2016/06/01

1196【緑の館コレクション】街に緑の蔦に覆われる「緑の館」が増えているが実は空き家問題と連動らしい


●不自然な緑に覆われる建築

 かなり昔から興味を持っている街の風景に、蔦の葉に覆われた建物がある。街を徘徊中に「蔦屋敷」に出くわすとちょっと嬉しい。緑の季節も紅葉の時も美しい。冬枯れ時には枯れた蔓で幽霊のようになる一変した風景も面白い。
 昔々は蔦屋敷に出会うことはあまりなかった。出会うとすれば、大きなお屋敷の洋館とか、街のモダンな喫茶店とか、旧い大学の校舎とかだった。

 そういえば、「蔦の絡まるチャペル」なんて青学がモデルの歌の文句があるらしいが、わたしの記憶にある青学は、昔々の技術士試験の会場がまさに蔦の絡まる校舎だった。今もあるだろうか。
 それらはどこかスノッブな雰囲気をまとっていたものだ。どこか憧れる感じもあったが、一方で、その構えのスノッブさに反発も感じたものだ。まとわりつく蔦の緑は自然の植物なのだが、建物の装飾として飼いならされている。

 ところが10数年前ごろから、新築のビルの壁に蔦類の壁を張り付けたものが現れ出した。高層建築にもそのような技術開発があるらしい。
 これにはスノッブさは全くない。要するに焼き物のタイルの代わりに、建物の装飾部品化された緑の蔦類を張りつけたのである。
 これはどうもつまらない。蔦屋敷のようなスノッブへの反発はないのだが、こんどは工業製品化された植物への反発を感じる。飼いならされ過ぎた植物を気の毒に思う。
壁面の緑の部分をよく見ると蔦が絡まっている

近づいてみると蔦を植えたパネルを張り付けてある

 そのうちに緑に覆われた超高層建築なんてのが現れるのかもしれない。まったくもって文字通りの不自然極まることである。どうも緑を大切にとか自然を愛そうなんて、口だけの自然愛護風潮に建築家が迷わされているような気がする。
 つい最近も、新国立競技場のやり直しコンペ入選作の絵を見ると、各階の開放廊下の外まわりに緑の枝葉が見えるから、盆栽のように植えて並べるらしい。この不自然な緑はせっせと人間が管理する必要あるから、あれだけ巨大だと数もものすごいから大変だろう。
当選したA案

●自然な緑に覆われる建物

 街を歩いていると、蔦に覆われた普通の住宅ばかりか、髙いビルにも出くわすから、蔦屋敷というよりも「緑の館」という方がよさそうだ。
 その「緑の館」に最近はしょっちゅう出くわすのだが、どうも意図的にそうしているのでは無いようである。いつの間にかからんでるとか、無人になって蔦に占拠された、あるいは占拠されつつある風な、自然な感じである。
 いかにも自然が人工物を覆うというか、なかには緑に襲いかかられる感じなすさまじい風情もあり、それがなんとも面白いのである。

 それをはじめに気にするようになったのは、2002年に横浜都心に移り住んだときだった。近くに見事に蔦に覆われた数軒の木造住宅群があり、その廃墟感と自然のすさまじさの調和に、壮絶な美しさがあった。
 だがそれは数年ほど後に共同住宅ビルに建て替わったから、壊す前のメンテナンスをやめた一時的な姿だった。
 コンクリートだらけの都会の真ん中でも、日本列島の土地の自然回復の潜在的能力が、実に高いことを如実に物語っていた。
横浜・長者町にて(2002年撮影、今は無くなった)

それから街を徘徊するたびに、ちょくちょく蔦住宅や蔦ビルの「緑の館」を見かけては、これが持ち主に趣味なのか、それとも管理をやめた廃屋か、いつまでこのままだろうか、などと考えつつ見るようになった。
 せっかくだから採集して見る気にもなった。といっても積極的ではなく、徘徊時に気付いたら写真を撮るくらいなものだが、それでも最近はずいぶんコレクションが進むのである。
横浜・長者町にて(いまは建て替え中)

小千谷市にて
三島市にて


 そして世間には空き家問題が騒がしい。そうか、「緑の館」が増殖するのと「空き家問題」の騒がしさが比例しているのであったか、つまり「緑の館空き家問題」なのであったか。
住むことを放棄されて、管理されないままに蔦が野放図におい繁る風景は、なんともスノッブからほど遠い。
 だが緑濃い季節に蔦の葉が建物をモコモコと包み込む姿は、廃墟の退廃と自然の高揚とが重なり合って、一種異様な美しさを放つのである。その明るい緑のモコモコの内側には、暗い廃墟の美が凝縮されているに違いない。
 
