2013/10/11

843村上春樹はもしかしたらイグノーベル文学賞をとったのだろうか

今日、本屋(伊勢佐木町有隣堂)に行ったら、入り口すぐに「ノーベル賞受賞」と大きな字で印刷した紙の下に、村上春樹の本が山と積んである。
え、違うよ、カナダの女流作家だろうって、よく見たら、その紙に「2013年のノーベル文学賞はカナダのアリス・マンロー」って、書いた小さい紙がはりつけてあった。

はは~ん、村上春樹だとヤマをかけて、ウンと仕入れてたんだな、ははは、当て外れオキノドクさま。でも肝心のアリスマンローの著作は置いてないのであった。

ところが、こんな画像がFACEBAKAから流れ着いてきた。
http://gohoo.org/alerts/131010-2/?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter

はは~ん、こちらもヤマかけて予定原稿を書いていたのを、早とちり勇み足うっかり配信してしまったのか。
それとも、実は村上春樹はイグノーベル文学賞をとったのか。だって、この写真はどう見ても受賞の喜びを語るムラカミサンだよ。

842【五輪騒動】なぜ今頃になって建築家は新国立競技場の計画案に異議申し立てなのか

 オリンピックの前哨となるそよ風が、建築設計業界に吹きはじめたたらしい。
 国立競技場の建て替え計画で、コンペで一等になったザハ・ハディドの案その絵はこちらに対して、建築家の槇文彦さんが異議申し立てをJIAの会報(2013年8月号)に書いて、動きが出ているようだ。
 本日、それについてのシンポジウムをやるそうである。

 さて、建築(家への悪口)を趣味としているわたしとしては、面白いことになったと模様眺めを楽しむことにするのだが、ちょっと気になることがある。
 このコンペ当選案は、安藤忠雄さんを審査委員長として、鈴木博之、内藤廣、ロジャース、フォスターなどの、れっきとした方々が審査員として選んだ結果である。これが発表されたのは、2012年の11月のことである。問題の根本にあるコンペプログラムはさらに前に公表されている。

 なぜ今ごろになって槙さんは異議を唱えるのだろうか。わたしは異議を唱えるのがいけないと言ってるのではなくて、ずいぶん遅いよなあ、と思うのである。
 さらにまた、槇文彦と言えば今や老大家である。生きのよい若手建築家はどう思っているのだろうか。門下生たちはどうしているのか。実はあの案に賛成なのか。俺ならもっとうまくやるのになあと、思っているのだろうか。

 反対としても、なぜ今まで黙っているのか。国家的行事の施設だから、老大家でなければ異議を唱えにくい今の世の中なのか。実は老大家は、若手から異議申し立てが出るのを待っていたのだが、だれも言わないので腰を上げたのかもしれない。
 なにしろオリピックに異議を唱えるのは、いまや国賊並みだからなあ、アマちゃんを見ないのは非国民だしなあ、、若手がビビるのはわからないでもないような、、。

 本日のシンポジウムは、槙さんを囲んで行われるようだから、どうやら異議申し立ての場であるらしい。出演者など見ると、どうも槇さんの論に対して異を唱える会ではなさそうだ。
 その場には、コンペの審査委員長あるいは審査員のかたがたを招いているのだろうか。あるいはコンペ参加した落選者たちも参加されるのだろうか。そのような方々と一緒にシンポジウムをしてこそ、新たな展開があるだろうとおもうのだが、どうなんだろうか。
 コンペに参加もできずにいて、悔しがっている建築家たちだけで、異議を唱えても迫力がないぞよ、、頑張りたまえ、若手建築家たちよ。

 槙さんの異議申し立てのJIAマガジンを読んだが、ご自分が設計した東京都体育館との対比で論じられると、若干鼻白む感がある。
 また、絵画館との対比についても、わたしはあの王権賛美の出自、威圧的なデザイン(坊主頭を何とかせい)、偏頗な展示内容を大嫌いだから、つい槇論をあまり肯定したくなくなる。
 へそ曲がりのわたしとしては、いっそのことザハ・ハディドの異教徒的空間(わたしには自転車乗りのヘルメットにしか見えないのだが)の出現で、明治神宮内外苑が抱えている20世紀前半の亡霊を追い払ってほしいとさえ思う。


