2016/12/05

1238【谷戸の変容】違法建築判決の共同住宅ビルを見に行ったら典型的な谷戸の斜面緑地開発だったが、


 このところ「六浦」づいている。まずは、能の「六浦」(むつら)、そして横浜の六浦(むつうら)にある称名寺(しょうみょうじ)を訪問、こんどは同じく横浜六浦にある谷戸(やと)を訪問と、3連発である。
 もっとも、能の六浦と称名寺とは、称名寺の所在地の今の地名は違うが創建時の中世では六浦だったし、能の物語の舞台が称名寺なので互いに関係があるが、3番目の六浦の谷戸はそれらとはまったく関係がなくて、たまたままたもや六浦だったのだ。
 その谷戸の現代的変容に、ちょっと興味をそそられた。

●六浦の違法建築判決の共同住宅ビル

 その六浦の谷戸を訪ねたのは、全くのヤジウマである。
 そのあたりで建設中の大きな共同住宅ビル(いわゆるマンションのこと)が、裁判で違法建築であるとの判決を食らったとの新聞記事を読み、どんな所なのか興味がわいたからだ。
 わたしはこの共同住宅開発とは何の関係もない。

訴えた方、訴えられた方、ともに困惑しているのにヤジウマとは何事と怒られそうだが、これでもわたしは昔は都市計画を専門としていたので、その点での興味であるからお許し願いたい。
 ネットでそのおおよその場所が分かったので、訪ねたら三浦半島あたりでは典型的な谷戸だった。
土地造成中のグーグル写真
訪ねる共同住宅ビル開発位置の概略図


 谷戸とは、褶曲の多い地形を割って流れるメインの川筋の両側に流れ込む谷筋の、細長い谷間の低地のことで、横浜から横須賀あたりにかけての、斜面住宅地の典型的な風景である。
そこでは、たいていは昔から人々が住み続けてきて、なり行きまかせで谷底を平らにし、まわりの斜面地の際を段段状に削って平らにし、坂道と階段のある立体住宅地が、細長くつづく。複雑な地形で、カオスな風景となることもおおい。
 ここの谷戸もそのとおりで、入り口から奥まで前後左右の斜面地が住宅になっている。かつては斜面は緑の豊かな環境だったろうが、今や単に地形的に落ち込んだ日陰の谷間の、車も入りにくい住宅地に過ぎない。
 ここは柳谷戸(ヤナギヤトまたはヤナギガヤツ)という地名らしい。

●5階建てだけど3階建て共同住宅ビル

 そしてこのたび見に来た例の新開発共同住宅は、ほぼできているらしい。
 柳谷戸の入り口から見えるし、谷戸の細い道を奥へ奥へ辿って行けば、左にコンクリートの絶壁がえんえんと続いており、その上に5階建ての共同住宅ビルが長々と横たわっている。
柳谷戸への入り口、向こうにクレーンの立つ建物がそれらしい
谷戸の細い道の向こうに工事中らしい共同住宅ビル
 工事看板を見ると、地上3階、地下2階と書いてある。目に見えている5階建てではなくて、これは3階建てなのであるか。
 どうやらこの階数の設定が、建築基準法に悖るとて建築確認取消判決になったらしいが、そのどこが悖るのか、建築の専門家でないから見てもわからない。
 肝心なことを分らないが、見ていて建築よりも都市計画的にいろいろ考えることがあった。
谷戸の西側の絶壁崖上に5階建てに見える共同住宅ビル
谷戸住宅地から西を見上げる斜面地の新開発共同住宅ビルの北半分
谷戸の奥から見下ろす共同住宅ビルの北半分、谷戸の東も絶壁
見てすぐに分ることは、谷戸の中もその上の新開発共同住宅も、同じ都市計画の区域なのに、その景観のあまりの違い様である。
 都心の市街地では、このような高層と低層の建築群が並ぶことは珍しくはないのだが、ここのように低層住宅地として規制の厳しい郊外では、余り多くないかもしれない。

