2016/01/18

1165【五輪騒動長屋談議】新国立競技場ザハ・ハディド案を素人首相が突然白紙撤回する判断を何故できたのか未だに分らない

熊五郎:こんちわ~、ご隠居。寒いですねえ。
ご隠居:おや熊さん、いらっしゃい。うん、ようやく冬らしくなってきたねえ。
:でね、また、例の新国立競技場のことなんですがね。
:またその話かい、もう飽きたねえ。AKB48に決まっちまったことだし。
:なんでAKBが出てくるんです?
:あ、ちがった、AKTだったな、梓・隈・大成チーム。
:な~んだ、でもねえ、ここまで来ても、ずっと腑に落ちないことがあるんですよ。
:そりゃ、まあ、質じゃなくて「安かろう、早かろう」って、ファストフード流決め方だったから、腑に落ちないねえ。

:いや、それもあるけど、ずっと前から気になってるのは、なんで安倍首相はいきなり白紙撤回って言い出したのかってことですよ。
:ああ、そうだな、例の第3者委員会報告も、どういうわけかこれにはアンタッチャブルで、どうして超高額工事費になったか、そればかりだったな。まあ、超高額になってボロクソに叩かれたので、安倍内閣人気挽回策だろう。
:でもねえ、ワンマン社長じゃないんですよ、どこかの独裁国じゃないんですよ、民主主義国の総理たるもの、そんなことエイヤッと言えないでしょ。誰か裏で知恵付ける人がいたに違いないと思うんですよ。
:そりゃ政治の世界だから、裏だらけだろうよ。

:だからその裏は誰なんだろうと思うんですよ。馬鹿でかいし、高度に技術的な建物でしょ、しかも設計は終わって、もう工事にかかってた。なのに、あっと言う間に白紙に戻して、またやり直しても安くなってしかもオリンピックに間に合うって判断、こんなこと素人の総理大臣にできっこないでしょ。
:もちろん技術官僚にも無理、ってことは、どこか大どころのゼネコンが安い早い案を作って、これならいけますよって、裏から首相に工作していたってことかい。
:まあ、そう言ってしまっては赤新聞になりますが、そうとしか考えられませんよね。
:そういえば、やり直しプロポーザルの条件に、工事費の上限を1550億円とするってあったけど、ゼネコンならできるな。
:カネメでここまで問題になってるんだから、イイカゲンな金額に設定はできない世の中の雰囲気でしたからね。それに工期だって絶対に伸ばせない。
:だとしたら、いったん設計してみないことにはカネメも工期も出せない、しかしそれをやるには膨大な時間とカネがかかる。

:ところがカネも時間もかけなくても、それをできる人たちがいたんですね、ザハ・ハディド案をもとに設計をして工事を始めていた企業ですよ。
:そう、そうだな、彼らならいちからやらなくても、現にやっている仕事をアレンジすればいいんだからね。それなら工事費1550億円以下で、工期も間に合うって見込みが立つ案を簡単に作れたはずだな。
:さて、ではそれを作って裏から首相に白紙撤回をさせたのは、いったい誰なんでしょうかねえ、それは、たぶん……。
:待った、それは言わない方がいいよ、赤新聞になっちまうからね。ここんところは小説にして書くしかないな。
:それにしても、はなから1550億円と分っての入札同然のゼネコンのプロポーザルなんて、要するに言い値でまかせたってことですかね。普通に入札にすればもっと安かったかも。
:とすると、3000億円なんて一時言ってたのは、マスコミに高い高いって言わせて世論誘導して、白紙撤回を正当化するための高等戦術だったのかなあ。
:で、プロポに応募したのも既にやってた企業たちでしたでしょ。
:う~む、そうだったな。当選企業は2度の支払い受けるんだ、しかも税金原資の。

:でもね、これでもなぜ白紙撤回したのか、本質は分かりませんね。高いってのなら設計変更して安くすればいいでしょうに、それじゃあザハ・ハディドが承知しなかったんですかねえ。でもJSCは説得できない、文科大臣もできない、しょうがないから首相を首切り役にしたんですかね。
:でもねえ、カネメだけでの首切りだったんだろうか。それに、一方的な首切りは揉めると分ってるよなあ、それでもやったのかね。現にザハ・ハディドは大成チーム計画は白紙になった自分の案の剽窃である、てなことを言ってるらしいよ。
:そうそう、そこんところは、日本では知的財産権について甘いからなあ。ネットには、大成チーム案とザハ案との似ている点を詳しく見せているサイトがあり、なんだか例のエンブレム騒ぎの感じですよ。
:大成チームの建築家の隈さんが記者会見して、いや似てないとか、同じ機能だからどうしても似てしまうとか、妙なこと言ってるよ。これまで日本人の当事者建築家が誰も表に顔を出さなかったけど、隈さんが初めてだな。
:まあ、大成も梓設計もザハ・ハディド案をとことん知っているので、新プロポーザルもその延長上にあるとでも思い、ついつい似てしまうったのかもなあ。隈さんじゃなくて、梓設計が出てきてしゃべるべきですよね。
:ザハ・ハディドってメンドクサイ建築家を首切ったのに、こんども隈研吾って有名建築家を入れたのはなぜなんだろ。
:へへ、クマのことはクマにおまかせを、、たぶん、隈って建築家は、ザハ・ハディドと違って柔軟な態度の人なんでしょうね、悪く言えばご都合主義でどうにでもなる。伊東豊雄も前のコンペに応募落選したら、槙さんの尻馬に乗って新案を提案したり、柔軟というか日和見な人ですね。

:なんでもイギリスのメディアによると、JSCはザハ・ハディドに残金をほしいなら知的財産権を放棄して以後文句を言うなって申し入れして、ザハ・ハディドがそれを拒否したらしいな。
:おやおや、あらかじめザハ・ハディドに因果を含めておいてから、白紙撤回をしたんじゃないんですねえ、甘いなあ。
:まあ、なんだねえ、こうやっていろいろ揉めると、こちとら庶民は何の関係もないから、ただただ面白がって知的娯楽になって、年寄りにはボケ進行遅延策になるし、これからもどんどん揉めてほしいよな。
:この一連の事件は、安倍内閣による高齢者福祉対策なんですよ、たぶん。
:それにしちゃ、金がかかり過ぎだよ、オリンピックも要らないから1兆円ほど、われら貧乏高齢者に直接支払してもらいたいなあ。

