本を出版する時にその題名をどうするか、短すぎても長すぎてもいけないと悩ましいことだ。昨年だったか、村上春樹がなんだか長いタイトルの本を出した。
長いタイトルの本をウェブ検索してみたら、横尾忠則になんと114文字の本があるそうだ。http://kmktwo.blog95.fc2.com/blog-entry-82.html
さて、最近わたしの身近な方が出版した本のタイトルが、
「疾風のごとく駆け抜けたRIAの住宅づくり1953-69」
横尾忠則の足元にも及ばないが、けっこう長い。
著者は「RIA住宅の会」、RIAの近藤正一を代表として、編集者の磯達雄たち、発行は彰国社。
内容は、戦後復興期の日本で、庶民住宅にモダンリビング思想を植えつけて、生活様式に革新をもたした建築家集団・RIAの仕事ぶりを語る本である。
現代の庶民住宅は、なんとかハウスとか、カントカ住宅という名の住宅産業によって、耐久消費財なみの商品として供給されているが、そうなる前の時代のことである。
冷蔵庫でも買うように商品として住宅を買うことができる今、建築家に住宅設計を頼むのは、金持ちか、変わり者であろうが、住宅が大不足して社会問題であった戦後復興期に、新しい生活様式を求める庶民に対応した建築設計集団RIAがあったのである。
この本を、今もそのまま通じる住宅建築の本と読んでもよいし、戦後の生活改善運動の記録の本と読んでも面白い。
建築家・近藤正一による、住宅設計について当時の建築ジャーナリズムに載せた解説や論考の再掲と、新たに書き下ろした現代での論考を比較すると興味が尽きない。
1953年から69年間でに400軒を超える住宅設計をして、そのなかの118軒のプランを載せている。いまの商品となった住宅のプランと比べると、その革新的(前衛的ではない)な凄さがつくづくと分かる。
普通の一般庶民の建て主たちに、新しい生活像を提案し説得したRIA建築家の思いも大変なものだが、このプランを納得して大金を工面して建てて暮らした庶民建て主の心根に思いを致すと、あの時代の空気にほおをなでられるような気がする。
これらが「モダンリビング」という名称で、やがて世に普及していく。なにもかも若い日本であった。
RIAとは、今は「株式会社アール・アイ・エー」と言っているが、60年前に創立したときは「RIA建築綜合研究所」、その頃は通称「リア」と言った。
そのRIAにわたしが所属していたのは1961年から89年までだが、住宅設計をしたことはなくて、もっぱら都市系の仕事ばかりだった。
最近、昔のことを聞かれることが多くなったのは、それなりの年寄りになったから当たり前である。ときに大学院生に論文種にされると、戦後復興期の都市再開発の現場について、あるいは建築家山口文象について、古老として喜んで語り部となるのだ。
先般、建築学会の会誌編集委員会から、RIAという共同設計集団における建築家という職能について書けとリクエストをいただいた。
そこで書いたのが、1952年から60年代末までの「住宅のRIA(リア)]が、70年代以降は「再開発のRIA(アールアイエー)」に転換する間に、建築家=設計者という古典的なアーキテクトから、都市プランナーへと多様に展開して、新たな建築家職能像を獲得する時代を回顧した論考「RIAが選んだ建築家共同体組織とその職能展開の軌跡(2013/10/)」である。
この論考は「建築雑誌」2013年11月号に掲載の予定であるが、ちょうどこの時に「住宅のRIA]時代の本が出版された。学会誌のわたしの論考に誤りがあると大変だと読んだが、また別の側面からの論考となったようで、ホッとした。
その論考は「建築雑誌」の発行を待って、この本とあわせてお読みいただきたい。ここに論考の付図だけを載せておく。量的な駆け抜けぶりがわかるだろう。
また、RIAが創立から60年とて、その記念誌を新建築社から近いうちに発刊するそうである。そのなかにわたしも、「アール・アイ・エー創設の建築家山口文象の生涯」を寄稿した。
●参照
・RIAが選んだ建築家共同体組織とその職能展開の軌跡 (2013)
・体験的書評「まちをつくるプロセス RIAの手法」 (2013)
・アール・アイ・エー創設の建築家山口文象の生涯 (2013)
●山口文象+初期RIA
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