今日の新聞にこんな記事がある。
佐賀県玄海町の「浜野浦の棚田」で、田んぼに張られた水が玄界灘に沈む夕日で輝き、幻想的な光景をつくり出している。
大小283枚の水田が11.5ヘクタールにわたって広がり、「プロポーズに適した場所」として、NPO法人・地域活性化支援センター(静岡市)による「恋人の聖地」の一つに選ばれている。町によると、棚田が夕日に染まる風景は、田植えが終わる20日頃まで楽しめるという。(2012年5月11日16時51分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20120511-OYT9I00173.htm
そしてピンクの逆光に染まる棚田群の写真がついている。
なるほどなあ、「プロポーズに適した場所」ねえ。田舎風景の宣伝にしてはちょっとハネた感じ。
この新聞記事のように、棚田の風景は“見た目は”たしかに美しい。
ここで“見た目は”といったのは、その美しい風景の裏には、それを作り出した人々の、長い間の積み重ねた棚田特有の技術とたゆまぬ労働を想うからである。
実はわたしは明日から、中越山村の長岡市小国町の法末集落の棚田に行くのである。
中越震災の翌々年からはじめて7回目の米つくりの今年の最初の仕事として、月末予定の田植えの準備にいくのだ。棚田の斜面を治し、代掻きをし、畦を塗り、水路を整備したりするのだ。
棚田は棚と棚の間に大小の崖地斜面がある。もともとは傾斜地の自然地形を、水田として水を溜めるために棚の段々にしたのだ。
それらの崖は、自然の慣わしとしていつも崩れる方向に働こうとする。毎年どこかが崩れるので、その修復、維持、管理を怠ってはならない。
平地の広い田んぼと違って手間がかかるのだ。
自然地形を手作業で棚田にするときに、もっとも省力的な方法は等高線に沿うように伐って行くことだ。それらの積み重なりが等高線に沿いつつ曲線の複雑な形状になってしまったのである。好きであのような風景を作り上げたのではない。
今の技術なら土木機械で造成して、広く平らな田んぼにすればよいのである。それをやったのが、中越地震で崩れた棚田の復興であった。
そしてもっと複雑なのは、あの棚田群に一様に水を湛えるための水路システムである。
多分、はじめから設計したら、あんな複雑な棚田群に、円滑に水を送る灌漑水路の図面は描けないだろう。棚田を造るごとに工夫して、地下トンネルを掘り、水路を作り、溜め池を掘り、そうやって積み重ねて今の棚田群に水が来ている。
現場を見るとどうしてここにと思うようなところに、背丈ほどもない素掘りのトンネルがあったりする。
中越大地震でそれらの水路が壊れたために、棚田は無事でも耕作放棄となったところがずいぶんあった。
そして水路とともに複雑なネットワークは、農作業機械の通る農道である。
農作業用の機械がなかったころは人が歩いて行けばよかった棚田も、今では機械が入ることで棚田での米つくりが続いている。
現に機械の入らない棚田は耕作放棄されつつある。
ただし、観光的な棚田の保全は、これとは別の論理というか経済原理の外で成り立っている。
そういう手間がかかるのに、なぜ棚田で米を作るのか。もちろん山村にはそこしか田んぼがないからである。そして米つくりがいちばん安定した農業だからだ。
更に棚田の米はうまいからである。法末では水が地中からわいて来る。冬の4mもの豪雪が土にしみこんで、それが湧き出してくる。谷川の水よりも、うまい米を作り出すらしい。
さて法末集落で「プロポーズに適した場所」なんて宣伝したら、わんさと人がやってくるんだろうか。
きてもらっても困るだろう。狭い農道にたくさんの遊びの車に入られては迷惑である。ゴミばかり置いていかれても腹が立つ。
来客相手になにか商売をしようとて、自家用栽培の野菜でも売るか。
まあ、大量にこられても対応できないから、パラパラとでも来てもらうと多少は村にも活気が出るかもしれない。
でもやってくる人が多くなると、中には住んで百姓をやってみようかと思う人がないとも限らない。それは歓迎である。
まず、わたしたちのやっている米つくりの仲間になることからやってはいかが?
参照
●法末集落にようこそ
https://sites.google.com/site/hossuey/
●法末棚田ハザ掛け天日干し米つくり
https://sites.google.com/site/hossuey/home/hasakakemai
●法末集落の四季の風景
http://homepage2.nifty.com/datey/hosse/hosse-index.htm
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