参照●五輪騒動:新国立競技場と外苑都市計画に関する論考集(まちもり散人)

2016/01/13

1164【横浜ご近所探検】横浜駅西口地区で60年以上も生きる飲み屋の屋台群と20年で消えた東急ハンズの大規模建築


●20年で消えた大型店舗ビル

 久しぶりに横浜駅西口地区をぶらぶら、駅ビルが消えて、ただ今再建工事中。横浜駅は永遠に工事中である。
 ひょいと思い出して、東急ハンズの跡がどうなったか、行ってみることにした。東急ハンズは、今は西口駅前のビル内にあるが、その前はパルナードという商店街の先の方にあって、2013年に駅前に移転したのだった。

 それまでのハンズの店は、専用の7階建てくらいのけっこう大きなビルだった。全階がスキップフロアーという、ハンズのために設計したらしい独特な作りになっていた。ハンズ撤退跡のそのビルはどう使われているか興味がある。
 駅前からパルナードを歩いて行くが、はて、目指すあたりにハンズ跡のビルが見えない、大きな空き地の駐車場に出くわして、あ、ここだったなあ、おやまあ、ビルは消えている。ここで商店街が途切れてしまった。

 え、ハンズがここに建ったのはそう昔じゃないよなあ(今ネットで調べたら1990年)、しかもけっこう大きなビルだったよ、それが壊されたととはねえ、定期借地契約だったのかね。
 それにしても、もったいない。


この左角にハンズがあったハズだが、、

ハンズはこんなビルだった

●60年を超えて生き残る屋台群

 あんなに大きな新しいビルでも壊されるのだなあ、それならば、そうだ、あれはどうなったかなあ。
 西口地区内では、大昔からこれこそ壊されてしまう第一番の候補となっている建物群があることを思いだした。
 新田間川のほとりにある飲み屋の屋台群である。こちらはハンズと違って、超小さな小屋が建ち並んでおり、多分、1950年代からある古いものだ。
 
 おお、あるある、それなりにまだ健在だ。昼間見るとみすぼらしく、懐かしい風景で立ち並んでいる。
 法的には公道の不法使用なので、強制的に撤去するとか、しないとか、昔からときどき話題になりつつも、どうやら営業は続いているらしい。ところどころに歯抜けに金網囲いなっているのは、撤去跡だろう。

 昔から立っている警察と市の「警告」看板も健在である。昭和63年と書いてあるから30年弱、屋台は、多分、そのずっと前の戦争直後からからだろうから、60年以上も経っているのだろう。 
 ここまで来ると文化財級かもしれない。撤去しても、どこかにこれらの屋台を持って行って営業を続ける、なんて策もあるかもしれない。




●決定から45年経っても動かない再開発都市計画事業

 それで思い出したのが、野毛の都橋商店街である。1964年、野毛の道路上で営業していた露店群を、都橋そばの堤防の上に建てた2階建てビルに移して、今は都橋商店街となっているのだ。
 東京オリンピックで外国人がやって来るとはずかしいからとての超法規的措置だった、というから、なんとも面白い。
 今しも2020年オリピックが来る時でもあるし、西口地区の屋台でも、背後の新田間川堤防の上に、同じようなことをやったらどうですかね。あ、もしかして東京あたりでは、超法規的な措置がおきつつあるかもなあ、でも時代が違うか、。
道路と堤防の上に建って大岡川の上にせり出す都橋商店街

 もっとも、このあたりは横浜駅西口地区市街地再開発事業の予定地だから、その再開発に合わせて屋台群も整備する計画があるのかもしれない。
 横浜駅に接している地区なのに、このあたりだけが奇妙に低層建築ばかりであるのは、都市再開発法による市街地再開発事業の都市計画決定(1970年)をしているので、大規模建築を禁止されているからだ。
 もしかしてこの未成の再開発事業都市計画決定は、日本最古かもしれない。そのことも文化的価値があるかもなあ。
45年も予定のままの西口再開発予定地の駅前低層建築群

再開発予定地区内
20年で消えてしまった大規模商業ビルとの対比で、この再開発予定地区のオンボロ低層建物群や屋台群を考えると、なんとも奇妙なものである。
 再開発事業とは街を大きく変化させるための都市計画の仕掛けだが、いつまでたっても実現しない再開発なものだから、都市計画が街の変化にストップをかけているという、なんとも皮肉な現象である。そういえば、鎌倉の大船駅前のあたりもそうだなあ。

(2016・01・19追記)
え~っ、ついに消えるのかあ、今月限りって、知らなかったなあ、。


●参照「横浜ご近所探検隊が行く
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_19.html
 

2016/01/12

1163【終活ゴッコ】去年から所持品を処分する作業に凝っていて次第に面白くなってきたが最後にわが身の処分をどうするかなあ

 昨年は蔵書をあちこちに押し付けて、約1000冊くらいは処分した。まだ1000冊はありそうだ。ことしの仕事である。蔵書の処分は、これまで何度もやってきて、ようやくここまで到達した。

 父の遺品類は、大物の岡山の空き家を売却処分、小物のあれこれは息子に一部を押し付け、カメラ類は廃棄したが、写真アルバム13冊に悩んだ。
 大正期の尋常小学校時代から各学校卒業写真、日中戦争の現場写真、父の父から父の孫まで顔写真、たぶん1000枚以上あるだろう。弟も息子も要らないという。
 いくつかはデジタル化したが、きれいさっぱり捨てた。
父の遺品の写真アルバム類
父の遺品カメラと、わたしの“遺品”カメラ類

わたしの収集したセットテープも捨てた。能楽堂でひそかに録音した能演奏、野村四郎師指導のわたしの謡の稽古の録音、仕事がらみの録音、外国旅行の街で拾った音など、数百本あったのを、エイヤッと燃えるゴミに出した。
 山口文象研究関係のテープ5本(山口文象、前川國男、猪熊弦一郎が語る声)は、RIAの山口文象資料として引き取ってもらった。

