2013/07/28

814【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・7】我善坊谷の未来を勝手に想像する

【麻布我善坊谷・1】http://datey.blogspot.jp/2013/07/806.html
【麻布我善坊谷・2】http://datey.blogspot.jp/2013/07/807.html
【麻布我善坊谷・3】http://datey.blogspot.jp/2013/07/809.html
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【麻布我善坊谷・5】http://datey.blogspot.jp/2013/07/812.html
【麻布我善坊谷・6】http://datey.blogspot.jp/2013/07/813.html


7.我善坊谷の未来を勝手に想像する

 我善坊谷の北の丘上の六本木から赤坂にかけては、巨大開発でどんどんと地形も風景も変化が激しい。しかも、東京都心に近いほうからだんだんと南に開発が進んで来る。その最前線の真正面にあるのが、今や我善坊谷である。

 いったいどうなるのだろうか、都市計画はどうなっているんだろうかと、ネットをうろうろと徘徊して探す。現場がどうなのか全く知らない。インタネットだけが頼りである。

 というか、よほど面白いことでもないと(永井荷風の女のような)、それ以上の努力はしないのである。
 港区の公式サイトに、2012年策定の「六本木・虎ノ門地区まちづくりガイドライン」なる計画が乗っていて、ここに我善坊谷も含まれているので、これがまずは基本であろうと読んでみた。

  と言っても、こういう類のものは、わたしも作った経験があるから知っているが、初めのほうのあれこれと書いているお題目はどうでもよくて(よくはないのだが、面白くない)ので、我善坊谷あたりの図を拾うことにした。
 まず、この六本木・虎ノ門あたりの開発状況図である。

 まったくすごいものである。このうちどれが森蛭森虎兄弟の事業かわからないが、半分以上はそうだろう。
 この図の南のほうの「虎ノ門・麻布台地区」のピンクゾーンの開発検討地区が、我善坊谷である。
 これで見ると谷の西のほうは除外されていることがわかる。東のほうは桜田通りまで入れているのに、この除外にはどんな事情があるのだろうか。

 ====この続きと全文はこちらあるいはこちらからどうぞ====
 これまで麻布我善坊谷の連載をして来たが、一段落して一部追加訂正もして再編集、「我善坊谷今昔未来譚」と改題して「まちもり通信」2013年8月号「まちもり瓢論」として掲載した。

【東京路地徘徊】
麻布我善坊谷風景今昔未来譚

<徘徊人> まちもり散人

全目次
麻布我善坊谷風景今昔未来譚(その1)
1.徘徊老人が“発見”した東京の谷底街
2.我善坊谷底の落合坂を西から東へ歩く


麻布我善坊谷風景今昔未来譚(その2)
3.我善坊谷の北側の風景を鑑賞しながら行く
4.我善坊谷の南側の風景を鑑賞しながら行く

麻布我善坊谷風景今昔未来譚(その3)
5.我善坊の谷底と丘上の昔
6.我善坊谷の住人たち
 
 ◆麻布我善坊谷風景今昔未来譚(その4)
7.我善坊谷の未来を勝手に想像する

 

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