横浜能楽堂 |
●夢か現か無限の夢幻能
ほんの短い前場がおわり、つづくアイ語りが前場のシテと同じことを繰り返すので、飽きてきて眠くなってしまった。
シテ「更け行く月の 夜遊をなし
地謡「色なき袖をや 返さまし
ここから序の舞の笛がゆるやかに流れてくる。シテがゆったりと舞いだす。
普通ならここですっかり気分よくなって寝てしまうのに、ややっ、緑の楓の精が舞台を浮かんで空中を舞っているような、、、ああ、緑に金を刷いたゆるやかに長絹がなびく、、、銀色の扇がきらめく、、、おお、なんと美しいことか、。
夢に落ち込むのではなくて、美しさに揺り動かされていっぺんに目が覚めた。
特別な舞ではないのに、この自然の美しさを愛でる序の舞に、今日は惹きいれられ魅せられ、なんだか陶然となってしまった。
公演パンフよりコピー |
能「六浦」を観るのは2回目だ。舞うのは野村四郎、今月で80歳を迎えた。つい先ごろ、遅きに過ぎる人間国宝認定となった。
若い女の姿を借りて楓の木の精が登場、その装束は緑に金が散る長絹の鮮烈さ。
その装束そのものが美しく、それをつける能役者の舞姿がさらに美しく、どの場面を切り取っても絵になる。
囃子と舞姿と地謡が混然とあいまって、舞台に音響と形態との見事な構図を、次から次へと絶え間なく繰り出し続けている。
秋の楓の木の精であるながら、紅葉の色の装束ではなくて、緑色であるところにこの能の面白さがある。この楓の精の木だけが紅葉しないことが、この能のテーマであるからだ。
今日のシテ装束は、萌黄と萌葱の中間あたりの緑色の長絹に、刷毛で横にササッと刷いたように金色が流れている。
その緑の衣のなかから舞い扇が開き出て、その持つ手がわずかに震えて、扇面の銀色が折り目ごとにキラキラと跳ねる。
それは月光を反射しているのか、それとも今を盛りに燃えるもみじ葉が、ハラハラと散る様を映しているのか。
四郎の舞扇は細かく震える癖があり、時には気になるのだが、今日はそれが美しいきらめきに見えるのだった。
シテ「秋の夜の 千夜を一夜に 重ねても
地謡「言葉残りて 鳥や鳴かましき
シテ「八声の鳥も 数々に
地謡「八声の鳥も 数々に 鐘も聞ゆる
シテ「明方の空の
地謡「所は六浦の浦風山風 吹きしをり吹きしをり 散るもみぢ葉の 月に照り添ひてからくれなゐの庭の面 明けなば恥かし 暇申して 帰る山路に行くかと思へば木の間の月の 行くかと思へば木の間の月の かげろふ姿となりにけり
舞い終わってようやく橋掛かりを去りゆく楓の精を見送り、それまで詰めていた息をホッとついたのだった。いつまでもいつまでも舞っていてほしかった。夢幻能ならぬ無限能か。
いま思えば、、わたしはずっと夢の中にいたのかもしれない。美しい夢だった。そのまま醒めねばよかったのに、、。
●前後の面と装束の変化
この能では、面を公募によって選び、その新作の面をつける企画であった。野村四郎が選んだのは、前場は「深井」、後場は「若女」であった。
普通は前後とも同じ面をつけるらしいが、後を若女とした野村四郎の解説にはこうある。
「紅葉しなくなった楓の精の心の変化を表現するには、表情が表側に現れた面ではなく、内に秘めたような隠れた表情を持っている面が相応しい」
もっとも、見所のわたしの席からはその二つの面の違いを明確に判別するほど近くもなく、視力も及ばなかったのだが。
そしてまた、わたしが魅せられた楓の精の明るい緑の装束だが、どうやらこれは日本の古典的な色名では萌黄に近いのだろう、そして前場の装束は萌黄よりも濃い萌葱とわかった。これは姉弟子に教えてもらった。
四郎はそうやって面と装束の色をシンクロさせているのであったか。
舞台写真の代わりに色見本を載せるが、実際はこの萌葱よりも若干濃い色だったような気がする。
なお、この能は、前場と間狂言を省略して、半能にするほうがよいような気がする。
●能「六浦」(観世流) (2016年11月26日 横浜能楽堂)
シテ(里の女・楓の精)野村 四郎
ワキ(旅僧)殿田 謙吉
ワキツレ(従僧)大日方 寛
ワキツレ(従僧)梅村 昌功
アイ(里人)野村太一郎
笛 :杉 市和
小鼓:曽和 正博
大鼓:國川 純
太鼓:小寺 佐七
後見:武田 尚浩 野村 昌司
地謡:浅見 真州 浅井 文義
藤波 重彦 下平 克宏
坂井 音雅 青木 健一
武田 祥照 田口 亮二
●現代の六浦の楓に逢いに行く
能の本筋の話はこれでおしまいだが、若干の余談がある。
その夜に美しい序の舞を頭の中で反芻していたら、そうだ、称名寺に行ってこようとおもいついた。能「六浦」の楓の木があったとされる寺院である。
まえから行ってみたいと思っていたのだが、能とからめて考えたことはなかった。今は紅葉の盛りであるし、思い立ったらすぐに実行するべき年頃(後まわしにする時間がない)だし、次の日に行ってきた。
中世の浄土景観だろうか、伽藍配置はのびのびとして、広い池に赤い橋が架かり、紅葉の秋景色がなかなか良かった。
能蹟としての興味はなかったが、金堂の前にこれがそうだと掲示板がある楓の木を発見した。でも、能とは異なって紅葉をしていた。
