2012/05/08

617渋谷東急文化会館の変身は戦後文化の変転のエポックか

渋谷駅の東側の広場を隔てて、「ヒカリエ」なる妙な名前の巨大建物ができた。
 ここには1956年にオープンした「東急文化会館」(坂倉順三設計)が建っていた。プラネタリウムが有名であり、当時はもっとも栄えていた映画の上映館が4つもあったビルであった。

 その開館の次の年、わたしは少年時代を過ごした小さな田舎町をようやく抜け出して東京の大学生になった。渋谷がいちばん近い繁華街であったので、まさに都会の文化の殿堂のような気がしたものだ。
 プラネタリウムにも映画にも行った。どの映画館だったか覚えていないが、東急文化寄席なる演芸もやっていた。ホール落語のさきがけだった。

 そのうちに映画の衰退し。プラネタリウムもあちこちにできて珍しくなくなった。東急文化会館に入ることも永らくなかった。
 そして渋谷は西側のほうが奥深くへ繁栄しだして、ますます東側には用がなくなった。文化需要も東急文化村や、その奥の観世能楽堂などで対応するようになった。

 10年ほど前だったかその閉鎖が報じられて、取り壊されて巨大な空き地となった。
 1950年代から戦後高度成長期の終わりを象徴するような気分で、東急文化会館の欠けた駅前風景を見ていた。
 そして2012年5月、新ビルが「ヒカリエ」と名づけて開館した。新しもの好きだからさっそく行ってみてきた。

以下全文は→渋谷駅20世紀開発の再開発時代
http://sites.google.com/site/dandysworldg/sibuya20120508

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