ山仲間2人もやってきた。もう山に登れない4人で、能登の地物香箱蟹と菜園の野菜とワインで、夜更けるまでしゃべり続ける宴会であった。
剣岳の麓の町にやってきたからには、センチメンタルジャーニーの仕上げとして、せめて剣岳の姿を麓からでも拝んでから帰りたかったが、あいにくの雨ふりで全く見えなかった、残念。
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