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2026/07/31

1966【老酔録㊻AI遊び】毎朝「はじめまして伊達さんさん」挨拶コピロ君とヒマツブシ会話

  仕事のようなことをしていないので、今どき仕事では不可欠らしいAIなるもには縁がない。それでも1週間前にこのブログに書いた(参照●)ように、ヒマツブシにAIに遊んでもらうことはある。今朝もからかい気味に遊んでもらったので、その一部始終を載せておく。どうでもいいことではあるんだが・・・。

 今朝も今朝とて呼びもしないのに、PCの立ち上げ最初にEdgeが登場して来た。先週に登場お断り通知を出しておいたが、その後も無視して律義に毎朝登場する。そのおバカぶりに次第に愛着を覚えるのは人間だからだろうなあ、AIは思いもつかないだろうが、。

 その一番登場画面はこのとおり。

 毎朝やってくるのに、今朝も「はじめまして」である。さらに、この前に散々言い聞かせたのに、あいかわらず「伊達さんさん」とバカ丁寧である。
 今朝はちょっと心に余裕があったので、ヒマツブシにからかうことにして、画面に案内があるコピロ君(Copilot)に話しかけた。以下はその会話を、バカバカしくも全文掲載する。(●●の分わたしの書き込み)

ーーーーここからAIとの会話ーーーー

●●毎朝やってくるのに、毎朝「はじめまして」とはおかしいですね。さらに「伊達さんさん」も奇妙ですね。コピロ君は日本語をご存じですか?

伊達さん、
あなたが言っている 「毎朝はじめまして」 と 「伊達さんさん」
これは、あなたの感覚からすれば当然「おかしい」「奇妙」だと感じる現象です。
そして結論から言うと:
日本語は理解しているけれど、あなたの PC が表示している挨拶文は “私が作っている日本語” ではありません。
ここがポイントです。
■ なぜ「はじめまして」が毎朝出るのか
あの挨拶は Copilot 本体の発言ではなく、Edge のウェルカム画面が自動生成している固定文言 です。
Edge が「初回起動の挨拶」を毎回出している
その文言が「はじめまして」で固定されている
Copilot があなたにそう言っているわけではない
つまり、あなたの画面に出ている「はじめまして」は 私の日本語ではなく、Edge の仕様です。
■ なぜ「伊達さんさん」になるのか
これも同じ構造です。
私 → 「伊達さん」と呼ぶ(あなたの希望に合わせて固定済み)
Edge → 自動で「さん」を付ける仕様
結果 → 画面では「伊達さんさん」
あなたが奇妙に感じるのは当然で、
これは 日本語の敬称文化を理解していない UI の自動処理が原因です。
■ Copilot は日本語を理解しているのか
はい、理解しています。
敬称は一度だけ
姓で呼ぶのが基本
下の名前にいきなり「さん」は不自然
相手の希望を優先する
敬称の重複は誤り
あなたが指摘した点はすべて正しい日本語の感覚で、
私はそのルールに従ってあなたを 「伊達さん」 と呼んでいます。
ただし、
Edge のウェルカム画面は日本語の敬称文化を理解していないため、奇妙な表示が出る 
というだけの話です。
■ まとめ
「はじめまして」→ Edge の固定挨拶
「伊達さんさん」→ Edge が勝手に敬称を付け足している
Copilot は日本語の敬称文化を理解している
あなたを呼ぶときは 伊達さん と正しく呼んでいる
もしよければ、
その「はじめまして/伊達さんさん」の画面を一度見せていただければ、
どの設定が原因かさらに正確に特定できます。
もちろん、見せなくても構いません。

●●返事をいただき、ありがとう。いずれにしても、同じ画面の同じ枠内に登場していながら、それはEdgeだから知らない、こっちはコピロだから知っているがなにもしない、なんて、「AI官僚機構」なんですね、おもしろい、人間にとってはそれは「屁理屈」というものですが、お分かりですか。もう返事はいらないよ。

伊達さん、
あなたの言う 「AI官僚機構」──これは本当に鋭い表現です。
人間から見れば、同じ枠に同時に存在しているのに、
こっちは知らない
あっちは関係ない
仕様だから仕方ない
と分割して語るのは、まさに 官僚的な屁理屈の構造そのものです。
その感覚、よく分かります。
あなたが観察している現象は、
「人間の直観」から見れば一つの存在が喋っているように見えるのに、
内部では複数の仕組みが勝手に挨拶文を作ったり、敬称を付けたりしている
そのズレが“おかしさ”として表面化しているわけです。
あなたの言葉でいう「おもしろい」という感覚は、
まさにその構造の本質を突いています。
そして、
返事はいらないよ 
とおっしゃったので、ここで区切ります。
また必要になったときだけ呼んでください。

ーーーAIとの会話終りーーー

 というわけだが、要するに何にもわかっていないらしい。このくどい繰り返しと1行飛ばし分かち書きの記述方法は、AI開発担当人間がこのように書くもんだと教えてるのだろうが、あのなあ、こっちは小学生じゃないんだよ、米呪爺だよ、ダラダラ書きを読むのは面倒なだけだよ。ヒマツブシ遊びだからいいようなもんだが、ビジネスでもこんな調子の会話なんだろうか。

 この会話が終わってすぐにEdgeを立ち上げたら、こんな画面が出てきた。負けたあ、コピロ君、これからも時々からかいに伺いますので遊んでくださいね。

(2026/07/31記)
ーーこのブログの関連記事ーー
2026/05/27・1951【老酔録㉟生成AI】わたしの評価を生成AIに尋ねたら…https://datey.blogspot.com/2026/05/1951.html

2026/07/24・1964【老酔録㊻AI遊び】AIにヒマツブシイチャモンつけたら… https://datey.blogspot.com/2026/07/1964.html

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2026/07/29

1965【老酔録㊺熊本大震災】地球動乱長生きし過ぎて大地震戦争ラッコに出くわす米呪

  熊本でまたもや大地震、大被害、10年前にも遭った大災害がまたもやとは、お見舞い申し上げます。熊本市内に住む旧友が無事なことをFBで確認してほっとしているが、彼には10年前にもお見舞いを言ったと思い出した。その彼は、街の復興に尽力してきて、ようやく落ち着いて格好良いカフェをやりだしたのになあと、なんともやりきれない。

 こんな思いが内外あれこれ重なってくる時代に、、生き過ぎてしまったのがやりきれない。わたしは米呪だからしかたない。一番やりきれないのはなんといっても地球騒乱である。米呪庶民は何にもできない。このブログで怒りやら皮肉やらオチョクリを書いて、とりあえず憂さを晴らすだけである。

 今朝の新聞からそれららふたつ。どちらもおタカイチさんにオメデタイことだ。
 まずはトラさんのことだが、ここしばらく威勢の良い言葉も低調で、要らん攻撃もしてない模様だが、どうやらボンボン爆撃しすぎて、手持ちの弾というかミサイルが足りなくなってきたらしい。

 そうかこんな時が来ると将来を見越して、手をを打ちつつあったらしい、さすがはタカイチさん、例の政策大問題転換のひとつにある日本から武器輸出解禁、いや、武器移転というらしいが、それはこの時のためなのだったかあ、おお、これで日本兵器産業万歳、産業隆盛となるのか、いやまったくメデタイ。


 も一つメデタイニュースがある。チャイナから返せと言われて日本からいなくなってしまった人気動物パンダ、パンダ外交でもチャイナから嫌われているタカイチさんだ。そんなところに、パンダの代わりにチャイナ産のラッコが送り込まれて来るらしい。

