『明治ムナ(67)しく、大正イイ(11)ぞ、
昭和ニゴ(25)らず、平成ハヤ(88)し』
つまりそれぞれの「和暦→西暦換算式」は、次のようになっているのだ。
・明治X年=西暦(X+1967)年
・大正Y年=西暦(Y+1911)年
・昭和Z年=西暦(Z+1925)年
・平成W年=西暦(W+1988)年
投稿は「1年後には新しい呪文を唱えなければならないが、さて…?」と疑問で結んでいるので、新呪文を勝手に考えてみた。
「平成」の次の新元号が仮に「運成」とすれば(その理由はムニャムニャ)、その和暦→西暦換算式はこうなる。
「運成P年=西暦(P+2018)年」
とすれば呪文は、こうなるのだけど、どうですか?
『明治ムナ(67)しく、大正イイ(11)ぞ、
昭和ニゴ(25)らず、平成ハヤ(88)し、
わたしは「和暦→西暦換算式」を覚えているので、その都度暗算してきたのだが、歳とって暗算能力が衰えてしまった。新聞とか本を読むときに、計算機を傍に置くことになった。
換算式も忘れそうになってきたので、この呪文はありがたい。だが、来年から更に新元号が加わると、便利な呪文も長くなり、その呪文を覚えることさえ難しくなる。困ったものである。
世の中はグローバルになってきて、時間を計る物差しは日本でも19世紀半ばにから太陽暦が標準になっているし、その通し年代記述についても、近世以前については西暦がデファクトスタンダードになっているし、近代以降もその傾向は強い。
それなのに、官公庁や公的機関はいまだに元号を使用を止めないから、市民は元号使用を事実上は強制されていて、西暦と和暦の混在の中にいる。
明治大正昭和平成が登場するたびに、グローバルに歴史的に物事を考えようとすると、いちいち呪文を唱えて回らぬ頭で換算したり、計算機を持ち出さねばならない。面倒なことである。
なぜ、官公庁が西暦一本に踏み切らないのか、不思議でしょうがない。公共機関が発表する年代別統計の表やグラフに明治大正昭和平成の記述があるのだが、これは年が続いているのかしらと奇妙な錯覚が起きる。外国人はどう思って読むのだろうか。
ネパールの本を読んでいたらビクラム歴による年代記述が出てきて、頭が混乱した経験がある。
わたしは「元号をなくせ」とまでは言わないが、使用を強制するのを廃止してもらいたい。元号なんて使いたい人だけが使えばよろしい。
どうしても官公庁で元号を使うなら、こうしてもらいたい。
次の元号を「西暦」とし、
そのカウントを「2019」から開始し、
今後は改元を一切しないこと。
こうすると新元号による和暦→西暦への換算式は、
「西暦R年=西暦(R+0)年」、
つまり和暦と西暦が一致するのである。これでもう和暦と西暦が混在していても、永久に換算問題は解消する。なお、日本史上で「暦」の字を使用した元号は13回もあるから、「西暦」という元号は伝統に反していない。
これって、元号使用派にも西暦使用派にも、実に妙案だと思うのですが、いかがですか。
0 件のコメント:
コメントを投稿