日本の近代建築史をちょっとでも知っている人は、このあまりにも無縁そうな二人のどこに接点があるのだろうと、不思議に思うだろう。わたしだって、2カ月ほど前までは思いもしなかったことだ。
コンドルは20世紀への変わり目を挟んで40年ほどを日本で活躍したイギリス人建築家、山口文象は1930年代から40年ほど活躍した建築家である。年代的にもその出自からしても、あるいは極端に違う作風からして、普通に考えると出会うはずもない。
ところが、このふたりの設計した建築が、東京都港区の芝公園近くの日比谷通りに面して同じ敷地内に仲良く並んで立ち並び、太平洋戦争の空襲で焼けるまでの9年間ほど、今考えるとなんとも特異な風景をつくっていたのだ。
その風景はこうであった。
一方、その左に見えるのが、山口文象のモダンデザインで、さもありなんという姿である。1936年、山口文象設計の「青雲荘アパート・友愛診療所」が建った。労働者のための病院と賃貸共同住宅の複合ビルであり、労働者の福利厚生の施設であった。これができた年には「番町アパート」ができているが、ほぼ兄弟作の感がある。
今はどちらも消滅したが、跡地には同じ財団によるオフィスとホテルの入る超高層建築が建っている。そのビル内に財団が運営する「友愛労働歴史館」があり、その展示室で戦前の活動拠点であった消え失せた二つの建物について、その歴史を再発見する企画の展覧会を開くのである。
いろいろ聞いて、調べてみると、日本の労働組合運動とキリスト教活動は出発点において深い関係にあったらしい。コンドルの設計したユニテリアン教会の唯一館は労働運動を起こす源流となり、後に活動の拠点となった場であり、山口文象が設計した青雲荘は、労働者のための本格的な厚生福利活動の源流となった場であった。
コンドル、キリスト教会、労働運動そして山口文象という、一見したところ関係があるとは思えない人と事柄が、実は深く結びついていることを知って、驚いている。
調べているうちに面白くなって論考を書きはじめたが、わたしは山口文象についてはそれなりに研究してきたが、コンドルについては建築史ディレタントの域を出ないし、キリスト教と労働運動については門外漢も甚だしい。そのうちにここに掲載しますので、お楽しみに。
参照:J・コンドル和風建築と山口文象モダン建築の出会い(改訂2校)2014
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