中央政界では、公明党は自由民主党に対して、四半世紀にわたる連立政権から離脱を告げたそうだ(2025年10月9日)。わたしは政治についてはよく分らないから、政界では一大事件らしいことにも、この狂歌程度しか言えない。
ついでにもうふたつ狂歌を書いておく。
あこがれの鉄の女になるはずが鉄の男に袖にされちゃう
袖にされ参拝障壁ひとつ消え密かににんまりサナエさん
戯言はこれくらいにして、公明党にまじめに文句を言いたいことがある。この政党が「公明」を固有名詞として名乗ったために、日本語から「公明」という普通言葉が消滅の危機に瀕しているのだ。
この党が1964年に登場するまでは、日本語で公明は普通に使われていた。例えば公明正大である。この単語の意味説明は不要であろう。ところが公明正大なる政治というと、途端に公明党を持ち上げていると思われるからか、そのような言い方は消えた。
例えば公明選挙である。これも選挙のたびに使われていた。ネットで見ると1953年に「公明選挙運動」なるものがはじまったそうだ。その名の運動団体も活躍しており、選挙では普通に使われていた。
ところが、これを言うたびに公明党を応援しているかのごとくになってしまう。1965年に運動団体は名称を「明るい選挙運動」に変更せざるを得なかったらしい。こうして公明なる言葉が固有名詞化して、普通名詞であることをやめてしまった。
こうして日本語は一つの普通名詞を失った。たとえば「創価党」とでもすれば、こんなことにはならなかったろう。公明党の日本語に対する罪は大きい。もしかして公明選挙なる言葉を失ったので、いまだに選挙違反がなくならない、なんてこともあるまいが、残念だ。
それで思いつくのは、もしかして「民主」もそうかもしれない。なにしろ自由民主、社会民主、立憲民主、国民民主などなど、日本の政党は民主の大安売りである。政党で独占している言葉の感がある。
もしかして現今の民主主義の衰退現象は、これらが安易に名乗ったためかもしれない、なんて思う。次に危ない言葉は「参政」である。参政権運動なんて使えなくなるにちがいない。そして政治に参加すること自体が衰えるあろう、心配だ。
政党名を安易につけることを禁止する法律制定を国会で審議してもらいたい。大いに揉めそうで面白そうだ。
(2025/10/12記)
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伊達美徳=まちもり散人
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