(追記 2013.10.11 2030 face baka書き込み)
 ネット中継でシンポジウムを、たった今見終わった。面白くなかった。
 危惧していた通りに、コンペ審査員も応募者もいない。コンペから外された建築家ばかりが、あれは困るみたいな話ばかりだし、学者は常識的なことしか言わない。
 こうなると、言い出しっぺである槙さんは、それだけでえらいなあ、と、思うばかりであった。
 都市計画に対する異議申し立て発言が多かったが、公園緑地系の専門家をなぜよばなかったのか。
 もしも一等当選者が、建築家協会会員であっても、あるいは日本人であっても、こういっただろうか。一等当選案に負けない巨大建築で応募した建築家に、JIA会員はいないのだろうか。
 どうでもいいけど、壇上の5人全部が東京大学閥でいらっしゃいました。

(追記2013・10・12 face baka書き込み)
 昨日のシンポジウムでも問題なっていた新競技場の高さは、コンペ当選の建築の後追いで、今年6月にそれまでの制限高さ20が75mに緩和される地区計画を都市計画決定しています。
 新国立競技場一等当選案に反対の建築家たちは、もちろん、この縦覧時に反対の意見書をお出しになったのでしょうね。また公聴会で反対意見をお述べになったのでしょうね。
http://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/keikan01_001070.html

 今回の件は、建築計画案がコンペによって先につくられ、後から都市計画(地区計画の再開発促進区)が追いかけていますね。わたしはこの地区計画を6月に見たとき、なんだか順序がヘンだなあと思いました。
  この地区計画決定について、東京都と新宿区の都市計画審議会の議事録を読んだのですが、東京都のほうはいい加減な審議で可決しています。
http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/keikaku/shingikai/pdf/giji201.pdf
 新宿区は決定権はなくて意見具申するのですが、こちらはそれなりに問題をとらえて審議をしているようです。でも追及が全然足りませんね。どんな意見具申(まるきり無視されたらしいが)したのでしょうか。
 以前に東京中央郵便局を超高層化して建て替えることについて、やはり建築家たちが反対の集会を建築学会ホールで持ったことがありますが、すでにその超高層計画の都市計画決定がなされた後のことでした。
 わたしはその会場で、いま、反対派の建築家はその都市計画案縦覧時に反対意見書を出したかと聞きましたが、どなたも回答なさいませんでした。
 市民もそうだけど、専門家である建築家が、公開されている都市計画手続きに、日頃から関心を持つ必要があると思います。

参照:現代のプレゼン技術のすごいことよ!
http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/NNSJ/ceremony.html


(追記 2013/10/17)
後だしジャンケン提案。そのうちに解説をここのブログに書きます。(なお、これはパロディですからね、世の中には、時にくそまじめな人がいて、質問されて困るときがあるものですから、念のため)。

   

 参照
建築家たちの新国立競技場デカ過ぎ論には肝心の都市計画問題が抜けている
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnatinalstadium2
◆新国立競技場に関する瓢論と弧乱夢と似非言いhttp://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html

【長屋談議】2020年東京オリンピック新国立競技場はモノスゴイもんだ
https://sites.google.com/site/dandysworldg/newnationalstadium

2013/10/09

841「疾風のごとく駆け抜けたRIAの住宅づくり1953-69」という長題名の本が出た

 本を出版する時にその題名をどうするか、短すぎても長すぎてもいけないと悩ましいことだ。昨年だったか、村上春樹がなんだか長いタイトルの本を出した。
 長いタイトルの本をウェブ検索してみたら、横尾忠則になんと114文字の本があるそうだ。http://kmktwo.blog95.fc2.com/blog-entry-82.html