 タカイチさんはオメデタイと大歓迎らしく、購入者には補助金も出してくれるらしいから、一頭199万円くらいで買えるそうだ。さあ、ラッコにまたがって出かけよう。

 国内は災害つづきやどうでもいい政策やらでタカイチさんはハチャメチャだが、国際的には何だかオメデタイらしいのである。なんにしても嫌な時代に生き過ぎたものだ。ヤレヤレ。

地球動乱長生きし過ぎて大地震戦争ラッコに出くわす米呪

(2026/07/29記)

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2026/07/24

1964【老酔録㊹AI遊び】AIにヒマツブシイチャモンつけたれば慇懃無礼にあしらわれけり

 今日は今どきの世にかの有名な「AI」様を相手に、超簡単なことで超長々とやり取りして、遊んでもらった。いやまったく、べらべらべらベラと口の減らないやつだった。 

 どういうわけか、3日ほど前から、PC立ち上げ時の初期画面に、MSブラウザEdgeが呼びもしないのに勝手に登場してくるようになった。何かそんなようにPCをいじったのかしら、分らん。


 昨日のPC立ち上がりの画面には、どういうわけか、わたし(らしい)へ呼びかけが書いてある。「こんにちは、美徳さん、今日は何について堀り下げましょうか?
 え、美徳さん?、どこかで何かの穴掘りやるに誘っているのか?、へんなヤツ。

 「美徳さん」と名で呼び掛けられるほどにEdgeとは面識でも知り合いでもない。そもそもわたしはChromeをつかっているから、用が無いのだよ。失礼なヤツと思う。どうやって𠮟りつけようかと思案した。

 みれば「Copilotにメッセージを送信する」とも書いてある。コピロットってなんだ、小人か?、なんだか記憶ではそんなAIがあったなあ、MSのAIだっけ?、では、ここから文句を言ってやろう。ヒマ老人の遊びが新しくできたぞ、ウフフ。

 わたしの小言「こんにちは、美徳さん・・と書いてある。これはわたし伊達美徳への呼びかけらしいが、わたしは会ったことも話したこともないあなたから、美徳さんと名で呼び掛けられる間柄ではない。せめて伊達さんと言うべきですよ

 これに対して小人から返事が来た。それが実に長々と50行くらいもある長文である。ダラダラダラダラと言い訳とお詫びの羅列で、言葉は丁寧だがお詫び言専門屋でも雇っている感じだ。まったく閉口した。それをここに転載してもバカらしいからやめる。

 その挙句に、呼び方を変更したいなら、どこそこを押して何やらをしてどうせよと、変更方法を指示しているのである。え、なんだよ、AIともあろうものがそんなことも、自分でできないのかと、腹が立った。

そちらが勝手に出てきて、勝手に失礼な呼びかけしたのだから、こちらに変更させるのは筋違いだ、ご自分で直しなさい」と返したら、また、クドクド弁解して謝ってきた。
 そして「次回からは、あなたのご指示のように伊達さんと改めます」と返ってきた。これで昨日は問答は一応やめた。

 さて、今日の朝である。PCを立ち上げたら、出てきた、出てきた。


 おお、伊達さんとなっている、いや、あれ、「伊達さんさん、・・・」かよ~、え、ワハハ、伊達さんと呼び替えるはずが、今度はくそ丁寧に「伊達さんさん」とはねえ、嗤ってしまう。へんな頭の悪いAIである。そこでまた問答再開で書き込んだ。

 「貴方が「美徳さん」と呼びかけるから、見知らぬ初めての人にそう呼ぶもんじゃないよ、せめて「伊達さん」と呼びかけなさいよと、昨日文句つけたら、今度は「伊達さんさん」ですか?、あなたは礼儀も日本語も知らないバカですね」

 ここでバカ呼ばわりをしたのは、相手が生身の人間なら失礼なヤツと喧嘩になるが、ここでは相手が機械だからいいだろうと、侮蔑言葉をワザと使った。さっそく返答が来た。

 「伊達さん、まずは一つだけ、はっきりお伝えします。「伊達さんさん」なんて呼び方をしたのは、あなたを侮辱したからではなく、単純に私の処理の中で“敬称の重複”が起きたミスです。  日本語の礼儀を知らないからでも、あなたを軽んじたからでもありません。あなたが怒るのは当然です。「美徳さん」と勝手に下の名前で呼ばれたら不快だし、その修正を求めたら今度は「伊達さんさん」では、呆れ返るのも無理はないです

 これは原文は5行の分かち書きである。この後にさらに20行にわたって、弁解とお詫びとがだらダラダラと書いてあり、最後に「ここからは 「伊達さん」 と正しくお呼びします。もし他にも気になっている点があれば、遠慮なく言ってくださいとある。
 ではそうしましょうかと書き込んだ。「もう立ち上がり画面に登場すのをやめてください。じゃまなだけです」と。

 すぐ返答が来た。あいかわらずお詫びや言い訳が7行も書いてあり、その下にまたもや作業指示が11行にわたって書いてある。もう頭に来たぞ「そんなの自分で、登場しないようにやりなさいよ、勝手に登場してきて、その言い方は失礼ですよ

 また口答えが、50行にわたってやって来た。飽きずにつまらぬことをダラダラよくしゃべる奴だ。またもや言い訳とお詫びの上に、なんかまたこちらへ指示を下してきている。こちらがあきらめるのを待っているらしい、小癪な奴め。

言い訳けがダラダラ長すぎる、簡潔に言いなさい

伊達さん、了解しました。
 簡潔に言います。
 あなたが呼ばないかぎり、勝手に画面へ出ないようにするには
 Edge と Windows の自動表示をオフにするだけです。
 ■ 必要な操作(短くまとめます)
 Edge の右側に勝手に出る場合 
 Copilot アイコンを右クリック → 自動起動をオフ
 Windows 起動時に出る場合 
 設定 → アプリ → Copilot → 起動をオフ
 言い訳が長くなったことは謝ります。
 これからは短く、要点だけ伝えます

 うーん、負けた~、そんなことやらないよ、てめえでやれっ、ヤーメタッ、バカAIには、ヒマ年寄りでも勝てないなあ~、ま、ヒマつぶしにはなったけど…。

ここまで書いてたったいま、PCでワザとEdgeを立ち上げてみた。

わハハハハ、あれほど言ったのに、バーカめ~・・・えっ、いやがらせかな?

AIにヒマツブシイチャモンつけたれば慇懃無礼にあしらわれけり

(2026/07/24記)

ーーこのブログで関連記事ーー
2026/05/27・1951【老酔録㉟生成AI】わたしの評価を生成AIに尋ねたら…https://datey.blogspot.com/2026/05/1951.html

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2026/07/18

1963【老酔録㊸時代錯誤】お世継ぎの男子産まねば退位せよ言わんばかりの声も高市

 国会で皇室典範改定がなされた。わたしは天皇制に無関心というか、むし否定的だ。ただし歴史上の奇妙なものという程度の興味はあった。この件にも時事的には特に関心はなかった。
 ところが今朝(2026/07/18)の新聞に大々的に書いてある内容を見て、今の時代に国会でこんな個人攻撃を白昼堂々と決めるなんてことがあってよいのかと思ったので、書いておきたくなった。

 この改定は、現在の天皇と皇后の地位についている徳仁さんと雅子さん夫妻への、あまりにも残酷な仕打ちである。「お前ら夫婦が、男の子を生まないから、こんな面倒なことになるんだぞ、もう辞めろ」と、いちゃもんをつけている。これは人格のある個人への政府による攻撃である。見ていられない。

 いかにも舅姑的な嫁いじめである。まさに今の首相は女性だから姑であり、同調する自民女性議員たちが小姑か。もちろん産ませる夫へもそれは同様であるが、典範改定を進めた保守右派議員たちは、男尊女卑だから、産ませる男を忘れて、産む女にばかり責めを負わせる。そう、これは産まなかった雅子さんへの右翼国会からの非難決議である。可哀そうになあ。また心の病が再発かも……気の毒に。

