2014/02/15

895ジョサイア・コンドル、山口文象、キリスト教ユニテリアン、労働運動ってどんな関係があると思いますか

 ジョサイア・コンドルと山口文象、この二人の建築家たちの展覧会が近いうちに開かれるので、ちょっとだけ予告を書いておく。その企画をちょっとお手伝いしている。
 日本の近代建築史をちょっとでも知っている人は、このあまりにも無縁そうな二人のどこに接点があるのだろうと、不思議に思うだろう。わたしだって、2カ月ほど前までは思いもしなかったことだ。

  コンドルは20世紀への変わり目を挟んで40年ほどを日本で活躍したイギリス人建築家、山口文象は1930年代から40年ほど活躍した建築家である。年代的にもその出自からしても、あるいは極端に違う作風からして、普通に考えると出会うはずもない。

  ところが、このふたりの設計した建築が、東京都港区の芝公園近くの日比谷通りに面して同じ敷地内に仲良く並んで立ち並び、太平洋戦争の空襲で焼けるまでの9年間ほど、今考えるとなんとも特異な風景をつくっていたのだ。

 その風景はこうであった。

 この右に見える和風というか和洋折衷建築が、コンドルの設計であることにまずびっくりする。このユニテリアン教会「惟一館」は1893年に建った。ここはこの教会活動のクリスチャンたちがおこした社会活動から生れた労働者団体「友愛会」(のちに総同盟、現在の連合)の活動拠点であり、1931年から「日本労働会館」として日本の労働運動の源流であり本拠となった。これができた年には三菱一号館ができている。

 一方、その左に見えるのが、山口文象のモダンデザインで、さもありなんという姿である。1936年、山口文象設計の「青雲荘アパート・友愛診療所」が建った。労働者のための病院と賃貸共同住宅の複合ビルであり、労働者の福利厚生の施設であった。これができた年には「番町アパート」ができているが、ほぼ兄弟作の感がある。

 今はどちらも消滅したが、跡地には同じ財団によるオフィスとホテルの入る超高層建築が建っている。そのビル内に財団が運営する「友愛労働歴史館」があり、その展示室で戦前の活動拠点であった消え失せた二つの建物について、その歴史を再発見する企画の展覧会を開くのである。

 いろいろ聞いて、調べてみると、日本の労働組合運動とキリスト教活動は出発点において深い関係にあったらしい。コンドルの設計したユニテリアン教会の唯一館は労働運動を起こす源流となり、後に活動の拠点となった場であり、山口文象が設計した青雲荘は、労働者のための本格的な厚生福利活動の源流となった場であった。

 コンドル、キリスト教会、労働運動そして山口文象という、一見したところ関係があるとは思えない人と事柄が、実は深く結びついていることを知って、驚いている。
 調べているうちに面白くなって論考を書きはじめたが、わたしは山口文象についてはそれなりに研究してきたが、コンドルについては建築史ディレタントの域を出ないし、キリスト教と労働運動については門外漢も甚だしい。そのうちにここに掲載しますので、お楽しみに。



2014/02/05

894今にアジア太平洋戦争遺跡が世界文化遺産登録候補に出てくるに違いない

2014年2月5日NHK NEWS WEBに、こんな記事が載っている。
「日本政府が、福岡県の「官営八幡製鐵所」など、九州や山口県を中心とした「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録を目指していることについて、韓国のユン・ビョンセ外相はユネスコに対し、「韓国の国民が徴用された悲しい歴史の場だ」として、反対する考えを示しました。」

 あっちでもこっちでも世界文化遺産登録候補に手をあげているが、文化とは相対的な価値であるから、当然にこのような問題が起きる。あちらの文化はこちらの非文化ってことは、ざらである。そもそも文化ってなんだってことにさえなる。
 人間の行為による所産はすべて文化であるとする、文化人類学的定義をすれば、なんでもかんでも文化遺産である。
 だから、あちらの文化もこちらの文化も相対化して、登録遺産の意義として取り込んでしまえばよいと思うのだ。

 この産業遺産登録について、今の不仲な両国の間でどんなことが起きるのか、起きないのか、わたしには見当がつかないが、実に興味がある。
 まさか意趣返しとは思わないが、ごく普通に考えても、アジア太平洋戦争の日本軍による加害の遺跡が、世界文化遺産登録の候補に登場する日が、近いうちに来るに違いないと思う。
 その時のことも考えて、日本側は対応する必要がある。

 だってさ、日本には「原爆ドーム」という、正真正銘のアジア太平洋戦争遺跡を世界文化遺産に登録した前例の実績があるのだからね。こっちはよくてあっちはいけない、なんて言えないでしょ。
 もし今になって、原爆投下という人類の愚行を記念する世界文化遺産に原爆ドームを登録すると言ったら、原爆を落としたアメリカ側からは、あれは戦争をストップさせて更なる悲劇を防いだ賢明なる行為であったのだと反対論がでるだろう。

 わたしは思うのだが、この際、韓国側の反対論の根拠としている植民地からの徴用工問題も、事実は事実として世界文化遺産の意義に取り入れればよろしい。
 その愚行も世界文化遺産として後世に伝える度量があればばこそ、その近代化遺産から世紀を超えた今になって、ようやく成熟した日本文化の時代なったと言える。