 さて、最近わたしの身近な方が出版した本のタイトルが、
疾風のごとく駆け抜けたRIAの住宅づくり1953-69
 横尾忠則の足元にも及ばないが、けっこう長い。
 著者は「RIA住宅の会」、RIAの近藤正一を代表として、編集者の磯達雄たち、発行は彰国社。

 内容は、戦後復興期の日本で、庶民住宅にモダンリビング思想を植えつけて、生活様式に革新をもたした建築家集団・RIAの仕事ぶりを語る本である。
現代の庶民住宅は、なんとかハウスとか、カントカ住宅という名の住宅産業によって、耐久消費財なみの商品として供給されているが、そうなる前の時代のことである。

 冷蔵庫でも買うように商品として住宅を買うことができる今、建築家に住宅設計を頼むのは、金持ちか、変わり者であろうが、住宅が大不足して社会問題であった戦後復興期に、新しい生活様式を求める庶民に対応した建築設計集団RIAがあったのである。
 

 この本を、今もそのまま通じる住宅建築の本と読んでもよいし、戦後の生活改善運動の記録の本と読んでも面白い。
 建築家・近藤正一による、住宅設計について当時の建築ジャーナリズムに載せた解説や論考の再掲と、新たに書き下ろした現代での論考を比較すると興味が尽きない。

 1953年から69年間でに400軒を超える住宅設計をして、そのなかの118軒のプランを載せている。いまの商品となった住宅のプランと比べると、その革新的(前衛的ではない)な凄さがつくづくと分かる。
 普通の一般庶民の建て主たちに、新しい生活像を提案し説得したRIA建築家の思いも大変なものだが、このプランを納得して大金を工面して建てて暮らした庶民建て主の心根に思いを致すと、あの時代の空気にほおをなでられるような気がする。
 これらが「モダンリビング」という名称で、やがて世に普及していく。なにもかも若い日本であった。

 RIAとは、今は「株式会社アール・アイ・エー」と言っているが、60年前に創立したときは「RIA建築綜合研究所」、その頃は通称「リア」と言った。
 そのRIAにわたしが所属していたのは1961年から89年までだが、住宅設計をしたことはなくて、もっぱら都市系の仕事ばかりだった。

 最近、昔のことを聞かれることが多くなったのは、それなりの年寄りになったから当たり前である。ときに大学院生に論文種にされると、戦後復興期の都市再開発の現場について、あるいは建築家山口文象について、古老として喜んで語り部となるのだ。
 先般、建築学会の会誌編集委員会から、RIAという共同設計集団における建築家という職能について書けとリクエストをいただいた。

 そこで書いたのが、1952年から60年代末までの「住宅のRIA(リア)]が、70年代以降は「再開発のRIA(アールアイエー)」に転換する間に、建築家=設計者という古典的なアーキテクトから、都市プランナーへと多様に展開して、新たな建築家職能像を獲得する時代を回顧した論考RIAが選んだ建築家共同体組織とその職能展開の軌跡(2013/10/)である。
 この論考は「建築雑誌」2013年11月号に掲載の予定であるが、ちょうどこの時に「住宅のRIA]時代の本が出版された。学会誌のわたしの論考に誤りがあると大変だと読んだが、また別の側面からの論考となったようで、ホッとした。
 その論考は「建築雑誌」の発行を待って、この本とあわせてお読みいただきたい。ここに論考の付図だけを載せておく。量的な駆け抜けぶりがわかるだろう。

 また、RIAが創立から60年とて、その記念誌を新建築社から近いうちに発刊するそうである。そのなかにわたしも、「アール・アイ・エー創設の建築家山口文象の生涯」を寄稿した。

●参照
RIAが選んだ建築家共同体組織とその職能展開の軌跡  (2013)
体験的書評「まちをつくるプロセス RIAの手法」 (2013)
アール・アイ・エー創設の建築家山口文象の生涯 (2013)

