2016/01/12

1163【終活ゴッコ】去年から所持品を処分する作業に凝っていて次第に面白くなってきたが最後にわが身の処分をどうするかなあ

 昨年は蔵書をあちこちに押し付けて、約1000冊くらいは処分した。まだ1000冊はありそうだ。ことしの仕事である。蔵書の処分は、これまで何度もやってきて、ようやくここまで到達した。

 父の遺品類は、大物の岡山の空き家を売却処分、小物のあれこれは息子に一部を押し付け、カメラ類は廃棄したが、写真アルバム13冊に悩んだ。
 大正期の尋常小学校時代から各学校卒業写真、日中戦争の現場写真、父の父から父の孫まで顔写真、たぶん1000枚以上あるだろう。弟も息子も要らないという。
 いくつかはデジタル化したが、きれいさっぱり捨てた。
父の遺品の写真アルバム類
父の遺品カメラと、わたしの“遺品”カメラ類

わたしの収集したセットテープも捨てた。能楽堂でひそかに録音した能演奏、野村四郎師指導のわたしの謡の稽古の録音、仕事がらみの録音、外国旅行の街で拾った音など、数百本あったのを、エイヤッと燃えるゴミに出した。
 山口文象研究関係のテープ5本(山口文象、前川國男、猪熊弦一郎が語る声)は、RIAの山口文象資料として引き取ってもらった。

 さて次は何を捨てようかなあ、本がまだあるなあ、それよりも思案は最後に粗大ごみのわが身をどう処分するか、それが問題だ。

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