能「六浦」にあるこの楓が、やってきた冷泉為相に「早く紅葉しすぎているよ」と歌に詠まれて、それ以後は秋が来ても青葉のままでいることにしたのは、西暦で1300年前後の頃のようだ。
今やそれから700年余、この楓の木も何十代目かだろうから、紅葉しないで常緑のままでいる、つまり紅葉という栄を後進に譲るという(なんだか妙な)自主規制を、いつのころからか解いたのであろうか、それとも気が緩んだか。
その装束そのものが美しく、それをつける能役者の舞姿がさらに美しく、どの場面を切り取っても絵になる。
囃子と舞姿と地謡が混然とあいまって、舞台に音響と形態との見事な構図を、次から次へと絶え間なく繰り出し続けている。
秋の楓の木の精であるながら、紅葉の色の装束ではなくて、緑色であるところにこの能の面白さがある。この楓の精の木だけが紅葉しないことが、この能のテーマであるからだ。
今日のシテ装束は、萌黄と萌葱の中間あたりの緑色の長絹に、刷毛で横にササッと刷いたように金色が流れている。
その緑の衣のなかから舞い扇が開き出て、その持つ手がわずかに震えて、扇面の銀色が折り目ごとにキラキラと跳ねる。
それは月光を反射しているのか、それとも今を盛りに燃えるもみじ葉が、ハラハラと散る様を映しているのか。
四郎の舞扇は細かく震える癖があり、時には気になるのだが、今日はそれが美しいきらめきに見えるのだった。
シテ「秋の夜の 千夜を一夜に 重ねても
地謡「言葉残りて 鳥や鳴かましき
シテ「八声の鳥も 数々に
地謡「八声の鳥も 数々に 鐘も聞ゆる
シテ「明方の空の
地謡「所は六浦の浦風山風 吹きしをり吹きしをり 散るもみぢ葉の 月に照り添ひてからくれなゐの庭の面 明けなば恥かし 暇申して 帰る山路に行くかと思へば木の間の月の 行くかと思へば木の間の月の かげろふ姿となりにけり
舞い終わってようやく橋掛かりを去りゆく楓の精を見送り、それまで詰めていた息をホッとついたのだった。いつまでもいつまでも舞っていてほしかった。夢幻能ならぬ無限能か。
いま思えば、、わたしはずっと夢の中にいたのかもしれない。美しい夢だった。そのまま醒めねばよかったのに、、。
●前後の面と装束の変化
この能では、面を公募によって選び、その新作の面をつける企画であった。野村四郎が選んだのは、前場は「深井」、後場は「若女」であった。
普通は前後とも同じ面をつけるらしいが、後を若女とした野村四郎の解説にはこうある。
「紅葉しなくなった楓の精の心の変化を表現するには、表情が表側に現れた面ではなく、内に秘めたような隠れた表情を持っている面が相応しい」
もっとも、見所のわたしの席からはその二つの面の違いを明確に判別するほど近くもなく、視力も及ばなかったのだが。
そしてまた、わたしが魅せられた楓の精の明るい緑の装束だが、どうやらこれは日本の古典的な色名では萌黄に近いのだろう、そして前場の装束は萌黄よりも濃い萌葱とわかった。これは姉弟子に教えてもらった。
四郎はそうやって面と装束の色をシンクロさせているのであったか。
舞台写真の代わりに色見本を載せるが、実際はこの萌葱よりも若干濃い色だったような気がする。
なお、この能は、前場と間狂言を省略して、半能にするほうがよいような気がする。
●能「六浦」(観世流) (2016年11月26日 横浜能楽堂)
ワキ(旅僧)殿田 謙吉
ワキツレ(従僧)大日方 寛
ワキツレ(従僧)梅村 昌功
アイ(里人)野村太一郎
笛 :杉 市和
小鼓:曽和 正博
大鼓:國川 純
太鼓:小寺 佐七
後見:武田 尚浩 野村 昌司
地謡:浅見 真州 浅井 文義
藤波 重彦 下平 克宏
坂井 音雅 青木 健一
武田 祥照 田口 亮二
●現代の六浦の楓に逢いに行く
能の本筋の話はこれでおしまいだが、若干の余談がある。
その夜に美しい序の舞を頭の中で反芻していたら、そうだ、称名寺に行ってこようとおもいついた。能「六浦」の楓の木があったとされる寺院である。
まえから行ってみたいと思っていたのだが、能とからめて考えたことはなかった。今は紅葉の盛りであるし、思い立ったらすぐに実行するべき年頃(後まわしにする時間がない)だし、次の日に行ってきた。
中世の浄土景観だろうか、伽藍配置はのびのびとして、広い池に赤い橋が架かり、紅葉の秋景色がなかなか良かった。
能蹟としての興味はなかったが、金堂の前にこれがそうだと掲示板がある楓の木を発見した。でも、能とは異なって紅葉をしていた。
能「六浦」にあるこの楓が、やってきた冷泉為相に「早く紅葉しすぎているよ」と歌に詠まれて、それ以後は秋が来ても青葉のままでいることにしたのは、西暦で1300年前後の頃のようだ。
今やそれから700年余、この楓の木も何十代目かだろうから、紅葉しないで常緑のままでいる、つまり紅葉という栄を後進に譲るという(なんだか妙な)自主規制を、いつのころからか解いたのであろうか、それとも気が緩んだか。
称名寺金堂前にあるこの楓の木が能「六浦」にある 能にあるように紅葉しない楓であると掲示があるが、実際は紅葉している |
参照:趣味の能楽等鑑賞記録
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