山口文象+初期RIA

2013/10/08

840人気作家ダンブラウンには日本文化のアドバイザーがいないらしい

 歳をとってきたから、やるべきことをやれるうちにやっておかなければ、近いうちにやろうと思ってもやれなくなるだろう、と、若干は焦り始めている。
 とはいうもののの、その「やるべきこと」が実はどうでもよいことで、「やるべき理由」が特にあるわけでもない。だから、まだいいやと思って先延ばしにする理由をかんがえてしまう。

 その「やるべきこと」のひとつが、うちの本棚にある何百冊かの未読本を、読み切って制覇することである。
 仕事ですぐに必要なものは買ったらすぐに読んだが、趣味的に面白そうだなあ、とりあえず買っておいて、あとでヒマな時に読もう、そう思って買った本が、暇になった今も未読のままになっているのだ。もったいないなあ。だからもう、本を買うのはやめた。

 いまこそ暇だから制覇しようととりかかるのだが、なにかの調べごとで市立図書館に行くと、いろいろな本に目がくらんで、ついつい借りてきてしまう。だから未読本制覇はなかなか進まない。

 市立図書館で借りてくる本に、英語のペーパバックの3文小説がある。読むのに日本語よりも時間がかかるからヒマつぶしになる。こんなものを読むよりも、うちの本棚にある未読本を読むべきだと思いつつも、うっかり借りてきてよんでしまう。

 それでただいま読んだのが、Dan Brown著『Digital Fortres』である。1998年刊行だから、もう翻訳物『パズル・パレス』となっているらしい。
 読んでしまって、バカバカしかったなあ、時間の無駄だったと後悔したが遅い。
 その内容はネタバレになるから書かないが、ちょっと妙なところが気になったので書いておく。

 重要なキイとなる人物として日本人が登場する。その名がEnsei Tankadoと言う。
 これは漢字でどう書くのだろうか。姓は丹角なんてのは聞いたこともないし、名を円生と書いたら噺家になってしまう。
 Takado高戸とすればよさそうなものを、と思いつつ読んでいくと、あとのほうでこのTankadoのnが英語的に意味を持ってくるのであった。それにしてもおかしいよなあ。

 Tokugen Numakataという人も出てくる。この“沼形徳元”?さんは、akuta sameと業界では呼ばれているのだそうだ。akuta sameの説明が書いてあり、the deadly sharkだそうである。sameは日本語と分かるが、akutaも日本語なんだろう。どんな字を書いてdeadlyの意味になるのだろうか。
 この沼形さんの嗜好品にUmami cigerがある。旨味煙草であろうか。こういう銘柄の葉巻タバコがあるのだろうか。

 Soshi Kutaなる日本人らしい女性が登場する。この“苦田素子”?さんは、日本文化の基底には素数があるといい、俳句は3行に書き、5,7,5音だと解説する。なるほど和歌も都都逸も素数並びである。でも能は8拍子が基本であるよなあ。

 ダン・ブラウンには、日本文化についてチェックする人がいないのだろうか。これらは翻訳本にはどうなっているのだろうか。
 以前にJ・アーチャーの三文小説に、日本にはビルを倒してしまう草があることが書いてあり、その小説で重要な役割を持つのだが、これにはびっくりしたことがある。彼の本にも日本人が登場するが、D・ブラウンほどおかしな名ではない。

2013/10/05

839新歌舞伎座のタワーの頭に千鳥破風でも載せてちょっとはカブいてほしかった

 東京の歌舞伎座に芝居見物に行ってきた。建替えられた歌舞伎座建築の見物の意図もあった。
 芝居は昼の部で、通し狂言「義経千本桜」の序幕「鳥居前」、二幕目「渡海屋、大物浦」、三幕目「道行初音旅」であった。
 夜の部は見ていないが、四の切りが菊五郎で面白そうである。