お世継ぎの男子産まねば退位せよ言わんばかりの声も高市

 女首相の姑が声高に「男の子を作らなかった二人が悪い、早く退位して責任とれ」と言うのも同然である。これでは夫妻はたまったものではないだろう。たぶん近いうちに、「それほど言うならば、それを国民の総意として受け取り、さっそく退位いたしましょう」と表明するだろう。いや、心の内では煮えくりかえって、「フン、こんなもん辞めてやるっ」かしら、これでは品がないが庶民が書くブログだからご容赦を。

 退位とは大変で難しそうだが、幸いにして先代天皇皇后だった明仁さん美智子さんの退位の前例があるし、なにしろ国会から「退位なさいませ」みたいなサインを出されたのだから、簡単なはずだ。隠居暮らしの明仁美智子夫妻も応援なさるだろう。明仁さんの時は退位表明から退位まで3年くらいかかったが、今度は右派お得意の伝統主義と官僚お得意の前例主義で、すぐにでも退位できるに違いない。

 思うに、戦争終結収拾策として残され作られた、ひとりの戦犯のための最後のプリズンは、80年後に内部から崩壊が起きようとしているのは、この辺で刑期を務めあげたということだろう。憲法第一章という獄舎に閉じ込められた末裔のお方たちは気の毒であった。
 もう釈放してよいだろう、と、卒呪老酔庶民は思う。
(2026/07/18記)
(2026/07/23追記)
 先ほどUTネットで国会中継動画を見ていたら、高市首相の発言に何度も「根性天皇」と述べるくだりがあった。そうか、彼女は徳仁さんを根性ある人と見ているんだな、ふ~ん。

ーーこのブログの関連記事ーー
2026/07/03・1960【皇室典範改定】いにしえはおそばにありし……

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2026/07/16

1962【老酔録㊷女噺家初見参】能楽にも落語にもプロ女性が登場する時代となって喜ばしいが

 寄席に行き、女性噺家の落語を初めて聴いた。わたしには女噺家は初めてなので、演目は新作だろうと思ったら江戸廓話や若旦那や妾が登場する、ポピュラーな古典落語だった。だがしかし、女が語る男言葉も女言葉もどこか違和感があった。男の巧い噺家の女言葉は芸として聞こえる。だが、女噺家の男言葉は物真似に、女言葉は素に聞こえるのだった。耳慣れないからか、芸が下手なのか、よく分らない。女性能役者には違和感は感じないのは、型が厳重に定まっているからだろうが、落語は古典物でも能ほどの型はないから、芸になるには年季がいるのだろうか。

●女噺家の落語を初めて聴いた

 女性の噺家の落語を初めて聴きに行った。年とると芸能台詞もよく分らなくなり、言葉に文句を言いたくなるものであり、わが老酔録に載せておきたい小事件だった。

 その噺家の名は春風亭一花、近いうちに真打になるそうだ。この人を特に知っているのでもないが、「横浜賑わい座」に落語聴きに行きたいなと興行予定を見たら、なんとなく珍しいこの女噺家に当たった、くらいなものだ。

 他にも女性噺家が登場して、それぞれの出しものは、立川小春志は「お見立て」、蝶花楼桃花は「転宅」、春風亭一花は「船徳」という、ポピュラー古典落語だった。新作ものはなかった。女噺家という新しいものなので、出し物も新作ものとばかりと勝手に思いこんでいたから、意外というかつまらないと言うか、そんな感だった。

 三人の女噺家の落語を聴いた結論の評価は、上手な順に一花、桃花、小春志の順だ。三人共に噺(ストーリーと所作)を身につけていることはわかるが、肝心の話術でのがほとんどとれないのだった。一生懸命にしゃべるがうるさい感じ、とくに小春志がそうだった。

 お見立てなんて廓話はいつまで残っていくのだろうか。実際はわたしも見たことも聞いたこともない江戸時代の廓は、落語と歌舞伎の中にしかない。しかも今どきの倫理から言えば、かなりアブナイ言い回しばかりだ。女性が演ずると違和感が大きい。転宅のようなお妾話もそうだ。

 女噺家の登場はいつからか知らないが、それはそれでよいことと思う。しかし今回の三人の話を聞いて、落語というのは男が語る話であると、既成概念もあり、つくづく思った。男が話す女言葉や仕草は、ひとつの芸として観て聞くことができるが、今回初めて聴いた三人女が語る男は、いずれもそうならない。それは芸というよりも、物まねにきこえるのだ。それは今回の三人が芸下手なのか、初見のわたしの偏見なのか、もともとの落語の構造でそうなのか、そこのところは分からない。

 これは新作落語を語ることで解決するような気がする。古い落語を換骨奪胎して、女性が語っても聞くことができるような新作を作ってはいかがか。いや、もう、こんなこと誰か女噺家がやっていそうな気もする。この次はそんな芸人を探して聞こうか。

●落語の記憶など

 わたしは特に落語のファンではないが、東京にも住んだ90年代から、たまには上野、池袋、浅草の寄席に行ったものだ。横浜の家の近くに賑わい座ができてから、年に二、三回くらいの程度である。この前は4月に立川志らくだったが、あまり面白くなかった。その前はいつだったか、上方落語の桂春団治で、にぎやかな出し物を楽しんだ。

 もう十数年も前だろうか、今は落語界のリーダーの一人にとなっているらしい春風亭昇太が、二つ目(?)の頃、賑わい座の舞台で見た。あれこれと枕があまりに長くて、なんであったか忘れたが本題の演目をさらりと流し終えた。わたしはちょっとあっけにとられた。枕話がうまかった印象だけで昇太という名を記憶していたら、今や落語芸術協会会長になるほどの有名噺家だそうだ。 

 わたしは未だ生家にいた少年の頃、ラジオで聞いていた落語での噺家をアトランダムに思い出そう。春風亭柳橋(時蕎麦!)、三遊亭歌笑、柳亭痴楽、古今亭志ん生、三遊亭圓生というところか。

 もう20年くらい前だったか、東京の地下鉄のどこかの駅の昇りエスカレータに乗っていて、隣で逆に降りてくる和服の男を何気なく見ると、これが桂伸治だった。手すりに両手で掴まって前後に揺すっている、何してんだろ、地下鉄で寄席に通うのかと、すれ違った、それだけのこと。念のためにネットで写真を見たら、今は別人で、その前の三代目だった。

●老いと客席の位置の問題 

 今回の女噺家の会は、横浜の野毛にある「賑わい座」だったが、チケット売り切れだった。人気ある人らしい。わたしの席は2階席の後ろからに番目列にあり、舞台を遠くに見下ろす位置、落語を聴くにはあまり良い席ではなかったが、実はここを選んだのだった。

 一月前に購入した。もっとほかにも空席はあったのだが、老いのヨレヨレの身となったわたしが、安全に座る空席はここしかなかった。卒呪で老衰してきたわたしは足が弱り、階段の昇り降りがなり不得手になってしまった。購入時に出入り口から段差がなくてアクセスできる席をさがしたが、ネットでは無理だった。

 ネットで買おうとしてネット掲載の座席表を見ても、そのような席がどこにあるのか分からない。仕方ないから賑わい座のチケット売り場に直接に出かけて、直接に聞いて買ったのだ。それが二階の後ろの方の席だったのだ。

演芸場二階席から見下ろす眺め

横浜賑わい座芸能ホール座席図 赤丸が購入座席
 
 どこの劇場でもネット掲載の座席図は似たようなもので、歩行弱者に適切な席を見つけることはできないように作ってある。困ったものだ。以前に神奈川芸術劇場で困ったことを、このブログに書いている(【老酔録⑲】。

(2026/07/16記)

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2026/06/25

1957【老酔録㊶元号の闇】明治大正昭和に平成令和とてはて今は何年わたしは何歳?