 さて次は何を捨てようかなあ、本がまだあるなあ、それよりも思案は最後に粗大ごみのわが身をどう処分するか、それが問題だ。

2016/01/11

1162【Edge of Eternitey】もう本を買わないと決めたのについ買った本、英文千ページでボケ防止効果あるはずと言い訳けする

 さてさて、ちょっとはボケ進行遅延策になっただろうか。
 1000ページもの厚い本、しかも英文を、30日ほどで読み終えたのだ。いや、なに、三文小説である。
 イギリスの作家、Ken Follett作「Edge of Eternitey」、ペーパーバック版で1149ページ、辞書並みの厚さである。
 こういう三文小説は寝転んで読むに限るのだが、腕が疲れるのでカッターで3分冊に切り分けた。

 3年ほど前から、本なら捨てるほど売るほど本棚にあるので、もう本を買わない、うちの本は人さまにさしあげるためにあると決めたのに、昨年11月に代官山のツタヤに久しぶりに行ったら、これがおいてあって、うっかり買ってしまったのだった。
 うっかりとはいえ買ったのは、この「Edge of Eternitey」が、Ken Fllettによる「The Century trilogy」シリーズの第3巻であり、じつは先行する第1巻「Fall of Giants」と第2巻「Winter of the World」を読んだので、その続きだからなあとレジに持って行ってしまったのだ。
第1巻                     第2巻、第3巻
  家に帰って取りだして、あ、また本を買っちまったと後悔した。
 で、言い訳を考えたのが、分厚い英文の本だからボケ進行遅延になる、ということである。まあ、3文小説でも英文ならばそれなりにいつもと違う頭を使うから、それなりの効果はあるに違いない。

 このシリーズの第1巻「Fall of Giants」を市立図書館で借りて読んだのが、2011年11月のことであった。ハードカバー本985ページを読み終えるのに20日間かかった。
 ドイツ、イギリス、ロシアの3つの家族が、アメリカにも展開しての壮大な歴史ロマンフィクション大河小説である。

 面白かったので、次の第2巻「Winter of the World」を図書館がいつ買うか待っていたが、近ごろ財政難で本を買わないので、ペーパーバック版を2014年2月に買って読んだ。890ページもある。
 実はこのときももう本は買わないと決めていたのに、うっかり買ってしまったのだった。第1巻の面白さにひきづられた。これも面白かったので1月ほどかけて読んだ。
 
 2015年秋に第3巻「Edge of Eternitey」がでたが、図書館に期待できない。わたしも財政難だし、本は捨てるほど本棚にあるのに、またフラフラと買ったというわけである。
 実は、買わないと決めていた理由は他にもあった。このシリーズ三部作の第1巻は第1次世界大戦が、第2巻は第2次世界大戦が、それぞれ中心になる近代史フィクションなのだが、第3巻は東西冷戦時代の現代史の世界である。
 わたしはこれまでにFolletの小説のほぼ全部を読んだはずだが、歴史物小説は例外なく面白いのだが、現代ものはどうも今ひとつのものが多いからだ。
 
 では第3巻を読んでどうであったか。
 なにしろ登場人物がものすごく多いし、物語の舞台が世界のあちこちに飛ぶので、読んでいて頭が忙しく、ボケ進行がちょっとは止まったかもしれない。
 ただ、こういう三文小説の常で、善玉と悪玉が明確に分けられているから、その点は頭のこんがらかりは少ない。

 現代史となると、わたしのような年寄りには、事実を同時進行で知っていて、結果が分っているネタバレ状態なので、よほど上手にフィクション処理してくれないと、面白みに欠けることになる。
 さすがにFlletともなると、あれこれ手練手管が上手いことは上手いが、わたしが事実を同時進行ほどにはあまり知らないで読んだ前2巻と比べると、興味が続きにくいのは仕方がない。
 その点、若い人なら冷戦世界の歴史を同時進行で知らないから、興味深く読むことができるかもしれない。

 なお、日本語訳本は、第1巻が「巨人たちの落日」、第2巻が「凍てつく世界」の題名で、ソフトバンク文庫で出版されている。

参照⇒http://datey.blogspot.jp/2011/11/535.html

2016/01/04

1161【横浜ご近所探検】2016年横浜港の喧騒なる年越し風景と大通公園で孤独野宿男の年越し風景

 久しぶりに、大みそかの真夜中に、息子と二人で外出した。生れが生れなので(生家は神社)、初詣の趣味は全くない。ちょっと港あたりの年越し風景見物である。
 いつも年越しの港の汽笛をうちで聞くだけなのを、今年は港で聞いてみるかと思ったのだ。


2016年1月1日午前0時0分の遠花火
 横浜港の象の鼻から赤レンガ倉庫あたりをぶらぶら、大勢の人たちがやってきている。年越しのカウントダウン花火をチラと見て、なりひびく汽笛を聴く。
 もう帰ろうと馬車道を歩けば、なんといろいろな店が開店しているのに驚く。居酒屋、コンビニ、ファストフード、カラオケ、なんだか安っぽい店ばかり、こうやって年越しで働く人たちが大勢いるんだ。

 ちょっと一杯やっていくかと、沖縄居酒屋に入った。わたしたちのほかには誰も客がいない。朝の5時までやるそうだ。
 古酒とソーミンチャンプルーで温まって店を出ると、もう1月1日午前0時半ごろになっている。

 人影のないさびしい大通り公園を歩けば、公園の真ん中に街路灯の下に野宿男が一人、石とタイル張りの冷たい床に座り込んで、まわりをたくさんのビニル袋入り荷物群で囲い、ぽかんと寒空を見上げて年越しする姿に出会った。
 ついさきほどまで、港あたりではカウントダウン花火で、大勢の人たちが幸せそうに寄り集まっていた風景と、ここの風景との落差になんだか寒くなってきた。そう、あれはオレかもしれぬ。

2015/12/29

1160【五輪騒動】建築家はあれこれやかましいが都市計画家は新国立競技場や神宮外苑の都市計画に何にも言わないのは何故か

 すったもんだの末に新国立競技場の計画は、どうやら決まったようだ。こんどはうまくいくのだろうか。
 でも、以前にあったように、突然にワンマン宰相がでしゃばってきて、また白紙撤回って言い出すかもしれないから、まだまだ五輪騒動の楽しみは尽きない。