 「明治日本の産業革命遺産九州・山口と関連地域」(仮称)構成資産を見ると、ずいぶんいろいろな地域のいろいろな事物があるのが面白い。東は伊豆の韮山、北は東北の釜石、南は鹿児島まで散らばっている。
 長崎の観光名所グラバー邸もある。グラバーって人は、明治維新のドサクサ内乱戦争に乗じて、あちこちに武器を売って大儲けした「死の商人」である。こんな人の家を世界文化遺産にしたいのは、その愚行も遺産の意義として織り込み済みなんだろう。
 高島や三池炭鉱は大規模な人身事故や労働争議の現場であったことも、文化遺産としての意義であるのだろう。

 世界遺産の話題のついでに、わたしは3・11直後から提唱しているのだが、福島第1原発を世界文化遺産とし、その事故前、事故中、復旧中、廃炉中の出来事の記録をすべて世界記憶遺産に登録するべきである。
この国際的に人々を震撼させた事件の文化的相対価値がある事物であればこそ、文化遺産として後世に伝えるべき事柄である。

<追記2014/02/11>
ほ~れ、やっぱり出てきたよ、意趣返しかなあ、さて、どうしたもんかねえって、行っても、なんだかアベ靖国参拝で、ドロヌマの感があるなあ、困ったもんだ。

韓国 従軍慰安婦の資料を「記憶遺産」に
NHK WEB news 2014年2月11日 22時23分
韓国政府は、いわゆる従軍慰安婦の問題について、関係する記録のユネスコの「記憶遺産」への登録を目指すなど、国内外の関心を呼び起こす取り組みを強化すると発表し、韓国の立場に対する国際社会の共感を得ることで、日本への圧力を強める構えです。
これは、韓国のチョ・ユンソン女性家族相が11日、パク・クネ大統領にことし取り組む事業の計画として報告した中で明らかにしたものです。
計画では、韓国国内で、いわゆる従軍慰安婦の問題に対する国民の意識を高めるため、記念日を設けて学生らが参加する文化祭を行うなどとしています。
さらにこの問題を国際世論に訴えるため、アメリカや中国などで関連する資料を調査、収集したうえで、ユネスコの「記憶遺産」への登録を目指すとしています。


●参照 福島原発を世界遺産に登録しよう
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hukusimagenpatu-worldheritage

2014/02/03

893横浜都心隠居の空中陋屋から見る風景に大きな二つの変化が

 横浜都心の一部にあたる関外に居を移したのは、2012年の秋である。鎌倉田舎を脱出して都会人になったのである。
 それから関外、関内、みなとみらい地区などの新旧横浜都心部徘徊12年、じわじわと変わっていく街の様を楽しんできている。

 例えば、かの有名な伊勢佐木モールがどんどん落ちぶれていくとか、中華街あたりがめちゃくちゃ混雑で辟易とか、港のまわりが観光客に占領されちまったとか、ずっと変わらずに面白いのが横浜橋商店街だとか、みなとみらいは名ばかりマンションジャングル化するなあとか、そしてまた、なんだか老人向きの施設が増えてきているようだとか、徘徊の楽しみの種は尽きない。

●なぜ鎌倉脱出かの言い訳はこちら
http://homepage2.nifty.com/datey/kamakurasyunju0702.pdf
 ●なぜ借家かの言い訳はこちら
http://homepage2.nifty.com/datey/kamakurasyunju0703.pdf
●伊勢佐木1、2丁目の地区計画について
http://datey.blogspot.jp/2014/01/889.html
 ●横浜街なか徘徊の記録はこちら
http://homepage2.nifty.com/datey/datenomeganeindex.htm#yokohama

 
 わたしの住む空中陋屋借家からの風景は、ほとんど変わらないできたのだが、ここにきて二つの大きな変化があった。
 ひとつは南東に高層10階建ての名ばかりマンション(分譲型共同住宅ビル)がたちがり、北東にあった中学校が消えたのである。

 実は関外地区は人口が増え続けているのである。人口が増える住宅ビルがあちこちに増えているのだ。もちろん空地はないから、古いビルの立て直しである。
 さて、住宅が増えるのに、子どもが行く学校が無くなるとは、これいかに?
 それは、義務教育するような子どもがいなくなっているということ、言い換えると、わたしのような次世代生産能力がないものばかりがこのあたりには移転してきているのだろう。
 この街の人口が増えても、さきはジジババばかりの街になるのだろうか。まあ、それも仕方なしである。

 では、変化を目でご覧いただくとして、まずは南東に現れた名ばかりマンションである。
 ここに移転してきた時には、その土地には事務所ビルがあり屋上に毒々しい真っ赤な日産自動車の広告塔が建っていた。ここに来てから日産の車には乗らないことにした。
 そのビルが2011年になくなってホッとしていたら、今年になって跡地に完成したのが10階建ての名ばかりマンションである。
 その変化をパラパラ活動写真(gifアニメーション)でどうぞ。

 二つ目は、北東の中学校が2013年10月末から2014年2月初めまでに、日々消えていく様子のパラパラ活動写真である。
 
 
◆この弧乱夢の全文は下記のまちもり瓢論をどうぞ
「まちもり通信ホームページ
http://homepage2.nifty.com/datey/index3.htm
または
・「横浜都心「関外」風景の変化を見つめるこの12年
https://sites.google.com/site/matimorig2x/yokohama-kangai-hukei

◆関連  
●景観戯造:横浜・わが家からの眺め(2012年4月)
http://homepage2.nifty.com/datey/keikangizo/kangai.htm   
●435風景破壊の自動車屋(2011年6月23日)
http://datey.blogspot.jp/2011/06/435.html