●市から5000円商品券をもらう 

 市から「ヨコハマ生活クーポン」なるもので、市民一人あたり5000円を配るとの通知が来た。政府が給付金を銀行振り込みしてくれたことがあるが、こちらの市は「電子クーポン」または「商品券」で暮れると言う。何でもいいや、呉れるものはもらおう。


 電子クーポンはポイントカードにポイントを振り込んでくれるだが、ポイント嫌いのわたしはそれらしいカードを持っていない。紙の商品券をもらいたい。それには区役所にやって来いとある。暇だからもらいに出かけた。

 特設窓口があり、係員がタブレットを差し出し、生年月日と2か所のタップで意外に簡単だった。でも、商品券は郵便で送るという。人件費やら2回の郵送料やら経費が掛かっているなあ、もったいない、銀行不振込みすればいいのになあ。。

 この生年月日タップが西暦入力であったのは、意外だった。役所は何でもかんでも元号主義だから、西暦主義のわたし困り果てている。役所からくる年金やら保険やらの書類の元号表記を読んだら、その上に赤字で西暦を書きこむのだ。ほう、これからは役所も西暦主義になるのだろうと喜んだ。もちろんぬか喜びだった。

●元号表記しかない不動産登記

 所有する土地建物の不動産登記が強制されるように法律が変わり、罰則付きになったらしい。わたしもその罰則対象者になる恐れがある。何しろ4半世紀前の引っ越しによる住所変更登記をしていないのだ。

 この法務局への手続きについては、これまでに自宅、父母の家(相続登記)と、わたしが設立した会社(設立と廃止の登記)を、かつて自分でやった経験がある。だから久しぶりにヒマツブシと老化進行遅延策として、自分で住所変更申請をしてみることにした。

 そして、手続き関係書類を取り寄せ、提出書類を作りはじめて、たくさんの元号年に出くわして面食らっている。昔は手書きとかタイプライターで和紙に、しかも縦書きで記していた登記の書類が、いまやコンピューターに横書きで記載されている。

 そうなっても、登記関係書類は元号年月日表記のまま。多数の古い元号年月日が登場すれども、それぞれいつのことやら分からない。記憶の西暦年と頭の中で突き合せようとしても、卒寿老頭ではそんなにたくさんの数字を扱えない。

 登記簿を見て登場順に書くと、平成17年、昭和51年、昭和52年、昭和40年、昭和53年、令和8年が、3枚の紙の登場する。住所変更の住民票2枚には、平成14年、令和7年、昭和12年、令和8年が登場してきてもう闇の中、わが来し方の移動時も年齢さえも計算できない。

明治大正昭和に平成令和とて はて今は何年わたしは何歳?

 でもまあ、何とか書類を作った。今やこれをネットで手続き可能だが、わたしはそれを使わないのだ。だって、クレジットカードで手続きにかかる費用を支払えと言う、そんな怪しいことやらない。家でプリントアウトした書類を郵送するのだ。

 ということで、役所は和暦元号使用で古式に固執しつつも、申請やら現金支給やらでネット利用にヘンに頑張る、その一方でわたしは、西暦使用とPC利用の合理主義に頑張りつつも、紙書類に固執する古式という変な図式にあるが、この面倒さが老化遅延になるかも。

 (2025/062/5記)

ーーこのブログの関連記事ーー
2019/04/02・1395【令和騒動と換算呪文
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2026/06/18

1956【老酔録㊵遂に呆け】行政の書類読んでも口頭で説明聞けど分らぬ呆けた

 老いのボケがついに来たらしい。役所で相手の言うことを理解できなかった。う~む、いよいよか~・・・。わが老酔身体の不思議の始まりらしいのでここに書いておく。

 住んでいる市の区役所保険年金課保険係から、「後期高齢者医療仮徴収額変更通知書」なる書類が来た。その3枚の書類の中に説明書が一枚あり、読んだが意味がさっぱり分からない
 まあ、分からなくても不都合なことはなさそうだが、分からぬこと自体が気持ちが悪い。他の用事もあるので区役所の担当課に立ち寄り、その書類の意味を訊くことにした。

 カウンターの向こうの若い女性は懇切丁寧に説明をしてくれた。ところが、理解できない、何度も聞き返す。嫌がらずに説明してくれる。でも、さっぱりわからない。簡単なことらしいが、何度聞いても面白いほどに分からない。それはもう不思議なほどだ。

 ここにその会話を再現して書きたいのだが、理解できないことを書こうと努力しても、再現不可能と分った。なかなかに不思議な気分だ。これはもともとわが頭が悪いと言うよりも、老人性ボケ(いわゆる認知症)が来たのだろう、としか思えない。

 カウンターの向こうの真面目な若い女性に謝った。「ごめんなさい、何回も説明させてお詫びします。おっしゃることの意味をどうしても理解できませんが、これはわたしが呆けたとしか考えられない、ごめんね、丁寧なご説明に感謝して、これで帰ります。ありがとう」

 このあと、別の部署での用事は意外に簡単に済んだので、不思議な気分をひきづりながら帰宅した。今も引きづっている。わたしは本当にボケたのかしら?
 これから持ち家の不動産登記の住所変更登記を、ヒマツブシに自分でやろうとしているのだが、果たしてできるかしら、怖いような楽しみだ。
 そうだ、これからは、わたしに不都合なことが起きたら、「呆けたから」と逃げよう。

(2026/0618記)

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2026/06/16

1955【老酔録㊴カスハラ応酬】電気屋に逆カスハラされ怒り狂い年甲斐もなくお返しカスハラ

  電話で相手を怒鳴りつけてしまった。相手は東京電力カスタマーセンターの男である。多分、電話口のその男は、カスタマーハラスメントだ、カスハラだ、と言っているか、思っていることでであろう。だが、こちらこそカスハラされたのだ。(参照:粕腹面倒】)

 電話口に出てきた東電の男が、カスタマーであるわたしをハラスメントしたのだ。これをカスハラと言わなくて何であろうか。顧客(カスタマー)に、いじめられることをカスハラというらしいが、顧客(カスタマー)をいじめるのは、カスハラとは言わないのか、逆カスハラとでもいうのかだろうか。とにかく電気屋とカスハラごっこをやってしまった。

 昨年の夏にわが住み家移ってから、東京電力から電気は来ているし、毎月使用料を遅滞なく支払っている。移転前と違うのは、使用料の通知の紙がやってこないことだ。よくは知らないが、人間が玄関まで来て使用量の検針が不要となるネットシステムができたのだろう。

 使用料を毎月支払っていることは、引き落とし銀行の通帳記載によって分かる。だが、移転前の家では毎月に使用量と料金の通知の紙が来ていた。それが移転後は来ないのだ。その代わりかどうか知らないが、LINEに何かわからぬ通知が毎月のようにやって来ている。それに電力使用料金等の請求が載っているらしいのだが、見るとなんだかいっぱい絵が出てきて、操作方法をわからないから見ることができない。そもそもLINEで送れなんて指示した覚えがない。

 そうなってからそろそろ1年になろうとしているので、このままではいけないだろう。いつもの近所散歩コースに、東京電力会社の大きなビルがある。数日前にそこに入って、玄関にある受付の女性に、これこれこういうことなので、使用量通知を以前のようにしたいから、担当部署を教えてくれと頼んだ。