 昼の部の芝居見物として面白いのは、「大物の浦」の場で、平知盛が船の大きな重そうな碇をかついでに海に投身入水する場面である。この知盛役は中村吉衛門であった。
 同じ役なのに幕が変わると、幹部級は別の役者に替わる。いろいろの名役者の芸を見られるのはいいのだが、違和感もある。
 たとえば、静御前は序幕では中村梅枝は細めだが、3幕目では坂田藤十郎となるとあまりに太目すぎて、どうにも興がそがれる。菊五郎との舞狂言は優雅なのだが、役者なんだから歳とってもそこのところは何とかしてもらいたい。

 それにしても能の「船弁慶」をもとしたこの二幕目は、よくまあ、ここまで改作できるものだと、実に面白い。
 能での知盛は、とっくに壇ノ浦の戦いで源氏に滅ぼされていて幽霊で登場するのだが、歌舞伎では、あの戦いではうまくのがれて、実は安徳天皇も生きていて、船宿の渡海屋のオヤジと娘に化けて、義経への反攻の機会を狙っている。だから大物の浦で源平合戦が行われて、ここで本当に平家は滅亡して知盛は死ぬのである。

 能では死んでいる知盛や平家の軍勢の幽霊が義経の船に襲いかかって、追い払われるのである。能には知盛が碇を担いで入水する「碇潜」(いかりかづき)があるから、これと「船弁慶」を合わせたのが二幕目であろう。
 もっとも、能の「碇潜」はそのもとを「平家物語」によっているのだが、平家物語で碇をもって入水自殺するのは、知盛ではなくて平教盛と経盛だから、そこでも改作がある。
 それが歌舞伎ではさらに改作が進んで原作から遠ざかり荒唐無稽にさえなるのだから、まさにそこが「傾奇」(かぶき)である。

 芝居そのものは歌舞伎ファンではないから、今日の出来が良いのか悪いのかわからない。外国人も見ているのだが、イヤフォンガイドがあっても、歴史的素養がないと面白くないだろう。
 劇中に入る時事ネタギャクが全くなかったのは、近頃はそういうのはやらないのだろうか。

 新しい歌舞伎座に建て替えられてからはじめて行ったのだが、中の見物席はなかなかよかった。祝祭空間としての華やかさはもちろんだが、椅子が大きく前後間隔が広くなったのが一番よろしい。

 問題は外観である。このことについては計画図面が発表されたときに書いたことがあるが、実物ができてもやはり同じように思った。
 つまり、新しい歌舞伎座の建築デザインは、傾奇(かぶき)になっていないのであった。歌舞伎が傾奇を忘れて、伝統に胡坐をかく芸能となったのか、なろうとしているのか、そんなことを思わせる復古コピーデザインである。

 傾奇デザインがお得意な建築家・隈研吾の出番は全くない。隈さんはあちこちにデザインについて発言されているようだが、実態的には保守系デザインがお得意な三菱地所設計の作品と見るべきだろう、と、思った。
 まあ、考えようによっては、和でも洋でも右でも左でも?どんな傾向のデザインでもできる隈研吾さんにとっては、これは彼の傾奇デザインのひとつには違いない。

 そのカブかない歌舞伎座建築の特徴は、歌舞伎タワーである。晴海通りの向かいから眺めて、黒い瓦屋根の上に建つ白っぽいタワーは、雨もよいのくもり空に巨大に建っていた。
 これまたカブかないデザインであることおびただしいのは、これは歌舞伎芝居の黒衣(くろご)のつもりなのだろう、いや、これは白衣というべきか。まあ、黒衣ならカブくわけにはいかないだろう。


しかし、せっかく隈研吾さんのデザインなんだから、あのドリックオーダーがぎょろりと突っ立った出世作のように、タワーの頭中央に千鳥破風(岡田信一郎デザインにあったように)でも載せた「傾奇タワー」にしてほしかった。こうすればようやくモダンデザインと伝統デザインが対決して、隈さんの現代建築家としての力量を発揮できたのだろうに、と思うのである。

