2021/02/21

1517【能:班女】コロナ世を忘れて中世の艶なる歌舞音曲古典芸能に酔いしれた


 春近い晴天にして強風の日(2021年2月20日)、横浜能楽堂にて喜多流の能「班女」を観てきた。物語としての筋は、宿場の遊女(花子 はなご)とそれに惚れた男(吉田の少将)の出会いと再開という簡単だが、謡曲の詞章がなんとも艶っぽい。

 現代からは古語になるが、室町期の人には現代語だから、まさに歌謡曲の恋歌に聞こえただろう。そう、演歌というか艶歌であったろう。
 遊女は後場の一セイ、サシで恋した客の男への想いを切々と歌う。そしてサシ、クセと世阿弥の華麗な情緒のある恋歌の名文の地謡が続くと、舞台は次第に色っぽくなる。

 その艶っぽい歌いに続くのが、一段と艶をつける序の舞である。松田弘之の笛はゆったり嫋々と響き、香川靖嗣の舞は華麗な色彩の装束と扇がたゆたう。能楽堂の中にねっとりとした艶っぽい空気がまとわって、それが次第に濃くなってくる。酔ってきた。

 でも、終わり方がちょっとあっさりしすぎている。ここまでにこれだけ情緒纏綿としたなら、再会場面での二人の男女をもっと色っぽくしてもらいたい。ここで互いに交換して持ち合っていたふたつの扇を合わせるのは、まさに濃厚接触の象徴だろう。かなり前に見たときはもっと艶っぽかったような記憶がある。

 「班女」を観るのはこれで3回目である。狂女物は中の舞が原則らしい。今日の序の舞は喜多流独特らしい。これまでは観世流だったから中の舞であったのだろう。でもここは序の舞のほうが良いだろうと思う。狂気の女と言うよりも、恋に身を任せる幸福にして不幸な女と言うほうが似合うだろう。

 今日も能の前に馬場あき子さんの講演が30分あった。歌枕シリーズなのに今回は能の場所である「野上の宿」の歌がないとて、能の見どころ解説であったが、このほうが良い。サシ・クセ・女の舞あたりが見どころ聴きどころとして、詞章の謡いとして音の数など楽譜解説もあった。

 ただし、「班女」には歌がないのではない。5首の恋歌があった。
  春日野の雪間を分けて生い出でくる草のはつかに見えし君かも
                   (壬生忠岑:古今)
  恋すてふわが名はまだき立ちにけりひとしれずこそ思いそめしか
                   (壬生忠見:拾遺)
  夏はつる扇と秋の白露といづれかさきに置かむとすらむ
                   (壬生忠岑:新古今)
  形見こそ今はあだなれこれなくは忘るるひまもあらましものを
                   (讀人不知:古今)
  夕暮れの雲のはたてに物ぞ思ふ天の空なる人を恋ふとて
                   (讀人不知:古今)

 歌枕としての野上の宿の現在について、配られた自筆テキストの中に、この遊女がいた屋敷地の跡は、「いま岩田姓の方の住居になっており云々」とある。お話でも簡単に触れられたが、なんだかここに個人姓が出るのがヘンだった。ふと気が付いたのは、馬場あき子さんの本名は岩田暁子だから、もしかしてその夫の歌人岩田正に縁があるのだろうか、それでワザと記したか。

 馬場さんの講演で初めて知ったのは、能「班女」・狂言「花子」・能「隅田川」は登場人物が共通する一連の作であるという話だった。「吉田の少将」という男と、「花子」と言う女性である。
 つまり能「班女」で結ばれた男女の、後の話として狂言「花子」の男女になるのである。ただし夫婦ではなくて不倫の間柄で、吉田の少将と遊女だった花子とが逢引きして、吉田夫婦が喧嘩する話である。ここには二人の名が登場するから後日譚だろう。

 更にその後日譚として能「隅田川」になるという。アッと思った。たしかに隅田川に登場する梅若丸は死の間際に、父は京の「吉田のなにがし」であると言うが、たったそれだけである。シテの母の名は花子であるかどうかでてこない。
 「隅田川」は班女の作者世阿弥の子である元雅の作だから、父の作の続きにすることはありうるだろうし、面白い話だが、前2作とあまりに内容が違うから、後日譚とするのは無理があるだろう。

●横浜能楽堂企画公演 馬場あき子と行く歌枕の旅 
 第5回美濃国・野上 2021年2月20日 14時開演
 講演 馬場あき子
 能「班女」 
  シテ 香川靖嗣  
  ワキ 森常好 ワキツレ館田善博 大日方寛
  間 山本泰太郎 
  大鼓 亀井広忠 小鼓 観世新九郎 笛 松田弘之
  地謡 長島茂 金子敬一郎 内田成信 大島輝久 佐々木多門
  後見 中村邦生 友枝雄人

 これで「馬場あき子と行く歌枕の旅」という横浜能楽堂の5回シリーズ能公演が終わった。コロナ禍の中で取りやめにならずによくやってくれたものだ。でも、席はひとつおきで半分だし、それでも空席が結構あって、採算とれるものではなかったろう。馬場さんは毎回登場して興味深い講演してくださった。わたしより年上だから、お元気すぎて嬉しい。
 但しわたしは馬場さんを聞きたくて行ったのではなくて、かつての謡いの師匠野村四郎先生の芸を観たかったので、ついでに他の能も観たのだったが、コロナ禍の中よかった。

2020年10月10日 外の浜 能「善知鳥」(観世流)野村四郎
2020年11月22日 園原 能「木賊」(金春流)桜間金記
2020年12月19日 逢坂 能「蝉丸」(観世流)大槻文藏 浅見真州
2021月1月23日 佐野 能「船橋」(宝生流)金井雄資
2021年2月20日 野上 能「班女」(喜多流)香川靖嗣

                    (20210221記) 


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