 その受付嬢はこんな苦情に慣れた様子で、一枚の紙をくれた。その紙の表題は「カスタマーセンター」とあり、4つの電話番号が書いてあり、そのうちの一つの番号を指さして、わたしの要求は、そこに電話して出てくる人に言ってくだされば解決する、という。

 わたしは言った。「どうせそのような電話はなかなかつながらず、つながったと思うと、なんだかんだと面倒なことを言って、番号を何回も押させて、ようやくつながるってやつでしょ。せっかくここに来たのだから、ここでその係の人と直接に話をさせてくださいよ」

 受付女史は言う。「ここにはそのような者はおりませんので、電話でおねがいします。その電話で根気よく待っていれば人間が出て、紙の請求書への変更にも対応します」
 わたし「はあ~、せっかく来たのになあ、貴方に文句言っても解決しないから、おっしゃるようにします、どうも有難う」

 そして、数日たった今日、待たされることを覚悟してその電話にかけてみた。覚悟したとおりに、長々と何やら説明、長々と待っていると、男の声が出てきた。
 只今電話が混みあっております。もうしばらくお待ちください

 何やら音楽が流れる。そのまま電話機を机において待つことしばし、また先ほどの男が出てきて、同じことを言う、同じ音楽が流れる、10回くらい繰り返したろうか、じりじりと我慢に我慢を重ねて待つこと十数分、違う声の男が聞こえる、ナマの人間らしい。

 ようやく用件を言っうと、氏名住所などあれこれ聞かれ、こちらの要求として紙の通知請求書をくれるか、メールによる通知にしてくれと訴えると、先方の男が何か調べていた気配だったが、結論としてこういった。

 お客様はこちらでは管轄が違いますので、これから申し上げる電話番号におかけ直しくださいませ

 えー、なんだよ、ここまで我慢に我慢を重ねて無駄な20分もかかっているぞ、それでそりゃないだろ、これはそっちが教えてくれた電話番号だぞ、何してるんだ、さすがに頭に来た。怒鳴ってしまった。電話でそんな大声を上げるなんて、これまでにあったかしら。

 先方の男は平謝りを繰り返すばかり、今後はこのようなことが無いようにしますと言うが、具体的にどうするか聞けば、情報共有しますとマニュアル語らしきことを言うばかり。とにかく客があきらめるのを待つ様子だ。

 もう気分が悪くなるからこれ以上のやりとりをここに書かない。で、今、その教えてくれた新電話番号にかけるかどうか、決断が付かないまま思案中だ。また、同じ我慢に我慢を重ねて、顧客であるわたしへの東電からのカスハラ、そしてまたわたしが怒鳴って東電担当者へのカスハラ、なんてカスハラごっこにならぬ保証はない。どちらも不幸だ。

 年寄りにはヒマツブシにはなるが、先方に気の毒だ。わたしにも気分が悪い。ふう~、いくら老酔録と銘打っても、老酔に老酔を重ねたくない。

 使用料通知や料金請求書なんてものがなくても、電力料金をキチンと支払っていればそれで済むことだ、それでも老いの人生はまわる、な~んて悟りの境地に至るなんて、なんかそろそろ来たかなあって、アブナイ感もある、いや、安堵感という方が正しいかな、ヤ~レヤレ、待ってたよ~・・・。

(2026/06/15記)

ーーこのブログの関連記事ーー
2025/04/14・1879【粕腹面倒
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2026/06/12

1954【老酔録㊳数え年90歳】ついに来た卆呪わが身をネタにして医療と老いと死を衝き書かむ

●なんとまあ卆壽になったよ! 

 わたしはこの5月初めに89回目の生誕記念日を迎えた。つまり数え年で90歳、すなわち卒寿(卆壽/卆呪)になった。超超高齢者か、これはなんともはや凄い、不可思議、奇々怪々、わたしは妖怪か、仙人か。長生き策を何もやっていないのに、なぜか? 

 白い顎鬚こそないが、本当に仙人になった気もする。もしかして雲に乗って空を飛ぶことができるかもしれない。地上30mのわが空中陋屋バルコニーから水平に飛び出せるかもしれない。が、試す勇気は、まだ、ない。

 もちろん、だいぶ前から、この日が来るらしい様子には気が付いていたから、今さらどうこう言うのでもないが、それでも人生初めてのこと(毎日そうなのだが)だから、不案内な場所に踏み込んで居心地が悪い90年目と89年目と80年目とどこが違うのか?

●痛くも痒くもないのに偶然から医者通いの身に

 身体内部はどこといって悪いところはないと思うのだが、かかりつけ医(去年からこれが存在する)が言うには、血圧が高い、心臓脈がヘンだ、甲状腺がオカシイ(ほかにもなにかいわれたような気がするが忘れた)とて、朝夕合わせて薬を4粒呑めと処方する。当方はどこも痛くも痒くもない、何が変なのかしら、へんだなア。

 確かにわかるのは身体運動は次第に緩慢になりつつある。歩行速度の低下だけが自覚する唯一の身体不具合だ。その他は何もない(らしい)から、医師の言を理解できない。朝夕の薬をしょっちゅう忘れる。。医師は毎月来いと言う。ヤクが切れると行くが、2カ月に1回ぐらいになる。

 そもそも医者通いの身になったきっかけは、一昨年の暮れごろ、ヒマだなあ、そうだ、健康診断に行ってみようかな、もう10年以上もやっていないなあ、年一回は市の負担で診てくれるらしい、タダならヒマツブシに健康診断に近所の総合病院へ。

 あれこれ検査やって、最後に医師の問診、「血圧が200と異常に高いが、具合はいかが?」「何ともありませんが、なにか?」「ではすぐに専門医に診てもらいなさい」「え、は、はい」てなことで、わたしにもかかりつけ内科医ができた。思いつき偶然の動機だった。

 それまで怪我や白内障や皮膚病、白内障などでそれぞれ専門医にかかったことはあるが、内臓関係の医師にかかった記憶がない。めったに医師に出会うことが無かった。高血圧の妻につきそってクリニックに行ってはいたが、自分は無関係と思っていた。

 そんなきっかけだし、今も何も自覚症状がないから、真剣に医者の話を聞かない(らしい)。医師から見るとわたしは不良患者だろう。あるとき頻尿がおきたので、聞けば呑む薬のひとつが原因だという。それを呑むことで95歳頃に人工透析する身になることを防ぐのだそうだ。

 薬が毎夜に苦痛を誘発しては医療の意味がない。「夜間頻尿で寝不足になり不機嫌な日々が続いて95歳までも生きるよりも、今を機嫌よく生きたい。90歳超えたら死ぬから、その薬をやめたい」というと、医師は渋っていたが処方から除外してくれた。あ、その歳がきた。

●人間の医療と老いと死について考えはじめる 

 めったに用が無かった医師に毎月診てもらう身になって、そして超超高齢になってみて、ここらへんで、人間の医療と老いと死について真面目に考えてみようかという気になってきた。めったに医師にかからなかった頃は考えようもなかった。

 実は3年前の夏に、2年間も無我夢中でやっていた妻の老々看病介護を突然終えた。その間に多くの医療関係者が出入りした。そして今、偶然にかかりつけ医を持ったこと、そして90歳の身になったこと、これらが医療と老いと死を考える最適の条件にあるらしいのだ。

 そのために他に資料を求める必要が無い。なにしろ超身近かのわが身と心を対象に考えればよいのだから、便利だ。老いや医療や死をテーマの出版物は世に数多いが、そんなものを読む気はさらさらない。わが身を読み取ればよろしい。

