2018/005/31 宝庵露地 |
2017/12/13 宝庵露地 |
わたしは40年前、去年、今年に訪ねているから、これで4度目の訪問である。今回は贅沢にも、わたしたちだけで借りきりである。
山口文象事務所が描いた設計図を広げて、実物を見まわし、例えば炉の位置、あるいは天井竿縁の方向とか、図と現物の違いを発見し、それは当時の現場変更か、後世の修復時の改変か、それは誰のどんな意図か、などと謎解きを楽しむ。正方形ばかりで数寄屋を構成するとはさすが山口文象だ、などと作品論も交差する。写した高台寺遺芳庵のほかにも京都には遺芳庵があるが、どちらが本物だろうか、などと京都に話が飛ぶ。
そして今日の締めとして、一同は茶室に座り、静かにゆったりとくつろぎながら、茶をたてて喫してきたのだった。
常安軒の4畳茶室で、開け放った広縁の向こうに庭を眺めながら、仲間のお点前で茶を楽しむ。この茶室からの庭の眺めは、京都大徳寺孤篷庵・忘筌の写しである。
上を軒から吊る障子で見切り、広縁の横長の額縁の中に、野趣に富んだ草花に蝶が舞い、林から鶯が鳴き、時には霧雨のお湿り、風景の明度と彩度がわずかに微妙に変化する。
ゆったりと流れる時の中で、抹茶を喫する贅沢な時間、関口泰と山口文象が意図したこの空間を、身体で味わう豊かな午後だった。お世話いただいた島津さんたち宝庵メンバーに感謝。
2018/05/31 宝庵 常安軒4畳茶室から忘筌写しの庭の眺め |
そのまん丸吉野窓障子を左右に一尺ばかり引き分けて、吉野太夫が美しいかんばせをチラとのぞかせる風景を夢想する。
茶室広縁から遺芳庵鏡写しの夢想庵の吉野窓を眺める |
二人はこの構想を1931年にベルリンで語り合った。その頃のベルリンでは近代建築の潮流が大きく渦巻いていた。そこで日本伝統茶室建築を企画する。
そして、関口亡き後いっときは荒れていたこの茶室を取得し、復元修復して昨年まで保ち伝えた後継オーナーは、鎌倉の名建築家榛澤敏郎氏でああった。
そして今のオーナーは、この谷戸の地主である名刹浄智寺(金宝山浄智禅寺)に移り、今春から公開されて、茶会の場はもちろんのこと、各種の市民文化活動の場になった。
山口文象の戦前作品で、いまも当初の形態を保ち、かつ当初の機能のままに生きる建築は、これのほかには黒部川と箱根湯本の発電所がある。
詳しくは下記を参照
・「宝庵由来記」https://bunzo-ria.blogspot.com/p/houan1.html
・「宝庵 北鎌倉」https://www.houan1934.com/
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