芝居は昼の部で、通し狂言「義経千本桜」の序幕「鳥居前」、二幕目「渡海屋、大物浦」、三幕目「道行初音旅」であった。
夜の部は見ていないが、四の切りが菊五郎で面白そうである。
昼の部の芝居見物として面白いのは、「大物の浦」の場で、平知盛が船の大きな重そうな碇をかついでに海に投身入水する場面である。この知盛役は中村吉衛門であった。
同じ役なのに幕が変わると、幹部級は別の役者に替わる。いろいろの名役者の芸を見られるのはいいのだが、違和感もある。
たとえば、静御前は序幕では中村梅枝は細めだが、3幕目では坂田藤十郎となるとあまりに太目すぎて、どうにも興がそがれる。菊五郎との舞狂言は優雅なのだが、役者なんだから歳とってもそこのところは何とかしてもらいたい。
それにしても能の「船弁慶」をもとしたこの二幕目は、よくまあ、ここまで改作できるものだと、実に面白い。
能での知盛は、とっくに壇ノ浦の戦いで源氏に滅ぼされていて幽霊で登場するのだが、歌舞伎では、あの戦いではうまくのがれて、実は安徳天皇も生きていて、船宿の渡海屋のオヤジと娘に化けて、義経への反攻の機会を狙っている。だから大物の浦で源平合戦が行われて、ここで本当に平家は滅亡して知盛は死ぬのである。
能では死んでいる知盛や平家の軍勢の幽霊が義経の船に襲いかかって、追い払われるのである。能には知盛が碇を担いで入水する「碇潜」(いかりかづき)があるから、これと「船弁慶」を合わせたのが二幕目であろう。
もっとも、能の「碇潜」はそのもとを「平家物語」によっているのだが、平家物語で碇をもって入水自殺するのは、知盛ではなくて平教盛と経盛だから、そこでも改作がある。
それが歌舞伎ではさらに改作が進んで原作から遠ざかり荒唐無稽にさえなるのだから、まさにそこが「傾奇」(かぶき)である。
芝居そのものは歌舞伎ファンではないから、今日の出来が良いのか悪いのかわからない。外国人も見ているのだが、イヤフォンガイドがあっても、歴史的素養がないと面白くないだろう。
劇中に入る時事ネタギャクが全くなかったのは、近頃はそういうのはやらないのだろうか。
新しい歌舞伎座に建て替えられてからはじめて行ったのだが、中の見物席はなかなかよかった。祝祭空間としての華やかさはもちろんだが、椅子が大きく前後間隔が広くなったのが一番よろしい。
問題は外観である。このことについては計画図面が発表されたときに書いたことがあるが、実物ができてもやはり同じように思った。
つまり、新しい歌舞伎座の建築デザインは、傾奇(かぶき)になっていないのであった。歌舞伎が傾奇を忘れて、伝統に胡坐をかく芸能となったのか、なろうとしているのか、そんなことを思わせる復古コピーデザインである。
傾奇デザインがお得意な建築家・隈研吾の出番は全くない。隈さんはあちこちにデザインについて発言されているようだが、実態的には保守系デザインがお得意な三菱地所設計の作品と見るべきだろう、と、思った。
まあ、考えようによっては、和でも洋でも右でも左でも?どんな傾向のデザインでもできる隈研吾さんにとっては、これは彼の傾奇デザインのひとつには違いない。
そのカブかない歌舞伎座建築の特徴は、歌舞伎タワーである。晴海通りの向かいから眺めて、黒い瓦屋根の上に建つ白っぽいタワーは、雨もよいのくもり空に巨大に建っていた。
これまたカブかないデザインであることおびただしいのは、これは歌舞伎芝居の黒衣(くろご)のつもりなのだろう、いや、これは白衣というべきか。まあ、黒衣ならカブくわけにはいかないだろう。
では、ちょっとやってみようか、戯れに、、。
あれ、なんだかチャイナっぽくなっちゃった感があるけど、
タワーが黒衣をやめてしっかりカブいて立ち上がったなあ。
●関連参照記事
・750建て直し五代目歌舞伎座の姿に斬新さは全く無いの ...
http://datey.blogspot.com/2013/04/750.html
・093歌舞伎座の改築
http://datey.blogspot.com/2009/02/blog-post_04.html
・716こないだ勘三郎が逝ったと思ったら團十郎までも死んで
http://datey.blogspot.com/2013/02/716.html
・459義経千本桜を能の目で見る
http://datey.blogspot.com/2011/07/459.html
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