 建築に関する騒動はこうやって出直しになったが、そのもとになっている都市計画については、景観とか風致とか髙さとか、世の評判からさっぱりと忘れられてしまったらしい。
 今度きまった新国立競技場案によって都市計画を変更するのか、しないのかさえも分らない有様である。ザハ・ハディド案をもとにしてそれを実現するように決めた都市計画だから、普通ならば、こんどの大成・梓・隈組案によって決め直す変更をするのであろう。
 もしも、そのままで公園も地区計画も都市計画の変更をしないのなら、大成案はザハ・ハディド案を踏襲したことになる。模倣とまでは言わないにしても、オリジナリティがない案であることを証明するようなものだ。

 建築界がこれだけ騒いでいるのに(ピントハズレもあるが)、不思議なのは都市計画界が何にも言わないことである。
 わたしがこのブログでその方面を何度も挑発しているのだが、都市計画家のどなたも乗ってこない。無視されている。
 今回のような騒ぎには、都市計画家は無関係ではあるまい。区画整理事業を持ち込むとかニュースもあるから、当然に地区整備計画の変更だってあるだろうし、その未指定エリアに新指定も必要だろうが、それについてどうあるべきか、都市計画の誰も言わないのはどういうわけだろうか。
 それとも、わたしが知らないだけで、都市計画系の学会や協会などでは、論文や意見がでているのだろうか。
 
 雑誌『建築ジャーナル』から、この地区の都市計画ついての論考を求められたので、2015年12月号に寄稿した。下記にそれを載せておく。執筆日は2015年11月16日。
 
====『建築ジャーナル』誌 2015年12月号寄稿論考=====


新国立競技場と明治神宮外苑で
都市計画家は何をしてきたのか

伊達 美徳 (都市計画批評家)    

 都市計画家は
建築から都市までマネージする

 この新競技場建築計画に関しては、多様な問題が世間の話題になったが、要はその建築のあまりの巨大さへの批判である。
 では事業主の日本スポーツ振興センター(JSC)のもとでその巨大さを決める仕事をした専門家は誰であったか。新競技場の建築計画をまとめ、国際コンペの裏方を務め、実現のための都市計画案を策定し、東隣の神宮外苑も含む大規模な都市計画へと歩を進める役割をした都市計画家とその都市計画の抱える問題に目を向けよう。

 これまで新国立競技場について多くの建築家が登場したが、では都市計画家は誰なのか。有識者会議に都市計画家の岸井隆幸(日本大学)が名を連ねており、2012年11月決定の国際コンペの審査員でもあった。しかし、都市計画の実務作業をしたのは、その下に技術調査専門員としてついた都市計画家・関口太一(都市計画設計研究所)であった。

 JSCが関口が主宰する都市研に「国立霞ヶ丘競技場整備に係る基本計画策定等」の業務を発注したのは2012年4月だが、実際にはかなり前から作業していたであろう。
 その内容は、新国立競技場の建築計画、国際コンペ実施の裏方支援、それを実現させるための都市計画案づくりなど多岐にわたった。都市計画家・関口太一による基本計画の上に、建築家たちがあの巨大な新競技場の絵を描いたのであった。

 その基本計画をもとにして国際コンペによるザハ・ハディドの競技場案が生まれるのだが、巨大すぎて現在敷地におさまらない。だが、オリンピックの錦の御旗のもとに無理矢理はめこむとて、足りない敷地は隣地も公園も道路もとりこみ、厳しい都市計画規制の緩和措置も必要だ。これは都市計画の出番であり、都市計画家の仕事である。
 そして新競技場関連地区の都市計画の変更案や新設の地区計画の詳細案をつくる。

 これとは別に、東隣の神宮外苑に関しても計画が進められてきている。2003年に都市計画学者の伊藤滋を長とする委員会が「明治神宮外苑再整備構想調査」報告書をまとめた。
 外苑の出自に留意しつつ新時代の都市公園としてのあり方を構想しており、この都市計画家は今井孝之(都市設計研究所)である。

 これら東西ふたつの計画をひとつに合体した都市計画が、「神宮外苑地区地区計画」である。これはJSCを代表者として国、都、明治神宮、隣接民間企業等の土地所有者が共同で、東京都に都市計画法に基づく提案(2012/12)をして、受理した都が評価の上で都市計画決定(63.3ha、2013/06)をした。

 地区計画はそこに整備する建築をベースにした都市計画であるから、都市計画家は官と民の多数の関係者の建築計画をひとつの地区計画にまとめて、このプロジェクトの実現へのマネージメントをしてきたことになる。
消えた国立競技場の向うに東京都体育館が見える

都市計画公園指定の神宮外苑は
どのような姿で開園するのか

西側の"新競技場関連地区"の地区計画は具体的であり、ザハ・ハディド新競技場案と日本青年館・JSC新ビル計画案に合わせて高さ、容積率、用途の緩和がその内容である。
 高さ制限の緩和は、許可基準を変更して風致地区も高度地区も大幅に突き抜けた。これについて都市計画としても都市公園としても妥当か否か、総合的な検討があったのだろうか。

 東側の"神宮外苑関連地区"の地区計画は、大きく2分して、絵画館と銀杏並木のあるラケット型エリアは保全地区として、創建当初への復元を目指している。
 この保全地区を除く神宮球場等のある外苑と、外苑外のラグビー場及び企業用地等については再開発等促進区としている。企業用地が取り込まれた事情がわからないが、地区整備計画も未指定で詳細はいまだに不明である。

 しかし、外苑再開発地区の土地利用基本方針には、"既存スポーツ施設及び関連施設の更新・再編、新時代のスポーツニーズに対応した施設整備、神宮外苑の緑豊かな風格ある都市景観と調和、魅力的な賑わいの商業、文化、交流、業務機能の集積"とある。
 地権者たちのつくった地区計画企画提案書には、"見直し用途地域は商業地域、見直し容積率は現行の指定容積率に上乗せ設定"と、都市計画的にドラスティックな表現がある。

