「889(その1)伊勢佐木モールで地区計画違反営業か」の続き
http://datey.blogspot.jp/2014/01/889.html
今回の横浜都市計画審議会での最大の問題審議案件は、「大船駅北第二地区第一種市街地再開発事業」と、それに関連する各種の都市計画決定や変更である。
ひとつの再開発事業のために、9件もの議題となっている。
これについて、あれこれと書いていくが、ここでのわたしのスタンスを誤解のないように、あらかじめ書いておく。
わたしは地元事情をまったく知らないから、この議案内容、つまりこの再開発事業がよくないとか、よくできているとか、そういうことを言うつもりは、まったくない。
ここでは、「この議案を横浜市都市計画審議会は真面目に審議したか」と問うのみである。
結論を先に言うと、まったくと言ってよいほど審議しないままに、原案通りに可決した。審議会の役目を果たしていない、審議能力が無いのだろうとさえ思った。
もちろん原案通りに可決して悪いって言ってるんじゃなくて、なんてったって審議会なんだし、日当13,800円(わたしが委員のときの受領金額)もらってるんだし、もうちょっとはマシな審議してから可決してはどうよ、ってことです。
一般に市街地開発事業、なかでも市街地再開発事業の都市計画は、かなり専門的知識がないと、都市計画図書を見ただけでは内容の判断はほとんどできないものである。いや、専門的知識があればあるほど、分らないことがおおいと分かると言った方が正しい。
つまり、都市計画図書に記載してあることから、諸課題を発見する能力がないと、その審議をすることは不可能といってよい。横浜都計審の委員にはひとりもその専門家はいないようで、素人的な質問はあったが、専門的な質疑は行われることはなかった。
専門バカだけではなくて素人の眼も必要であるが、素人ばかりで審議とは、いかがなのものか。
市街地再開発事業の都市計画は、他の地域地区や道路のような都市計画と違って、都市計画決定から短期間に実際の事業にとりかかる必要があるから、その事業性の担保をきちんと審議するべきである。
事業の確実性をいい加減に審議して原案可決して、その後に事業が行き詰まってしまったところは各地にある。そうすると決定した形の再開発のほかはしてはならないという都市計画制限はかかったままだから、街は凍結した姿のままで周りの発展から取り残されてしまうことになる。
横浜市内の前例では、横浜駅西口の相鉄駅前の市街地再開発事業は、1977年という大昔に都市計画決定しているが、いまだに実施できていない。だから制限だけかかっているので、あのようなゴチャゴチャの街が駅前にあるのだ。まあ、あのゴチャゴチャが好きなわたしには、それもよいか。
京急の日ノ出町駅前再開発も、都市計画決定から着工までずいぶん長い期間があった。
2008年にその日ノ出町再開発都市計画案の審議会を傍聴したが、そのときも本質的な審議はなくて、それでいいのかと思った。決定したとたんにリーマンショックで大変だったに違いない。去年やっと着工した。
今回の議題の大船駅前についても、鎌倉市側の大船駅前地区に、1973年という大昔に再開発事業の都市計画決定をして、半分だけ実施したが、半分はいまだにできないままである。
だから、駅は再開発でビルができたが、道路は広がらず、昔からの狭い道に市場的な雰囲気の街がずっと続いている。そこもわたしは好きなところだが、都市計画は宙ぶらりんである。
再開発事業ではないが市街地開発事業のひとつである土地区画整理事業について、隣の戸塚駅前周辺地区に都市計画決定したのが、半世紀も前のことである。これも行き詰まって、途中で縮小に縮小を重ねる変更をして、いまだに事業中である。
そういう経験を経て、最近では再開発事業の都市計画決定は、その決定にあたって地元合意が既に完了し、公共施設や施設建築物の中身がほぼ決まり、事業計画、権利変換計画の案も出ており、今後の事業スケジュールもめどが立ち、事業後の管理計画までも見込みがほぼ立っているものである。
市街地開発事業の都市計画決定は、慎重に見極めて行うべきである。昔のように、都市計画決定さえすれば、あとはなんとか事業が前に進むだろう、なんて思って決定する時代ではない。
そこのところを、審議会でなぜ確かめないのか。再開発事業の都市計画決定ならば、それは常識である。事業の中身に立ち入らないで、どうして審議ができたのか。
まさか、それらは全部わかっていたから審議しなかったということではあるまい。
いや、知っていて審議をしなかったとすれば、審議会は市民の代わりに審議しているのだから、市民への公開義務があるのに、それをサボったことになる。
(つづく)
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