2014/01/27

892横浜都計審傍聴イチャモン(その4)再開発事業都市計画なんだから最低でもこれくらいは審議してほしい

「(その3)審議会は市民と行政を結ぶ役割を果たせ」のつづき
http://datey.blogspot.jp/2014/01/891.html

 大船駅北再開発事業の都市計画審議会の審議について、もう少し書く。
 わたしがもしも審議会の委員だったら、委員会資料と説明を聞いただけでも、最低でもこの議案のもっとも基本的なこれだけは質問をしたい。

●都市再開発法3条要件は満たしているのか?
 まあ、議案になっているからOKなんだろうが、なにしろ市街地再開発事業の都市計画なんだから、この基本のキを一応は確かめるべきだと思う。でも、なんだか大きなビルが建っているよなあ。

●なぜ市施行ではなくて組合施行なのか?
 もちろん組合施行で行うこともできるが、これだけ広い駅前広場整備を行いながら、横浜市を施行主体にしない理由はなにだろうか。戸塚で懲りて、もうやりたくない、とか、、。

●関係権利者数と土地面積について同意率はどうなのか?
 組合施行再開発事業は、実は地権者という市民が共同して行う事業だから、周囲からの反対は、一般市民対地区内権利者市民という対立図式になる。形式上はこの都市計画を決めるのは市長だが、この事業を進めるのは地権者たちである。
 ところが、公聴会に地権者と名乗る人が登場して反対意見を述べている。しかも「わたくしたち」と言っているから複数いるらしい。事情は分からないが、共同するべき地権者たちが仲間割れしているらしい。これで都市計画決定しても、円滑に進むのか気になる。全員同意じゃなくて原則型で権利変換をやるつもりか。
 この「わたくしたち」が説得に乗らずとことん反対したら、今後の道は二つ。ひとつは強制代執行で進める。もうひとつはこの「わたくしたち」の土地を除外するように、都市計画決定をやり直すことで、つまり審議会は振り出しに戻るのである。どちらになっても審議会が「円滑に審議したこと」を問われるかもしれない。

・事業の資金計画はどうなっているか?
 再開発事業ではよくあることだが、事業の外野の地区外市民から巨額公費の投入が無駄だという指摘がされる。スポット的に巨額投資だから目につくのである。
 ここでもそれが意見書に出てきているが、それへの市側の見解書には「関係法令や予算に基づく補助制度が適用される予定です」とある。
 あのなあ、これじゃあ、まったくもって見解になっていませんよ。そもそも補助金は、支給できるものであって、しなければならないものではないのだ。
 無駄だって言ってる人の肩を持つ気はないけど、もうちょっとまともに答えてはどうですか。いや、こういう意見に対してこそ、真剣に公費投入の必要性、その意義をキチンと答えるべきである。
 だから、審議会ではその答えがわかるように、この事業の資金計画(管理者負担金、補助金、保留床処分金、補償金、、、、)について、費用対効果とかその妥当性を審議してはどうでしょうか。
 この都計審の後は、もう都市計画審議会も一般市民も口出しする機会は、ほぼなくなるのだから。

 「事業の都市計画」の審議は実に難しいのである。
 本当にわたしが委員だったら、これまでの調査資料、関係者への聞き取り、現地視認など、事前に調べてから委員会に臨むから、もっと審議したい事項は多くなるだろう。なにしろ13800円の日当をもらうのだからね。貧乏人はつい張り切るのだ。

 でもまあ、都市計画審議会は参与機関ではなくて諮問機関にすぎないので、どうせ審議会の議決が原案通り可決だろうと原案否決だろうと、市長は関係なく都市計画決定できるのだから、審議会は気楽なもんである、ということで、このあとの12もの議案は、発言委員は2名だけで、あっという間に原案通りに可決したのであった。めでたしめでたし。
審議会委員名簿 審議会中に発言したのは21人中たった6人だけ
と言うわけで、今回の都市計画審議会は円滑に審議が進んだのであったが、ちょっとすごいと思ったのは、その円滑審議のために市側の説明者が議案ごとに、10数名がぞろぞろと入れかわりたちかわり登場退場する様子であった。
 あんなに大勢がやってきてなにをしてるのだろうか、万が一、難しい質問が出たら、その中の誰かが答えるための頭数だろうか。そんなに大勢が役所を留守にしてよいのか。
 でもなあ、何回もやってわかってるでしょ、そんなマジメな審議はしないんだって。これじゃあ人件費の無駄でしょ。なんだか公費投入が無駄という意見書に似てきたなあ。
 委員の皆様、せっかく大勢待ってるんだから、なにか質問してあげなさいよ、可哀そうでしょ。

 傍聴席が20人分もあったのに、半分しか埋まっていなかった。そのほとんどがダークスーツの業界人らしく、関係議案が終わるとさっさと退場。わたしと同年輩の男女が最後の議題までいらしたが、こちらは一般市民の感じだった。
 なんにしても、市民の傍聴が少ないのは、意外に都市計画には無関心な市民が多いと、いつも思い嘆くばかりである。

 最後にもう一度書いておく。わたしは議題となっている現場を全く知らないので、議案の内容に賛成も不賛成もない。唯一の現場である審議会を傍聴して、そこの提出資料と委員の審議態度についてだけを書いた。
 審議会の委員は議案の現場の実情を知っているから審議できたのだろうが、わたしには議案の現場を知らないままに議案内容について良し悪しを言うことは不可能である。(おわり)

