2017/06/02

1269【東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド1】今見る東京駅赤レンガ駅舎は4代目の姿

東京駅周辺まち歩き独断偏見ガイド(1)
まちもり散人

 みなさま、ようこそ。本日の現代まちづくり塾東京駅周辺まち歩きガイド役・まちもり散人こと伊達美徳です。ガイドすると言ったって、わたしはこの地域に何の関係もないので、独断と偏見に満ちた似非ガイドでございます。説明をあまり信用しないで各自適当にご判断下さいませ。
 若干の関係があったと言えば、30年ほど前に政府が東京駅周辺の再開発調査をしたことがありますが、そのときの作業班コンサルタントのひとりで、東京駅赤レンガ駅舎保全の調査担当だったことくらいなものです。
 ガイドするのは初めてではなくて、大学での野外講義として学生たちを引き連れて何度も来ました。今回のように大人団体にレクチャーするのは初めてで、どんな質問をいただくか楽しみです。

 まず、本日のガイド資料をご覧ください。A4版8ページです。
 簡単に今日のルートと狙いをお話します。ガイド資料1ページのこれをご覧ください。

 まち歩きテーマは『近現代都心景観変転史の現場を歩く』としましょう。
 このあたりの超高層景観はこんなぐあいに出現してきましたね。
・高さ50尺時代→100尺時代→45m時代→100m時代→無限時代
・1966年丸の内美観論争が起こり超高層景観時代へ、
・1977年東京駅建替論争そして歴史景観保全試行時代へ
・1988年東京駅現地形態保全が決まり保全と開発実施時代へ
・2001年特例容積率適用区域指定により百鬼夜行超高層時代へ

 このマップのから順番に説明して歩くつもりですが、途中で気が変るとか疲れてやめるかもしれません。
 その番号の場所ごとの見どころを書いておきます。 
①東京駅丸の内駅舎(重要文化財、特例容積放出900%→200%)
・1914年創建の姿は日清日露日独戦勝の記念碑
・1945年空爆炎上→1947年修復の姿は敗戦と復興の記念碑
・建築家伊藤滋の修復デザインは焼いたアメリカへの復讐戦だったか?
・西の原爆ドームと東の東京駅は日本の双璧の戦争記念碑だった
・1988年政府調査の八十島委員会で「現在地で形態保全」と決定
・調査担当したわたしは戦後形態で保全せよ復元反対と唱えていたが
・2012年3階と屋根ドームをレプリカ再現し外装を全体的に修復
・低層低容積率で保全のために未利用容積移転で工事費500億円調達
・衣装と化粧代を稼ぐため身売りした超高層ビル6本の日陰者に

②東京中央郵便局→JPタワー(東京駅から特例容積受取1300%→1520%)
・1933年創建→2012年一部保存一部曳家保存で前面腰巻保存
・モダン建築だから保存市民運動は東京駅ほどには盛り上がらず
・ヘルムート・ヤーンのデザインはNY9・11事件のパロディか?

③三菱一号館→三菱一号館美術館(東京駅から特例容積受取1300→1520%)
・1894年創建→重文指定を嫌って1968年抜き打ち解体撤去→
・跡地等に建つビル2棟と隣接の1928年創建八重洲ビルを撤去→
・2009年レプリカ再現三菱一号館美術館と丸の内パークビル建設
・重要文化財指定狙いは失敗

④明治生命館(重要文化財)→丸の内マイプラザ
・1934年創建、共同化した隣接地に容積移転して保全

⑤第一相互館→DNタワー
・1938年創建、1945年から占領軍の最高司令部となりマッカーサーがいた
・共同化した隣接地に容積移転して保全

⑥行幸通り(参照:資料4:景観の変化を追う)
・1966年天皇タブーに触れた東京海上超高層計画の今は?
・高さ100mで手打ちしたのにまわりは200mか
・東京駅復元で何が変ったのか。
・そのうちに東京駅も超高層建て替え時代が来るかも

