2017/05/26

1268【タイムマシン】中学生のわたしが作文をもち、大学生のわたしが論文かかえ、前世期から21世紀にやってきた

 しばらくぶりに、M先生からお手紙を頂戴した。中学校3年生の時のクラス担任だった数学の教師である。特別な事件があったのでもないが、M先生には絶大な尊敬の念を抱いている。何年かに一度の感じで、特に用事もないが、なにかで文通がある。
 先日のお手紙のなかに、3枚の古ぼけた紙が同封してあり、こう書いてある。

終活へ向けて整理していました処、中三の時 伊達・(補注:ほかにM君・H君の名が書いてある)三人の「自己を語る」が出てきて、びっくりいたしました。この三人だけのが残っていました。どうか十五の君に会ってみてください。大人の階段を上りはじめた時と思います。

 どれどれと赤茶けた紙を開けば、その題でクラス全員が書かされた作文らしく、ヘタクソな字で何やらゴタゴタ書いてある。
 読んで赤面した。書いたことは全く覚えていないが、わたしが書いたとは分かる。2年生のクラスでの悩み、3年のクラスになっての希望、これからの小さな抱負とか、内容に思い出せることもあるが、ほとんど思い出せない。
 その幼い書きぶりには、今、これを書くために、読み返してもはずかしい。タイムマシンに乗ってきた十五歳のわたしはなんとまあ幼いことよ、とても大人の階段を上りはじめてなんかいないのであった。

 ハイ、M先生、十五歳のわたしに会いました。読みながら恥ずかしくてモジモジしたくなり、先生の前に居るような空気が漂ってきました。
 先生は大学を出て、わたしたちのところが最初の赴任校で、最初の担任学級でしたね。先生に出会えて本当によかったと思っています。もちろんわたしだけじゃなくて、あの三年五組の少年少女たちは、みんながそう思っています。
 だから今も、先生の隠居所に誰とかれとなく誘い合って、ちょくちょく押しかけるのですね。

卒業記念写真(最後列右から5人目がわたし) 1953年

 M先生は、わたしたちが卒業する時に結婚されたが、それまではO先生だった。結婚相手は同僚の理科教師のM先生である。その男のM先生も生徒たちに慕われる人だったから、こちらは驚くと同時に大いに喜んで、最高のカップルと思ったものだ。 
 両先生を慕う生徒たちは高校生になっても、新婚M先生の自宅にしょっちゅう押しかける常連がいた。中には大学進学相談もしていたやつもいた。
 それにしてもあれから65年、今もこうして遠くにいる疎遠のわたしにも手紙を下さる。そしてあのころの教え子たち慕われ続けるとは、教師冥利に尽きるお方である。うらやましい。

 作文を同封してあったM君、H君ともに近傍に住んでいるので、さっそくそれぞれに転送した。3作文でわたしのがいちばん幼いのに、ちょっとガックリした。2人の作文も読んだので、やむを得ずわたしのコピーも同封した。
 故郷のあたりにいる同クラスだった元少女たちに、M先生からこんなお手紙を戴いたよって、羨ましいだろうと自慢げにメールしたら、その作文を読ませろと返事が来た。
 でも、見せないのだ。あんな幼い奴だった自分を、たとえ同期生とは言え、いや同期生だからこそ逢わせるなんて、恥ずかしくてできない。
1953年に作った学級誌

 M先生、わたしは不肖の生徒にて、故郷を離れてから先生に会いに伺ったのは1度だけです。あれはもう20年近くも前でしたか、故郷で高校同期会があった帰途に、M君が行こうよと誘ってくれて、倉敷駅の喫茶店でお会いしました。
 ほぼ半世紀前のあのはつらつとした若い先生が、どんな老婆で現れるか実は心配で、逢いたいけれども逢いたくないと悩んでいました。幸いにも現れた古希の先生は昔のままで、不思議な驚嘆とともに安心したのでした。思い返すと、あれもタイムマシーンでしたね。

 このM先生に出会ったことから、しばらくはわたしも教師になろうとおもっていたが、高校生になったら建築家になろうと心変わりしてしまった。
 そして大学で建築を勉強するとき、人生でもうひとりの尊敬するH先生に出会ったのだった。社会に出てからも仕事で建築史に関する調べごとがあると、いつも指導していただいた。
 今もかくしゃくとして、被災した熊本城の復元の指導をされ、もう何十年もNHKTV大河ドラマの建築考証を続けておられる。
 このH先生も教え子たちから慕われて、今も毎年1回囲む会をしているが、先生は毎年登場されるのに、教え子の方に超高齢化による脱落者が出てくるのはなんともはや。

 実はこのH先生からも、一昨年にタイムマシーンに乗った23歳のわたしに逢わせていただいたことがある。それは保管して下さっていた、わたしの大学卒業研究論文である。
 その研究を指導して下さったのはもちろんH先生であるが、今まで保管されていたのには恐縮してしまった。まさかわたしの論文だけではあるまいが、先生の専門研究分野の近世住宅史の資料の一部だからであろう。
 さすがに中学生とは違う意味だが、読んでみて面白くもあり恥ずかしくもあった。ほう、けっこう面白い論考だったよなあ、あ、そこをなんでもっと突っ込まなかったのか、なんて思ってしまった。
 いま読んでも面白い一部分を、エッセイ風にしたのが「京の名刹 法然院の謎」である。

 そうだ、わたしの終活で整理品の中から、なにかタイムマシン種を見つけて、だれかに送りつけてやろうかな。
 どうぞ、M先生もH先生も、お元気にお過ごしください。 

0 件のコメント: