鰤臼とかいう名の自動車のブレーキがきかないとか、アメリカではブレーキが利かなくて突っ走って死んだとかで、「顧客の視点でつくっていない」なんて、マスメディアはメーカーの奴与太をさんざんに非難している。
おい、ちょっと待ってくれ、どこかおかしいんだよなあ、その言い方が。
顧客ってのは、その車を買う人なんだろうし、その買った人が欠陥車で死ぬかもしれないからけしからんとの論調ばかりなのは、どうも片面的な視点でありすぎて、おかしいと思うぞ。
わたしが道を歩いているとする、そこにブレーキのきかない鰤臼がやってきて、わたしを跳ね飛ばし轢き殺すのは、いったいどうしてくれるんだよ。
その第三者被害の可能性の視点でこの問題を論じているヤツはどこにいるのか。
◆◆◆
そもそも自動車メーカーは、乗ってるヤツの安全ばかり考えて、歩いていてはねられ殺されるかもしれない第三者のことを念頭にいれていない車つくりをやっていて、実にけしからん。
例えば、ぶつかったらバンと開くエアバッグである。あれは運転席につけるのじゃなくて、バンパーあたりの外につけるもんだろ、そうすりゃ少なくともひき殺されなくてもすむだろうに。
バンパーだってあんな頑丈だから、ぶつかった歩行者を殺すか怪我させるに決まっているだろ。
わたしが乗用車の設計をするなら、運転席をいちばん前に持っていくね、ぶつかったら即運転者が怪我するようにすれば、嫌でも安全運転するはずである。今の設計は少々ぶつかっても運転者はなんでもないが、ぶつけられたほうは大怪我か死ぬ。それが根本的におかしいのだ。
とにかく、自動車の設計思想には、これが第三者への凶器にしないとする観点が抜けている。いや、逆か、第三者への凶器として設計しているのだな。
特に鰤臼は、エコなる福の神の仮面をかぶっているが、実は中味は鬼であった、と、ちょうど節分にふさわしいニュースとなった。
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