2011/07/27

459義経千本桜を能の目で見る

 久しぶりに歌舞伎を見た。10年ぶりくらいだろうか。
「義経千本桜 渡海屋の場 大物浦の場」である。国立劇場の歌舞伎鑑賞教室が、近くのホールのやって来たのだ。
 歌舞伎の事はほとんど知らないが、この演題と碇をもったポスター写真を見て、ハハン、能の「船弁慶」と「碇潜」の歌舞伎アレンジ版だなとわかった。
 歌舞伎は能をベースに脚色したものがたくさんあるが、これもそのひとつである。能から歌舞伎でどう変わるのか、そこに興味があった。

 物語のベースにあるのは、鎌倉幕府の兄の源頼朝から追われる身となった義経一行の逃避行だが、能でも歌舞伎でも義経の役は重要ではなくて、主役は平家の大将知盛である。
 能「船弁慶」では、大物浦を船出した義経一行に、以前に檀の浦で義経と戦って、海に飛び込んで死んだ知盛の幽霊が襲いかかってくるのが見せ場である。
 能「碇潜」でも知盛は死んでいることになっている。これは史実である。

 ところが歌舞伎「義経千本桜」と来たら、知盛は檀の浦で実は逃げて生きているし、そればかりか安徳天皇や女官たちも生き延びていることになっている。
 そして大物浦の船宿の主の父と娘に身をやつして、義経の命を狙っているのである。
 能とは比べ物にならない飛躍する創意である。面白い。
 この最後に知盛は死に、安徳天皇は義経が助けて、その身を奉じて落ち延びるのだが、さて、この先で安徳天皇はどうなるんだろうか。

 安徳天皇が生きて、平家の落人と一緒に落ち延びたという伝説は、日本のあちこちにあるらしい。
 10年ほど前に四国の山奥に行ったとき、有名な平家落人集落があり、そこに安徳天皇の衣装を干したと伝える木があった。
 そこの旧家で平家の赤旗を見せてもらった。かなり古ぼけて赤というより垢に近い感じであった。
 本当に平家落人かもしれないが、急な山地の貧しい暮らしを支えるためには、貴種出自伝説は心の拠り所となったであろう。

 この歌舞伎をその元となった能を頭に置きながら観ると、かなり違ってほとんど別物を言ってよいが、ところどころでひょいと能が姿をあらわすのは、竹本の文句である。
 あれなんだか聞いたような言葉と思ったら、これはたしか能「田村」だよ、何でここで田村だよ、とか、ははんこれは元歌「船弁慶」ですねえ、とか。

 演技のほうは能と比べると過剰すぎて、目の中が満員になる。舞台装置のあれこれも過剰だ。
 ただ、刀剣などでの斬り合い演技が妙に様式化した動きで、いわゆるちゃんばらにならないのがおかしい。
 やはり義経が出る「正尊」で様式化した大立ち回りの斬り合いがあるが、歌舞伎はこれを継いでいるかもしれない。能にはトンボはないが、仏倒れのようなケレンはある。

 もうひとつ能の延長上にあると思ったのは、平家方の男も女もぞろぞろと長袴姿であることだ。
 実は能でも長袴の装束で登場する役は多いのだが、例えば「隅田川」の船頭までも長袴というのが、いつも解せない。アンなの穿いて舟がこげるものかよ。
 貧乏性のこちとらは、あの袴の足の下に踏まれて床にこすられてるところは、穴があいてるんじゃないの、って心配になるのだ。

 それにしても歌舞伎の舞台装置のチャチなことよ。
 芝居小屋という仮設性を引きずっているのだろうが、舞台の建物の柱も鴨居も壁も、まるで仮設住宅のように作りが悪い。わざと悪く見せるのだろうか。
 最後に知盛が登って飛び込む海岸の大きな岩のつくりが、おいおいそんなところで重い碇を振り回していると、岩ごと崩れ落ちるよって言いたくなるほどだ。

 いや、これはケチをつけているのではない。そう見てはいけないのだ。
 観客はその舞台での建物が御殿の役割ならそう見るし、その屋根だけがつけ替わると浜の苫屋に見なければならないのである。

 能舞台ではほとんど舞台装置はないし、あってもあまりにも簡素すぎて、つまりチャチの極限なので、抽象化されて象徴性が浮き出る。
 こうなると見るほうの頭の中で、それを豪華な御殿にでも乞食の小屋にでも、一生懸命に変換しなければならない。
 だから変換能力が無い初心者は能を見てもつまらない。何回も見ているうちに変換能力がついてくる。

 その点、歌舞伎は直ぐにとっつける。
 ただし、歌舞伎の舞台のチャチさは、能に比べると半端なのである。
 その半端さがチャチさを浮かび上がらせて、観客に変換能力を発揮させない。見立てのジャマをする。

0 件のコメント: