2008/11/21

066【老いゆく自分】身内に不幸があっても喪中ごあいさつなるものを出さないのだ 

 年の瀬が近づくと、「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申しあげます」と、グレーの葉書がたくさん来る。
 こちらが歳をとるにつれて、その数が毎年毎年増えていくような気がする。枚数が毎年末のわが老化度指数である。
 昔は差出人の祖父母が多かったのに、今頃は父母の死が多い。そのうちに差出人ご当人になる順序である。
 11月半ばというのにもう6通が来た。

 実は、わたしも母を送ったのが今年であるから、普通なら今頃は喪中葉書を出しているはずだが、出す気がない。父が95年に亡くなったときも出さなかった。
 それは、わたしには喪中の意味が分からないからだ。葉書に書いてあるなくなったお方をわたしが知っているならば、それなりに哀悼の気持ちも持つが、ほとんどの場合は差出人を知っていても亡くなったご当人は知らないお方である。なぜわたしにお知らせが来るのか理解できない。

 だからこちらもその必要はあるまいと、父の逝った年も普通に年賀葉書を出したし、今年もそうする。
 なにかで、どうして喪中にしないのだと聞かれたら、変に言い返すのもおかしいので、父は神主だったから、神道では喪はないのですと言っていた。
 母もそうするが、神道でどうなのか、実は知らない。宗教的なことに無関心だからだ。あ、いや、お祭りは大好きだけど、。

 死を穢れとするから喪に服するのだろうと思うが、父は85歳、母は98歳であったから、長寿を全うしたと言ってよい。まさに寿であるなら、祝いこそすれ、穢れではあるまい。
 ただ思うのだが、喪中葉書を出すことで、多くなりすぎた年賀状の送り先を整理する作戦には有効だろうと思う。やってみるなら今年が最後のチャンス(のはず)だが、それもめんどくさい。あ、いけね、ホンネが出てしまった。

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