東京港区・西新橋にて

東京大田区南久が原にて

東京大田区南久が原にて

東京大田区南久が原にて
緑の館の増殖の原因のもうひとつは、都市の再開発があるようだ。ある地区で再開発が行われようとしており、その地区内の家屋が明け渡されて、取り壊すまでの間の空き家群が生じる。
 この空き家期間が長いと蔦が絡まって、緑の館群となる。それが隣りの再開発されたキラキラ超高層と対比するとき、都市のギャップを覗き込むような気分がしてくる。
東京港区愛宕下にて
 
といっても再開発があちこちで進むのは東京都心部くらいなものだから、東京こそ「緑の館」の繁殖地である。これはなかなか面白い。
 わたしが発見したのは、東京の麻布台のあたりで、昔々には我善坊谷と呼ばれていた谷間の街である。森ビルが再開発を企図している地区であり、たくさんの空き家が緑の館になって、取り壊しを待っている風景がある。
 地区全体に頽廃感が漂うと同時に、再開発への高揚感が潜在していて、そのギャップを楽しむことがができるから、ここはわたしの徘徊定点観測地区である。
東京港区麻布台にて

東京港区麻布台にて

東京港区麻布台にて


●わたしの自邸で「緑の館」体験

 実は「緑の館問題」については、わたしが住んでいた鎌倉の自宅を蔦の葉で覆い尽くそうとして、失敗したことから始まる。
 1978年に、鎌倉の谷戸に自分の小さな家を建てたとき、道路側の外壁に蔦をからませた。鎌倉の小さな谷戸は周りがどこも緑であるから、その中に建つ白い家も緑に包みたかったのである。
 それはみごとに成功して、蔦のからまる緑の壁ができた。数年は緑の館を悦にいって眺めていたものだ。
緑いっぱいの鎌倉の谷戸

 5年も経つと蔦はドンドンと壁を登ってきて、庇やら屋根の方までひろがってきた。ときどき刈りこんでいたが、あまり高い位置になると不可能になる。
 更に問題は、木造住宅だから板の隙間から蔦の触手のようなものが入り込んでくるし、窓枠や樋にも絡んで面倒な様子になってきた。
 実のところは棲家が蔦に侵略されてくるようで、やばい感じになってきた。自然に征服される感なのである。

 このあたりで大きく刈りこんで蔦面積を小さくしようと思い、外壁から蔦をヒッペガそうと、エイヤット引っ張ったら、なんとまあ、壁が倒れてきた。
 ウワッ、蔦だけがはがれるのではなくて、蔦のからまる外壁の板ごとはがれてきた。いかん、蔦のせいで外壁板が腐って、蔦と板が一体になっていたのだ。

ウワッ、壁板が蔦と一緒にはがれた

 しょうがない、泣く泣く外壁を全部金属板に貼り換えて、それからは蔦のからまる緑の館をやめたのであった。
 最初から言えば10年間くらいの蔦体験であった。やはりコンクリートかレンガ造でないと、蔦をからませるのは無理である。 
そっけない金属板に貼り換えた

●山口文象自邸こそ本来の緑の館

 ところで、先日これこそ緑の館であると思った家に行った。建築家山口文象が自邸として設計して建て、いまはその子息の勝敏さんの家である。1940年に建ったから、その年には小説家の林芙美子の家も設計して建った。
 モダニスト山口文象には珍しくも、外も内も北国の古民家風のデザインであったが、今は改装されてその面影はほとんどなくなった。わずかにその外観のプロポーションで偲ぶのみである。

 山口邸は緑の蔦がからまるお屋敷ではなくて、その庭に美しい緑があるのだ。コブシ、アカシア、サクラの3本の大木が並んで枝葉を張り広げ、季節には花を咲かせ、その下にはナツミカンの木も花や実をつける。
 その下のタイル床には、麗子夫人が精を込めて育てる草花の鉢や籠等が、実に美しく配置されている。
 ピアニストの勝敏さんの演奏会が、春と秋にここのサロンで催されるときは、この庭に広がる葉張りや花の下は、こころよい交流パーティーの場となる。
 こここそ本来の「緑の館」である。
山口邸の緑のころ
山口邸の花のころ
山口邸のある久が原の空中写真

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