  では、ちょっとやってみようか、戯れに、、。
あれ、なんだかチャイナっぽくなっちゃった感があるけど、
タワーが黒衣をやめてしっかりカブいて立ち上がったなあ。

●関連参照記事
・750建て直し五代目歌舞伎座の姿に斬新さは全く無いの ...
http://datey.blogspot.com/2013/04/750.html
・093歌舞伎座の改築
http://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_04.html
・716こないだ勘三郎が逝ったと思ったら團十郎までも死んで
http://datey.blogspot.com/2013/02/716.html
・459義経千本桜を能の目で見る
http://datey.blogspot.com/2011/07/459.html

2013/09/30

838TV番組を見たことがないけど「あまちゃん」と「半沢直樹」を論評してみるのだ

 TV放送を日常的に見ることはない。3年前の震災当時はよく見たが、最近はたまに震災関連のNHKスペシャルぐらいなものだ。
 そんなわたしにも、「あまちゃん」とか「半沢直樹」とかってTV番組が評判になっているらしいと、それとなくわかるのは、新聞記事とfacebakaのせいである。

 で今、日本中のいい歳をした男ども(女もか)が、あまちゃん放送終了で落ちこみそうとか、半沢直樹の終わり方が気に入らないので続編を待ち望むとか、ヤレヤレ。
まあ、なんと言いましょうか、「なんとまあ日本は平和なことであるよなあ、TVごときで…」との一言で片づけることもできる。

 あまちゃんは、言ってみれば要するに女の子の出世物語(らしい)って、昔からシンデレラの典型的な物語だから、いまさら、それがどうしたって言うんだよ(もちろん、中身は全然知らないが)。

 半沢直樹は、言ってみれば要するに、サラリーマンの悲哀と復讐(らしい)って、これもまあ、昔から敵討ち時代劇だから、いまさら、それがどうしたって言うんだよ(もちろん、中身は全然知らないが)。

 そういえば、「おしん」が映画リバイバルしているそうだ。
 思い出せば、あれはもう大昔、いつだったかしら(今、ウィキペディアで調べたらなんと30年も前)、寒い朝だったなあ、山形駅で乗り換え時間をつぶすために待合室でウトウトしていたら、急に人が増えてきて、みんなTVを見つめだした。

 え、なんなんだよ、大事件かって見たら、これが「おしん」番組の放送だった。ほう、これがいま評判のあれかと見たが、前を知らないから面白くもなかった。
 これもまあ、シンデレラと同類の刻苦勉励努力出世物語である(らしい、もちろん中身は知らないが)。

 世の中、人間の心の中の営みは、何年かごとに同じことが繰り返されていて、平和なもんである。そしてまた、人間の身体の外の自然の営みは、大地震や大洪水など、これも何十年か何百年ごとに同じことが繰り返されている。

 この自然にとっては当たり前の時間間隔による繰り返しが、人間には当たり前でない時間間隔であり、それが災害となる。
 つまり、人間のほうが自然よりも短いサイクルで生きていることが、忘れたころに災害がやってくることになるのだろう。
 この時間間隔のギャップを人間は心で埋めようとして、「あまちゃん」へ、「半沢直樹」へ、「おしん」へ、宗教へと走るかかもしれない。

 そうか、わたしもこれら人間癒し用の物語を見ておかないと、この先の心の平安がないかもしれないなあ、いまから「おしん」でも見にいくかなあ。
 いや、へそが曲がり徘徊老人には、もう手遅れだろうから、どうでもいいや。


2013/09/25

837こんなに売れてこんなにゴミになるスマートフォンなんて買ってやるものか

 ハイホー、ハイホー……今、世界中の哀れな小人たちが、マック王妃に騙されて食った毒入り林檎で脳がマヒしてしまって、次から次へと毒りんごを食わされる羽目に陥っている。(現代グリム童話)
 マック王国の王妃様は、今年も5sとか5cとかのバージョンの毒林檎を売り出し、それをふらふらと買わされて喜んでいる小人たちが世界中に、売り出し3日で900万人もいたのだそうだ。