 一部に企業用地を含むからか、これでは何でもありの商業地再開発の意図で、神社境内だからとて縁日の見世物小屋や屋台店を常設の大規模商業ビルにして立ち並ばせるのか。
 地区計画は、開発構想計画に基づいてそれを実現するように定めるものだが、都市計画家はどのような絵を描いているのだろうか。既に地区計画指定しながらその構想図さえも非公表であるのが不可解である。

 忘れてならないのは、この神宮外苑には都市計画公園の指定があることだ。そもそも神宮外苑はかつて国家神道の国有地であり、戦後に宗教法人となった明治神宮に時価の半額で譲渡(約5.5億円、1956)したから、いわば半分は国民の財産である。
 であればこそ東京復興内環状緑地(1945)、都市計画公園(1957)、風致地区(1970)等の指定をして、都市公園という公共的施設への方向づけをしたのであろう。
 しかし、公園指定から半世紀を過ぎた今も未開園のままである。この機会にその歴史を踏まえた構想計画を練りあげて公表し、例えば特許公園としてでも、全面開園へと進めてほしいものである。

地区計画の区域設定が
都市計画として不可解である

 この地区計画区域には都市計画として不可解な点がいくつかある。都市計画家たちはどう考えたのだろうか。
 第1に、西側の事業が明確な新競技場地区と、東側の内容不確実な神宮外苑地区とは、実体的には無関係なのに同時にひとつの地区計画としたことだ。
 オリンピックで急ぐ官側の計画に、民が便乗したのか。

 第2に、霞ヶ丘都営住宅の廃止である。JSCが都に都市計画提案した時点では、東京都住宅マスタープランに霞ヶ丘都営住宅は"建替え等の事業実施が見込まれる特定促進地区に指定、公営住宅建替事業"との文言があるから、廃止する提案は上位計画との整合性に問題があった。
 この廃止が必要になった都市計画的理由は、移転する日本青年館・JSC新ビル用地(図の)が都市公園指定地であり、公園には建てられない建築用途だから公園指定を廃止、だが、都市公園法により公園面積の減少をできないので、都営住宅地を代替公園としたからであろう。
 オリンピック敗退第1号が公営住宅であるのが、いかにも居住政策のない日本らしい。
消滅させられる都営霞丘団地

 第3に、その南隣の民間共同住宅ビル(図の)は、盲腸のようにぶら下がり、都市計画的に何の脈略もない。
 ①及び都営住宅と一体再開発ならまだしも、私営の民間共同住宅ビル単独建て替えを規制緩和して優遇の一方で、都営の共同住宅ビルを消滅さてしまうとは、なんとも不公平かつ不可解である。
どういうわけか地区計画に入っている外苑ハウス
第4に、青山通り沿いの複数民有地(図の)には、既に大規模建築が大規模敷地に建ち並び、都市的整備済みであるのに再開発計画に含むのはなぜか。
 その一方で、外苑前交差点あたりの細分化した土地に鉛筆ビル群が並ぶ整備が必要な地区(図の)を除外しており、いずれも不可解である。
どういうわけか向うの大規模ビル群が再開発区域

 都市計画批評を試みるつもりが批判となってしまった。建築批評のように、専門家の間に都市計画批評が根づき、一般社会に広まることを期待している。
(写真は、このブログののために付加した)



参照●五輪騒動:新国立競技場と外苑都市計画に関する論考集(まちもり散人)

2015/12/28

1159【くたばれ名ばかりマンション】雑誌建築ジャーナル201年1月号特集:マンションは買うな:基礎杭偽装傾きマンション事件の本質はマンションというシステムだ

 「マンションは買うな」という特集の、雑誌『建築ジャーナル』(2016年1月号)が発売されました。

http://www.kj-web.or.jp/

 横浜都筑区の大型共同住宅ビルの一部が傾いた、地下に打ち込んだ基礎杭打ちに原因があったらしい、そしてその工事データに偽造があった、しかも全国的に偽装が判明という大事件が、この号の特集テーマです。
 
 その中に『マンションは買うな 緊急座談会!』という記事があります。
 座談会メンバーは、マンションでの生活者、マンション反対運動の経験者、マンション設計の建築家、マンション問題の弁護士の方たちに、そして「くたばれ名ばかりマンション」と言っている私にもお呼びがかかりました。
 いろんな立場の専門家や市民の話は、なかなか興味深いものです。

 わたしの発言の一部。
「マンションという共同建築は、所得や年齢、国籍や文化の異なる赤の他人たちが、全くの偶然に集って、超高額不動産を共有して運営するという、実に奇妙な代物です。事件に直面して初めて分る難問題がたくさん潜んでいます。……今回の問題の本質は、実は杭打ち工事にあるのではなくて、マンションというシステムにあると考えています」

 そのほかに構造家や弁護士による論考もあります。
 こちらを参照⇒建築ジャーナル http://www.kj-web.or.jp/

●参照「くたばれ名ばかりマンション」(まちもり散人)
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tosikyoju

2015/12/26

1158【書評】住宅供給公社は初心に立ち返って日本の住宅政策を転換する先兵となってほしい


【書評】神奈川県住宅供給公社編
 『横浜関内地区の戦後復興と市街地共同ビル』
(2014年、神奈川県住宅供給公社、非売品)

 今年2015年の秋、横浜郊外の都筑区にある持家共同住宅ビル(世間はマンションと言うが、それは欧米で豪壮大邸宅の意だから、日本では“名ばかりマンション”)が傾いて、基礎杭工事偽装事件が日本列島各地を震撼させている。

 そしてこの秋、横浜都心の関内にある借家共同住宅ビルがひっそりと姿を消した。ビルの名は「弁天通り3丁目第2共同ビル」という貸家ビル、1958年竣功、持ち主は神奈川県住宅供給公社である。
 それは太平洋戦争で荒廃した横浜都心が、戦後復興した記念碑的な建築であり、同潤会による関東大震災からの東京復興共同住宅に匹敵するものだった。

 横浜都心の関内関外地区は、太平洋戦争中の空爆と戦後のアメリカ軍の占領で、道路も建物も大部分が滅失して関内牧場と揶揄されたほどだったが、朝鮮戦争が終わる1954年ころから本格的復興を始める。
2012年撮影 弁天通り3丁目第2共同ビル
2015年撮影 ビルは消えて駐車場となった
日本の多くの戦災都市が区画整理事業で都市基盤を整備して、その上には地主がそれぞれ勝手に建物を建てたのだったが、横浜都心では官民が協力して、災害に強い耐火建築で都市計画的に街並みをつくりあげていった。