追記2014/01/28
 横浜市の都市計画審議会のインタネットサイトがある。
http://www.city.yokohama.lg.jp/kenchiku/kikaku/cityplan/tokeishin/
 そこに2012年11月までは、各審議会の議事録が公開されている。しかし2013年1月の第127回審議会から12月の131回審議会まで、ずっと「作成中」にしたままで非公開となっている。
http://www.city.yokohama.lg.jp/kenchiku/kikaku/cityplan/tokeishin/singi-25.html
 そのうちに去年一年分をまとめて公開するつもりか、非公開に決めたのか。

 だが、わたしが審議会委員だった時に、議事録公開が2カ月もかかって、あまりの遅いので10日以内にせよと提案し、市当局(都市計画課長)は、それは無理かもしれないが、できるだけ努力すると回答した(2009年8月28日の横浜都計審)。
 また、審議会を休日や夜間開催にして市民が来やすくせよ提案したところ、市当局(都市計画課長)は、それは難しいが、議事録を公開してそれに替えていると回答があった(2009年7月3日の横浜都計審)。
 さて、あの約束はどうしたのか、あのころよりも公開度は悪化しているぞ。


参照→たった一人のキャンペーン「都計審を改革せよ」
http://homepage2.nifty.com/datey/tokeisin.htm

2014/01/26

891横浜都計審傍聴イチャモン(その3)審議会は一般市民と都市計画行政を結ぶ役割をはたせ

「(その2)大船駅前再開発議案をまじめに審議していないぞ」のつづき
http://datey.blogspot.jp/2014/01/890890.html

 大船駅北の市街地再開発事業に関する都市計画案の審議について続きを書く。
 
 
市街地再開発事業は、建物を都市計画で決めるという珍しい制度である。しかも一般に、その建物が民有となる施設であり、巨大高層になものとなることがおおい。そしてその建物に税を原資にした補助金を投入する制度がある。
 であるから、都市計画審議会は、その建物の形態や機能、建設費用や税の投入額などが分る事業計画への視点、そしてその事業が確実に早期に行われる担保もとって、その妥当性を審議するべきである。

 ところが、審議会に出された建築の資料は、配置図、断面図、透視図が各一枚だけである。これだけでどうやってこの都市計画事業の妥当性を判断したのか、審議会委員の天才的な能力に感嘆している。
 地域にどのように役立つ施設内容か、これによって変わる地域の景観はどうなるか、日陰はどう及ぶのかなど、いまどきCGで簡単に作れるだろうに、なぜ見せないのか。
 建物の都市計画決定なのだから、それくらいは審議した方がよろしいと思いますよ。
 
 
施設建築物(これが法律用語)だけではなく、公共施設の駅前広場も、単に位置と広さが分るだけで、それだけでどのように交通処理をするのか、それでできのるか、足りるのか、あるいは必要なのか、わたしにはまったくわからない。地元説明会資料のほうが、むしろわかりやすい。
 交通計画が専門の委員もおられるが、そのあたりについてなにも審議されなかったのは、十分にご存じだからだろう。
 しかし、審議会は一般市民と都市計画行政をつなぐのだから、市民に分らせる審議をしてほしいと思う。
 

 市街地再開発事業の建築物の規模が巨大になりやすいのは、ひとえに事業採算のためである。しかし一般の民間開発事業と大きく異なる点は、道路や駅前広場という公共施設整備と建築物の建設が、連動していることである。
 事業の仕組みが、権利変換によって土地建物の移動を行うから、事業前の資産額と事業後の資産額をどう調整するか、これが大きな事業の柱となる。

 このとき公共施設の建設には税を投入できるが、民有となる建物には共同施設の一部のほかは公費投入はできないから、その建設費を保留床処分金によって生み出すことになる。だから、権利床+保留床となって建築が巨大、高層になりやすい。
 このあたりの仕組みのもたらしたものが、この都市計画案なのだが、なぜこのような規模が必要なのか委員は質問されなかったから、ご存じだったのであろう。

 巨大建築ができるとなると、近隣から日影や眺望などで必ずクレームが出てくる。近くの先に建った巨大共同住宅の住民が、先取特権のように反対を主張することもある。
 今回もその巨大さ高さに対して、反対や疑問の意見書が出ている。それに対する市長の見解、つまり反論が、建築物を高層化すれば、オープンスペースを生み出すことができるし、容積率を有効に活用できるからである、としている。
 それはそのとおりだが、これでは結果だけ書いていて、その原因を書いていない。委員はこれでよく分ったのだろうか。

 そもそも容積率を活用するというが、その容積率そのものをこの都市計画によって、緩和するのだから(300%→500%)、緩和してから有効活用するといっては、論理矛盾が起きる。では緩和しなければよいだろう、となる。
 これでは素朴な疑問は解消されないだろう。なぜ緩和が必要かを、真正面から答えるべきである。
 一般に意見書への対応が、そっけなさすぎる。そこのところを補足するのが審議会の役割と思うのだが、いかがでしょうか、委員のみなさま!