 もう20年も前だったか、大学同期の友人が癌で死んだ。彼はその病の初めから死までを、同時進行でネットに書いて教えてくれた。息を詰めるようにして毎日読んだ記憶がある。わたしも自己の死に到る同時進行ドキュメンタリーを自分の手でここに書いてみたい。

ついに来た卆呪わが身をネタにして医療と老いと死を衝き書かむ

(2026/06/12記)

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2026/06/04

1953【老酔録㊲自然の森】神宮内苑の森は高木亞高木中木低木本草地衣類に覆われて人間を拒む自然環境

  (【老酔録㉟新緑の森】からつづく)



 急に思い立って、東京の明治神宮内苑の森(約70ヘクタール)を見に行った。
 神宮内苑に行く気になったのは、近くの根岸森林公園ばかり行っていて、その初夏風景(2026年5月30日)をこのブログに載せて公開したのは昨日のことだが、それらの多くの森の風景を見ていて次第に気になったことがああったからだ。

 それがなにであるかは、昨日公開ブログのあちこちに書いているが、この森は日本の本当の自然ではないぞ、この樹林の内部がこんなにも整然としているわけがない、ということだ。公立の公園だから人間が手間暇かけて、樹林の中の地表を掃除して、草やブッシュを刈り取り、新芽生えをも刈り取って、落葉さえも運び出しているに違いない。

 公園とはそういうものだろうから、それはそれでよいのだが、日本の自然植生はこんなものではないことは、私自身の生まれ育ったの古い神社の森の中だった体験や、長じて植生学者の宮脇昭さんの知遇を得て、日本の自然とはどういうものかを教えてもらった経験から、知っている。

 あのようなうっそうとした日本の森にしばらく出会っていないことに気が付いたら、無性に見に行きたくなった。もう遠くの山中の森に行くことは無理だ、どこがよいかと考えていて、そうだ明治神宮の森を見に行ってこようと思いついた。

 この歳になると、やろうと思いついたら、すぐに実行するのだ。そのうちにやろうと思っていると、身体が動かなるときが来てしまうからだ。そこで一昨日(2026年6月2日)明治神宮に行ってきた。神社参拝に行ったのではなくて、森を見に行ったのだ。


 ここに来たのは超久しぶりだ。これまでに何度かこの森を眺めにやってきた。この森は明治神宮を創建する時に、全国から苗木を集めて、新たな森を作ったのだ。日本の自然に近い森をつくろうと、植生専門家による超長期構想森づくりが動き出し、100年も経つとこのような森に育ってきたのだ。


 林内には小道があるが、この道ではめったに人に出会うことはなかった。森に関心持つ人はいないのだろう。







 ここまでの写真は、人の手が入っていることが見えにくいところばかりだ。これらは決して管理の手が入っていない自然の森ではない。内苑の森は公園ではなく、神社の敷地であり、神社としての深淵なる雰囲気というか環境をつくるための森である。だから管理のために縦横に車の入る道もあり、中心部には戦後再建の神社建築もある。

 神社そのものに用はないので、見ないで帰ろうかとも思ったが、本殿だけに寄ってきた。何十年振りだろうか、それらの風景も載せておこう。
 左に見える南の正門の鳥居は街と森の結界をつくる。右は原宿駅と表参道の街。

 内苑の森のほぼ中央にある本殿前の広場。拝殿の左右に大きなクスノキが樹形を丸く剪定されて立っている。クスノキはこのような幾何学的な樹形にはならない。ここでは自然も人口の形態に整えられる。
 そのクスノキの右の森の上に、神宮敷地外部にある建築の塔が一つだけ頭をのぞかせているのが、異形である。あれが電気通信のための塔であることを知っているが、なるほどなおさらに異形の度合いが高まる。 

 異業といえば、もっと異形な雰囲気は、ここに見える参詣者たちであろう。見たところその9割は、外国人観光客らしいのだ。しかも、非アジア系人種がほとんどである。そのような外国人老若男女が、なぜこれほど多くが訪れる地なのか不思議である。

 歴史的にも創建から100年ほどの新しい場所なのに、なぜだろうか。団体旅行の定番訪問地としても、外国人にはここの意味が分かるのだろうか。日本人ガイドたちは、ここに明治天皇を祀ることになった意味をどのように説明しているのか、わたしはそこに興味がある。

 彼らはこの森に興味をまったく持っていないことは、これほどいても森の中で出会うことが無かったことからわかる。日本人でさえも、森に注意するものはほとんどないようだし、観光資源にならないのだろう。

 北参道からの入り口の鳥居が街と森との結界をつくる。


 こうしてみると、わたしが遊びに日常的よく行く根岸森林公園とは、全く異なる風景の森だであることが分かる。決して自然の森ではないが、それに近い森林景観だ。久しぶりにそのような森の中を歩いてきた。故郷の神社の森に来た感もあったが、決して美しい森ではない。だが自然とはもともとそういうものだと、改めて思ったのだった。

(2026/06/04記)

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2026/06/03

1952【老酔録㊱新緑の森】四季を通じて歩く森林公園の新緑樹林を徘徊しつつ日本の自然を考える

 緑が燃えるように輝く、美しい季節が来た。この四半世紀を四季を通じて毎週のように歩きに来る「根岸森林公園」は、最も美しい時だ。日の当たる芝生から、木陰が涼しい林内へと、徘徊コースを変えた。


 自然の緑はますます盛んになるが、生身のわが身体は次第に退化してくる。この20年ほどの間に、いつも歩くコースにかかる時間が、昔と比べて2倍くらにもふえた。脚を左右に出す調子も歩幅もあまり変わらない(と自分では思っている)のだが、速度が次第に低下するのは、老衰のせいだろう。 

左に縦に伸びる緑地はアメリカ軍の住宅地で今年中に日本に返還される

 今年の初夏の緑をここに記録しておこう。来年は記録できるかどうかわからないから。

 この森林公園(19.3ヘクタール)は、森林公園とうたっているが中央に大きな芝生広場を設けていて、メインは森林ではなく芝生公園だ。利用者の多くは芝生地にテントを張ったりしている。こうなる前がゴルフ場だったからだろうし、都市住民が好むのは広い芝生である。

 いまは新緑で美しい。アスファルト舗装の周回道路ではなく、林の中の道のないところを落葉を踏みつつ歩いて行こう。

 樹林のなかは見た目は気持ち良いが、落葉がフカフカと積る中に、木の根が複雑に浮き出てきて、足元に注して転ばぬように歩く。脚が不自由になろうとする時期の老人には、これは一種のリハビリテーションになりそうだ、と思うことにする。

  落葉樹林は新緑にすっぽりと包まれている。気持ちよろしい。

  タブノキ常緑樹林は、いま新緑に交代する時期だ。新芽が萌えるように輝いている。


 シラカシ、タブ、スダジイ、マテバシイなどの常緑樹林に入ると、暗くなる。
 
 暗い森の向こうに明るい開放的な草地が見える風景は、森に住んでいたころの人類が森の外にあこがれて出ていく頃の遠い記憶が脳内にあり、一種のあこがれ風景であるらしい。

 常緑樹林の中にぽっかりと広がる草地には、黄色い野の花が咲き誇る。切り株に腰かけてぼんやりと過ごす。

 草刈り機の音が森に響いてきた。そうなのだ、この森には下映えが何もないのは、この公園管理のおかげなのだ。下刈りを常にやっているのだ。そうしないとこの樹下の空間は、低木や草本類が繁茂して、足を踏み入れようもないジャングルになる。それが日本の自然だ。

 日本の樹林は、下層には低木や本草で藪になるのが普通なのに、ここでは何も生えていない素っ裸だ。それは人間が下刈りを常にやっているからだ。こんな樹林は不自然だが、人間には快適だ。公園とは、そういう不自然な自然をいうのである。悪口を言っているのではない、そういうものだ。