「GigaOMによると、今年のスマートフォン出荷台数は合わせて8億9700万台に達する見込みで、昨年の7億1200万台に比べて26%ほど増加することになりそうだという。それに対して、昨年あわせて1億3400万台を記録したiPhoneの販売台数は、今年1億5000万台程度に留まる可能性が高いという。なお、前年(2011年)のiPhone販売台数は9300万台前後で、2012年には対前年比44%増加していた。(wirelesswire news)」

 ヤレヤレ、毎年7億台以上を売るってことは、毎年どれほどの機械が捨てられているのだろうか。毒りんご食わされた小人どもは、廃棄するゴミという本物の毒を排出していることになると気が付かないのだろうか。
 あ、そうか、毒りんごで脳が麻痺してるんだな。

 では、このわたしはどうなのか。そう、昔からこういう類の大人のおもちゃが大好きである。小さなハイテク機が出るとすぐ買ったものだ。
 マイクロテープレコーダー、ポケットコンピューター、スパイ用デジタルカメラ録音機、携帯ワードプロセサー、携帯PC、携帯電話、iPodなど、次々と死骸になっていった。

 でも、実は、わたしはスマートフォンなる代物をもっていない。携帯電話機だけである。しかもこれはインタネット接続できないのである。もちろん接続しないという契約をわざわざしたからである。
 だから正真正銘の電話機なのだが、ごくたまにショートメールをやり取りするから、それなりの利用もしている。
 いちばん利用している機能は、時計である。昔から時計を持つ習慣がないので、街で歩きながら店先を覗き込んで時刻を知っていたが、いまはこれである。
 携帯電話をいちばん必要としたときは、超高齢の母がそろそろ危ないころだった。それが終わった今は、こちらが危なくなって必要を感じているのが、哀しくも可笑しい。

 TVを見る習慣がないからワンセグなんていらないし、買い物もめったにしないからおサイフケータイなんてアホらしいし、写メールもデジタルカメラとPCで十分、なにがスマートフォンだよ、いらない機能ばかり売りつけようたって、そうはさせるもんか。
 白状すれば、softbakaを嫌いなのでこれまで買わなかったのだが、doromoがiPhoneを売ると聞いて、あ、買い換えようかなと思った。
 だが、こんなに世界中で毒林檎中毒小人がいると知って、ヘソが曲がってしまった。
 ふん、一緒にされたくないぞ、買うもんか。
 

2013/09/21

836【横浜ご近所探検】恨めしオコゼ、絶品料理サンプル

 右足親指の爪が肉に食い込んで化膿、外科医院で切開して爪切りをしてもらった。自分で自分の身体を攻撃する自傷作用とは、これも老人力のひとつだろうか。

 医院から帰りの道々、横浜橋商店街を徘徊、魚屋でオコゼが恨めしそうな顔をして売られている。

  ちょっと休んでいこうかと喫茶店のショーケースを見て、そのサンプルの作り方のうまさに驚く。
 これほど上手に、いかにも不味そうにつくるのは、かなりの技術がいるだろう。つい、本物の料理を並べたままに、月日が経ったのかと思った。



2013/09/18

835横浜港景観事件(14)あの結婚式場が姿を現したがどうもつまらない風景だ

 ようやく暑さも控えめになった日、みなとみらいホールに出かけた。
 途中の桜木町駅前からみる新港の風景の中に、例の景観問題になった結婚式場の工事用の囲いが取り外されて、その華麗なる?姿を現しているのであった。
 ほお、これがあの騒ぎの結果であるかと、日本丸パークからしげしげと眺めたのであった。
 まずは汽車道からの新港、北仲にかけてのパノラマをご覧あれ。

 記憶を戻して、例の結婚式場の最初に事業者から出された絵である。これが横浜市都市美対策審議会でNOと言われたのであった。設計者は清水建設である。

 その案をもとに横浜市当局と事業者が調整して、結論としてGOとなったのが、この絵↓である。上の絵とはどこが違うか、クイズになる。

  そうして、今、これが現実に姿を見せた実物である↓。さて、上の絵と同じだろうか。

 わたしの第1印象は、計画時に示されていた絵よりも、なんだかボケているなあ、であった。色もメリハリがないが、建築の形もごたごたしていてメリハリがないのである。
 隣のワールドポータースの建築デザインは、なんともまとまりがないが、その延長上でまたゴタゴタデザインが登場した。なんだか増築に見えるが、それは相互に商業的には成功かもしれない。