 なぜ緩和が必要かそれをきちんと審議するべきである。緩和しなければ巨大化高層化しなくてもよいかもしれないであろう。
 だが、緩和しないと公共施設や保留床が確保できないから事業ができない。高さ制限の緩和(20m→75m)も、緩和しないとむしろ環境悪化するかもしれない。だから壁面後退や地区施設などをきめているのだ。
 これがこの事業の都市計画決定の核心である。

 ここまで緩和しなければ、事業の権利変換計画が成立しないのか、審議会なのだからこそ、そのあたりを確かめるべきであろう。それが意見書に対する審議会としての最低の誠意であると思う。
 そう、その点から事業計画に踏み込んだ審議が必要となってくるのだ。
 なにしろこの議案は、普通の都市計画ではなくて、都市計画事業の都市計画なのだから。

 このイチャモン連載の最初に書いておいたことを、念のために、もういちど書いておく。わたしはこの再開発計画が悪いとか良いとかいっているのではない。審議をちゃんとやれ と言っているのである。    (つづく)

2014/01/25

890横浜都計審傍聴イチャモン(その2)大船駅前再開発議案をまじめに審議していないぞ

889(その1)伊勢佐木モールで地区計画違反営業か」の続き
http://datey.blogspot.jp/2014/01/889.html

 今回の横浜都市計画審議会での最大の問題審議案件は、「大船駅北第二地区第一種市街地再開発事業」と、それに関連する各種の都市計画決定や変更である。
 ひとつの再開発事業のために、9件もの議題となっている。

 これについて、あれこれと書いていくが、ここでのわたしのスタンスを誤解のないように、あらかじめ書いておく。
 わたしは地元事情をまったく知らないから、この議案内容、つまりこの再開発事業がよくないとか、よくできているとか、そういうことを言うつもりは、まったくない。
 ここでは、「この議案を横浜市都市計画審議会は真面目に審議したか」と問うのみである。

 結論を先に言うと、まったくと言ってよいほど審議しないままに、原案通りに可決した。審議会の役目を果たしていない、審議能力が無いのだろうとさえ思った。
 もちろん原案通りに可決して悪いって言ってるんじゃなくて、なんてったって審議会なんだし、日当13,800円わたしが委員のときの受領金額)もらってるんだしもうちょっとはマシな審議してから可決してはどうよ、ってことです。

 一般に市街地開発事業、なかでも市街地再開発事業の都市計画は、かなり専門的知識がないと、都市計画図書を見ただけでは内容の判断はほとんどできないものである。いや、専門的知識があればあるほど、分らないことがおおいと分かると言った方が正しい。
 つまり、都市計画図書に記載してあることから、諸課題を発見する能力がないと、その審議をすることは不可能といってよい。横浜都計審の委員にはひとりもその専門家はいないようで、素人的な質問はあったが、専門的な質疑は行われることはなかった。
 専門バカだけではなくて素人の眼も必要であるが、素人ばかりで審議とは、いかがなのものか。

 市街地再開発事業の都市計画は、他の地域地区や道路のような都市計画と違って、都市計画決定から短期間に実際の事業にとりかかる必要があるから、その事業性の担保をきちんと審議するべきである。
 事業の確実性をいい加減に審議して原案可決して、その後に事業が行き詰まってしまったところは各地にある。そうすると決定した形の再開発のほかはしてはならないという都市計画制限はかかったままだから、街は凍結した姿のままで周りの発展から取り残されてしまうことになる。

 横浜市内の前例では、横浜駅西口の相鉄駅前の市街地再開発事業は、1977年という大昔に都市計画決定しているが、いまだに実施できていない。だから制限だけかかっているので、あのようなゴチャゴチャの街が駅前にあるのだ。まあ、あのゴチャゴチャが好きなわたしには、それもよいか。
 
京急の日ノ出町駅前再開発も、都市計画決定から着工までずいぶん長い期間があった。
 2008年にその日ノ出町再開発都市計画案の審議会を傍聴したが、そのときも本質的な審議はなくて、それでいいのかと思った。決定したとたんにリーマンショックで大変だったに違いない。去年やっと着工した。

 今回の議題の大船駅前についても、鎌倉市側の大船駅前地区に、1973年という大昔に再開発事業の都市計画決定をして、半分だけ実施したが、半分はいまだにできないままである。
 だから、駅は再開発でビルができたが、道路は広がらず、昔からの狭い道に市場的な雰囲気の街がずっと続いている。そこもわたしは好きなところだが、都市計画は宙ぶらりんである。
 
再開発事業ではないが市街地開発事業のひとつである土地区画整理事業について、隣の戸塚駅前周辺地区に都市計画決定したのが、半世紀も前のことである。これも行き詰まって、途中で縮小に縮小を重ねる変更をして、いまだに事業中である。

 そういう経験を経て、最近では再開発事業の都市計画決定は、その決定にあたって地元合意が既に完了し、公共施設や施設建築物の中身がほぼ決まり、事業計画、権利変換計画の案も出ており、今後の事業スケジュールもめどが立ち、事業後の管理計画までも見込みがほぼ立っているものである。

 市街地開発事業の都市計画決定は、慎重に見極めて行うべきである。昔のように、都市計画決定さえすれば、あとはなんとか事業が前に進むだろう、なんて思って決定する時代ではない。
 そこのところを、審議会でなぜ確かめないのか。再開発事業の都市計画決定ならば、それは常識である。事業の中身に立ち入らないで、どうして審議ができたのか。

 まさか、それらは全部わかっていたから審議しなかったということではあるまい。
 いや、知っていて審議をしなかったとすれば、審議会は市民の代わりに審議しているのだから、市民への公開義務があるのに、それをサボったことになる。
 (つづく
 

2014/01/24

889久しぶりに横浜都計審傍聴いくつかイチャモン連載(その1)伊勢佐木モールで地区計画違反営業か

 久しぶりに横浜市都市計画審議会を傍聴に行った(2014年1月24日)。
 「大船駅北地区再開発」の都市計画案を、審議会がどう審議するか、審議できるのか(審議能力があるのか)と興味があったからだ。
 ほかにもたくさんの議題があったので、何回にかに分けて連載して書くことにする。