 その事業手法は、公的規制とインセンティブを持った耐火建築促進法による防火建築帯造成事業である。関内関外の道路沿いは耐火建築の3階建て以上とすると法による決定をして、そのための公的な資金助成や建設技術提供や調整支援をして建築誘導したのであった。
 中区のエリアで1950年代の10年間で265棟、間口総延長30kmに達したとされる。
 現在、その半数以上が建てかえられたらしいが、その連続共同建築の街並みが、横浜都心景観のベースとなっている。プレ田村期の壮大な住民参加型都心再生まちづくりであった。

その公的指導機関の中心となったのが、(財)神奈川県住宅公社(現在は県住宅供給公社)と横浜市建築助成公社である。この2者が技術と資金のタッグを組んで、上層階に賃貸共同住宅、下層階に店舗や事務所のある、複数地主たちによる共同建築を建てて、その数は52棟に及んだ。
 横浜都心に賃貸住宅と商業施設を合わせて積極的に供給することで、被災した地主たちの生活と仕事の復興とともに、市民の日常の暮らしがある活気に満ちた都心の復興を目指し、それは成功したのであった。

 ここに紹介する本は、その事業を積極的に進めた県住宅公社の関内関外における共同住宅ビル建設の記録である。
 特に記念碑的な上記の共同ビルを取り壊すにあたって、その記録保存とともに、建て替えが進んで忘れられがちになる戦後都心復興期の実情を、公的事業者の立場から全般的に調査した報告書である。
ここにある「公社物件」52棟のうち26棟が現存とのこと(藤岡泰寛氏)

 建設されてから、それらのビルの中でどのような動きがあったかも分って、都市民俗学的な興味もわくのである。特に名作でもない戦後建築が壊されるときに、その意義を再評価して記録保存をする時代となったのも感慨がある。
 今後に望むのは、民の側の動きも含めて防火建築帯の全体像について、どなたか(この本の執筆者のひとりの藤岡泰寛さんか)ドキュメンタリーを書いてほしい。来たるべき巨大震災後の都心復興に役立つにちがいない。

 最初にあげた事件のような持家型共同住宅の問題は、杭打ちという工業的技術よりも区分所有システムに根本原因がある。
 戦後復興期は借家政策であったのが、高度成長期から持ち家政策に転換してから、住宅という箱づくりの経済政策はあれども、社会政策としての居住環境づくり無いままである。
 だからいまや空き家問題が澎湃と起きてあわてているが、すぐに持家共同住宅にも及んでくるだろう。

 大震災が来ようとしてもしている今、大問題にならぬうちに公的対策を打ち出す必要があり、所有と管理が安定する借家政策を再び推し進めるべき時代が来ていると、わたしは考える。
 そう、今こそマンション再生に、戦後復興時代の意気に燃えた住宅公社が動きだすべきである。日本住宅政策を借家政策に転換するべく、空き家問題、マンション問題を社会的に解決する先兵となってほしい。
 
 この本のしめくくりに公社専務理事の蔀健夫さんがこう書いている。その言や良し、大いに期待する。
 「現在の公社も非課税法人として果たすべきセーフティネット機能などの公共的役割は大きいが、それだけが公社の役割ではない。将来を展望しながら地域に密着して必要な事業を展開する企業(ソーシャル・エンタープライズ)としての本質を失ってはならない。それが住宅公社の創業の精神であり、団地再生等の新しい事業の中でその精神を生かしていくのが今後の我々公社職員の使命である。」
 
*この場を借りてちょっと宣伝、雑誌「建築ジャーナル」2015年12月号に新国立競技場の都市計画についてのわたしの論評を寄稿、おなじく2016年1月号に杭打ち偽装事件がらみの「マンションは買うな」緊急座談会でしゃべっています。おヒマなら読んでくださいませ。(伊達美徳2015/12/12記)
============
小論は、『現代まちづくり』(2015年12月 現代まちづくり塾発行)に掲載した。なお写真は、この記事のために追加した。

2015/12/24

1157【五輪騒動】当選案は〝早い安い不味い〟ファストフードスタジアムなんだ~!新国立競技場の審査採点結果一覧を見て分ったぞ

 寒さが迫ってきた東京へ、知人の展覧会を観にいったついでに、信濃町であった新国立競技場に関する、市民勉強会を覗いた。
 70人ほどが集まって、建築や運動競技の専門家を招いて、こんどの公募の結果に関しての自主勉強である。熱心なことで頭が下がる。

 わたしはオリンピックにも競技場そのものにも、ほとんど興味はないのだが、こういう場外乱闘には興味がある。JSCの発表を読むのがメンドクサイので、他人から聞こうとの魂胆である。

神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会 緊急勉強会 
原っぱ組の岡目八目・・・新国立競技場二案をどう読むか


 司会の方が見せてくださった、この一枚のAB両案の比較表が面白い。
 このたびの二つの応募案に対する、審査員たちの評価点を並べたのものである。こうやって点数をつけて、客観的(なふりして)評価をしたらしい。
 結果は合計点が多かったA組の勝ちだが、詳細を見るとこうなのであったらしい。

新国立競技場再公募2案の審査員による評価点一覧
工期短縮でブッチギリの差をつけてA組の勝ち

 勝ち点のほうに赤丸を、わたしが今ここでつけたのだが、要するに、「早い・安い・ヘタ」A組「遅い・髙い・うまい」B組ってわけである。
 これには笑ってしまった

 吉野家って牛丼ファストフード屋の宣伝文句が、「うまい やすい はやい」といったが、実体は「まずい やすい はやい」である。まさにそれである。思い出したが、糸井重里がこれをもじって「はやい、うまい、いとい、よろしく」と言っていた。
 B組は「うまい」だけじゃあ勝てなかったんだ。ワンマン宰相の白紙撤回騒ぎの結果が、「はやい、やすい、まずい、クマ」かよ~、

