3.落合坂を行く(その2)我善坊谷底街の北側風景
この谷底街を東西方向に貫く幹となる落合坂から、東西方向の左右に枝となる幅1間足らずの路地が何本も出る。落合坂に面する各敷地の形は、間口が狭くて奥行きが深い短冊状なので、敷地の奥にも何軒も住宅が建っている。そこにアプローチするために路地ができたのだろう。
その路地の奥行き長さ10~20メートル程度で、南北ともにそれぞれ飯倉台地と仙石山の崖下に突き当たって、行き止まりになる。
この路地の奥から台地の上に登ることができる坂道は、北に我善坊坂、南に三年坂という名の坂道が、南北それぞれ一か所しかない。階段でも急坂でも技術的にはつながりそうなものだが、要するに歴史的に上下の街をつなぐ土地利用の必要がほとんどなかったのだろう。
その谷底と丘上との社会的乖離の事情に、おおいに興味をそそられる。
谷底の街並みは、木造家屋やアパートが多いが、建ててから年数の経ったような共同住宅ビルもいくつかある。
なお、谷の東西の出口あたりに高層のビルが集まるのは、放射2号と桜田通りの広い道路があることと、その道路沿いの都市計画による容積率が谷の中よりも高いことによる。
わたしは西側から入って東に抜けたのだが、だんだんと人の気配が無くなって、東に寄るほど空き家、空き地が多くなってくる。たいていの空き家には、「立ち入り禁止、巡回監視中、森ビル」との貼り紙がある。森ビルが買い取ったのか、それともなにかの都合で管理しているのか。
空き家のままにしておく理由で考えられることは、法制度による市街地再開発事業をおこなうので、事業前に取り壊すよりも、事業が始まって壊すほうがいろいろと都合がよいということかもしれない。
実は後で調べたら、この地区には市街地再開発準備組合が結成されているのであった。どのような街になるのかまでは分からないが、アークヒルズや六本木ヒルズのような、森ビルが主導する再開発予定の地域であるようだ。
東京の高級住宅地イメージの麻布台なんて、しゃれた名前の街のくせに、谷底街だし、空き家だらけだし、人影はめったにないし、なんだか異界の感じもする。
しかし、人はそれなりに住んでいるようだ。決してゴーストタウンではない。共同住宅のバルコニーには洗濯物があるし、路地の奥ではなにか家事をしている人の姿も見かける。
ただ、人が住まない家に蔦が絡み、冒頭に書いたような緑の家がいくつの登場してくると、なんとなくゴーストタウンへと進んでいる(退行している)気配が感じられるのである。
特に北側には、仙石山の上の超高層建築群が立ち並んで見えて、谷底の狭い路地と低い家々を覗き込む風景が続く。それはゴジラの群れが谷に足を踏み入れて、いまや踏み潰そうとしているかに見える。
もういちど我善坊谷の地図である。
ついでに我善坊谷の空中からの全景も見ておこう。(いずれもgoogle earth)
吉田苞竹記念館に付属する由緒ありそうな木造建築と後に土蔵が見える
落合坂を西にやってきて我善坊坂を見上げる
我善坊坂
我善坊坂の途中から振り返って南を見ると釈迦殿と東京タワーが見える
我善坊坂から東は空き地が多くなる
桜田通り近くになると北の仙石山は低くなり、城山開発あたりが見える
突き当りは大養寺の下あたり
大養寺の下あたりは路地から更に狭い路地が派生する
路地の奥には空き家に挟まれて稼働している町工場もある
このあたりは空き家が増えてきて、それらにこの張り紙がある
地形が複雑な東京という都市における、都市化の変化の歴史的動きを、実にわかりやすい対比で見せてくれている。
そして、崖下の街もまた森ビルによる空き家巡回警備の貼りり紙で見るように、次の変化をリードしつつあるようだ。
この森ビル再開発のことはことは後でまた考察したい。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
伊達美徳=まちもり散人
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
0 件のコメント:
コメントを投稿