 そしてその柳谷戸の西沿いにある絶壁下の細い道から、絶壁上斜面地の新共同住宅への細い分岐道があり、その突き当りにエレベーターを設けて、絶壁上斜面に登るらしい。
 ここから六浦駅までは10分もかからないが、まさかこの路地の突き当りが正面玄関ではあるまい。
谷戸西側の絶壁上斜面の新開発共同住宅ビルと絶壁下の谷戸住宅
絶壁はがけ崩れ防止対策として公共事業による既存のものらしい

この先からエレベーターで絶壁上斜面の共同住宅へ登るらしい
●尾根の上から見ればほとんど平屋

 このあたりで他にも同じような開発があるかもしれないと、更に谷戸の絶壁道を奥へ奥へと行けば、突き当りにもう居住者がいるらしい既存の大きな共同住宅ビルが建っていて、狭い道路はその裏玄関らしきところに吸い込まれた。
 しかし、これらの新旧二つの共同住宅ビルが、この絶壁下道からのみのアクセスということは、まさかあるまい。この谷戸を尾根の上にあるチャンとした道路が正面玄関だろう。ただし、そこだけだと六浦駅からかなり遠くなるので、こちらは歩いて駅と結ぶ裏口なのだろう。
谷戸西側絶壁下の道は、奥斜面に建つ既存5階建共同住宅ビルに入り込む
このビルも同じ手法で建てたのだろうか、でもこちらは問題なかったのか。
谷戸から尾根上台地に登って見る上の写真の共同住宅は2階建て
 そして尾根上台地のに登って見ると、そこはきちんとした計画的開発住宅地であった。
その一角にこの違法判決住宅ビルの、工事中の入り口があった。そこから覗くと谷戸から眺めるような5階建てビルでもないし、地上3階建てでもないし、単に平屋の長屋程度にしか見えないのであった。
 この上と下の景観的ギャップが、なんともすごいのである。
 開発の空間的影響が、空間的ゆとりの少ない谷戸側に大きく、ゆとりのある台地上側には少ないのが、どこかアンバランスである。
 しわ寄せが谷戸側に一方的に行っているのは、現行の建築基準法に問題があるようだが、むしろ都市計画の問題としてとらえるべきだろう。現状では、用途地域指定は上と下で大差ないが、大きな差があるのは、上には地区計画があり、下にはそれがないことであろう。
尾根上台地から新開発共同住宅ビルを西側から見ると平屋
 いろいろの資料を突き合わせてみたら、この開発はこのような配置状況であることが分かった。連続する斜面緑地をすっかりカバーしている。共同住宅ビルの背中は斜面にもぐりこんでいるらしい。

 ついでに、柳谷戸の西隣りにある同じような谷戸も気になったので見てきたが、こちらにも谷戸絶壁上に大きな共同住宅が建っている。
 おやおや、ほとんど同じようなものである。はて、こちらは問題とはならなかったのか。
柳谷戸の西隣りの谷戸の崖上開発
これも尾根上の台地から見れば2階建て
●谷戸というミクロ流域生活圏の変容

 六浦もそうであるが、三浦半島の人々は大昔からそこに小さな集落をつくって暮らしてきた。近代的な目で見れば、尾根の上の台地のほうが環境が良さそうに思えるが、漁労と水利あるいは交通の便でそうなったのだろう。
 そこはミクロの流域圏としてかなり閉鎖的な十数戸の集落をつくり、緊密な生活圏であった。空間的には狭く細長い船底地形であり、集落の前後左右を守るように急な斜面緑地が覆っている。明確な結界を構成している。

 じつは、わたしもここ六浦にほど近い鎌倉で谷戸暮らしを、40歳頃から四半世紀もしていたのであった。
 そこは一年じゅうウグイスやホトトギスの鳴き声が聞こえ、リスが窓辺にやってきて、夜はタヌキさえ訪問してきた。春から夏の緑の成長の勢いは、怖いほどに押し寄せてきたものだ。
わたしが住んでいた鎌倉の谷戸、右に台地上の計画的開発住宅地

 近代水道ができてから尾根上の台地開発が行われるようになり、高度成長期から人口圧力で大規模な住宅地開発が進む。
だが、尾根下の谷戸は台地開発とは、一般的にはほぼ無関係な世界であった。
 これらは平面的には隣り合わせだが、立体的には上下の位置関係にあり、その間には急斜面緑地が境界林を形成しているのである。地形的にも環境的にも景観的にも、この境界林が重要な意味を持っている。ここを境にそれぞれが結界を形成していた。