ファストフードスタジアム



 会は2時間もすすんで、年寄りは寝る時間が近づいたし建築家たちのお話にも飽きたので、中座して帰ろうと会場の外に出たら、司会者が追いかけてきて、何かしゃべって行けとのこと。
 建築のことじゃなくて都市計画のことでもよいかと聞くと、それで良いとて引き返して、10数分しゃべった。時間がなくてうまくしゃべれなかったのが残念、ここに発言要旨を書いておく。

=========

●発言要旨     2015/12/23            伊達美徳

 わたくしは、一介の都市建築ディレタントの都市徘徊人です。オリンピックにもラグビーにも、サッカーにも全く興味がありませんが、このような場外騒動には大いに興味があります。
 ザハ・ハディド案(コンペ応募案)が実現したら、この大嫌いな神宮外苑の国家権威主義的な景観をブチ壊してくれるだろうと、大いに期待していました。
 しかし今回きまったのは、ベランダで盆栽を楽しむ「名ばかりマンション」の広告の絵のような軟弱な姿のものとて、実に残念です。ワンマン宰相がまた白紙撤回を白紙撤回してくれることを期待しています。 

 都市計画の面から意見を申し上げます。
 まず最初に、世間に流布しているらしい、本件の都市計画に関する情報の間違いを指摘しておきます。
 ひとつは、神宮外苑の地が日本で最初の風致地区指定されたという風説が間違いであることです。1926年9月14日内務省告示第134号において、東京都市計画風致地区を指定しましたが、この場所は神宮外苑の中ではなく、その外の街でした。外苑も内苑も風致地区ではありませんでした。外苑の全部を風致地区指定したのは1970年のことです。内苑も同じです。

 もうひとつは、都市計画である地区計画を、コンペの結果を見て決めたのは、順序を間違っているという風評ですが、これも誤りです。
 地区計画は、その計画する地区の特性によって、どのような建築や景観を作り、守るかという具体的な計画を前提として、それが適切であり悪影響をもたらさないと評価したうえで、その具体的計画を確実に実現させるために、強制力を持つ都市計画によって担保するものです。異なる形の建築計画等を禁止していると言ってもよろしい。
 したがって、ザハ・ハディド案を的確な計画と評価したからこそ、それを実現するための地区計画を定めたのです。
 結果として、白紙撤回になったのは、的確な計画でなかったことになるのですが、それは都市計画のせいではなく、カネメのせいという奇妙なことでした。

 ということで、今回はザハ・ハディド案とは異なる、このA組の案が登場したのですから、その名のごとく、Aクラスの計画であると都市計画的に評価をして、その上でこれを的確に実現するための地区計画・再開発等促進区の地区整備計画に、変更をするべきでしょう。

 また、都市公園の都市計画変更も行うべきです。ザハ・ハディド案をムリヤリ納めるために、都市計画公園の明治公園・四季の庭を立体公園にするという、ウルトラCの奥の手の離れ業をやりました。今回それを元に戻すように、新国立競技場の外郭を調整し、変則極まる立体公園を廃止するべきでしょう。コンクリ床の上に、本物の森は育ちません。ついでに言えば、建築のバルコニーに森はできません、名ばかりの杜です。
 
 そして提案ですが、新国立競技場の敷地全部を、明治公園として新たに開園するべきでしょう。 
 もちろんそこにはこの地に適した樹種、つまり潜在自然植生種の樹木等の苗木を植えて、時間をかけて本物の森を作ることにしましょう。市民参加で植えると、かつての「勤労奉仕」ですね。
 神宮外苑も、東京都体育館も、ラグビー場もこのあたり全部が都市計画公園の明治公園なのです。ただし開園しているのはそのうちの1割ほどです。新国立競技場ができた暁には、開園公園をできるだけ広くしたいものです。

 都市計画に関しては、さらに国立競技場の南にある、都営住宅、三角公園、テニスコート跡地、外苑ハウス等のエリアについても、変更すべきでしょう。
 このことに関しては、ここでは時間的に述べきれませんので、わたくしのウェブサイト
に、提案を書いておきましたので、ご覧ください。

 たぶん新国立競技場とこのあたりを含めて、地区計画の変更、地区整備計画の変更と追加が、今後の都市計画手続きに乗ってくるはずです。東京都民は注意深くこれを監視して、手続きに積極的に参加しましょう。

 さらに今後の都市計画で大きな問題は、現段階では地区整備計画がないままに、地区計画の再開発等促進区に位置付けられている、神宮外苑とそれに隣接するラグビー場や青山通り沿いの民間ビルのある地区です。

 そもそも、地区計画の再開発促進区で、地区整備計画がないのが非常に不思議と、私は思っています。具体的な計画なしに、あるいはそれを見せないで、都市計画決定するのは、法的には違反しなくとも、なぜそれで再開発等促進区を定めるのか、行政当局、都市計画審議会、そして手続き中に何も意見書を出さない東京都民に、わたしは不審を抱くものです。

 この議案を審議した新宿区の都市計画審議会の議事録に、専門家の委員から、具体的な開発計画の絵がないから内容が分らないと、指摘されています。
 審議会にも構想図を見せていなのです。よくまあ、それで都計審は承認したものです。多分、無いのではなくて、隠しているのでしょう。

 これから、新国立競技場周辺と神宮外苑周辺の、地区整備計画が都市計画手続きに出されるでしょうから、東京都民はしっかりとそれをチェックされるように、神奈川県民のわたくしは要望しておきます。

 都市計画と並んで、都市公園のことも留意する必要があります。公園は都市計画法ではなくて都市公園法によって律するので、緩和の考え方が異なります。
 今後、都市計画公園の開園に向けての手続きがどう進むのか、もしかして明治公園計画を廃止とか縮小するのかもしれないから、それが決まってから騒ぐのでは、行政手続等の段階からしっかり見守る必要があります。

 以上、都市計画の面からのコメントでした。ご清聴を感謝します。
==========

 ということで、発言の機会をいただいた主催者にお礼を申しあげます。(つづく)

●五輪騒動:新国立競技場と外苑都市計画に関する論考集(まちもり散人)