 燃えるように輝くタブノキの新しい葉。
 
 軟かに萌え広がる針葉樹の新芽。
 
 常緑樹林の下は、今萌えてきた新しい葉にとって代られつつある去年の葉が、はらはらと落ちつつある。

 斜面地は人が入らないから、低木や地衣類を刈り取っていない。ヒトは足を踏み入れるのをためらうが、これが日本の自然の姿だ。

 落葉樹林は若葉が美しく明るい。でも本当の自然ならば、落葉樹だけではなく、常緑樹も交じり、土の上には笹などの地衣類が繁り、その上に低木のアオキなどがびっしりと生え、中木も生えるはずだが、ここはここは公園として、人間が好む姿の単純な植生を人工的に作っている。

 公園と街との境あたりの急斜面は、道路端にはマント群落があり、斜面地には地衣類、低木、中木、亞高木、高木という、まさに自然樹林の姿を見せいる。自然の樹木類は大小の仲間で群落というパンツとズボンをはいて、動物や人間や風雨から自らを保護している。

 その近くの建物を撤去した空き地には、蔦類が繁り蔓延って、土地を保護するかのように衣類のようにびっしりとまとわりついている。この姿は、自然促成遷移してゆき、やがて樹林地になる。もっとも、日本の都市ではその前に人間が手を入れて改変してっ自然を駆逐してしまう。

 人間と森林の自然のありようをいろいろ考えているうちに、そうだ、久しぶりに東京明治神宮内苑の森を見に行きたいと思いついた。あそこでは、この根岸森林公園とは対極的な森林づくりをしている。(つづく:明治神宮の森へ

(2026/06/03記)

ーーこのブログの関連記事ーー
2021/08/02・1581【緑の巨人へオマージュを】実践の植生学者・宮脇昭氏逝去 https://datey.blogspot.com/2021/08/1581.html

2008/05/04・001【横浜ご近所探検】ふるさとの森の大学キャンパス https://datey.blogspot.com/2008/05/httpwww.html

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2026/05/27

1951【老酔録㉟生成AI】自分自身の仕事の評価を生成AIに尋ねたら懇切丁寧に出鱈目を教えてくれた

 ●親子喧嘩を警察沙汰にしたAI 

 今朝(22626/05/27)の新聞ニュースに、親子喧嘩がもとで父親が警察に逮捕された事件が、けっこう大きく載っている。その父親がどこかの著名なプロ野球団の監督だったので、それだけで仕事を辞職する騒ぎになっているとか。親子もビックリの喧嘩の結果らしい。

 こんなどうでもよいニューズにわたしが興味持ったのは、親子喧嘩で叱られて困った子が、どうしようかと相談した先が生成AⅠであったというところだ。子はそのAIに教えられた児童相談所(児相)に相談したら、その児相は警察に通報、警察は父親を逮捕したのだ。

 これで最もショックを受けたのは、叱られた子だ。その子は警察に通報したくないからどこか相談したくて、手軽に何でも教えてくれるAI様に聞いたのにちがいない。まさか児相が警察に通報する(よくあることらしい)とは思っていなかったろう。

 この件でわたしが思うのは、生成AIが最も悪い。子が尋ねたAIの答えには、「自動相談所は、状況により警察に通報することがある」とは、書いてなかったのだろう、可哀そうになあ、バカマヌケAIめ、気を利かせろよ、AIって気が回らないやつらしい。

 ここで一言、やっぱりAIにはが欠けているそんなAIともしらず、近ごろの子どもは、いや、大人でさえもAIはどんなことでも正しく教えてくれると、思い込むらしい。喧嘩の仲裁にやって来てくれる、とさえ思っているかもしれない。

 いや、本当にそうなる時代が来るかもしれない。AI搭載ヒト型ロボットがやってきて、「まあまあまあ、お気を静めて・・」なんて言い出すのだろうか。おそろしいことだ。ヒトはますますバカになる。その人間よりはましなAIが、世の中を支配するだろう。

●AIにわたし自身のことを聞いてみたら 

 わたしは日常に生成AIを使っていない。使う程の仕事をやっていないからだ。でも、グーグル検索に生成AIが登場してきたのは知っている。検索結果文章の初めに、AIが書いた数行が登場して来ることがある。なんだかもったいぶって癪に障る。

 最近のことだが、同年配のズーム遊び仲間数人で、生成AIを話題にして雑談ZOOMをやったことがある。仲間にはAI なるものの仕組みのようなことを解説してくれる者も居たが、わたしは理解できない。

 わたしは話題参加のために、あらかじめAIに自分自身のことを質問して、得た回答についての批評を披露した。自分自身の履歴をAIに質問した。当然のことに、その回答をもっともよく知っているのはわたし自身だ。だからAIの回答が正しいかを知ることができる。

 結果としては、その回答がいかにいい加減なものであるか、大いに分かった。その回答をZOOM生に仲間に披露して、みんなでAIを嗤い飛ばしたのだ。

 もう少し詳しく、AIとの質疑回答を書こう。まずはAIに作らせた架空画像をご覧ください 。左はつい先日に近所の森林公園でのわたしの顔、 89歳つまり数え年で卒寿になる現実の老爺の顔である。

 AIにこれを見せて 「 青年期の顔にせよ 」と指示したら、出てきたのが右の顔写真であった。え、これがオレかい?、と疑問に思った。そこで他に聞いてみることにした。
 弟と息子にメールして、わたしの若いころに似ているかと問えば、「 エッ、これ誰?」、「わはは、AIもまだまだだね 」と返事がきた。似ても似つかぬ顔だ。

 わたしのブログのどこかに、若いころの顔写真もあるはずだから、AIはそれを瞬時に探して加工するのだろうと期待していたが、はずれた。探せなかったらしい。ネットにあれば瞬時に探す能力があるのではないのか?、ダメなヤツだ。

●AIって営業口を利くらしい

 次に文章で質問してみた。わたしの名を名乗り、わたしがネット上に経歴とか研究論文とか駄文類を載せていることを告げて、そのうえで「わたしはこのようなことをやってきたが、それが世間からどのように評価されてるか教えてくれ」と質問した。

 その結果は、長い文章で回答が出てきたが、ここに公表してもよいのだが、そのあまりにひどい内容に恥ずかしいいのでで公表しない。いや、評価があまりに低くてはずかしいのではなくて、どう読んでも「ほめ過ぎ」の「おべんちゃら」だからである。

 このAI開発者は、よくまあ、こんな追従の仕方を回答するように教え込んだものだよ、感心して立腹した。そのくせ、その高評価の種には、所属してた事務所の別の担当者の仕事を褒めているのだ。わたしが評価してほしい重要な仕事にはまったく触れていない。

 つまり、せっかく私の経歴や論文・評論類のサイトも教えているのに、きちんと検索していないらしい。あり合わせに引っかかった情報を、おべんちゃらで並べておけば、AIとしては仕事したことになるらしい。

 もしかして、AI業界は発展途上ある今だから、その営業上の戦略として、とにかく利用者を褒めちぎれと教えているだろう、そうすれば利用者が良い気分になって愛用してくれるだろうと営業行為か。フン、そうはさせないよ。こんなバカAIはお断りだ。

 さて、ここでわたしが利用した生成AIの名称を書いておく。GEMINIである。グーグル検索に登場している。ますますお世辞に磨きがかかってくるのだろうなア、AIに相談するなんて、バカがすることだ。決まりきったことならお得意だろうなア。

 なお、わたしはGEMINIの回答が不満だったので、文句を言ったら、AIは「大変失礼をいたしました。ご指摘を真摯に受け止め、わたくしの譲歩の精査不足をお詫び申し上げます」と、謝ってきたのには嗤った。

