乗り物のナントカカードを持っていない。電車に乗るとき、必ず切符を買うことにしている。
だって、事前に大金を取っておいて、金利を払わないなんて、悪徳高利貸よりももっと悪い。資本主義社会のテキである。よく皆さんはそんなことが平気なのですね。
あれは鉄道屋さんの手数が省けるだけで、乗るほうは金利の損だけである。
それに、大きな声ではいえないが、キセル乗車もできなくなったしなあ。鉄道屋さんは、それまでキセルで損してもやっていけていたのだから、いまやかなり儲かるようになったに違いない。
金利をつけるようになったら、カントカカードを使うようにするつもりだ。その頃はカードシステムはなくなって、携帯電話に仕込まれるシステムになってしまっているかもなあ。
ところがわたしの携帯電話機ではそれはできない。ネット接続機能をつけていないから、文字通り携帯電話機である。
仕事していた頃はもちろんネット接続していたが、今は必要ないからやめた。
携帯電話機そのものも必要ないかもしれない。母がもしものときのために必要だったが、それも終ったので、いまや、時計が一番の用途、次がカレンダー、3番目が電話、ほかはなんにも使っていない。やたらめったらある機能はみな枕を並べて死んでいる。
たまに、つまらない会議中に、無音モードにしている携帯電話にかかってきたフリをして、外にしばらく抜け出すのに使っている。これは役に立つ機能である。
ネット接続もテレビも家のPCで十分である。そもそもテレビをめったに見ないから、ワンセグ(これは珍妙な造語である、ワープロなみだな)なんて必要などころか、電車の中でまでテレビ見たいヤツの気が知れない。
中越の山村・法末では携帯電話が通じない。仕事の電話から逃げる口実に使っている仲間もいる。それももうだめで、近いうちに集落ど真ん中にアンテナが建つらしい。
それにしても公衆電話が激減しましたな。どこにあるか、探す難しさが公衆便所なみである。 そのうちに公衆浴場なみになるだろうなあ。公衆電話保存運動の果てに、公衆電話遺跡指定なんてね、。
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