2015/12/22

1156【五輪騒動】おやおや白紙撤回再公募新国立競技場案は、クマ組の勝ち、イトウ組の負けかよ

1155【五輪騒動からのつづき

●クマの勝ち、イトウの負けだってさ

熊五郎:ご隠居、てえヘンだ、決まりましたよッ、負けました~。
ご隠居:おや、熊さん、なんだよ、朝から騒々しい、。
:へへへ、あっしが負けましたよ、ほら、昨日の新国立競技場の賭けですよ、A組の勝ちですってよ、ほら、この新聞記事。
:どれどれ、おお、あたしゃA組に賭けたんだっけ、じゃあ、ラーメン奢っておくれ。
:しょうがないや。ご隠居がA組がいいっていうから賭けたのになあ。
:うん、わたしの好みとは違ったなあ。まあ、どっちでも、どうでもいいんだけどね。これで一番ほっとしてるのは建設業界だろうな。
:なんでです?
:あのね、壊した国立競技場は大成建設の施工だったし、白紙撤回されちまったザハ・ハディド案も大成が既に着工してたからね、業界常識的では大成がやるのが当たりまえなんだな。
:なーるほど、では、もしも単純に入札で決めたら、業界で談合して大成になるはずだったんですね。あ、プロポで既に談合があって、B組が負ける提案したかも、、。
:まさか、そこまでは言わないがね。
:でも、まだわかりませんよ、このまえだってワンマン宰相の一言で突然に白紙撤回になったんだから、こんども審査結果をお得意の解釈変更して、B案当選にするって言い出すかもしれませんよ。
:そうかもしれんなあ。そうなると面白いね。白紙撤回を撤回してザハ・ハディド案にする、とか。


●都市計画の変更はまず都市公園から

:ところで、これでまた都市計画の変更をするんでしょうかね。
:そうそう、それだよ、このあたりの今の都市計画は、ザハ・ハディド案を造ることを前提にして、都市公園を変更し、地区計画もそれに合わせて決めたんだよ。
:ということは、こんどはA案を造ることを前提にして都市計画変更するんでしょうねえ。
:この前の変更はかなり大慌てで決めたからか、いろいろ不可解なところもあるんだよ、だからこの際、再変更して決め直すべきだね。
:どこが不可解なんです?
:一つは都市公園の変更だな。このあたり一帯に明治公園という名の都市計画公園の計画蹴ってしてるんだな。その一部が開園しているんだけど、その四季の庭ってところがもろに新国立競技場の建物にひっかかるもんだから、無理やり変更して立体公園なんて、空中に持って行ったんだな。
:空中公園なんて、かっこいいでしょ。
:でもねえ、コンクリ床の上に木を植えたって育たないしなあ、渋谷川をコンクリ床の上を流すこともできないしなあ。
:で、こんどの変更で四季の庭を元にに戻そうってことですか。
:そうそう、どうせ変更するんだから、建物を寄せて立体公園をやめてもらいたいね。そしてね、わたしの新提案は、新国立競技場の敷地全部を四季の庭にして、開園すればいいと思うんだよ。
:おお、そうすればまさに「杜のスタジアム」になるなあ。ご隠居もケチ付けるだけじゃないんですね、時にはいいことも言う。
:年寄りをからかうもんじゃないよ、わたしだって真面目に面白がってるんだよ。そこでだな、わたしは役に立つかもしれない変更都市計画案を考えたんだよ。
:まったく大きなお世話ですね、何の関係もないし、オリンピックに興味ないって言ってるクセして。
:うん、そう、暇つぶしにだよ、この図をご覧よ、まず、さっき言ったように、新国立競技場敷地全部を「スタジアムの杜」って名の都市公園として開園するんだよ。どうだ、いいだろ。

(参考までに)現在の都市計画公園

上のように変更前の都市計画公園


●区画整理に合わせて地区整備計画を変更

:シャクだけど、いいですねえ。じゃあ、ついでにほかにも真面目な提案があるんですかね。
:おお、あるとも、ほら、この敷地の南側の都営住宅などのあるあたりの不可解さを何とかしたいね。
:そうそう、JSC・日本青年館新ビル建設のトバッチリで都営住宅が消されるってことと、外苑ハウスってマンションがどういうわけか都市計画に入ってるってことですね。
最近のニュースによると、そのあたりに土地区画整理事業をかけて整備をするらしいんだな。それなら当然のことに、ここらあたりも地区整備計画を変更しなくちゃならないよ。
:そうか、新国立競技場ばかりじゃなくて、なんにしても都市計画変更が要るんですね。それじゃあ、この前のようなドサクサまぎれ都市計画じゃなくて、きちんとやってもらいたいですね。
:そこでだな、上の図は、わたしが勝手に妄想する土地区画整理の案も画いてるよ。土地区画整理ったって、ここじゃあ土地の入れ替えだけだからね、ごらんのように、三角公園を復活、都営住宅用地の一部と財務省用地の入れ替え換地、建て替えする都営住宅用地の復活、外苑ハウス用地を外苑西通り沿いに換地、その跡地を街区公園にする、まあ、こんなところだね。
:財務省ってなんです?
:それは日本青年館が建ってた土地が財務省の土地なんだよ。青年館がJSC用地に移るから、跡地を都営住宅用地の一部と交換して新国立競技場の敷地にし、「スタジアムの杜」と名付けた明治公園の一部にする、という方法で、外苑西通り沿いに換地したらどうかってことだよ。
:へえ~、おかしいなあ、ご隠居は急に親切になったみたいですねえ、オリンピック敗者第1号の都営住宅が敗者復活、外苑ハウスも道路沿いに高層化、公園も必要なところに必要な大きさで復活、おお、こんないいこと提案して、頭は大丈夫ですかあ?
:うん、善良な年寄りになるとポックリ逝けるかもと思ってな、でもまあ、わたしは勝手に遊んでるだけだよ、誰からも何にも教えてもらってないよ。まあ、おかげでボケ進行が遅くなってるかもしれんなあ、一連のオリンピック騒動に感謝だよ、これからもいろいろ騒動があるといいなあ。
:さて、この次は何がありますかね?
:まだまだあるよ、イチャモンが、こんどは神宮外苑関係の不可解な都市計画問題だね。お楽しみに。(つづく

●五輪騒動:新国立競技場と外苑都市計画に関する論考集まちもり散人)