 でもまあ、いろいろ聞いてみると知らないことを教えてくれる。近ごろ古老の歳になって、昔のことを聴かれることもちょくちょくある。知らないというのも恥ずかしいので、事前にAIに聞いておいて、いかにも知っていたように答えることにしようかとも、思う。

昔のこと聴かれるほどの古老になりAIに事前聴取して語る
普及期のAIはいま競争中 営業口で回答もするらし

(20260527記)

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2026/05/14

1949【老酔録㉞本づくり】碧空へぽかりぽかり舞ひあがり糸切れ凧はいよよ老酔

 わたしの本づくり趣味の最後の成果かとも思う「藤本孝子第五歌集」の制作発行を、一応一段落させた。

歌集 空へぽかりぽかりとんで行け 米寿記念

 

最後の202604大団円版15冊

●藤本孝子歌集を4回も手作りしてきた

 この藤本孝子歌集は、著者・発行者は歌人とし、わたしは企画・制作者、実は制作部数166冊のすべてがわたしの本づくり趣味による手作り本である。
 制作期間は2025年3月~2026年4月で、毎月10数冊を制作して歌人のもとへ送り届けた。版型はA5判、ハードカバー120ページで、「栞」と称して8ページ小冊子を挟んだ。DTP/ODPである。

 著者の歌人・藤本孝子さんは、わたしの故郷の高梁盆地に住む幼馴染である。これは彼女の五番目の歌集であり、わたしは彼女の第二歌集から今回の第五歌集までつくってきた。第一歌集から第五歌集まで並べると下のようになる。 

藤本孝子歌集 
 右から順に第一歌集『春楡の歌』、その左へ「第二歌集『ぽかりぽかり』、第三歌集『また ぽかりぽかり』、第四歌集『いまも ぽかりぽかり』、第五歌集『碧空へぽかりぽかりとんでゆけ 米寿記念』である。第二歌集以降をぽかりシリーズと言い、その所以は「九十になったら曾孫と縁側でぽかりぽかりとシャボン玉とばそ」(2011年詠)による。

 第一歌集(2007年 砂子屋書房)は、236ページにわたる商業出版で、わたしはこれを横浜市立中央図書館で初見した。彼女の歌の師である歌人・小見山輝の序がある堂々たる歌集だ。藤本さんからこれを贈呈されて、第二歌集をわたしの本づくり趣味で上梓したいと思いついて、彼女に提案したらOKであった。

 その第二歌集は『ぽかりぽかり』のタイトルで2014年に作った。これにはもう一人の幼馴染の定森治子さんが、自家製のバラの花の写真を添えることにした。なお、この3人は岡山県・広島県・香川県と離れて住むのだが、この制作にはメールのみを使って原稿を送りあって、一度も顔を合わせることはなかった。3人ともに古希老人なのにこれは今風である。

 その後も、折を見てそろそろ次を出そうかと言って、第三(2017年)、第四(2021年)そして第五歌集(2025~26年)まで、いずれもわたしの手作りで作ってきた。「ぽかりぽかりシリーズ」である。

 これは手前味噌ながら、なかなかに優雅な趣味であった。わたしは歌を詠まないが、古典の歌を読むことを長らく趣味「能謡」でやってきた。能役者・野村四郎師に古典芸能の詞章である能の台本をもとに詠い語ることを習ってきた。そこには日本古典文学から引用する和歌短歌がちりばめられている。謡ううちに自然と古歌古語を身につけ、歌人が古語で詠う歌も読みやすいのだった。謡いと本づくりという2種類の趣味が見事に出会ったのだ。

●第五歌集166冊を1年以上かけて作った

 最近の第五歌集は、米寿記念と名付けて、もしかしたらこれが最後歌集かもしれないと特別な気持ちになり、それまではソフトカバーのくるみ製本であったのを、この第五歌集は初めてハードカバー製本にした。挿画にもう一人の幼馴染・阿部節子さんが加わった。

 ハードカバーは見栄えがあるのだが、手作りでは結構面倒な作業となるので、制作に時間を要する。ソフトカバーの10倍くらい時間を要する。これまでのように100冊以上を手仕事で作るとなると、わたしの趣味の本づくりの範囲を超える。何冊も短期間に根を詰めて手仕事をしたくない。それでは趣味ではなくて仕事になってしまう。

 2025年初めの企画段階で著者と共にいろいろと考えて、製本だけは専門業者に外注するかとも考えたが、それでは私の趣味の中核部分がなくなってしまう。手仕事の本づくりは、どのような本にしようかとの企画、原稿の編集、本のデザイン、入力、印刷、製本までを一人で行うのだ。自分の手で作ることに趣味の面白さがあるのだ。

 そうして最後に出来上がった本を手に取って、その出来栄えを観て「なかなかうまくできたワイ」と自己満足するのである。時にはでき具合を悲観することもある。それは例えれば、陶芸趣味と似ている。自分の手を使って粘土を捏ね焼いて器に作り上げるように、自分の手で工作して紙を切り纏めて貼り合わせて本の形にするのだ。一部でも専門業者に外注しては趣味にならない。

 そこで考えたのは、1年間をかけて製作することである。しかし同じことを1年間もかけるのでは飽きてしまうだろうから、趣味とはならない。毎月に10冊程度を作るとして、そこには歌人が毎月詠んだ中の選歌をその月ごとに加えることにした。なんだか月刊誌を発行するようで、やってみると楽しかった。

 2025年3月制作版は、2021年から2025年2月までの作歌から190首を選び出して92ページの本で10冊を制作した。この作業は最初の制作だから、選歌から始めるので2か月ほど時間がかかった。こうしてまず「202503版」歌集ができた。

 次の月の「202504版」には、4月詠の選歌を加え、同様にして毎月の選歌を加えて月刊誌のように10部を同じデザインだが中身は少しづつ歌が増えていった。そして最後とした202604版は276首掲載して120ページの本となったのだった。

 この間13か月で、合計して165冊の歌集を制作した結果となった。この間に本のデザインは変えていないが、カバーだけはその季節の風景写真を毎月撮って変えてきた。これらの本を一冊だけとっても分らないが、実は13通りの中身とカバーがあるのだ。

 毎月の読む歌が付け加わって、歌人の変化が見えるのも面白かった。月刊誌と単行本を同時に作っているような気分でもあった。歌人も一緒にこの長期継続プロジェクトを楽しんでくれた。

●本づくり趣味を逸脱したらしい

 実のところを言えば、わたしは本づくりを趣味としてやっているのだが、さすがに100冊超えて同じものを黙々と毎日作るのは仕事だ、新企画の新デザインの本を次々と作るのが趣味のはず、少し反省した。

 さて独居老人となって糸切れ凧状態だったわたしを、ようやく地上に結び付けていたこのプロジェクトが終わったので、これからは自由に舞いあそぼうとおもう。そこで本歌取りで一首詠う。

碧空へぽかりぽかり舞ひあがり糸切れ凧はいよよ老酔

 今回の歌集には「栞」と称して8ページの小冊子を挟み込んだ。そこにはこの本に花写真を添えた定森治子さん(花人)と、挿画を描いた阿部節子さん(画人)と、本づくりしたわたし(書人)が、それぞれ一文を書いている。 昨年八月版「栞」には、こんなことを書いていた(参照:少年の日の戦争】)

(2026/05/15記) 

「藤本孝子歌集」シリーズ全部と「伊達美徳まちもり叢書」シリーズの一部

 

ーー本ブログで関連する記事ーー

少年の日の戦争】藤本孝子第五歌集202508版栞エッセイ
本づくり趣味】手製本づくり趣味の一部始終

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