⑦東京銀行集会所→東京銀行協会ビル→?
・1916年創建の銀行協会を1993年にカサブタ腰巻保全して超高層ビルに
・現在またもや取り壊して超高層に改築中だが今度はどんな保全か楽しみ

⑧日本工業倶楽部会館(三菱銀行本店ビル特例容積放出1300-1235)
・1920年創建→2003年半分保存と半分レプリカ再現で復元
・なんだかかなり窮屈無理無理保全の感じ

⑨新丸ビル(東京駅特例容積受取1300%→1665%:丸の内で最高容積率)
・7階オープンテラスから眺める東京駅、JPタワー、八重洲の街

 ここから先は行けたら行くってことで。
⑩日本ビルなど(個人的に懐かしいビル)
・ただ今5棟取り壊し再開発事業日本一超高層ビルに建替とか

⑪東京駅八重洲口駅舎等(特例容積受取900%-1304%)
・1929年電車乗降口開設→1948年八重洲新駅舎開設→翌年炎失
・1947年外堀埋立、1948年八重洲駅ビルの鉄道会館・大丸開館

 さて、
 ここは東京駅丸の内駅舎の南口ドームの真ん中、ここから出発します。
 頭の真上をご覧ください。なんともハデハデ飾り丸天井ですねえ。白いカラスがとまってる、いや、ハトですかねえ、動物のようなのも何匹かて、どうも十二支らしいですよ。手の込んだ日本的な工芸的な装飾で、この洋風建築に似合ってるんでしょうか。


  このコテコテ装飾天井が現れたのは2012年ですが、その前はこれと全く違って、ローマのパンテオンドームみたいでしたね。
 四角な格子部品を立体的に組み立てた半球天井で、余計な飾りのないモダンとクラシックが調和したなかなか良いデザインでしたね。
 1947年にできたそれは、敗戦で用無しとなった戦闘機の材料と製造技術だったという、時代の背景を伝えるものでした。それを取りはずしてこれに作り替えたのです。


この東京駅丸の内駅舎の建物が最初にできたのは1914年でした。日本は19世紀末から10年おきに日清、日露、日独(第1次大戦)の戦争をやって連勝してきました。
 日本の中央駅として建てられたこの東京駅は、その開業イベントに中国のドイツ領で対独戦争に戦勝した将軍の凱旋行事に合わせました。
 この駅は、明治日本帝国の戦勝記念碑であり、その帝国統合の中心である天皇のための駅であったのです。正面を皇居に向け、行幸道路をまっすぐに設け、天皇専用の玄関が中央にありました。エイド時代からの繁華街である京橋、日本橋、銀座のある八重洲側には、開業から15年間も出入口がありませんでした。
 太平洋戦争の末期1945年5月25日の深夜、東京駅はアメリカ軍の空爆を受けて燃えてしまいました。このときは皇居も炎上し、消防隊はそちらが忙しくて、東京駅は燃えばかりだったとか。8月15日、日本4連勝ならず大敗戦、復興日本の出発です。
1945年5月25日深夜に炎上した東京駅の北口ドーム
9月から燃え残ったレンガ壁とコンクリ床を再利用して修復にとりかかり、1947年に一応の姿になりました。さきほどのアルミ半球天井が現れたのはその時です。
 それから60年、それを戦前の姿に戻そうとて、2007年から再修復工事をして、今のようになったのが2012年です。

 つまり、東京駅丸の内赤レンガ駅舎は、これまでに4つの姿を見せてきました。この後の話がこんがらからないように整理しておきます。初代は創建時の1914年の姿、これを「1914東京駅」といいましょう。
 2代目は1945年にアメリカ軍空爆で燃えて煤けた壁とぐにゃぐにゃ鉄骨屋根になった姿、これを「1945東京駅」と言いましょう。
3代目はそれを2階建てにして屋根を付けて修復した「1947東京駅」、
 4代目はそれを更に修復して初代の姿にコピー再生した「2012東京駅」で、今見ている姿です。

では、駅前広場に出て正面から見ましょう。
つづく

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