 どうもつまらないのだが、なにが詰まらないかと考えて、いわゆる遊園地型の商業建築としてのデザインを狙ったのだろうが、万事中途半端なのである。いろいろな形態が登場しているのだが、その間に統一感はないし、ひとつひとつにも美しさに欠ける。
 かといって、異なるものの組み合わせによるポストモダンやハイブリッドのもつ面白さもない。
 全体的にプロポーションがよくない。基壇部とその上という二つに分けているのだが、その間のプロポーションが悪いし、基壇上部の建築プロポーションもよくない。

 どう見ても、お隣の遊園地にある大観覧車と一体になった遊園地施設である。その点では、周辺景観と調和していると言える。
 以前に観覧車を人質にとったデザインだと批評したことがあるので、もしもこの観覧車が無くなったらどうなるか(仮設だから)、いたずら戯造をやってみた。
 おお、なんだかしまりのない風景になったなあ。あとからあとから増築を重ねた旅館のようである。悪い景観が出現したというよりも、つまらない景観になってしまった、というところだろう。 
     
   ちょっと悪乗りして、こんな戯造をやってみた。
 ふふふ、もしも、こういうのが出てきていたら、どうする?

もうひとつ悪乗り、こんなのだったら?

だんだん過激?になる 結婚式場に洲崎弁天復活か
  
ついでに右のほうにも、へへへ

参照:これまでのこの件のブログ記事
723横浜港景観事件(13)キリンが見ている横浜新港の結婚式場工事
660横浜港景観事件(12)ほぼ当初計画でGOサインの結婚式場計画
647横浜港景観事件(11)新港地区という島全体をどうしたいのか
646横浜港景観事件(10)横浜の景観行政見に新港地区へ
640横浜港景観事件(番外2)建築家の言うことはよくわからない 

634横浜港景観事件(番外)神戸の港でもコスプレ建築の結婚式場が
633横浜港景観事件(9)新港登場「新擬洋風」建築は新ランドマークか
632横浜港景観事件(8)赤レンガ建築群が建ち並ぶ出島かと思ってたら
628横浜港景観事件(7)現代の結婚式場は鉄柵の中の異教徒礼拝所
                                        
                
626横浜港景観事件(6)もっと楽しい風景にしてほしいと思うけど、
624横浜港景観事件(5)ラブホは愛の空間、結婚式場は幸福の時間
623横浜港景観事件(4)幸せと愛の空間は教会と城郭と神殿にある  

622横浜港景観事件(3)隣の遊園地と景観的調和を図りました
621横浜港景観事件(2)下手な模倣デザインをするなとデザイン指針
620横浜港景観事件(1)かの有名な横浜市の景観政策が座礁気味 
 
599横浜港景観事件(序2)非日常・異日常そして日常の風景
592横浜港景観事件(序1)市場における都市美とは?

2013/09/12

834【横浜ご近所探検】金庫屋さん、未来はない住宅展、タダ乗りデー


 街をふらふら徘徊すれば、ヘンなものに出くわす。

 道をはさんで左に「城南信用金庫」の看板、右に「山形金庫」の看板。
 はて、どう違うのか違わないのか。

 
 道端にポスターが貼ってある。「カーフリーデー」だそうである。カーとは自動車のことかしら、フリーとは自由とか無料のことかしら、デーとは日のことかしら。
 ということは、9月22日はバス代とタクシー代が無料乗り放題になるんだな、ありがたい。

 地下鉄に乗ればぶら下がり広告に、「未来をのぞく住宅展」とある。
 うん、そりゃそうだ、過去と現在の住宅は展示できるけど、未来を展示することは不可能だから、わざわざ「除く」と言わなくても当たりまえだろうに。