 改めて書いておくと、わたしは横浜市都市計画審議会の委員を、2008年から2年間務めたことがある。そのことはここに書いたので、ご覧ください。
●エッセイ版「あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている」
https://sites.google.com/site/matimorig2x/essay-cityplanning
●本編「あなたの街の都市計画はこんな会議で決めている」
https://sites.google.com/site/matimorig2x/tokeisin

 いろいろ書きたいこと(もちろんイチャモンである)はあるのだが、まずはわたしの日頃の散歩コースの「伊勢佐木モール」の地区計画のことを書こう。
 かつて横浜都心一番の繁華街だったが、どうもこのところ振わない。なんだかチェーンの安売りやばかり増えている感じがする。風俗営業も増えているようだ。
 関内駅に近い伊勢佐木1、2丁目あたりが老舗として頑張らななくてはならないが、横浜随一の松坂屋百貨店が店を閉じて、ますます凋落気味だ。

 今日の議題に、「伊勢佐木町1、2丁目地区地区計画」の変更があった。もともと、この伊勢佐木1、2丁目地区には地区計画があり、変な店づくりを禁止してきている。
 地区計画だけでは精神規定みたいなものなので、その区域の中の伊勢佐木モールに面する店については、地区整備計画という厳しい規定をきめて、法的規制をしてきている。

 一番大きな規制内容は、モールに面する建物は、1、2階は住宅禁止で店舗にしろ、しかもその店舗も風俗営業や倉庫業はダメと言う規制である。
 マージャン屋、ぱちんこ屋、射的場、勝馬投票券発売所、場外車券売場、キャバレー、料理店、ナイトクラブ、ダンスホール、個室付浴場業(ソープランド)等はダメである。

 今回の変更は、地区整備計画の範囲を地区計画の区域全部に広げて、モールに面する建物だけでなく、裏通りに面する建物にもその規制を広げたのである。
 この都市計画変更案は、なんの審議もなくてアッという間に原案通りに可決した。
 でもねえ、わたしは案の中身には異議を唱えないけど、審議をもうちょっとやってはどうですか、と言いたい。

 伊勢佐木モールあたりはしょっちゅう徘徊しているが、店をひとつひとつ調べてるのではないにしても、この1、2丁目の地区整備計画の区域内には、違反している店が少なくとも2軒ある。
 ひとつは「PIA」というパチンコ屋で、もうひとつは「JRAエクセル伊勢佐木」という馬券売り場である。
 

どうしてこれらが営業しているのかと、審議会の委員のだれも質問しないのがふしぎであった。
 審議案件と資料は事前に委員にわたっているから、当然のことに事前に現地を調べているはずだ。わたしが委員のときは、毎回の審議会の前に現地視察をやったものだ。
 もしかして、事前に見ていないので、現地を知らないのだろうか。それは委員として手抜き審議である。

 で、地区計画の文章の中に、もしかして例外規定があるのかと、しげしげと読んでみた。
 もしもこれらが地区計画を決めるよりも前からあったのなら、例外的に許されることがある。そのためには、地区計画の文章の中に、「この地区計画を定める以前に存したものは、この限りではない」みたいなことが書いてあるはずだが、それもない。
 そこで地区計画条例を読んでみたら、こちらに例外規定があった。
参照「伊勢佐木1,2丁目地区地区計画」
 http://www.city.yokohama.lg.jp/toshi/tikukeikaku/c-074.html
参照「横浜市地区計画条例」
http://www.city.yokohama.lg.jp/kenchiku/guid/kenki/chiku/honbun.pdf

 でも、例外としても、どうして、パチンコ屋も馬券売り場も、あんな大きなビルで堂々といつまでも営業しているのだろうか。
 都市計画審議会の委員さんたちは、その実情をご存じないのか、そして例外規定があることをご存じなのだろうか。
 もしこれらが違反行為であって、取り締まっていないのならば、あるいは違反でないとしても地区計画の趣旨にいつまでも反していることに対して何らかの是正手当てしているのか、行政にその不作為を審議会として問うべきだろう。
 このままだと、既得権の既成事実の積み重ねが、せっかくの地区計画をないがしろにしてしまう恐れがある。     その2へつづく

2014/01/23

888年賀状の季節が終って寒中見舞いの葉書をようやく出した

 あ、そうだ、と思いついて、今年のお年玉付き年賀状の抽選がもう終わっているはずだなと、ネット検索をしたら、あった。
 毎年あたるのは最下等の切手であるが、今年も例外ではなくて、それもたったの2枚。でもどちらも故郷の同級生からだったのが嬉しい。

 で、参考までに1等賞は何が当たるのかを見て、エッとおもった。たったの1万円である。
 まさか、そんなことないでしょ、昔は海外旅行とかあったよ。もしかして、今見ているこの当選番号のページは、いたずらかもしれないと、他のページを見ても同じだった。
 へ~、そうなんだ、まあ、お年玉はそれくらいがちょうどよろしいともいえるよなあ、でも、いつの間にそうなったのだろうか?