 ところが、その境界林であるはずの斜面緑地に、初めは谷戸側からなし崩し的に戸建て住宅が綻びのように上場に建てられていく。
 そして次は台地の上側から計画的開発の手が入ってくるようになった。かつての台地上開発では開発残地であった斜面地が、世の中一般の地価上昇から見て相対的に安価であることと、建設技術革新で、あらたな開発の対象となってきた。
 結界の破れ方が、それまでのような綻びをつくろう漸進的な様態ではなくて、メスで切り拓いて外科手術的に髙い絶壁とか巨大な建物が代替登場する。

 訪ねた六浦のここも、昔からの谷戸の暮らしの場が、近現代の住宅開発で大きく変容する現場のひとつであった。谷戸の左右の絶壁がそれを物語る。
 取り残されていた谷戸と、開発された台地との境目で、摩擦の発生である。訪ねて興味がわいたのは、その生活圏の景観変容の生々しい現場であることだった。そこで、さらに景観変容の歴史をたどってみた。
 なかなかに日本の戦後高度成長から今日までの、郊外生活圏の変化が興味深いが、これはこのあたりでは特別に珍しいことではないのだろう。
 わたしが住んでいた谷戸でも崩壊防災の絶壁はできたが、斜面地と尾根が市街化調整区域であり、そこは古都法によって保全されていたから、ここのようにはならなかった。

柳谷戸とその周辺地区のこの半世紀の変遷
谷戸が次第に裸に剥かれていく様子がよく分る






さて、つぎはどこの緑地が食われるか
それとも人口減少時代になってそろそろ満杯か

●斜面緑地と谷戸の居住環境

 この斜面緑地はどうして生まれて、だれのものだったのだろうか。
 たぶん、尾根上が台地状の新住宅地に開発されたとき、その周辺の急斜面のために開発に適さない土地として、結果的に緑地となっていたのであろう。
 だから、この土地にかかる費用は、台地上の開発者の負担、つまりその住宅地の購入者の負担に転化されていたのだろう。
 それが今になって開発適地として生まれ変わった。とすれば、この開発利益の受益者は台地上の居住者でなければならないだろうが、そうはならないのは確かだろう。

 斜面上からの開発に襲われて斜面緑地を失った谷戸は、日当たりも通風も車の便もよくない坂道ばかりの住みにくい住宅地となった。だだ駅には近いのが利点である。
 その斜面緑地の存在で、その所有者とも開発者とも関係のない谷戸の住人たちは、反射的に受益していたのだが、こんどはそれを失うことで反射的に不利益に転換するという痛い目にあっている。
 だが、もともとの負担者ではないから、甘んじるしかないのだろうか。

 斜面地住宅には、高齢者は住みにくい。しだいに空き家が増えつつあることは、柳谷戸を歩いてみても気が付いた。わたしが住んでいた鎌倉の谷戸もそうであった。
 定住的な住宅よりも、賃貸借型小規模住宅(アパート)が増えているようだ。自分が住まないとなると、過密に建て替えるからしだいに生活環境が悪くなる。

 このような暮らしにくくなった郊外の谷戸住宅地の今後は、いったいどうなるのだろうか。横浜や逗子、横須賀には数多く存在する。
 六浦の柳谷戸とその崖上開発とを見て、ひとつの谷戸全体をまとめて環境整備に手を付ける必要があると思い、それはここだけでの問題ではないとも思ったのであった。
 かつての谷戸という長屋のような暮らしが、今や共同住宅ビルという現代長屋に、とって替わられつつあるのかもしれない。
 なんにしても、これは違法建築以前に、現代における居住環境の確保について基本的な大問題を抱えている。
 
●「まちもり通信」サイト内の参照記事:鎌倉の谷戸脱出記

「伊達の眼鏡」ブログ内の参照記事
 ・能「六浦」 http://datey.blogspot.jp/2016/11/1235.html
 ・称名寺 http://datey.blogspot.jp/2016/12/1236.html


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