 ウィキペディアには、2010年の1等賞は、液晶テレビ、国内旅行、パソコンセット、ビデオカメラ、オフィスグッズセットから1点選択とある。
 どうせ当たらないからどうでもいいのだけど、1等賞がたったの1万円になって、当り数が多くなったのだろうか。それでもあたらなかったぞ。
 まあ、年賀はがきをもらうばかりで、自分で買って送らないものには、当らないのでしょうよ。

 年賀はがきなるものを、こちらから出すことをやめて、6年目になる。こちらからは1月末頃に出す寒中見舞いにしている。
 それにはわけがある。自分が年寄りになると、年賀はがき交際範囲の方々も年寄りになって、年の暮近くなると喪中のお知らせの数が増えてきた。人によって年賀状を出す出さないの判別がめんどくさくなってしまったのである。
 1月に出す寒中見舞いなら、全部に出すことができる。

 それをやって変ったことは、いただく賀状の数が減少したことである。ある時期は250枚くらいだった年賀状が、いまでは120枚ほどである。
 それはそれでよいのである。まったく実際の付き合いがないのに、年に1回の賀状だけのやり取りを続ける意味がどれほどあのだろうか。
 親戚とは血縁つながりは消えないし、故郷の人たちとは場所つながりが消えないからつづける意味はあるが、もう戻ることはない仕事つきあいの縁きれは許されると思う。

 その一方で、おかしいのは何十年も全く会っていないし、専門分野としても接点がないし、こちらも寒中見舞いを出さないのに、年賀状だけは毎年いただく人たちもいる。
 ありがたいようにも思うが、それらは勤め先から来ることがほとんどなので、どうやら事務的機械的に出しているらしい。宛名を間違っても、そのまま毎年やってくる。
こういう方には、お断りの賀状を書くべきだろうか?

 インタネットの普及で、例えばフェイスブックやメーリングリストで、数年も全くあっていない知人とでも、日常的に挨拶や情報やり取りできる。だから年の初めだからと、あらたまって賀状交換の意味が無くなる。そうなった知人もずいぶん多い。
 お年玉葉書の賞金が大きければ、それでも年賀状だす意味もなくはないような気がするが、1万円ではなあ。




2014/01/21

887叔父が他界した太平洋戦争激戦地フィリピンルソン島の渓谷からのメールに今の平和を想う

 フィリピンのpinsanという方からメールがやってきた。知らないお方である。
 わたしのインタネットサイトに掲載したこの記事を読んだとある。
    父の十五年戦争  付・田中参三叔父の戦場

 メール全文を引用する(個人情報をはずした)。

 投稿された父の15年戦争読ませていただきました。私はフィリピンケソン市に住み、毎週土曜日か日曜日には散歩にワワ渓谷に出向いています。
 wawa渓谷近郊には通いなれたせいか住民たちと良い関係です。気軽に声をかけあう存在です。
 貴殿が書かれた文書を参考に、現在のワワ村落と日本軍心魂記の写真を主にして、書かせていただきます。
 いい加減なグロブですが(笑)
https://blogs.yahoo.co.jp/takeshi_pinsan/folder/1590979.html


 
 このpinsanさん紹介のフィリピン渓谷と山々の写真は、わたしの母方の叔父が1945年に戦死した地の今の姿である。あの悲惨な太平洋戦争の激戦地のひとつであった。
 叔父のいた軍隊は、この山中で連合軍とゲリラに追われて、食べ物も武器もなくなって、ジャングルと渓谷を逃げ回りさまよい、敗戦で投降した。

 だが、叔父はその前の5月5日に、小高い山の上で戦いの中で亡くなった。1948年4月15日にそう書いた戦死公報がきたが、何もその死を証拠づけるものはなかった。
 戦いの混乱の中で本当にその日でその場所であったか、確かめようもない。

 pinsanさんのブログに載せられている今の平和な姿に、長い日々が過ぎたことを想うだけである。
 叔父が戦場に行く前に別れたきりになった乳飲み子のひとり娘は、すくすくと育ち、いまは年老いた媼となって、更に老いたその母親、つまり叔父の妻を守りつつ、静かに暮らしている。

 インタネット時代だからこそ、このような海を隔てた地の見知らぬ方からの便りがやってきて、亡き叔父と父の戦争、そして今もどこかでやっている戦争への想いをかき立てられることがあるのだ。
 あのような悲惨な戦いで叔父はなぜ死なねばならなかったのか、そしてまた、巻き込んだフィリピンの膨大な非戦闘員市民たちをなぜ死なせねばならなかったのか、想いは広がる。

 pinsanさん、ありがとうございます。
 これからも、良いご関係を保って、平和にお過ごしください。

これはgoogle earthからわたしが探し出した叔父の戦場だった地
(叔父はの千秋山で死んだと公報が来た)

 わたしは太平洋アジア戦争でのもうひとつの悲惨な戦場物語を採集している。悪名高いインパル作戦に参加して、奇跡的に生還した農民のオーラルヒストリーである。
大橋正平さん戦場を語る(法末集落長老の回想)

2014/01/20

886名護市長選挙で辺野古移転反対市長当選とて政府の札びら選挙干渉は効かなかった


 沖縄の名護市長選挙で普天間問題が争点となって、昨日、辺野古移設反対の現職が当選した。政府の露骨な札びら選挙干渉は成功しなかった。
 
 それにしても沖縄の人たちは、きちんと態度を示すものである。この前の参議院選挙でも、沖縄独自の意志を持つ人を国会に送り込んで、基地問題二枚舌候補者をみごとに落としたのであった。
 その点、福島の人たちの態度はいい加減であった。県会では明確に原発NOとしているのに、衆院選挙も参院選挙も国会議員は原発YES党って、どうなってるんですかねえ、なにが沖縄とは違うのですかねえ。

 名護市長選挙結果についての主な新聞社の社説を読んで、彼らの態度を比較してみた。
 下記に各新聞社社説で言っている要点を引用しておく。
 印は、選挙結果はほっとけと言う新聞社、▲印は、選挙結果に中途半端な態度の新聞社、印は、選挙結果を真摯に受け止めろという新聞社である。
 いつも各紙を読んでいるのではないので、よくわからないのだが、なんだかそのまま原子力発電政策への態度と連動しているような感があるのだが、どうだろうか。

琉球新報社 2014年01月20日 社説
 選挙結果は、辺野古移設を拒む明快な市民の審判だ。地域の未来は自分たちで決めるという「自己決定権」を示した歴史的意思表明としても、重く受け止めたい。
  日米両政府は名護市の民主主義と自己決定権を尊重し、辺野古移設を断念すべきだ。普天間の危険性除去策も、県民が求める普天間飛行場の閉鎖・撤去、県外・国外移設こそ早道だと認識すべきだ。

沖縄タイムス社  2014年01月20日 社説
 米軍普天間飛行場の辺野古への移設に対し名護市民は「ノー」の民意を、圧倒的多数意思として示した。国の露骨な圧力をはね返して勝ち取った歴史的な大勝である。同時に仲井真弘多知事が、辺野古埋め立てを承認したことに対し、市民が明確に拒否したことも意味する。
 移設問題を明確に市民に問うたのは、1997年の市民投票以来である。市民投票では、条件付きを合わせた反対票が52・8%と過半を占めた。住民投票的な性格を帯びた今回の選挙で市民は再び移設反対の意思を明確にしたのだ。日米両政府は辺野古移設計画を撤回し、見直しに着手すべきだ。

読売新聞社 2014年01月20日 社説
 選挙結果にとらわれずに、政府は、米軍普天間飛行場の辺野古移設を着実に進めるべきだ
 1998年以降の5回の市長選で、最初の3回は容認派が勝利し、前回以降は反対派が当選した。民主党政権が無責任に「県外移設」を掲げ、地元の期待をあおった結果、保守層にも辺野古移設の反対論が増えたことが要因だろう。
 そもそも、在沖縄海兵隊の輸送任務を担う普天間飛行場の重要な機能を維持することは、日米同盟や日本全体の安全保障にかかわる問題だ。一地方選の結果で左右されるべきものではない。

日本経済新聞社 2014年01月20日 社説
 移設への市民の抵抗感が改めて浮き彫りになった。政府は移設の重要性を市民に丁寧に粘り強く説き続けなければならない
 名護市辺野古が移設先に浮上してから5回目の市長選だった。最初3回は移設推進派が勝ったが、その後2回は反対派が連勝した。民主党政権が「県外移設」というパンドラの箱を開けた影響が大きいと言わざるを得ない。
 ただ、きっかけは民主党でも、市民が心の内に不安を抱えていた事実は無視できない。騒音や事故で迷惑を被るのではないか。なぜ沖縄はこれほど重い基地負担を強いられるのか。こうした疑問を放置すべきではない。

産経新聞社 2014年01月20日 主張
 稲嶺氏は市長の権限を盾にとって名護市の辺野古沿岸部への移設工事を阻止する考えを示している。だが、移設が滞り、日米同盟の抑止力に深刻な影響を与える事態を招くことは許されない。
 仲井真弘多知事は昨年末、辺野古沿岸部の埋め立て申請を苦渋の判断の末に承認した。この流れを止めてはならない。市長選は移設にとって厳しい結果となったが、政府は名護市にいっそうの理解を求める努力を重ね、移設進展に全力を挙げるべきだ

東京新聞社 2014年01月20日 社説
 沖縄県の名護市長選で、市民の意思が明確になった。政府はこの事実を重く受け止め、米軍普天間飛行場の同市辺野古への移設を強行してはならない
 それでも日本政府は、米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古沿岸部への「県内」移設を強行しようというのだろうか。
 安倍内閣が強力に推進し、仲井真弘多沖縄県知事が追認した辺野古移設に反対する、名護市民の明確な意思表示である。

毎日新聞社 2014年01月20日 社説
 政府は昨年末、仲井真弘多県知事から辺野古沿岸部の埋め立て承認が得られたため、選挙結果にかかわらず、予定通り移設を進める方針だ。しかし、基地受け入れの是非が真正面から問われた地元の市長選で、反対派が勝利した意味は極めて重い
 地元の民意に背いて移設を強行すれば、反対運動が高まるのは確実で、日米同盟の足元は揺らぎ、同盟はかえって弱体化しかねないだろう。

朝日新聞社 2014年1月20日 社説
 名護市辺野古への基地移設に、地元が出した答えは明確な「ノー」だった。
 沖縄県の仲井真弘多知事は辺野古沖の埋め立てを承認したが、市長選の結果は移設計画や政府の手法への反発がいかに強いかを物語る。強引に事を進めれば大きな混乱を生む。政府は計画を再考すべきだ。

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 それにしても、ちかごろのTVやラジオでは、男女が平気でヘノコヘノコとのたまうのだが、紳士たるわたしはどうにもはずかしくて聞いていられない。
 どうかヘノコヘノコって聞かなくてもよいように、できるだけはやくヘノコ問題を取り下げていただきたいものである。
 ご参考までに『広辞苑』にはこう書いてある。
『へ‐の‐こ【陰核】 ①陰嚢中の核。睾丸。〈和名抄三〉 ②陰茎』